京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京の休日」

2019-07-28 09:10:30 | 時計修理

7月28日日曜日。昨日は土用の丑。ウナギは食べられなかった。
賀茂川沿いに歩いているとミミズさんがぞろぞろと顔を出しています。なんとももったいない。
子供のころこのミミズを餌にするとウナギが釣り放題のようにかかった。
ミミズは畑の神様なので農家の人はミミズを探し回っている子供たちにいい顔をしない。ミミズは貴重品でした。

問題はウナギが高価な食品になってしまい貧乏時計師は食べられない。
「この門をくぐる者は経済的成功はあきらめよ!」会社の寮に入った直後に告げられた。
つまり薄給のうえ365日出勤を覚悟してほしいということ。
日本でもスイスでも年収は300万円程度が平均になるのでそれ以上の収入を狙うならすぐに辞めることです。

ただし一定の期間技術を取得すると世界中で尊敬されたうえ仕事が保証される。
何となく宗教染みた洗礼を受けるが環境はさらに悪化しています。

 日本製の時計は安物しか売れない。質は良くて安価な日本製時計が求められる。
さらにバジェット部門は中国製のマーケとゾーンになっているので出荷数でも勝負はできません。
時代は変わったが低賃金、長時間労働の習慣だけが残った形だ。

京の伝統工芸品は高級時計と同じ「一品もの」の世界。
マーケットはパースンTOパーソンゾーンになります。カルティエ、ブルガリなどと同じ富裕層がターゲットです。
ところが2000年以降このゾーンに参入する業種が急激に増えた。
「プレスティージ」というフランス語があらゆるところで聞かれます。平成時代に一番格落ちしたのがこの言葉。
たった50年でスラム化するマンション、レトルトパックのファスト食品、使い捨て家電製品がプレスティージかいなぁ~!と思う。
時計の仕事は「プレスティージ」ゾーンだったのだが一緒に格落ちして軽くなりました。

製品を作り出すためには技術の習得時間が10年以上の経験値が必要なのだ。
盆正月以外仕事に没頭して10年ということ。
私のようなサウスポーやら不器用な者はさらに時間がかかる。

ちなみにチェロ演奏者でN響の藤森亮一さん。(堀川高校主席卒)
彼はウエルナーの教本1,2を1年でこなしました。私が知る限り最速。私は3年かかって途中で挫折、20年後に何とかこなした。
実力の世界はこんなものです。

時計の業界への入門希望者があとを絶たないという。
ただし「年間休日」「「年収」の質問が多いのでがっかり。返答に困ることが多いという。
時計学校では卒業まで300万円ほどかかるのである意味こんな質問が来るのもしょうがないと思う。
ちなみに精密ドライバーを無駄なく研ぎあげるまで3年かかかります。
40年近くかかっても「プレスティージ」ゾーンへ登る途中の私です。
この世界はすべてを犠牲にしても面白い世界なのだと思う。土用のウナギはあきらめた。

「京アニ」の犠牲者が35名に増えたそうです。
物つくりの世界で長いチャレンジ時間の結果世界のトップクラスに上り詰めた。そんな人たちが亡くなりました。
犠牲者の数がただの数字として記憶から消えていくのかと思うとつらいものがある。
ここは京都なので悲しみは深い。
 工房でもバッハ「荘厳ミサ曲」で一日を終えています。

今日は上賀茂神社の「手造り市」開催日。
「ものつくり」は面白いのだ。





コメント
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