なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

代表、ミルで豆をひく

2006-10-31 22:36:00 | スローライフ

今日は、I村代表がミルでコーヒー豆をひいてくれた。
美味しいコーヒーが飲みたいなあと思いながら、出先からヘトヘトになって戻ってきたら、ちょうど事務所にI村代表がいたのである。
「I村さ~ん、美味しいコーヒーが飲みたくありませんかぁ?」
まるで誘導尋問のような誘いかけ。「飲みたいねえ」と言ってしまった代表自らの「豆ひき」となったのである。

I村代表が事務所で待機していたのは、市民大学のようなものを市民主体で立ち上げたいと考えているM市の方が見える予定になっていたからだ。こちらの持つ情報を提示しながら、先方がどんなことを考え、今どんな段階で、どんな問題を抱え、どんな方向に進もうとしているか、理解しようと努めた。

話を聞いてみると、市民主体で動き出しているその団体は、学校の先生や元議員さん、区長さん、民生委員の方などが多いという。
動きづらいだろうなあと率直に思った。そうした人たちをひとくくりに考えてしまうことの危険性を感じつつ、それでも私には、地域のため、市民のため、子どもたちのため、環境のためと、一生懸命活動し、崇高な目的を掲げられるほど、自分とはかけ離れたものを感じ、違和感を覚えてしまうのだ。

面白いからやっている。
粋だからやっている。
美しく感じるからやっている。

そうした感覚的なものが第一にきてもいいじゃん、と思う。すごく不真面目でテキトーに聞こえるかもしれないが、そうではないのだと。大まじめを大まじめにすることよりも、大まじめを大ふざけでやった方が、真摯で、真っ当で、健全な場合もあると思うのだ。「面白い」という感覚的な実感が大事だからこそ、その感覚的なセンスや質がより問われる。だから私には、わかりやすい立派さよりも、より素晴らしい。

なーんて、どんどんエラソーになる私の横で、I村代表は淡々とミルで豆をひいている。今後、M市の方々がどう動いていくのか楽しみに思いつつ、美味しいコーヒーをゆっくりと味わった。

代表にコーヒー豆をひいてと頼める、ホッチキス止めが頼める、封筒ののり付けが頼める、こんなNPOだから、きっと私もここが好きなのだろうと思った。NPOも市民活動も苦手(ほんと言うと、ちょっと胡散臭いと思っていた)私だけれど……。
この恵まれた環境の中で、ここに居られることにあぐらをかかず、謙虚さを忘れてはいけないと、ミルをひく代表の姿を見ながら思うのであった。

ちゃんと届くように

2006-10-30 22:20:51 | スローライフ
11月26日(日)、掛川ライフスタイルデザインカレッジ「カレッジフェスティバル」が行われる。
プログラムをほぼ終えた5つのアクティビティ(カヤッキング、フライフィッシング、サイクリング、茶と器学、オーガニックファーミング)とベーシック(こちらは半分経過)の活動報告の場であり、各プログラムを超えた交流の場であり、オーガニックファーミングの収穫祭も兼ねるという充実度満点の一日である。

ノリとしては学園祭。
「ウチらのプログラムはこんなにも面白かったんだよー」の大自慢合戦や、フォーラム・セッション語録を紹介しながらの「この講座に来られなくて本当に勿体なかったねー」の勿体ない合戦などが繰り広げられる。

なだれ込み研究所で働くようになって、講演会にしてもシンポジウムにしてもイベントにしても、実は主催者側があまりノリ気でない、という場合があるのだということを初めて知った。「とりあえず予算があるから」「毎年やっているから」「上からの命令だから」などなど、理由は様々。
「そんなに予算があるなら、面白いこと、したい放題じゃん!」
と思わずにはいられない。仕方がない部分は多かれ少なかれあるにせよ、「仕方がない」という易行道をくり返してきた結果なのだろうと勝手に思う。

そんなふうじゃない、熱い想いがあるんだよ、ほんとに面白くなるんだよ、ということをちゃんと伝えたい。講師陣への案内文書を作成しながら、そんなことを思った。
そして、想いが、心意気が、やってきたことが、ちゃんと伝わるように書くことが、私の仕事なのだ。


