京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京のいらち時間」

2017-07-31 09:51:23 | 時計修理

8月31日月曜日。愛宕神社千日詣。
旧暦の行事を西暦に戻しているのでこの暑いさなかの山登りはきつい。
また明日は八朔。祇園では芸舞妓さんがお茶屋さんへあいさつに回る日。
稲穂の髪飾りが美しい。ところがこの気温36度も上がる厳しい夏空では甲子園の球児並の我慢がいるでしょう。旧暦の八朔は9月20日お彼岸の日にあたる。これを無理に西暦に合わせる必要があるのか?
この日を境に料亭では秋の装いになる。
「めくら蛇におじず」の話。
私は長崎出身。
京都で学生生活を送ったあいだ数々の失敗がある。「京のぶぶずけ(おちゃずけ)」失敗!
「一見客お断り」「京のおおきに!」「京のドレスコード」などなど京都の都市伝説「失敗部門」のほとんどをこなしてきた。
アホな失敗の思い出が60歳過ぎて時折ぎゃ~と出てくる。

夏の思い出では老舗の料亭へジーンズとTシャツで行ったこと。
事前に予約を入れておいたのだがあっさり断られる。今では当たり前のことですが当時はずいぶん憤慨したものです。
「お客さんすみませんなぁ~うちとこの係の間違いでぇ~!」ということになる。
特に長崎から旅行に来る皆さんはこの夏場ヨロズ気を付けましょう。

昨日神戸の公園でヤマカガシに嚙まれた少年がいた。命はとりとめたが危ないところでした。長崎では川で泳ぐな!と言われています。ダメと言われると行きたくなるのが子供です。泳いでいると目の前を突然蛇が横切っていきました。蛇も泳ぐのです。狭い小川だったので目の前10センチにいる蛇と目が合った瞬間が今でも覚えています。
噛みついたヤマカガシをその場で捕まえた子供さんがすごい!ニュースを聞いてそっちのほうに感心しました。

時計業界に入るとまず「ロンジンとシチズンの電池交換はやめとけ!カルティエのサイズ調整は逃げろ」と注意される。
特にロンジンはウラブタの密閉度が高い。岩牡蠣をお箸で開けるようなものです。
オープナーを剃刀の刃のように研いで準備出来ないと結果大失敗が見えています。
10分ほどで無残に傷だらけになったウラブタが目の前にある。それでも裏蓋は開いていないままだ。
カルティエの5列バンドのサイズ調整が来た。出向先の販売店では自分が売ったものは自分がサイズ調整をすることが暗黙の了解ごと。バラバラになったコマの配置の組み立てが解からず30分ほど固まってしまいました。
「ニューヨークで高級時計がほしかったら5番街を下を見て歩け!時計が落ちている。」
時計バンドのネジは専用の接着剤でゆるみ止めをしないと簡単に落ちる。時計サイズ調整一つでも専門店に行きましょうね!

京都人と時計師は似ている。人が困ったときに知らん顔をします。ところが道案内や作法などを聞いてみるときちんと丁寧に教えてくれる。「もう一遍やってみなはれ!」とダメ押しまでしてくれる。
最初から教えると安易に考えない人がいる。失敗してもあえて自分で考える時間を作っているのでしょう。「京都人は不親切!」なのはいいことだと思う。
ただいまだに新町通りと室町通りを勘違いして「お店が見つからん!」と騒ぐ私はあほだと思います。









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時計師の京都時間「京の幻の河童祭り」

2017-07-30 09:20:30 | 時計修理

7月30日日曜日三隣亡。
祇園祭りも明日の八坂神社夏越しの祓で終わります。
旧暦では祇園祭りと河童祭りはセット。どちらもキュウリがキーワード。
 水無月に行われていた河童祭りでは大好物の胡瓜を川に投げて無事を祈りました。

八坂神社の紋がキュウリに似ているのでお祭り期間中は胡瓜を食べない。河童は胡瓜が大好き。胡瓜の代わりにお神輿を投げ入れて無事を祈ります。河童は怒らない。

鴨川の河童たちのおかげで神輿洗いも無事に済んで今年も平安絵巻が楽しめます。やれやれ~です。
意外と知られていないのが京都の河童。深泥池、白河、鴨川、西洞院、堀川、桂川と今は暗渠になっている川にも河童はいました。
河童はいま~す。と小さく叫んでいる時計師なのです。
時折ほ~い、ほ~いと鳴きながら堀川通りのカッパが二条城の御堀から這い上がってきます。
世界遺産に京都の河童をいれましょ~!

