なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

浜野総合研究所からのお客さま

2006-11-30 22:05:17 | スローライフ
カレッジフェスティバルを開催するにあたり、カレッジに関わって下さっている講師の方々に招待状を出した。貧乏NPOなので、交通費くらいしかお出しできない状態。まさか浜野安宏さんは来てくれないだろうなあ~、世界のハマノだしなあ~、と思っていたところに、社長室のY田さんから連絡があり、出張中の浜野さんにかわってY田さんが出席してくれるとのこと。
「S藤さん! は、は、は、浜野総合研究所のY田さんが、き、き、来てくれるそうです!」
「ほんと!」
なだれ込み研究所の面々が盛り上がったのは言うまでもない。

そもそも、S藤さんのあこがれの人であり心の師である(とS藤さんが勝手に思っているだろうと、私が勝手に思っている)浜野さんが掛川にはじめてお越しになったのは、2005年7月のNPOスローライフ掛川設立1周年記念事業のときである。「生活をデザインする」と題した講演をお願いしたのだが、そのとき、事前のやり取りはすべてY田さんがして下さった。

スケジュール管理から相手先との調整まで、いわゆる秘書業務もこなしているのだろうということは、メールのやり取りから想像できた。
メールのやり取りを通じて私がまず驚いたのは、毎日、多量のメールをこなしているに違いないのに、その対応が的確で素早いことである。そして、きちんとした文章の中に、心づかいや配慮、Y田さん自身のパーソナリティが感じられるような、そしてちゃんと私に向けられて書かれていると感じることのできるような文章だったということに、とても驚いた。
Y田さんってどんな方だろう……。
だから、ずっとお会いしたいと思っていた。
それが実現したのは、今年9月に社員旅行と称して青山の事務所に伺ったとき。そして、今回の来掛となった。

カレッジフェスティバル前日に掛川入りしたY田さんを、なだれ込み研究所の面々で連れ回した。「ご案内しますよ」と行った先は、彗星発見の五明の茶畑、里山の風景の中、長屋門のあるお屋敷前、ネコバスが通りそうな田園、天浜線沿いの一直線の道など、いわゆる観光名所ではない、でも掛川らしい美しい風景の場所であり、お得意の場所ばかり。もちろん、柴ちゃん牧場でソフトクリームも食べた。Y田さんは一つ一つちゃんと見て、私たちの熱い語りに耳を傾けてくれた。

私は何よりY田さんとの会話を楽しんだ。冗談を言ったり、お互いの仕事の話をしたり。
痛快だったのは、S藤K造コンビのアホな発言をさらりとかわすY田さんの話術である。柔らかい雰囲気で、優しく、それでいてピシャリとK造さんをたしなめる話しぶりなど、私は拍手を送ってしまった。
「Y田さんの才能だよ、すごいね」
S藤さんが私に言った。

そんなこんなで寒い中を連れ回した後は、二人してつま恋の「森林の湯」に行った。おしゃべりをしながら外湯を全部まわったら、一時間も入っていた。
「ゆっくり温泉につかった後は、やっぱりビールだよね~」

そして行ったのが、「日本酒とビールしかない食堂」だったのである。

Y田さんからは、
「日本酒とビールしかない飲み屋さんが、今どきあるんですね」
と妙に感心され、
「おつまみが、カレーうどんやトンカツっていうのがすごいですね」
と驚かれた。
Y田さんはお酒にめっぽう強く、まったく顔に出ず、しかも口調や雰囲気もまったく変わらず驚いた。同じ調子で飲んでいた私は、顔は変わらないのは同じでも、すっかり酔っぱらってしまい、やたらとごきげんで威張っていた。周囲の皆さん、へへ、ご迷惑をおかけしました。

という楽しい一日が終わり、翌日のカレッジフェスティバルとなったのである。

今回、Y田さんと話をしていて可笑しかったのは、浜野さんとS藤さんに似ているところがあるということである。
「お~い、Y田くん、あれはどこ行った、ないぞ~」
と浜野さんが言えば、
「K住さん、あれどこやった? 知らない?」
とS藤さんが言う。
あこがれると、こんなところまで似てしまうものなのだろうか。浜野安宏さんという、あまりにスケールの大きな方が、とても身近に感じられるエピソードだった。
そして、それに対するY田さんと私の受け答えが、同じなのも面白い。
「昨日、机の上に置きましたよ。ちゃんと見て下さい」

Y田さん、またぜひ掛川にお越し下さいね。
掛川には「日本酒とビールしかない飲み屋さん」じゃないところも、いっぱいありますので。
そうそう。書き忘れていたけれど、Y田さんは知的でウイットに富んだ美しい方でありました。