優先順位一位のその後は

2006-10-30 01:12:58 | ビジネスシーン
たった一度しか参加をしていない、でも私の生活にかなりのインパクトを与えたカヤッキング。その打ち上げをしていると連絡が入り、それが「今」の優先順位一位となり行ってきた。
で、帰ってきて優先順位二位だった仕事が再び一位に上がり、しかも明後日の打ち合わせ前には送らなくてはいけない原稿で、「明日ではなく今日でないとな」という状況を再考して、「やっぱりやろう」ということになった。
で、酔っぱらいにもかかわらず、マジメに原稿を書いたというわけだ。

その原稿は優先順位一位でも、「今」は眠ることの方が大事なのかもしれないけれど、なければないでどうにでもなるものなのかもしれないけれど、やっぱりド律儀で大マジメの私は、キチキチと打ち合わせ議事録の作成をやってしまう。
なら、打ち上げなんかに行かなきゃいいじゃん、とは全然思わない自分が、なだれ込み体質になってきたなあと、しみじみ思うのであった。

モノがコトに変わるとき

2006-10-27 20:15:29 | ビジネスシーン
今日は「モノ」が「コト」になるときの話をした。
私が「誰にも会わず、家に引きこもっている時間がほしい」と言ったら、S藤さんがこんなふうに言ったのだ。

「オレはフランス車が好きだろう。フランス車の雑誌を見たり、フランス車を見に行ったりして楽しんでいるわけだが、実際にフランス車に人を乗せて走ってうんちくをベラベラしゃべっているときが嬉しいわけさ」
「はあ……」
フランス車のことなど全く興味も知識もない私は、ちょっとテキトーに相づちをうった。
「K住さん! フランス車を例にしてるけれど、これは普遍的な話だぞ!」
「は、はいっ」
「フランス車はオレの好きな『モノ』だ。だけど、あいだに『人』が入ることで『モノ』は『コト』に変わるんだ」
「どうだ、わかったか!」という勢いだったが、後でじっくり考えてみて「なるほど」と思った。

私は本が好きだ。本を「物」だとは思っていないが、たしかに自分だけの世界にあるとき、本は「モノ」だ。けれど、同じ本を読んでいる人と本の話をするとき、本は二人をつなぐ「コト」になる。

そして思い当たった。
最近、「誰とも会わず、家に引きこもっていたい」と感じていたのは、本を読んでいないからだったと。それも新書ではなく、物語で。

現代社会の中で、今、一人になれる時間というのは少ない。こうして一人でブログを書いていても、どこかで人や社会とつながっているのを感じる。これは、私だけの見解かもしれないけれど、本は一人になれる。今、同じ時間、同じ本を読んでいる人がいようと、「読む」という行為は一人であり、「読んでいる世界」は私だけのものである。登場人物たちと時間を共有しようと、作者と価値観を共有しようと、やっぱり「一人」なのである。私はこの「たった一人」が好きだ。自分自身と対話できるこの静かな時間が好きなのだ。

今日、事務所に見えたYちゃりのY崎さんも、自転車に向き合って整備などしているときは、きっと一人なのだろう。だけど、みんなでサイクリングするときは、自転車が「モノ」から「コト」に変わる。

今、私の中の最優先事項は「物語を読むこと」なのだ。好きな作家の新刊もちゃんと手ともにある。私がページを開くのを待っている。
この豊かで静かな時間を過ごしたあとは、この本について誰かと話をしよう。私だけの大切な「モノ」が「コト」に変わる瞬間。
どちらも、今の私にとってとても大切なものだと、今日、気がついた。

豊かさとは

2006-10-26 19:42:24 | ビジネスシーン
なだれ込み研究所で会社案内を作成しているお客様から、「豊かさとは何でしょう?」という哲学的な問いかけがきた。これは難しい。自分なりに真剣に考え、S藤さんに補足をしてもらい、なだれ込み研究所としてこんな答えを返した。

「豊かさとは」

大量生産、大量消費の社会の中で、いまモノがあふれています。
物質的な豊かさは、もちろん生活の基本です。
欲しいものは手軽に、すぐ手に入るけれど、そのことがイコール「豊かさ」だとは言い切れなくなりました。

例えば、買えばすぐに手に入るものを、あえて手間ひまかけてつくろうという人達がいます。手間ひまかけてつくる「その時間」を楽しむことが、「豊かさ」であり「ゆとり」であり「よろこびをもった」豊かな時間と考えているからでしょう。