昔カッパ時計という物があった。香港製の安物で水に浸けると時刻が浮き出てくる仕様。海水浴で使うように企画されたものらしく当然全く売れなかったようでいつの間にか消えた。
また、香港時計にトライアスロン競技用に作られた時計がありました。
この競技の一番初めの水泳で時計が水没して最後の自転車競技が終わるころ止る。なんと時計にも人にも過酷なレースなのでした。
お店に水が入ってしまった時計が来るが新たに購入したほうが安くつく。私たち時計師は無駄な説明だけで終わり全く利益にならないので自然とこの競技が嫌いになりました。

カッパ用の時計ではそれぞれメーカー自慢の製品があります。
200メーター防水、20気圧防水など表記されているのになぜか水が入る。またショパール、ブルガリなど非防水なのにポケットに入れたまま洗濯機で洗っても大丈夫なものもある。だからと言って洗濯機に入れないでくださいね!
この防水時計が私たちの悩みです。

ロレックスのサブマリーナも一発で水が入る。リューズロック忘れが意外と多い!
カシオ・フロッグマンも水が入った状態で持ち込まれる。防水能力の年数切れです。
防水パッキンや押ボタン箇所が劣化します。防水能力は購入後10年と考えておいたほうがいいでしょう。

京都の河童さんも最近寿命が延びたそうです。
なんと世界一河童の長寿命国だが最近外で遊んでいる河童を見かけなくなりました。子供たちは声をかけられても返事をしてはいけない。

河童釣りの手法で一番確実なのが鴨川べりで相撲を取る。
鴨川今出川通りの三角州がおすすめ!
相撲が大好きな河童がのこのこ這い上がってくるので事前に横綱・白鳳を用意しておきます。白鳳は都合がつきにくいのでオメガ・シーマスターを用意。
河童にシーマスター、鬼に金棒なのだ。ウラブタのドラゴンマークは河童の憧れなのだ。大丸さんへ観にいきましょう。

深泥池の河童はジュンサイの栽培で大儲けしいるので時計は「貴族の時計」ウブロ!
桂川の河童はもともと付近にシチズン工場・嵐山ブランドの関係でエコ・ドライブのプロマスター。ソーラー時計なので亀と一緒に甲羅干しの風景を見かけます。

白河の河童はラーメン屋の常連。付近の駐車場も市内で一番高いので貧乏河童は歩いてやってきます。
白河夜船の産地。自民党元防衛大臣河童などメモがあったのか、なかったのかは白河夜船。
そこで時計はキッチンタイマー!麺と頭はバリ堅好み。いつも一番右翼に座るのが特徴。

とにかく時計に水が入ってしまったら冷凍庫に保管しましょう。
凍らせることで錆を止めて工房に持ってきてくだされ~。すぐに乾燥させるので輪列だけはそれで助かります。
明日は上弦の月。海に行けない貧乏時計師はボチボチ仕事にかかります。










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時計師の京都時間「京の外来種」

2017-07-29 09:36:45 | 時計修理

7月29日土曜日。
京都の祇園祭りが終わるころ東北ではお祭りの始まりの合図。
今年の祇園祭りの会所で食べ物と勘違いしていた観光客から「厄除けチマキの賞味期限」を尋ねられたびっくり!
また「狸谷山」はどこに建っているの?と尋ねられた。
とっさに一乗寺に行ってくださいと言えずにしばらく何処やったかいな~う~むと考え込んでしまった。
祇園祭りの山鉾のなかに「狸谷山」はありません。
交通安全祈願で有名な狸谷山は宮本武蔵が前日修行したお寺さんなので彼に討たれた吉岡一門の道場があった場所は四条西洞院の蟷螂山。

