京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京の大阪時間」

2019-07-08 09:11:58 | 時計修理

7月8日 月曜日。
さんりんぼうの大阪時間。
大阪名物パチモン。なぜか大阪の人にコピー好きな人が多い。
逆に京都人はコピー品を持つだけで人格を否定されるほど嫌う。こんなに近い都市なのに不思議でしょうがない。
近年京都在住の大阪人が増えてきました。
「おっちゃん!」「タイショ~!」と工房に来てなれなれしく呼びかける人は大阪人。
「君とは友達でもなんでもない!」と冷たくあしらうのが京都人。

昨日80歳くらいのおばあちゃんがコピー・フランクミューラーの電池交換に来た。
即座に追い出すが本人はなぜ追い出されるのか解っていないようだ。
「時計の仕事は神様の仕事」が京都とすれば、「時計の仕事は金もうけの手段」が大阪でしょう。
「電池交換ごときでなぜ追い出されるのか!ワタシャ~客やでぇ~!」とダメ押しの一言。
それにしてもコピーのフランクミューラーをおばあちゃんに渡して電池交換させようとする後ろに隠れている家族を思うと悲しいものです。

京都と大阪はいつまでたっても和解できないものでしょう。
京都は歴史的に神様へささげる仕事が多かったので偽物やら中途半端な品物を嫌う。
祇園祭の山鉾にしても「くぎ」を一本も使わず縄だけで組むのも京都人らしい。あえて困難にチャレンジする歴史がある。

工房ではバイヤー時代の経験があるのでコピー品はすぐに見分けがつきます。
写真のように長年本物とお付き合いをしているとすぐにわかる。
京都でコピー品とわかるとすぐに捨てたほうがいい。本物を持つプライドは簡単に育たない。

大阪でコピー品と一緒になかなか解決できない問題にいじめの問題がある。
砂の真砂が尽きるとも浪速のいじめは解消できない。
まず教師の体罰教育がある限り模倣犯のいじめっ子が育つ。
体罰で育った地方のアスリートと体罰のない京都を比べると短期間では体罰教師の成績が良くなるのは当たり前です。
家畜と一緒で体罰で育てたほうが効果的に育つ。
それでますます体罰教師が増長、悪貨が良貨を駆逐する理論が通用します。
卒業したとたん迷子になることが多い。

また体罰教育が露見して自殺者が出ても罪は軽いのも特徴でしょう。
以前、高校生駅伝でも愛知の団体の体罰教育が発覚しても結果出場できた。
体罰教育のない立命館宇治などの子供たちと一緒ではまともな競技とは言えない。

私が育った暴力教育の長崎、指導者時代の大阪体験、子供たちが育った愛知、岡山ではまだ体罰の風習が残っていました。
大阪人はスキー場で並ばないので嫌われ者。車の運転にしても割り込み信号無視は当たり前。

そんな大阪でクラッシック音楽の楽団員で大阪人がいないと演奏できないほど多い。
大阪シンフォニー、泉ホール、フェスティバルなど大阪の会場の客層、客質は世界で一番優れていると思う。
これが不思議でしょうがない。

祇園祭の山一番は嫁の実家がある蟷螂山、自宅がある油天神山は6番くじを引きました。
そろそろ祇園祭期間中の営業時間変更のお知らせを出しましょうかね~。
今日も6時半受け付け終了。お早めにお越しくだされ~。

コピー品の修理は一切受け付けませんので持ち込みはお控えください。
コピー品を見たら狂暴になってしまう時計師なのだ。





コメント
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