何でも所有すればいい、たくさん持てばいい、という物質至上主義ではなく、自分のお気に入りのもの、たった一つでも身近にあればいい、そうしたものを見つけられる心の有り様や、よろこびの質が今の時代の「豊かさ」なのではないかと思います。

いま生活者は、自分にとって「豊かな時間」とは何なのかを模索しています。
どんな心の有り様のとき、ほんとうの豊かさ・よろこびを感じるのでしょうか。

自らのライフスタイルを見つめ直すときが、「豊かさ」のはじまりなのかもしれません。

私が考える「豊かさ」は、心の有り様だと思う。本当の豊かさは、自分の心に中にしかないような気がするのだ。
そんなことを、大まじめに考えることのできるこのポジションは「豊か」であると思うのだが、今の生活はさすがに「ゆとり」がなさすぎる。今日も様々なことがあったのだが、頭がまとめるモードに切り替わらず、前に書いた原稿を持ち出してきた、というセコいワザを使ってしまった。
これはちっとも豊かではないような……、気もするのだ。

最優先事項は何か

2006-10-26 00:44:59 | ビジネスシーン
忙しさにへこたれそうになっているとき、次々となだれ込んできてくれる人たちに叱咤激励されながら、何とか持ちこたえている。ホント、次から次へとありがとうございます。

さて、こなしてもこなしてもこなしきれない仕事の山の優先順位として、
1.なだれ込み研究所本来の仕事
2.スローライフ掛川事務局としての仕事
3.このブログ
の順序で取り組んでいたのだが、S藤さんに「そりゃ、違うぜ」と指摘された。
「あなたにとって、何よりブログが一番であるべきだ」

このブログは、仕事ではない。
私の価値観を世に問うているライフワークであり、書く訓練であり、自分の幅を広げるツールであり、データベースである。結果として、なだれ込み研究所のテイストやヘンさ加減を知ってもらえれば嬉しいし、これをきっかけに様々な人やモノやコトがつながっていけば面白いと思う。でも、それはあくまで結果である。
書きたいから書く。

組織に属していながら、最優先事項は極めて個人的なことを尊重してもらえる。世間一般の価値基準からすると、非常にヘンだ。これは仕事に対して「不誠実」なわけでも「ふざけてる」わけでもなく、逆に「真摯」で「厳しい」からこそ言えることのような気がする。

と、マジメに考えながら、
「ブログを書いても仕事が減るわけじゃないし、かえって作業量は増えてしまってよけい大変なような気がする……」
と、冷静になってみれば「ありがたい」のか「キビシイ」のか……。

やっぱりよくわからない「なだれ込み研究所」である。

時空実感が生活を変える

2006-10-23 01:37:17 | スローライフ

10月21日、夕方4時から、掛川ライフスタイルデザインカレッジの10月セッション「時空実感が生活を変える」が行われた。地層観察・化石採掘と天体観測を通じ、時空(過去と未来、天空と大地)を実感しようというワークショップである。
苦労に苦労を重ねたコピーを以下に。

「時空実感が生活を変える」

  私たちがたたずむ大地。
  私たちを見下ろす天空。
  命を繋ぎ生きてきた私たちの歴史。
  はるか先まで続くであろう私たちの未来。

  化石採掘と天体観測の知られざるメッカ・掛川で
  この瞬間を生きる私たちと、大地と天空のつながりを
  地層と化石、夜空と星の観察からひもとき
  時空を実感します。

講師は、アマチュア化石研究家の鈴木政春さんと、アマチュア天文家で彗星新星の発見者である西村栄男さんのお二人。

まずは鈴木さんの講義。化石採掘の面白さは、「掘ること」「掘り出した化石の名前を調べること」「保存する作業をすること」なのだという。
地球の歴史についての説明があり、その後、会場となっているキウイフルーツカントリー内、歩いて2~3分ほどの観察場所へ移動した。

「掛川層群」と呼ばれるこのあたりの地層は、250万年ほど前のものであり、実は地質学上、考古学上、とても有名な場所なのだそうだ。そしてそのころ、ここは海底300mの深海だったという。地殻変動によって、今、こうして当時の地層を見ることができるが、その頃だったら海の底を歩いているようなもの。何だかとても不思議である。
そして同時に、掛川層群という地域資源の価値に地元はほとんど気づいていないという現実に、「こちらもそうか」という思いがした。