祇園祭りのあとの仙台七夕、盛岡さんさ踊り、秋田竿灯、青森ねぶたすべて東北北三県のお祭りは体験済み!秋田竿灯まつりの提灯が何となく祇園祭りの山鉾の提灯に見えてしまいます。
写真は金無垢18金。
やはり夏の御祭りには金無垢時計が日焼けした肌に似合います。

北東北のお祭りでお勧めは盛岡さんさ踊りです。
若い女性達が打ち鳴らす太鼓の音が東北の短い夏を駆け抜けます。
 さんさ踊りからお盆までが半袖シャツ、お盆過ぎると長袖に変わります。
盛岡美人のきれいな白い素肌が瞬間見える期間なのだ。見逃さないでくだされ~!
京都で生活していると盛岡は夢のような涼しさで、市内の寒冷地仕様のタクシーはエアコンは暖房だけ!
京都はこれからお彼岸まで夏の暑さとの闘いの日々が始まる。

私は外来種!よそさんなので「到来者」ともいう。
お茶席などで大丸さんのお中元のお流れを頂く際に「到来もんですがおひとつどうぞ~」と勧められる。
贈物では「京もの」が最上級で他府県からの物品は「到来もの」と区別してきた。
最近「京もの」の中に中国製の到来ものが混ざっているのが問題になっています。
クワバラ、クワバラです。このクワバラも京都の地名。

この外来種京都人はすぐに見分けがつく。まず歩き方が違う。
顔つきも違う。言葉使いが違う。
同じ京都でも街中と郊外の言葉も違うので聞き分ける技術は数年で身に付くがいざとなると話せないものです。
祇園祭の会所での受け答えで私が外来種であることは地元に人にはすぐにばれた。何かにつけて外来種ヒアリのような存在がばれる恐怖が付きまといます。

京都駅八条口から長崎行夜行バスに乗るとなぜか車内は親戚一同集まった旅行のように顔が似ている。
京都人はほっそり顔でおまけに夜行バスでは旅行はしない!
日本人の中で一番旅行しないのが京都人。これが旅行会社では常識だという。

洛中ジモティは小学校など学区名に誇りを感じています。
京都人か外来種か判断がつかない場合、西陣、挌致などの学区名を聞くことです。京都人は即座にこたえてくれます。
私は京都に混ぜてもらって今年で15年。当然のようにまだまだ「よそさん」なのだ。
31日は八坂神社の夏越しの祓。この神事で祇園祭のすべての行事が終わります。
翌日からキュウリが堂々と居酒屋で出てくる日でもある。
財布も軽くなったし今日は鱧の食べ納めにでもいきましょうかね~!








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時計師の京都時間「神輿洗いの記憶」

2017-07-28 09:05:49 | 時計修理

7月28日大安。今日は祇園祭の圧巻神輿洗いの日。
祇園祭りは静かで雅なお祭りのイメージですが鴨川での神輿洗いは勇壮な一日になります。
京都で学生時代を送った人は鴨川で産湯を使うことになります。
酔っぱらったあげく鴨川で水泳をやって時計を壊した。
私を含めこんな想い出を持つ人が多い!
鴨川をさらうと時計、指輪、メガネなど貴金属がザクザクと出てくるか?宝の山なのだ。
そんな鴨川に今日はお神輿が入ります。めでたしめでたし!
すぐに京の七夕祭りが迫っていますので今のうちに浴衣の用意をしておきたい。
ところが私は4,5日は長崎のお墓掃除で不在になります。
原爆投下の九日前にお墓をきれいにしておくことが長崎人の常識です。九日が被爆者の祥月命日にあたるためとっとと長崎に戻る。
私の本籍地は京都。お墓がある街には殆ど住んだことがないので子供のころお墓の周辺で迷子になったこともある。
お墓で迷子になるとそりゃ~怖いものです。提灯がパカッと割れたものや朽ち果てた卒塔婆がなんとも怖いものでした。
偶然通りかかった私と同じ年くらいの地元の子供がいたので無事に家族のお墓に戻れた。
道案内してもらったことを父親に伝えても信じてもらえなかった。
山の上から一人でまっすぐ戻って来る私の姿がチラチラ見えていたそうで道を間違えないで歩く私を驚きながら待っていたという。

