日々の生活にみる驚きの中国

単身赴任中の中国(大連)で日々発生する“驚き”を強引かつ身勝手な比較文化で紹介。

先生 すいません。

2012年03月15日 | 大連生活
住居から会社まで30~40分。 毎日往復1時間ほどバスの旅。 この生活が始まったころ、駐在の先輩が中国語の勉強をしているのを見て、『なるほど・・・』と決意。 しかし、やれどもやれども朝見た単語は帰路には新鮮な単語と化している。 情けない。 結果はついてきたのだろうかはなはだ疑問。

継続は力なり! 結構長続きしていたのだが、最近ネット上で見かける言葉で、『電車の中で中国語を勉強するな』 身につかないという説? (詳細不明) 電車とバスは似たようなもの、そうかもしれんと納得。

では・・・ 中国語の歌は? 最近は気に入った曲を録音して繰り返し聞いている。 歌詞を書き取り、ピンイン(発音)を振って口ずさむ。 なかなかいいもの。 スナックで歌ってみるか・・・ 歌詞(文字)が違う。 わざわざ昔の字を使うなよ。 

あえてブログで公表し、中国語再スタートの学校へ。 続けるしかない環境は作り上げた。 先生は基本二人のローテーション。 この前は初めての先生。 これで三人目。 同じく日本語は話せない。(たぶん)

いろんな表現を勉強するのだが、まだ入り口で既に時々使っている表現。 “まかせなさいっ” だが、微妙に(ではないらしい)違う。 先生は正しい中国語を指導してくれるのだが、頑固親父に、柔軟な頭は付いていない。 授業の目的とする表現をあえて避け(私には使いづらい、慣れていない表現)、自分のイメージに近い表現法をあの手この手でぶつける・・・・・ 最後は追い込まれて万事休す、新たな(正しい)表現法を身につけるしかない事を悟る。 

これまで、通じることをいいことに平気で使っているへんな中国語に改めて気づかされるのである。こんな調子で、一対一の授業ながら、先生のペースでは進まない。(進ませない) 敵もさるもの、罰? 抵抗する項目については必ず宿題が言い渡される。

こちらは、仕事を終え、まだ食事もしていない。 腹が減ったところで“あなたの中国は間違いよ”の繰り返し。 日本語が使えない環境で、“いいじゃん通じていれば” ではだめなことは理解しながらも、間違っていようとも一応通じる自己流表現にこだわってしまう。 

今回始めての先生に疲れの色が・・・ 扱いにくい生徒のようだ。(すいません。) ちなみにローテーションは私だけではない。 

学校に行く度に無口になる私である。 



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