西村さんの天体観測は、あいにくの曇り空で急遽パワーポイントを使ってのお話となった。
西村さんがなぜ星に興味を持つようになったのか、その最初のきっかけは小学生の頃の夜の散歩だった(まるで恩田陸の『夜のピクニック』のようではないか)。
月のない夜、歩いていたら、星の明るさで自分のかげや木々のかげが見え、テレビもない時代、子ども心に「星というのは不思議なものだなあ」と思ったという。
それ以来、西村さんは晴れた日はほとんど毎日星を見に行く。そして、1つ目の彗星を見つけるまでに30年かかった。

私は素人なので、どうやって新彗星を見つけるか知らなかったのだが、撮影したフイルムと通常時のフイルムを並べ(この説明でいいか、ちょっと怪しいです)、顕微鏡で1個1個まちがい探しのように確認していくのだという。1枚のフイルムに要する時間は約30分。10枚撮影したら300分。5時間。途方もない作業である。

彗星を見つけ、新星を見つけ、今度は超新星を見つけようと思っていると西村さんはおっしゃった。三冠王を狙うのだと。
理系に弱い私が「超新星」について調べ、理解したところによれば、「質量の大きな星が、恒星進化の最終段階で大爆発を起こしたものと考えられるのが超新星」、つまり、星の死でであり、同時に星の生であるのだと私は理解した。

超新星は、一つの銀河で100~200年に一度見つかるという。銀河系では200年間見つかっていない。お隣のアンドロメダ星雲では300年間。「お隣」と表現したのは、もちろん西村さんである。

面白いなと思ったのは、この「超新星」が大地にも天空にも関わっている非常に重要なキーワードになっている、ということだった。
西村さんの話によれば、
「超新星の爆発によって、マグネシウムや鉄ができ、その飛び散ったものが新しい太陽になったり、人間の身体のもとになったりする」
そして、鈴木さんの話によれば、
「地球は宇宙のちりからできている。地球の中にあるものは、すべて宇宙から来ている」

星の「死」であり「生」である超新星が、地球を生み出し、人間をつくり、その人間が大地と天空に想いを馳せ、そしてまた天空では、新たな星の死と生がある、ということなのだ。

今回のセッションは、カレッジの受講生よりも一般参加者生が多かった。お話を伺ってみると、地層や天体に関してかなり興味を持っている方々だった。
地層のことも天体のことも、あまり興味のなかった私だが、今回、様々なことを感じた。もしかしたら今回の講座は、興味のある人よりも興味のない人にこそ、新しい気づきやきっかけを与えてくれるものだったかもしれない。

夜、収穫時期を迎えた甘いキウイフルーツの匂いとともに、暗い中、過去や未来、大地や宇宙について考えるのは、なんと不思議なことなのだろう。自分がここに存在していることさえ、現実ではないような……。そんなことを、夜の静けさと甘い匂いとともに感じていた。

どんどこあさば「あぐりレストラン」にて校長講演会

2006-10-20 22:58:18 | ビジネスシーン

なだれ込み研究所のお客さま「どんどこあさば」にて、キウイフルーツカントリー園長でカレッジ校長のH野さんが講演すると聞き、なだれ込み研究所総動員で行ってきた。
冒頭、「出張帰りでちょっと声が出にくいのですが」と言うH野さんだが、いえいえ、会場の誰よりも大きな声が出ていましたよ、はい。

さて、食と農について、その分野の専門家をお呼びしての講演会。今回はH野さんということで、もちろん素材は「キウイフルーツ」である。
キウイフルーツは、実は1200年前に中国で漢方として食されていたなど、まず、その歴史についてのレクチャーがあった。
その後、キウイフルーツの栄養価が紹介され、これから毎日2個ずつ食べてみようなどと、すっかりその気になった私である(お肌がとっても若返るらしい)。

私が面白いなと思ったのは、流通の話だった。
今、キウイフルーツカントリーでは、年間を通じてキウイフルーツが当たり前のように食べられるが、実はこれは産業界からするとはずれたやり方なのだという。通常、秋に収穫したものは5月でおしまい。H野さんのところでは、年間流通するため、自分ですべての責任を負っているという。
……実はこのとき、試食のためのキウイフルーツがまわってきて、ついつい講演より目の前のキウイフルーツに集中してしまって、この先を聞き逃してしまった……(へへへ←笑ってごまかす)。
また改めて、H野さんにはじっくりと伺ってみたい。でもたぶん、これは想像なのだが、H野さんの意地と「くっそー」という負けん気の強さが働いたのではないかなと思う。