フェスティバルな一日

2006-11-27 23:39:22 | スローライフ

昨日のことなのに、カレッジフェスティバルがずっと前のことのように感じられる。大忙しで、大盛りあがりで、ほんと「祭り」のような一日だった。
このカレッジフェスティバルを通じてまず思ったのは、ここは出会いの場であり、発見の場であり、つなぎの場であるということ。まわりを見渡せば、まさに人材の宝庫。どんな小説を書こうとしても、どんな登場人物を書こうとしても、誰かが必ず何かを教えてくれる、そんな幅の広さと奥行きを持った人たちが集まっている。
そのうずの中心に居られる幸せと、同時に畏れみたいなものをいつも以上に感じた。

カレッジフェスティバルの料理のメニューは紹介したが、では、実際にどんなことをしたのか。濃~いメンバーが、エンターテイメントに周囲を巻き込みながら、大まじめに、そして大ふざけに、共有する時間を楽しんだ。なんちゃってな雰囲気がそこはかとなく流れる中、思い起こせばいろんなことがあったなあ~(しみじみ)。

・乾杯の前のバターづくり。ひたすらビンの中の牛乳を振る。牛乳は柴ちゃん牧場提供。講師は埼玉県からお越しのオーガニックファーミング受講生K原さん。ちなみに、前日、ビンをきれいに洗って自然乾燥させてくれたのはI村代表。
作ったバターでベイクドポテトを食べる。塩もうまい。食べるのに夢中で、どこの塩か聞き逃した。

・東京学芸大学助教授のT矢先生が乾杯の音頭。お名前を出しても全く問題ないのだが、「なだれ込み研究所に書くときは、ぼくもみんなと同じ『T矢』にしてね~」というリクエストをいただいたので、そう呼ばせていただきます。T矢先生は、日本酒をご持参して下さった。旨かった~。

・スティールパン・バンド「Cozy's」のライブ。スチールドラムの音色とキウイフルーツカントリーJapanの雰囲気が、ミスマッチなような、絶妙に合っているような、不思議な感じだった。このリズムに乗って、サイクリングチームのM浦さんとY下さんが妙なダンスを踊り始めた。来年、サイクリングの講座を受講しようかなと思っていたのだけれど、あの仲間に入ると思うと、ちょっと躊躇ぎみ。

・みんなひたすら飲みまくり、食べまくり。だって美味しいものが山ほど、そして次々出てくるんだもん。大好きなキウイワインもいっぱい飲んだ(前日も、1時まで飲んでいたというのに!)。ちなみにH野さんオススメの焼酎も、T矢先生ご持参の日本酒も、やたら飲んでいた私。ふと横を見ると、T矢先生と陶芸家のT廣先生が二人で大盛り上がりで、同じようにまっ赤な顔で飲んでいらっしゃった。ダンディなお二人の、楽しそうな顔はいいもんです。

・カヤックチームはバーベキュー担当。汗まみれで、顔をまっ赤にして羊肉と野菜を焼いてくれた。その後、今回のメインイベント「大喜利!」が控えているというのに。

・そして、いよいよ「大喜利!」。面白かった~。講師U野さんの司会もノリノリで、受講生、スタッフのボケぶりもよかった。何より、見ている観客の皆さんが「さあ、笑う準備は万端だよ~」「笑うきっかけを待ってるよ~」という雰囲気だったので、会場全体が笑ってるような、笑いを待ちかまえているような、そんな時間と空間を楽しめた。

・サイクリングチームは自転車解体ショー。女性サイクリストたちが一生懸命解体し、もとに戻そうとしているのを、まわりで男性サイクリストたちがニヤニヤしながら見守っていた。講師Y崎さんの、饒舌なような、饒舌じゃないような司会ぶりが、実はかわいらしくて見応えがあった。

・地味~な毛鉤展示コーナーでは、地味~なフライタイイング。S藤さんの芸達者な話術で巧みに笑わせようとしているけれど、やっぱり地味。モデルのK林さんの真剣なまなざしが、逆に微笑ましかった。スタッフの面々も、いい味出していました。

・フライフィッシングチームは、さらにマスの薫製づくり。前日、O川講師が釣りに行って釣ってきたマスらしい。ここでもK林さんが大活躍。右手でバターづくりのビンをシャカシャカ動かし、左手でいぶすためのチップをうちわで扇ぐという二刀流のワザも見せてくれた。K野先生が時々おっしゃるのツッコミが、なかなか面白かった。

・蕎麦打ち実演は、地味ながら、たくさんのお客さんを集めていた。黙々と麺棒を動かす蕎麦研のT辺さんは、フライフィッシング受講生でもある。地味ながら華やかさを持つ蕎麦打ちって、とっても不思議。裏方のT川さん、S木さんとともに、長い前掛け(この言い方でいい?)と頭に巻いたバンダナ(三角巾?)が似合ってました。女性蕎麦打ち師T野さん曰く、
「蕎麦研の男性陣は、洗い物までちゃんとやってくれます!」

