(01)
練習問題
1 つぎの連式の妥当性を証明せよ。
(a)Fm ┤├ ∀x(x=m→Fx)
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、215頁改)
(02)
(ⅰ)
1 (1)Fm
2 (2)~∀x(x=m→ Fx) A
2 (3)∃x~(x=m→ Fx) 2量化子の関係
4 (4) ~(m=m→ Fm) A
5(5) m≠m∨ Fm A
5(6) m=m→ Fm 5含意の定義
45(7) ~(m=m→ Fm)&
(m=m→ Fm) 46&I
4 (8) ~(m≠m∨ Fm) 57RAA
4 (9) m=m&~Fm 8ド・モルガンの法則
4 (ア) ~Fm 9&E
2 (イ) ~Fm 24アEE
12 (ウ) Fm&~Fm 1イ&I
1 (エ)~~∀x(x=m→Fx) 2ウRAA
1 (オ) ∀x(x=m→Fx) エDN
(ⅱ)
1(1)∀x(x=m→Fx) A
1(2) m=m→Fm 1UE
(3) m=m =I
1(4) Fm 23MPP
従って、
(01)(02)により、
(03)
(a)Fm ┤├ ∀x(x=m→Fx)
(〃)mはFである。┤├ すべてのxについて(xがmであるならば、xはFである)。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)ミッシェルは、フランス人である。従って、
(ⅱ)誰であらうと、その人がミッシェルであるならば、その人はフランス人である。
といふ「推論」は、「妥当」である。
(05)
練習問題
1 つぎの連式の妥当性を証明せよ。
(b)├ ∀x∀y(Fx&x=y→Fy)
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、215頁)
(06)
1(1) Fa&a=b A
1(2) Fa 1&E
1(3) a=b 1&E
1(4) Fb 23=E
(5) Fa&a=b→Fb 14CP
(6)∀x∀y(Fx&x=y→Fy) 5UI
従って、
(06)により、
(07)
(b)├ ∀x∀y(Fx&x=y→Fy)
(〃)├ すべてのxとすべてのyについて(xがFであって、x=yであるならば、yはFである)。
といふ「連式」は、「恒真式(トートロジー)」である。
(08)
練習問題
1 つぎの連式の妥当性を証明せよ。
(f)├ ∃x(x=a)
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、215頁)
(09)
(1) a=a =I
(2)∃x(x=a) 1EI
従って、
(09)により、
(10)
(f)├ ∃x(x=a)
(〃)├ あるxは(x=a)である。
といふ「連式」は、「恒真式(トートロジー)」である。
然るに、
(07)(10)により、
(11)
(b)├ すべてのxとすべてのyについて(xがFであって、x=yであるならば、yはFである)。
(f)├ あるxは(x=a)である。
に於いて、
(b)が「恒真式(トートロジー)」である。
といふことは、「当然」であるが、
(f)が「恒真式(トートロジー)」である。
といふことは、「難解」である。
(12)
(a)
1(1) Fa A
1(2) ∃x(Fx) 1EI
(3)Fa→∃x(Fx) 12CP
(b)
1 (1)∃x(Fx) A
2(2) Fa A
従って、
(12)により、
(13)
(a)任意のaがFならば、Fであるxが存在するが、
(b)Fであるxが存在するとしても、任意のaがFである。とは、限らない。
といふことは、「当然」である。
然るに、
(14)
(f)├ ∃x(x=a)
(〃)任意のaは、aである。故に、あるxはaである。
といふことは、「当然」である。
といふことが、私には、「何となく」にしか、分からない。
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