そのほか、「なるほど」な話を紹介します。
・キウイフルーツはまたたび科なのだが、なぜ「またたび」は「またたび」と言うかといえば、ある時、疲れ果てて動けなくなった旅人が、そこにあった果物を食べたら「また旅に出られるようになった」からなのだという。まるで親父ギャグのようなネタに、会場は大爆笑であった。
・タンパク質分解酵素が豊富に含まれ、ビタミンCはレモンの2倍、食物繊維はキャベツ1個分あるというキウイフルーツ。ちなみに、それ以上の栄養価を持つまたたびを20個も食べたK造さんは、おなかの調子がすっかりよくなり、すぐにトイレにかけ込んだとかいう噂……。
(下痢にも便秘にも効くそうです、両方に訊くなんて不思議~)

途中、メンデルの法則の25%が何とかかんとか、という話になったときには、頭の中が何やらわけがわからなくなったが、その品種改良によってできた「紅鮮(こうせん)」がとても美味しかったことはしっかり実感できた(そのお話のとき、回ってきたのです~)。

さてさて、キウイフルーツカントリーは、日本最大のキウイ農園というだけでなく、自然体験ができる農園でもある。周囲に広がる森、里山、田んぼ、畑などを利用することで、様々なプログラムができるという。今、そのプログラムは400以上に亘っている。
「トトロの森」と名付けられた森でオカリナの演奏会があったというが、私もぜひ聞いてみたいと思った。

「あなたは最近、自然に触れていますか?」
という質問をすると、大抵の人は「週に一度は山に行っています」というような答えが返ってくるが、それは間違っているとH野さんはいう。
「人間の身体に触れている空気や水も自然のものであり、身体そのものが自然なのです」
今、食育基本法が注目されているが、そもそも、今、食べたキウイだって自分の身体になる。命が形を変え、命になる。自分の身体、命になるものだからよけい良いものを、それが基本なのだと。

おいしいキウイフルーツを食べ、大きな声の面白いお話を聞き、H野のさんの穏やかな笑顔の後ろにある「負けん気」の強さを感じた講演会であった。
講演会の前にいただいた地産地消のお弁当は、ちゃんと手づくりの味がした。「どんどこあさば」のお店の前に置いてある、おばけかぼちゃいっぱいと、H野さんあこがれのトラクター「ジョンディア」の雰囲気が、夜の空気の中、しっとりとなじんでいた。

心にも身体にもおいしい講演会を、ありがとうございました。



「楽しい」というキーワード

2006-10-19 00:58:53 | スローライフ

10月18日(水)に、静岡文化芸術大学 デザイン学部 空間造形学科教授 宮川潤次氏の講演会が行われた。題して「サステイナブルデザインが生活を変える」。
参加者は、受講生、一般参加者、スタッフ含め70名以上となり、準備した椅子はほぼ満席となった。

講演は、生き物を支える要素(水、空気、食べ物、エネルギー、地域コミュニティー)の現状からはじまり、これら、あるのが当たり前と思われてきたものだが、今は、自ら創っていく時代になっているというお話があった。

昭和30年代以降、大量生産、大量消費の価値観により、自立、自給型の社会が大きく変わったが、バブルがはじけ、今、人は本来あるべき姿を求めていると。
一人一人が何かに気づき、行動を起こしていこうとしているとき、大切なのが「楽しい」というキーワードなのだと、宮川先生のお話を伺いながら思った。

先生は今、浜名湖で畑を借り、様々な農作物を栽培している。その中で、綿をつくり、藍をつくり、究極の目的は、とった綿を糸にして、藍で染めたハンカチをつくることだとおっしゃった。先生の研究室には、なんと綿繰り機(わたくりき)と糸車(いとぐるま)があるという。
「農業が、ものをつくるだけの生産業から、喜び幸せを提供するサービス業に変わってきている」
放棄農地の話とからめながら、現金を使わなくてすむ豊かな生活を提示して下さった。

「環境!」とか「持続可能な社会!」とか大上段に構えるのではなく、まず自分が「楽しい」からやってみる、という考えは、いい加減に聞こえるようで、実はとても高度で厳しいことを問われているのだと私は思う。どんなことに「楽しさ」「気持ちよさ」を感じるか、それがそのまま自分の「自然観」「環境感」「生き方論」にまでつながってしまうから。