・茶と器学の受講生は、作った茶器の展示と感想の発表。作品を見ながら話を聞くというのは、なかなか面白い。自分の作った器で、自分で摘んだお茶を飲むのは、さぞ美味しかったことでしょう。

・今回大活躍のオーガニックファーミングチームは、手塩にかけた有機野菜のオークション。スーパーでは買えない値段で、落札されました。おいしい料理になってね、という作り手の思いが伝わってくるような、きっと娘を嫁に出すときのような気持ちだったのでしょう。

そんなこんなの約5時間。準備、片づけまで含めると12時間の充実した一日だった。

実は前日から、株式会社浜野総合研究所の社長室のY田さんが、東京からお見えになっていたのだが、その模様は日をあらためて書きます。フェスティバルがあまりに盛りだくさんで、2400字(原稿用紙6枚分)も書いてしまった!
タイトルの予告です。
「日本酒とビールしかない食堂で、青山からのお客様をおもてなしするってアリ? はい、アリです!」
長すぎてタイトルじゃないぞ、と言われそう……。


いよいよカレッジフェスティバル!

2006-11-23 21:46:50 | スローライフ
掛川ライフスタイルデザインカレッジ「カレッジフェスティバル」が、いよいよ今度の日曜日に迫ってきた。
そもそもライフスタイルデザインカレッジとは何か、といえば――。

知識を知恵に、そして行動に。
自分の生活や地域をクリアに見直したい人に。
地域の楽しい生活・面白い生活・粋な生活をテーマとして、
「まちの新しい使い方」
「足るを知る心」
「美しい毎日の創造」
を探求し、実践する生活提案カレッジ、である。

4月に開校して約7ヶ月間、講義型のフォーラムが毎月あり、1ヶ月半に1度の割合で参加型のセッション(ワークショップやフィールドワーク)があり、同時進行でアクティビティプログラムが行われた。アクティビティは、現在5プログラム(カヤッキング、フライフィッシング、サイクリング、茶と器学、オーガニックファーミング)。それぞれ月1の割合で、半年に亘って、実体験型のプログラムが実施された。
そんな調子であったため、スタッフ、事務局は息をつくひまもないほどで、毎週なにかしらのプログラムがあったことになる。スローどころか、大忙しの日々である。

だけど、私自身、確実に変わったのを実感している。
忙しいからこそ、スローであること、生活を大事にするこの価値を実感したという感じだろうか。多彩な講演や体験を通じて、自分の生活をデザインすることの意味をも考えた。

様々な人との出会いがあり、さらにもっともっと広く、深く、繋がっていくことが想像できる。これからもっと面白いことが起こりそうな、目の前でひらけていくような、そんな予感さえ感じるのだ。
この価値を、私たち自身がもっと実感しなければいけない。

ちなみに、カレッジフェスティバルのスローフードメニューがすごい。「美味しいもの」でつるわけではないが、なんせ、オーガニックファーミングの収穫祭も兼ねているので、有機野菜が盛りだくさんなのだ。カレッジ生が手塩にかけて育てた野菜と、カレッジそのものの雰囲気をどうぞ思う存分味わって下さい。

現在のところ、参加者は70名~80名を予定している。新しい出会いや発見があること間違いなし。
しかも、自分なりの価値観やライフスタイル、ローカルの価値、掛川そのものを愉しもうという人たちと出会えるチャンスは、ほかの会合などの比ではないと思う。
今からでも参加申し込みはOK。どしどしお問い合せ下さい。

【スローフードパーティのメニュー】
おでん、すいとん、ポークシチュー、焼き芋
ベイクドポテト&バターづくり
羊肉ほかのバーベキュー
手打ち蕎麦
ニジマスの薫製(なんと、前日講師が釣りに行く)

これにビールやらキウイワインやらがどやどやついちゃう。絶対、酔っぱらってやるぞ~!

(カレッジフェスティバルの詳細は、11/15の記事をご覧下さい)


出会う縁と、出会う時

2006-11-21 21:16:14 | スローライフ
19日、横浜市在住のイラストレーター、S坂さんが掛川に見えた。
ことの始まりは、お米の講座。お米の講座とは、9月17日にキウイフルーツカントリーで行われた「うまさ120%のご飯を食べる~田んぼウォッチング&ごはん炊き」(掛川ライフスタイルデザインカレッジの9月セッション)のことであり、講師はアンコメさんこと、安東米店の長坂潔曉氏だった。

7月頃、スローライフのメールアドレスに、
「S坂と申します。アンコメさんのホームページでお米のセッションがあると知りました。詳細を教えて下さい」
という内容のメールがあった。
実はこのとき、日程しか決まっていなかったため、詳細が決まったらご案内しますと返信し、実際にメールでご案内ができたのは、9月に入ってからだった。
結局、お仕事の都合で参加できなかったため、当日の様子をアップした「なだれ込み研究所の一日」を紹介した。

