堅壮院メダカ庵

百姓生活やメダカ飼育についての日々の記録です。

ボロ船世界クルーズ記ー31 「インド」

2012-12-04 | 自然と共生

○ やっImg264と動き出したボロ船は、16日から18日にかけてインド洋アラビア海を東に向けて航行しました。この船の巡航速度は27ノットと聞いていましたが、この航海中はいつも16ノP4190516ットほどのスピードですからミニバイク並みの時速30㎞ほどです。漂流で遅れた時間を取り戻すことはありません。

○ 船内ではインドの大学教授によるインドに関する講演や原発問題P4190519、憲法9条問題などの講演が続きました。インドと言えばメダカが生息する地域にはいりますのでP4190453、私もパソコンに入っていたパワーポイントの映像を使って「メダカと照葉樹林食文化」の講演をやってみました。

○ 朝食の時間と重なる8時から9時過ぎまでの時間帯でしたが、60人ほどの乗客に聞いていただきましP4190446た。講演の後メダカに関する質問もありましたが、東京から照P4190455葉樹林の町である宮崎県綾町に移り住んだという方もおられて私の講演を引き立てて頂き、他の方も「船が雇った講師の話よりも素晴らしい」と言っていただきました。それ以来、私は「メダカ先生」と呼ばれるようになりました。

○ ボロ船は一日余り遅れて19日の朝5時半にインド南部の港町であP4190456るコーチン港に入港P4190515しました。インドの人口は12億人ですが、コーチンケララ州の貿易港で人口は160万人です。港は河口の入り江にあるらしく、水は淡水または汽水のような感じです。アジアモンスーン地域に入り、今まで寄港した国々よりもが濃いのに気がつきます。

○ 早速、コーチP4190465ン市内の観光にでかけましたが、英語が公用語の国ですP4190472ので日本語通訳がいない英語だけのガイドのツアーバスに乗りました。大きな川を渡って町の中に入りましたが、ツクツクという小さな三輪タクシーがいて、マンゴーパパイヤなどが路上で売られており、いかにもインドらしい風情の街並みです。

○ 先ず、16世紀に布教のためにポルトガルからインドや日本に派遣されたP4190466フランシスコ・ザビエル聖フランシス教会に行きまP4190473した。教会の床にある墓にはザビエルが埋葬されているらしいですが、英語のガイドの説明ですので良くわかりません。仏教でいう舎利塚のようなものでしょうか???

○ 次いで海辺(河辺?)の漁村に行きましたが、岸辺に日本で言う四つ手網が沢山ありP4190494魚屋も並んでいて、あらゆる種類の魚介類が販P4190475売されており、それを煮て食べさせる食堂もありました。しかし、この魚の種類をみると沿岸の漁船漁業の魚が大部分で、四つ手網デモンストレーション用の漁具では無いかと思いました。それにしてもコーチン沿岸の海は豊かな漁場である事は間違い無いようでした。

○  次いでP4190489タンチリー地区へ行きましたが、16世紀にバスコダガマにる南アフリカの喜望峰を経由するインド航路発見によってポルトP4190498ガル、オランダ、イギリスなどが進出し、それらとともに渡来したユダヤ人が多い地区とのことで、色々な商店が軒を連ねていました。その町の中に「ダッチパレス」という王宮あとの博物館がありましたが、これは17世紀にポルトガル人から当時の王様に寄贈された建物とのことでした。

○ 私はこの街P4190488で一体の仏像(釈迦像)を買いました。100ドルとのことでしたが、65ドルまで値切りましたが、始めてインドに行った記念品です。その他に様々な本場のスパイスを売るDscn5427店でカレーシナモン等香辛料を買いましたが、料理は詳しくありませんので、下手な英語でインド人の店員に聞きながら買いました。これも20ドルを1P41904991 ドルまで値切りました。インドは国民一人当たりのGDPは1300ドルほどですので、値切って申し訳なかったような気がしました。

○ インドは多くの人口を抱え、まだ20%に家庭には電気もなく、P4190504字率、一日2ドル以下で生活する人が8億人P4190502いるという貧しい国のようでしたが、長い歴史と文化、豊かな太陽と緑が溢れる国です。インドには野生トラライオンが生息しているという自然豊かな国です。その上、インドメダカというインド固有のメダカもいるという国でした。

○ ボロ船は1P41905008時にコーチン港を出港して次の寄港地であるシンガポールに向けて出発しました。夕闇迫る沖合の海には点々と漁り火が見えました。

 「メダカ棲む インドに着いて 安堵する」 道生                  


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