京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京のお田植時間」

2019-06-09 09:27:26 | 時計修理

6月9日日曜日。明日は時の記念日。
京都伏見稲荷など各所の神社でお田植祭りの行事の日曜日。工房はスイート・スポットの閑散期になります。
1200年の間漏刻際(時の記念日)とお田植祭りはセットのような行事。
天智天皇が時を知らせる目的は大切な田植え作業の始まりを知らせることだったのでしょう。
芒種も過ぎて農家は忙しい季節になります。

明日は時計業界の皆さんが近江神宮に集まります。
セイコー、シチズンのトップやらスウォッチグループ、日本ロレックスなど海外の代理店の関係者が一堂に揃います。
こんな業界は珍しいでしょう。
建設業界の城南宮、酒造組合の松尾大社、時計業界の近江神宮。
6月10日に全国の時計店から近江神宮だけにお参りに集まる珍しい業界なのだ。

私はパス。昨年12月に母親が亡くなったので13か月間は喪中。お祝い事の出席には遠慮しています。
時計師が暦を間違ってのこのこ行ったのでは言い訳ができない。
喪中期間中神社の鳥居はくぐらないのがお約束です。
近江神宮の隣に併設している時計学校の皆さんも明日はお掃除やら接待に駆り出されて忙しい一日になりますね~。
 近江神宮の時計学校の知名度が低いようです。
優秀な生徒さんたちが活躍できる場所が年を追うごとに少なくなっているのかと思う。

時計学校を卒業後には間違いなく「時間が凍る瞬間」を何度か体験することになる。
さっきまでうるさかった周囲の音が聞こえない失敗の瞬間を必ず体験します。
「失敗の回数で上手な職人になる」ただし生きていればの話。
少なくとも危険から逃げてばかりいるといつまでも初心者なのだ。40歳過ぎて初心者も見てきた。
個人の失敗をカバーするゆとりも経済的に困難になってきた業界でもある。
企業の中で機械交換だけの「引きこもり」さんも増えてくることでしょう。
裏ブタを修正不能のように傷つけて逃げる時計屋も増えた。以前ならこんな人はいなかったと思う。

この業界は年功序列ではなく実力の世界です。
寝ても覚めても時計のことを考えている時間の差で勝負が決まる。
絶対に勝てないと思いながら何とか生きてきた。
ところがライバルだった人たちは医療分野やIT部門に移籍。私一人ぽつんと取り残された感がある。

今では簡単に巻き芯、天真の高度な加工技術を見ることができる。一日かかる仕事がNCRの機械で数千個作れる時代だ。
まるで教科書に載っていた新見南吉の「おじいさんのランプ」の世界そのものです。
そのうち私が賀茂川に時計部品を一つ一つ投げ入れて「不法投棄」で捕まるかも?

最近、京都でも黄砂、PM/2,5の大気汚染でますます時計師の環境が悪くなってきました。
作業中に眼がかゆくなる。腰は痛いし消化器系も明らかに異常を感じます。
とっとと道具をかたずけてヨーロッパでも行くか?
時計師の場合世界中どこの地へ行っても食べて行ける都市伝説がある。
ただし日本だけは除外されるという。
一般の人が付ける時計はソーラー電波の使い捨て、時計がなくてもスマホがある。
若い人たちはスマホを顔にぺったりと貼り付けて歩くので時計は見なくてもいい、不要だ。
北大路駅のホームでも黄色い線を歩きスマホ。
「死んでもスマホは放しませんでした!」現代の英雄なのだろう。巻き沿いにならないようにしましょう。
時計が不要な社会。日本の時計師は「絶滅危惧種」に認定される。

とっとと道具をかたずけて今度はどこに行こうか?と思う日々です。
今日は7時まで営業。
昨夜はホスピスなどで活躍するおとなしい介護犬が訪ねて来てくれました。
このワンちゃんに負けないように役に立つ時計師を目指します。
ワンちゃん、ねこちゃん大歓迎!こんなワンコが来てくれるならもうちょっと頑張ろうかなぁ~と思う。









コメント
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