キウイフルーツカントリーについて興味があるようだったので、その後、何枚か写真を送ったり、収穫期についての案内をしたりした。なんせ、押し売りでホームページのリニューアルを提案中だったので、キウイやキウイフルーツカントリーJapanそのものについて、かなり詳しくなっていたところだったのである。

そのうち、S坂さんがイラストレーターだと知った。ホームページで紹介されているイラストはとても私好みで、「もし自分の本が出せるものなら、こんな方にイラストを描いてもらいたいなあ」などと夢みたいなことを本気で思った。

そんなところへ、「キウイフルーツカントリーに行こうと思っています」とのメール。「ひょえ~!」と私は一人で盛り上がり、「ぜひご案内をさせて下さい」と返信し、それから「ごはんはどうしよう」「ほかにどんなところへご案内しよう」「どんなふうに楽しんでもらおう」と悩み始めた。
困ったときに助けてくれるのが、そして面白がって一緒に参加してくれるのが、なだれ込み研究所の面々であり、スローライフ掛川のいいところである。
当日は、I村代表、アンコメN坂さん、S藤さんにK造さんにK田さんが同行してくれた。出張のためその場にはいなかったが、キウイフルーツカントリーのH野さんにもご協力いただいた。
そのおかげで、雨にもかかわらず、本当に楽しい一日を過ごすことができた。

彗星発見場所である五明の茶畑に行き、長屋門のあるお屋敷の前に行った。柴ちゃん牧場では、寒い中、ブルブル震えながらおいしいソフトクリームを食べ、キウイフルーツカントリーでは、おなかいっぱいになりながらもたくさんの種類のキウイを食べた。
じゅるい(「ぬかるんだ」の意の方言)道を歩き、キウイ棚を上から見下ろせる場所にも行った。なだれ込み研究所では、みんないろんなことをベラベラしゃべった。
農業のこと、自然のこと、景観のこと、本のこと、絵のこと、カヤックのこと、たくさんの話をする中で、考えていることの方向性のようなものが、とても近いような、そんな気がした。
かなり「濃い」メンバーばかりで、S坂さんもかなりびっくりされた様子だったが、この「濃い」メンバーに呆れることも押されることもなく、あくまで自分のペースや間(ま)を保たれているところはさすがだと思った。これに懲りず、ぜひまた掛川にお越しいただきたいと思います。

それにしても、縁というものは本当に不思議だ。
アンコメさんのホームページ「アンコメ通信」のデザインや写真や文に惹かれ、スローライフ掛川にたどり着き、「なだれ込み研究所の一日」を経て、実際に出会い、つながりができた。お米の講座がなかったら、つながらなかった出会いだ。そう考えると、今、出会うべくして出会ったような、そんな「時」だったのかもしれない。

この出会いは偶然はでなく、何か必然があるような、さらに次につながっていくようなそんな予感めいたものを感じるのは、私自身、この日がとても楽しい一日だったからだと思う。
さあ、どんなふうにつながっていくのでしょうね。

アンドリューワイエス展

2006-11-18 23:05:41 | Weblog

常葉美術館に『アンドリューワイエス水彩・素描展』を見に行ってきた。
絵というものをどう見ればいいのかわからず、美術館というものが苦手だったのだが、アートディレクターのH岡さんがこう言ってくれたのがきっかけだった。
「これは好き、これはそんなに好きじゃない、っていうだけでいいんだよ。自分が絵を見て感じたことを、そのまま感じてくればいい」

先日、横山廣子さんが『隔たりしものとの出会い~文化人類学の視点から~』でおっしゃっていたことと同じだと思った。
「自分の感覚を大切にしながら、自分がどのように理解し、感情を持つのか、よく感じて欲しい。違和感や疑問を感じたら、それを敏感にすくい取って欲しい」
アンドリューワイエス展を見に行ったことは、私にとってまさに「隔たりしもの」との出会いだった。

アンドリューワイエスのことも、オルソン家の人々のこともまったく知らなかった。115点の絵を見てまわって、私がまず感じたのは、
「絵というものは、それを見ただけで、その対象となる、オルソン家の人々の人生さえそのまま胸に迫ってくるものなのだ」ということだった。
手足が不自由なクリスティーナと、その姉の世話と農作業を淡々とこなす弟アルヴァロ。日々の生活の中に小さな喜びや変化はあっただろうが、何を思い、何を支えにこの二人は生きていったのだろうと考えると、哀しさなのか、静けさなのか、それでも人は生きていけるのだという強さに対する感動なのか、うまく言葉にできない感情が押し寄せてきて、胸がいっぱいになった。
絵とは、そんな感情も呼び起こすことができるのだと。

