京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「お彼岸明け」

2016-09-24 09:16:04 | 時計修理

9月24日土曜日。
明日25日はお彼岸の明け。北野天神様の市と重なりました。
写真は娘が作ってくれたヌーベル・パスティーシュの新しいキャラクター「パステー君」私だそうです。
こんなに黒い顔をしていたのかね~?
まぁ~チビではあるので歩いていると外人から踏みつぶされそうになる。。

昨日は近所の上賀茂神社で紀香様の挙式だったそうでまずはめでたい!
朱い糸でつながったお二人に乾杯!
上賀茂神社なので鳥居は朱い。やはり赤い糸でなくて朱色になるでしょう。

私の場合、長崎県の高島炭鉱育ちで写真のように真っ黒に日焼けして遊んでいた子供時代。同じ年の嫁さんは京都四条育ちのお嬢様でした。
京町屋・ウナギの寝床の通路をリアカーで往復して従業員の皆さんに遊んでもらっていたそうです。
私は同じリヤカーで魚をたくさん運んでいました。
なぜか運命の赤い糸で結ばれていたのでしょう。61年前からこの赤い糸につながっていたのだ。これを今では腐れ縁!と嫁さんはいう。

「日本に京都があってよかった!」
バスの車内でこの気持ち悪いコピーを見せつけられています。東京のぼんくらコピーライターと広告代理店がひねり出したものでしょう。
日本は元々奈良・京都から歴史は始まったのだから日本の中心部はここだ!
「あってよかった!」とは歴史を知らない田舎者の言葉でしょう。

江戸時代に徳川から紫衣事件やら武家諸法度、習近平のような贅沢禁止令など長い間いじめられた京都ですが何とか生き残った歴史があります。
このきびしい間には西国諸藩が千本通りを中心に藩邸を置いて宮中を支援してきた。
名残のように西陣地区には「丸に十」薩摩藩ゆかりの屋号や肥後の桔梗の紋の店舗がポツポツと存在します。
「日本に東京の築地があってよくわかった!」と思う人は定年退職後、早いとこ時間を巻き戻して京都に戻りましょう。

季節はお彼岸!工房ではお母さまの時代から孫へ継がれる時計も普通にやってくる。
「母の時計がお彼岸のお墓参りに行くといきなり止まった!」すこし青ざめて来店されます。
私は別に驚かないで電池交換を済ませて渡す。「2年後のお彼岸までを目安にお使いくださいね~!」
時計がいきなり止まると穢れの知らせか~?と皆さんはおろおろします。
私の場合飛行機に乗る直前に時計が止まったがそのまま目をつぶって乗ってしまう。

靴の紐が切れて、時計が止まって、仏壇のろうそくが突然消えても私は飛行機に乗ったが無事?に時計師を続けています。
私の代わりにだれか不幸な目に遭っているのじゃないか?と余計な心配をするが工房に来るお客様ではないことを祈るばかりです。

明日はお彼岸お明け!ホッと一息「お彼岸明けまで待ちなさい。」
大好きな鯖寿司、十割そば、焼肉などなどは食べない。アレルギーと呪いが心配なのでお彼岸の間はお坊さまとおなじメニューで頑張っています。
「お化けの呪いと座敷童はいま~す!」とお彼岸には洛北から叫ぶオヤジなのだよ~ん!











コメント
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