「スローライフ掛川は、若い人が多く関わっているのが素晴らしい」
という評価をいただいたが、ある意味、スローライフ掛川につながろうとしている人たちは、この「楽しい感じ」を重要だと感じ、集ってくれている人たちだ。
年令を超え、職業を越え、様々な人が集まるのは、マスマーケティングのターゲット論を越えたところに人が集まるのだということを、そのまま実践しているとも言える。

さらに、「サステイナブルトライアングル」の話。
これは、宮川先生が活動の拠点としている浜松市、スローライフ掛川が活動している掛川市、そして今回、御前崎市から御前崎市観光協会の皆さんがお越し下さり、この3つの拠点を結んだ「サステイナブルトライアングル」ができれば面白いと。「持続可能な社会」「生活提案」「観光」「足るを知る心」など、共通のキーワードは多い。

最後に、宮川先生にこの言葉をご紹介します。
「情報も、基盤も、気持ちもある。あとは実践するのみ」

椅子から生活が変わる例

2006-10-17 23:41:31 | スローライフ

明日、掛川ライフスタイルデザインカレッジの10月フォーラムが行われる。静岡文化芸術大学の宮川潤次先生の講演会『サステイナブルデザインが生活を変える』である。

横文字に弱い私が、今ではエラソーに「サステイナブル」について語ったりする。まったくもって不思議なものだが、つまりは「持続可能な」という意味である。宮川先生は、持続可能な社会を支えるデザイン(サステイナブルデザイン)を研究テーマにしているのだ。

何やら難しいような気がするが、わかりやすくいえば「椅子」である。
昨年のスローライフ月間で、「スローな椅子づくり」の講師を務め、そもそもその椅子のデザインをされたのが宮川先生なのである。

このスローな椅子は、静岡県産のヒノキを主素材に、静岡県のメーカーが製造した農業用紙ひも(ペーパーコード)で座面を編んである。木と紙、土に戻る素材であり、持続可能とはつまりそういうことである。

一度、宮川先生の大学の研究室におじゃましたことがある。近代的で、ホテルの一室のようなつくりなのだが、研究室の中はまるで職人の工房のようだった。
壁面の本棚には難しそうな本が並び、様々な資料が収められているのだが、中央のスペースにはつくりかけの椅子とテーブル、その周辺には大工道具が、さらに接着剤として使うニカワを温めるためのホットプレートやらお鍋やら温度計やらが置かれている。
そしてそれらを、宮川先生は、一つ一つ嬉しそうに説明してくれた。

もともと宮川先生は、建築関係の仕事をされていた。一度、社会に出て仕事をした経験を持つ大学教授というのは、なかなかに面白い。
この「スローな椅子づくり」のときの宮川先生の言葉が、「なるほど!」とうなるような言葉なのだ。

「森を守るため、またシックハウス対策として木の家が見直されています。木の家を建てている間に、家族で自分たちの椅子を作ることができたら楽しいだろうな。こんな想いを実現するため、自然素材を生かした組み立て家具をつくりました。エコロジカルなライフスタイルを実現する暮らしの中で、家族とともに育つ家具をめざしています」

実は、私も一つ作った。
今、わが家のダイニングテーブルの前にあり、私は毎日その椅子に座ってごはんを食べ、本を読み、ときに物思いにふけったりしている。「エコロジカルな生活をしよう!」などと意識の上にのぼらせたことはないが、この椅子は確かに心地よく、ふいに自分がつくったことを思い出し、大事にしたくなる。

宮川先生のおっしゃるように、家を建てているときに、あるいは家を建てる前に、家族で「自分が座るための椅子をつくる」ことは、何か大事なことを教えてくれる……、って何より楽しいのがいい。

そんな宮川先生の講演会は明日。椅子の実物、組み立て前の部品なども用意していただけるようです。
『サステイナブルデザインが生活を変える』をお楽しみに!

宮川潤次氏講演会
『サステイナブルデザインが生活を変える』

■日時  平成18年10月18日(水)
      受付18:30~19:00 講義19:00~21:00
■会場  掛川グランドホテル2階
■受講料 カレッジ受講生 無料
     NPO会員    2,000円
     一般      3,000円

■講師からのメッセージ
講座では、知識を得るだけでなく、できるだけ自分の手で物を作ることや、自分の足で歩くことの楽しさを感じてほしいと思います。

(ちなみにこのスローな椅子、なだれ込み研究所にも2脚あります)