「オルソン家の朝食」には、えんとつから出るけむりと朝食を準備するアルヴァロの後ろ姿が描かれている。何年か後には、荒涼としてしまうだろうことを予感させるオルソン家の絵の中で、この絵が唯一、ほんの少しの温かさを感じた。
と同時に、この絵を見ながら『赤毛のアン』のマシュー、マリラの兄妹の人生が頭に浮かんだ。マシューとマリラは、もちろんルーシー・モード・モンゴメリーの創作した架空の人物である。
年老いた独身の兄妹の人生の中に、突然、アン・シャーリーという、おしゃべりで、空想ばかりして、突拍子もないことばかりしでかす女の子が現れなかったら、二人の人生はどうなっていたんだろうと。

クリスティーナの部屋の前に、普段、誰も使っていない部屋がある。ある日、その部屋のドアを開けたら一人の男が立っていた。鏡に映った自分だった。ワイエスは、題名を「自画像」とはせず「幽霊」とした。
ワイエスがクリスティーナに対してどのような想いを持っていたのかわからない。でも、この建物と、この絵と、この文章だけで、まるで一つの物語を読んでいるような、そんな気がした。
「クリスティーナの墓」では、絵から静寂だけが感じられた。

「描く」ことに関するワイエスの言葉が紹介されていた。
「まず、見たままを描く。しだいに目の前の対象を心でイメージし、本当に描きたいものを捉えていく。私は本質を求めていた。そのまわりにあるすべてを織り込んで、その物体が存在するその日の雰囲気さえ絵の中に織り交ぜたいと考えている」

表現するということは、対象の本質をすくい取ることなのだ。そのとき、当然、表現者のフィルターにかけられるわけで、だからこそ、どんなフィルターを持ってるのかが大事なのだと思う。それが絵に、文に、写真に、デザインに出てしまう。恐いけれど、まったく潔い世界だと感じた。

住人がいなくなったオルソン家は、今、大切に保護され、二人の墓を見守っているという。



ガール

2006-11-18 00:15:47 | 読書日記

奥田英朗の『ガール』(講談社・2006年刊)は、30代の女たちの物語である。
女の子、ではなく女。それも自立した女たちだ。自立とは、自分で立つこと。茨木のり子の詩ではないけれど、「よりかかるとすれば、それは椅子の背もたれだけ」でいい女たちの、等身大の物語なのである。

オビのコピーも素晴らしい。
奥田英朗は、プランナー、コピーライター、構成作家を経て作家になった人だから、きっと自分で書いたのだろう。言葉の端々に、奥田英朗的な上質なユーモアとセンスが感じられる。

さ、いっちょ真面目に働きますか。
キュートで強い、はらの据わった
キャリアガールたちの働きっぷりをご覧あれ。

結婚している女も、していない女も、
子どものいる女も、いない女も、
それぞれに、それぞれの事情や悩みを抱え、
それでも「自分らしくいる」ことって何だろうと考える。

幸せの形は人それぞれ、事情もそれぞれ。
それでもやっぱり心は揺れるし、弱くなるし、ぼやきたくもなる。
奥田英朗は、働く女の気持ちがなぜそんなによくわかるの?

今日はむしょうに周囲を片付けしたくなり、机の上と棚の中をきれいにした。ゴミ袋2つ分。
働く女だけれど、ガールでも30代でもない私は、
「おおーっ、B型女、やればできるじゃん」
と自分を褒めつつ、
「S木くん、月曜日にゴミ出し、お願いね」
とメモを残すのであった。
(おおーっ、嫌味でイジワルな女みたいだ――)

「カレッジフェスティバル」案内状の発送作業

2006-11-15 22:13:33 | スローライフ

NPO法人スローライフ掛川の今年度の主事業「掛川ライフスタイルデザインカレッジ/掛川でスローな生活をデザインする講座」が4月からスタートし、約半年が過ぎた。そしてオーガニックファーミングの「風と土の谷農園」では、収穫期を迎えている。
今日は、有機野菜の収穫祭も兼ねた「カレッジフェスティバル」の案内状発送作業を行った。画像の手前、いぶし銀の手さばきで封筒を折っているのは、もちろんI村代表である。

カレッジフェスティバルは、収穫された野菜を使ったスローフードパーティだが、カレッジに関わるすべての人の交流の場として、活動成果を発表する場として、また他プログラムの活動を知る場として、大いに愉しみたいと考えている。
例えば、「サイクリング」受講生が「茶と器学」受講生と知り合ったり、講座の内容を知ったり、自慢し合ったり、というように。縦横無尽な曼荼羅状態なのである。
講師の皆さんからも、続々とお返事が届いている。東京からわざわざ駆け付けてきて下さる先生もいらっしゃるので、どうぞ、お楽しみに!

