(01)
{すべての人}≡{a、b、c、d}
であるとして、
① aは{b、c、d}の中の誰かを愛さない。
② bは{a、c、d}の中の誰かを愛さない。
③ cは{a、b、d}の中の誰かを愛さない。
④ dは{a、b、c}の中の誰かを愛さない。
とするならば、
(ⅰ)すべての人は、ある人を愛さない。
然るに、
(02)
{すべての人}≡{a、b、c、d、e}
であるとして、
① aは{b、c、d、e}の中の誰かを愛さない。
② bは{a、c、d、e}の中の誰かを愛さない。
③ cは{a、b、d、e}の中の誰かを愛さない。
④ dは{a、b、c、e}の中の誰かを愛さない。
⑤ eは{a、b、c、e}の中の、すべての人を愛す。
といふのであれば、
(ⅱ)ある人(e)は、すべての人を愛す。
然るに、
(03)
(ⅰ)すべての人は、ある人を愛さない。
(ⅱ)ある人は、すべての人を愛す。
に於いて、
(ⅰ)と(ⅱ)は「矛盾」する。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)すべての人は、ある人を愛さない。
(ⅱ)ある人は、すべての人を愛す。
に於いて、
(ⅰ)の「否定」は、
(ⅱ)の「肯定」に「等しい」。
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)すべての人が、ある人を愛さない。といふことはない。
(ⅱ)ある人は、すべての人を愛す。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)であって、
(ⅲ)すべての人は、ある人を愛さない。
(ⅳ)ある人が、すべての人を愛す。といふことはない。
に於いて、
(ⅲ)=(ⅳ)である。
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)すべての人が、ある人を愛さない。といふことはない。
(ⅱ)ある人は、すべての人を愛す。
(ⅲ)すべての人は、ある人を愛さない。
(ⅳ)ある人が、すべての人を愛す。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)であって、
(ⅲ)=(ⅳ)であるため、
(ⅰ)すべての人が、ある人を愛す。といふことはない。
(ⅱ)ある人は、すべての人を愛さない。
(ⅲ)すべての人は、ある人を愛す。
(ⅳ)ある人が、すべての人を愛さない。といふことはない。
に於いても、
(ⅰ)=(ⅱ)であって、
(ⅲ)=(ⅳ)である。
従って、
(07)
{xとyの変域}は、
{人間}であるとして、例へば、
① ~∀x{∃y(~愛xy)}≡ ∃x{∀y( 愛xy)}
② ∀x{∃y(~愛xy)}≡~∃x{∀y( 愛xy)}
③ ~∀x{∃y( 愛xy)}≡ ∃x{∀y(~愛xy)}
④ ∀x{∃y( 愛xy)}≡~∃x{∀y(~愛xy)}
といふ「等式(量化子の関係)」が成立する。
(08)
① ~∀x{∃y(~愛xy)}≡ ∃x{∀y( 愛xy)}
④ ∀x{∃y( 愛xy)}≡~∃x{∀y(~愛xy)}
であるならば、
① すべての人が、ある人を愛さない。といふわけはない。≡イエスは、すべての人を愛す。
④ すべての人は、ある人を愛す。≡(自分の親を愛さない人はゐないはずなので)すべての人を愛さない人はゐない。
といふ場合が、さうである。
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