今年も8月9日がやって来ます。長崎人はお墓掃除準備金を用意して炎天下3時間の作業に耐える。どちらも大変なのだ。
連れていく時計はロレックスGMT、父親愛用だったシーマ、カシオ・プロトレック、お寺サンへの挨拶の時用にIWC・ポートフィノの4点。

シーマ(さいま)は戦前ならオメガと並んだ高級品でした。1970年代のクオーツ時代の波に飲み込まれたメーカー。
今では中国製のバジェットゾーンで見かけるのみになりました。
今週週末はシーマの分解掃除を仕上げるのが毎年の行事になっています。
南満州鉄道で勤務していたテッチャンのオヤジでした。愛用のシーマ一つだけ持って帰国。

今日はも神輿洗いの日。まずシーマのケースから洗いましょう。










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時計師の京都時間「京の陀羅尼助時間」

2017-07-27 09:18:40 | 時計修理

7月27日木曜日仏滅。明日は土までも蒸し暑くなるといわれる日。
昨日は五回生クラブの集まりの日でした。
今朝ちょっと二日酔い気味なので陀羅尼助を飲んできた。
この陀羅尼助は奈良発祥の強烈ににがい漢方薬です。京都に来て初めて出会う。

私の娘が赤ちゃんのころ指しゃぶりを治す為にこれを使ったところとにかく苦いので効果てきめんでした。
今でも薬を瓶を見ただけで苦い記憶がよみがえるという。

昨夜は無時に集まりも終わりました。
京都では一般に4回生の卒業時点で宿を追い出されます。
経営者側から見ると敷金・礼金の収入目当てか?またいつまでも不良学生に貸しているのでは家賃の滞納も心配なので追い出されることになります。
 私も追い出されて東寺珍しい保証人も要らない親切な太秦のアパートにお世話になりました。
アパートの住人はみな五回生以上の吹き溜まり。京大、同志社、立命など大学のおちこぼれが集まった怪しげな宿でした。
そこに常備されていた薬が陀羅尼助。苦い薬なので食料にもならないので何時までも残っています。
アパートの経営者が元校長先生で教育者だった人で家賃を滞納したら焼鳥屋へ連れて行ってもらい状況を丁寧に聞いてくれるなどその後の京都人のイメージが確定した。
もしこのアパートでこの人との出会いがなかったら私は家族を連れて京都へ戻ってきたか?
少なくても焼鳥屋へ行く頻度は減っていることでしょう。

京都の大学生社会ではこの五回生が一番身分が低い存在です。その不思議な仲間たちが40年近くになっても何かと集まって来る。社会へ出発ミスの落ちこぼれ集団なのでいいことばかりではない。
医者になった仲間はもっと長生きできるはずの患者を何人も見送ってきたボンクラ医者の無力感を嘆く。
弁護士は話ベタ!勝訴より敗訴のほうが多い。時給計算ではコンビニアルバイトのほうが給与は高いと家族から指摘された。
銀行員は与信業務の担当が長く理不尽な「貸しはがし倒産」批判の思い出に今でも苦しんでいます。一般の民衆の怒りは弱いところに向かう。
私は出向専門、時計業界にしがみついて未だに倒産した販売会社の後始末中!
一番残念なのが商社勤務のヨーロッパで行方不明になった仲間は陰膳で参加。
皆さん「火中の栗拾い」が仕事だった。
それぞれこんなはずではなかった人生。家族や親類に尊敬され親しまれる存在を夢見て生きてきた。結果は卵を産まなくなった鶏の運命と同じだ。

だらにすけ!の苦い時間が続いています。
ただ救いはお世話になったアパートの御主人に凛として恥ずかしくない人生を送れた。この報告を毎年出来ていることでしょう。
お金も信用もないが勇気だけは少しは残っいますね~!
私の苦い陀羅尼助人生でもこの日だけはちょっと誇らしく胸をはれる。

京都産業大学の獣医学部を見たかったね~!というのが全員の意見でした。
田舎の3年、京の昼寝。いい環境ではいい人との出会いができますよ!と残念無念でした。
写真はジェラルド・ジェンタ。クオーツ。
私が一番びっくりしたデザイン。
田舎の3年、スイスの昼寝時計でした。




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