受講生、NPO会員の皆さんには、明日明後日あたり案内状が届くと思います。もちろん、一般の方の参加もOK!
「どんな様子か知りたいな」
「来年度のこと、聞きたいな」
「お友だちと行きたいんだけど」
ドヤドヤとみんなで押しかけて、学園祭のようなノリで、大いに楽しみましょう。
当日、会場に着くと、料理のお手伝いやら会場の準備などお願いするかもしれませんが、まあそれも、ご愛敬ということで……、ずずずいーとよろしくお願い致します。

「掛川ライフスタイルデザインカレッジ/カレッジフェスティバル」

■日時 平成18年11月26日(日)
       11:00~16:00ごろ (準備は朝8:00より)
■会場 キウイフルーツカントリーJapan
■内容
・ベーシック&アクティビティ各プログラムの活動報告
・オーガニックファーミング収穫祭&スローフードパーティー
・次年度受講希望者に向けたプレゼンテーション
・講師、受講生、スタッフの親睦交流イベント、ライブ 他を予定
■参加費 一般参加者 4,000円 (飲食費含む)


強さとは何か

2006-11-14 23:03:01 | 読書日記

『風が強く吹いている』三浦しをん著(新潮社・2006年刊)を読んだ。読み終わって、めちゃめちゃハイテンション、素晴らしかった! 今年のナンバーワン……って、ついこないだナンバーワンを打ち立てたばかりだったのに、続々と面白い本に出会えている。なんともまあ、幸せなことである。

この物語は、いきなり箱根駅伝を目指すことになった大学生10人の「超ストレートな青春小説(←オビのコピー)」である。
才能に恵まれ、でも、走ることから見放されていた走(かける)とハイジ(灰二)の出会い。あとの8人は、漫画オタクと重度のニコチン中毒者と、足の速くない黒人留学生など、駅伝とは縁のない者たちばかり。
その彼らがどんなふうに強くなっていくのか、非常に読み応えがある。しかし、この小説の最大の魅力は、努力しても一番にはなれない現実を前にしたとき、彼らが「真の強さとは何か」をつかんでいくその過程にある。

強さとは何か、この小説では真っ正面から、そして登場人物の心理に辛抱強く寄り添いながら追い続ける。それぞれの「頂点」を目指すために。

彼らの「強さ」に対する自問自答は、淡々としているがゆえに、より心に響く。どうしてなのかわからないのに胸がいっぱいになる。わかりやすい感動ではない。彼らの心に密着して、知らず知らず自分の人生を重ねるのだろうか。

走(かける)の「強さ」に対する自問自答。
「強さってなんだろう。走はふと、また思いを馳せた。たとえば、ハイジさんのこの静けさ。揺らがず、冷静に、自分だけの世界を走っている。俺はハイジさんとりいいタイムで走れるけれど、ハイジさんより強い自信はない。
走は、知りたいと思った。強さを、自分に欠けているものを、知りたいと」

ユキ(雪彦)が下り坂を駆け下りながら感じること。
「そうか、これはたぶん。走が体感している世界だ。ユキは胸が詰まる思いがした。
走、おまえはずいぶん、さみしい場所にいるんだね。風の音がうるさいほどに耳元で鳴り、あらゆる景色が一瞬で過ぎ去っていく。もう二度と走りやめたくないと思うほど心地いいけれど、たった一人で味わうしかない世界に。」

大学生活5年のニコチン中毒のニコチャンは、走りながらこんなことを思う。
「長い学生生活のあいだに、一人で生きる術を得たし、陸上以外の経験も積んだ。そしてわかったのは、無意味なのも悪くない、ということだ。綺麗事を言うつもりはない。走るからには、やはり勝たなければならないのだ。だが、勝利の形はさまざまだ。なにも、参加者の中で一番いいタイムを出すことばかりが勝ちではない。生きるうえでの勝利の形など、どこにも明確に用意されていないのと同じように」

来年のお正月は、絶対に「箱根駅伝」を見る!
もうすっかりその気の私だが、走がスタートで感じることは、まさに、人生そのものであり、心を自由にする。

「それにしても、この場に集まったものたちの、箱根を目指す真剣な思いには、なにもちがいはなかった。どんな立場であれ、境遇であれ、走るのまえでは、全員が同じスタートラインに立つしかない。成功も、失敗も、いまこのときも、自分の身体ひとつで生み出すものだ。
だから楽しく、苦しい。そして、このうえもなく自由だ」

日々、敏感にすくい取る

2006-11-13 23:19:21 | スローライフ
昨日の長い長い記事を書いて感じたのは、熱さや面白さを伝える文章の難しさである。「私」という主観が入れば、私が感じた「熱さ」や「面白さ」を表現すればよいが(これも難しいが)、今回、主観を交えず書いてみたことで、その難しさが目に見えてわかった。読み返してみて、横山先生の語り口や、言葉のニュアンスから感じ取れる熱い想いが、うまく表現できていないのだ。
もっと、あの場の雰囲気や高揚感を伝えたかった。まだまだ修行が足りませぬ。
――ということで、今日は私の主観バリバリの文章である。

講演会でいちばん印象に残ったのは、横山先生が文化人類学の手法(の作法ともいうべきもの)について話された箇所だった。
「隔たっているものに出会うことで、自分がどのように感じ、違和感や疑問を持つのか、それを敏感にすくい取って欲しい」
「心惹かれることがあったら、調査テーマに縛られず、自分の感覚を大切にしながら進んでいく。心に自分をきちんと持ち、自分とのズレを感じながら、なぜズレるのかを自問自答しながら進めていくのである」

なだれ込み研究所で仕事をしていると、感覚を研ぎ澄まし、そのときの感覚を大事にしなければならないときが多々ある。自分の価値観を持ちつつ、柔軟に、その場その場で「そのときの感じ」を大事にし、物事を進めていくのだ。論理的な根拠も、法則があるわけでもないから、周囲からはいい加減に見えることもある。でも、「心が動く感覚」を大事にする以外にはないときがあるのだ。

そして、なぜズレが生じるのかを自問自答していくことは、自分の価値観の幅を広げることでもある。そうした「そもそも」や「なぜなのか」を、深く深く、あるいは広く広く、考えたい人がここに集まり、同時に、極端に走りたがる私にストップを掛けてくれる。

横山先生が今、研究されているという「多元的共生空間」のお話は、もっともっと聞きたいと思った。
多元的共生空間について、横山先生はこんな文章を書かれている。
「今日の社会の新たな課題は、生産性と効率を重視する従来の価値観のみの追求ではなく、一定の経済発展を維持しつつ、さまざまな個性が共に幸せに生きる多元的共生社会を育てていくことと考えられる。それは個人にとっては各人が他者との関係の中でその可能性を十分に発揮し、自己実現を通して充足感を持てるような社会であり、社会の側に立てば、多様な特徴を持つ人々の異質な能力を導き出し、矛盾や対立を調整して彼らが共に生きることを可能にする市民社会である」
(国立民族博物館「多元的共生空間の創成に関する研究」の代表者として)

スローライフ掛川も、なだれ込み研究所も、多元的共生空間となる可能性を秘めていると私は思う。そしてたぶん、榛村前掛川市長の目指していた生涯学習のまちづくり、選択定住の社会も、同じ方向を向いているのだ。
私は、今いるこの場で、私自身の可能性を探り、自己実現を目指し、且つ、そのことが結果的に役に立つような、そんな場であってほしいと思う。役に立ちたい、のではなく、結果として役に立っている感じがいい。押しつけでなく、プロセスとして。

最後に――。
私が、小説や物語やファンタジーを好きなのは、隔たった場所へ行きたいからなのかもしれない。隔たりがあればあるほど、違いがわかるのだとしたら、そこからすくい取ることのできる真実や価値は、たぶん、日常生活で感じるよりも、ずっとくっきりと、私に何かを見せてくれる(感じさせてくれる)と思うのだ。

そんなことを感じた横山廣子氏の講演会、『隔たりしものとの出会い~文化人類学の視点から』であった。

講演会「隔たりしものとの出会い~文化人類学的視点から~」

2006-11-12 23:55:52 | スローライフ

11月11日(土)、国立民族学博物館助教授横山廣子の講演会「隔たりしものとの出会い~文化人類学的視点から~」が行われた。
なだれ込み研究所の面々は、翌12日の森町サイクルツーリングデイの準備で参加できなかった。ものすごく聞きたそうだったのに。
ということで、今回は私の主観をなるたけ交えず、純粋な講演録として読めるようにまとめた。長いけれど、じっくりとご堪能下さい。

【変わることと文化人類学の接点】
掛川ライフスタイルデザインカレッジのフォーラムということで、主催者側からは「○○が生活を変える」と題して講演を行ってほしいと依頼があった。「○○が生活を変える」と自分の専門である文化人類学の接点は何かを考えた。変わる、変えるということは、連続の中に不連続を生み出すことであり、距離、ズレ、隔たりというキーワードが出てきた。
不連続は、意識的に隔たることで自ら生み出す場合と、結果的に距離やズレを生じさせる場合があることを考えると、「隔たり」とはなんとも不思議なもの、深淵なものだなあと感じる。
変えようとすることの原動力は、距離をとり、いつもと違うことに気づくことである。

不連続によって変化は起きるが、実は変化もなく続いているように見える日常にも、肉体的変化や精神的変化、知識の変化は起きている。こうした連続的な変化から、さらに大きな行動上の変化、飛躍的変化を遂げる場合がある。
自他ともに変化を認め、変化に伴う困難を乗り越える方法として、不連続、距離を故意につくる、ということがあるが、それを人類学では「通過儀礼」という言葉で表現する。

【講演を聞くにあたって】
これから、雲南省ペー族の暮らしをビデオ、スライドで紹介するが、隔たっているものに出会うことで、自分がどのように理解し、感情を持つのか、よく感じて欲しい。まずアンテナを立てること。違和感や疑問を感じたら、それを敏感にすくい取って欲しい。

【文化人類学の手法】
文化人類学は、人間を理解するときに「人間の文化や社会」を理解していく学問であり、その手法は「人間が生活している場に行ってフォールドワークする」ことである。
調査テーマを持って出かけるが、そのテーマだけでなく、文化全体、社会全体にまで目を配り、意識を持ち、そのテーマに迫っていくことが重要である。
さらに、心惹かれることがあれば調査テーマに縛られず、自分の感覚を大切にしながら進めていく。心にテーマをきちんと持ち、自分の考えを持ち、自分とのズレを感じながら、なぜズレるのかを自問自答しながら進めていのである。

文化人類学を学ぶとき、異文化(自分が育った文化ではないところ)からはじめなさいと言われる。自分がよく知っている文化はあまりに慣れ親しんでいるため、改めて考えるのは難しく、違いを認識するのが困難だからである。

文化人類学で調査しに行くようなところは、現地に行かないと勉強できない言語の場合がほとんどである。私の第1のフィールドである雲南省のペー語もそうである。何もわからない無力だからこそ、習うことで、文化、社会のあり方を学んでいける。つまり、より遠く、距離があるからこそ、様々な発見や認識にたどり着くことができるということである。

【雲南省ペー族の暮らし】
1984年にはじめて行ったが、ペー族の人達もまた、隔たりしものとの出会いの中で変わっていった。文化大革命以後、ペー族の住む大理市は許可がなくても行ける場所になり、国内、あるいは外国からの観光客が訪れるようになった。
現在、絞り藍染め製品の産業化に成功しているが、これも「隔たりしもの」との出会いがあったからに他ならない。

もともと絞り藍染めは、地元の女性が「自分が美しく着飾るためだけのもの」だった。デザインも三種類しかなかった。では、どういうきっかけで、どうやって商品化していったのか。
多くの観光客が訪れるようになり、「絞り藍染めが素晴らしい」と言われるようになった。それまで当たり前のように身につけていたし、そりゃあ綺麗だとは思っていたけれど、まさか「売れる商品」になろうとは夢にも思わなかった。外からの視点、隔たりしものとの出会いによって、はじめてその価値に気づいたのである。

そこから、隔たっていたものとの関係が結ばれ、情報や技術を導入した。今までは下絵も描かずに感覚だけでやっていたものを、きちんと下絵を書き、デザインや技法も多彩になった。価値に気づき、新しいものが生み出されたのである。

地域おこしには、このような「外からの視点」「隔たりしものとの出会い」からスタートする事例が多いのではないだろうか。木の葉を産業化した、徳島県上勝町の「彩(いろどり)事業」もその例である。
当たり前のようにあり、資源とも思わなかった葉っぱが、地域活性の原動力となったのである。インターネットの普及で、遠くにある需要をつかむことができるようになった。隔たりをうめるパソコンの活用により、70~80代のお年寄りが元気に暮らしている。

【掛川大祭の印象】
掛川大祭については、私は部外者であり隔たりしものである。その私がどんな印象を持ったかを聞き、土地の人だから、それはおかしい、間違っている、極端な理解の仕方をしている、そういう理解の仕方もあったのかなど、感じたことをぜひ教えて欲しい。

・掛川大祭は、昔からの伝統と、伝統が少しづつ変化しながらも組織されている「青年」という組織が面白い。
・各町内にいくつも余興があることに驚いた。掛川の歴史的背景があるのかもしれないし、余興を練習する文化の中で、面白さを見つけていったのかもしれない。
・青年が中心になっている「外交」が面白かった。屋台のすれちがいの作法には、人としてのあり方がためされるような感じがした。
・龍尾神社の手締めの前に、青年が一人ずつ発言する、その間の取り方が非常に印象的だった。その場の雰囲気の中で、呼吸、タイミングを計り、今言わなくてはいけないことを発言しているのがすごいと思った。
・ベビーカーを押しながら参加している人がいることに驚いた。自然で当たり前のことかもしれないが、合わない人を排除していく方が楽で、長い年月の中、そういう方向に行きがちなのに、掛川祭にはどんな人でも参加できる空間が確保されているという印象を持った。各年齢層の誰もが参加できる、みんなを包み込む装置のようなものがあると感じた。
現在、多元的共生空間の研究をしている。このポイントは2つ、排除されることなく、それぞれが自己実現ができる、可能性を広げていくことのできる空間を目指すということである。そうした排除しない空間を感じた。

【変えることへの勇気と希望を持つ】
あえて、不連続を生じさせたり、隔たっているものと出会うことが、変えることの、変わることのきっかけになる。
ルース・ベネディクトは『文化の型』の中でこんなことを言っている。
「私たちの『可能性の弧』は想像するよりはるかに大きい」

この講演会で私が感じたことは、また明日以降に。
私自身のキーワードは「多元的共生空間」であった。
(ひょえーっ。3000字、原稿用紙換算7枚半も書いてしまった!)