なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

今日はなだれ込んだぞ!

2006-03-31 00:13:56 | ビジネスシーン
午前中、漁師の奥さんにインタビュー。
遠洋漁業の船に乗っているときは、ご主人を送り出し、無事を祈願するためお参りすることが日課であり、仕事だったが、ご主人が自分の船(小型船)を持ったのを機に、自分も一緒に漁に出るようになったという。海から車で10分ほどの自宅で取材をさせてもらったのだが、お話だけでなく、倉庫にある様々な道具の数々に、漁師の暮らしというものを感じた。

帰り際、キウイフルーツカントリーの平野園長が始める自然学校(平野ネイチャースクール)のフィールド近くを通りかかる。
「このあたりなんだけどね……」
S藤さんが言ったとき、トラクターが見え、その向こうに平野さんの姿が見えた。
「あっ、平野さんだ!」
車を降り、里山を上りつつ、フィールドの説明を受ける。トラクターで道を作ってくれてあり、なんとか登ることができる。
「本当は、こうした道を作ることも考えたんだけどね」
そのあと平野さんが言った「山を傷つけてしまうから」という言葉が印象的だった。

さて、平野さん、S藤さんは、山道を慣れた調子でずんずん進む。こちとら、小学校のときの「小笠山・歩け歩け遠足」以来の山道である。しかも、まさか、こういうことになろうとは思ってもみないので、靴は革靴。スカートじゃなくてまだよかったが、一人ゼイゼイしながら、必死で二人に着いていく。
「……ま、ま、待って下さいよ~」
待ってくれない二人であった。

でも、ゼイゼイしたあと谷間に池が見えたときは嬉しかったし、木を見上げて緑の葉の間から木漏れ日が見えたときには気持ちよかった。
こんな仕事、いや、こんな事務所で働いていなければ、なだれ込むように山道を歩くことなんて、絶対なかったと思う。
「K住さんは、案外インドア派なんだね」
平野さんに笑顔で言われたので、笑顔で返した。
「いえ、バリバリのインドア派です」
完全なアウトドア派の二人に、胸を張って自慢げに言ったつもりだったが、なんせゼイゼイがひどく、いまいち迫力に欠けていた。

夜7時からは、サイクリストI田さんへのインタビュー。
NPOのサイクルイベントで何度かお会いしたことはあったのだが、じっくりとお話したのは初めてだった。

職場への片道11㎞のコースを自転車で通勤しているという話。
11㎞では物足りないので、わざわざ遠回りして14㎞を楽しんでいる話。
休日は練習のため、50㎞、80㎞、あるいは100㎞のコースを走っているという話。
何の練習かは自分でもよくわからないが、「とにかく練習のため」走っているという話など、私からしてみると「へー」とか「ほー」という様々な話を伺った。
自転車で走ることと、文章を書くという全く違う対象ではあるが、対象へのストイックな感覚がとてもよく似ていると、勝手に思ってしまった。

取材を通じ、仕事を通じ、様々な人と出会わせてもらっていると日々感じる。
だから山道を歩かされようと、無理難題を言われようと、ストイックに、黙々と、あるいはベラベラ喋りながら、頑張っていけるのかもしれない。


土木学会の取材と幸せの関係

2006-03-30 21:10:53 | スローライフ
今日は社団法人土木学会の取材を受けた。
取材の担当は長崎大学の西田助教授。長崎からはるばるやってきて下さった。
取材を受けたのは、I村代表、S藤理事、通りすがりのT橋副代表と、桜まんじゅうを持ってきてくれたY本副代表。
妙に寡黙なI村代表と、ベラベラ病全開のS藤理事。

自転車のまちづくりというと、自転車通勤や違法駐輪、レンタサイクルや自転車が走りやすい道かどうかといったハード整備に目が向きがちだが、「ただ自転車に乗るだけでまちづくりに繋がる」と言い切ったNPOスローライフ掛川は、なかなか素晴らしい提案をしたのではないかという話をした。そして、そのキーとなるのは「足るを知る心」。二宮金次郎の唱えた報徳思想の「分度」ということである。

たしかに、天竜浜名湖線沿いの4㎞に亘る一本道は素晴らしいが、北海道の何十㎞もにも及ぶ一本道とは比べものにならない。美瑛の美しい風景に比べれば、猫バスの通りそうな田園風景も、スケールがあまりに違う。掛川には、そこはかとない魅力の木の建築物があるといっても、京都の歴史的建築物群に対抗できるはずもない。
だからといって「うちのまちには何にもない」のだろうか。

私の好きな小野不由美の『十二国記 風の万里 黎明の空』(講談社)の中で才国の王が言う。
「人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、その人の心のありようが幸せだからなのです」

足るを知る心から、まちづくりも、幸せも始まる。
これってなかなかすごいことだ。
そして、足るを知る心を意識の上に上がらせてためには、自転車というツールが非常に重要なのだ。歩くよりも遠くへ、車よりも風景や空気感を五感で感じることができるから。

報徳思想と幸せについて考えた、なかなか哲学的な日だった。


いいタイミング

2006-03-29 21:03:52 | スローライフ
今日は、いちご農家とお茶の生産者の取材。
もぎたてのいちごが、驚くほど美味しかった。これからは、農業と観光が一体になったまちづくり、そして「地域の足元を見る」「足るを知る心」が大切だという話をした。ペットボトルのお茶に代表される機能としてお茶だけでなく、文化としてのお茶、人と人の交流をつなぐお茶という側面を大事にすることも必要だとも。
「お茶でも一杯、飲んでいきなさいよ」と。

夜7時からは、スローライフの会議。
「掛川ライフスタイルデザインカレッジ(掛川でスローな生活をデザインする講座)」の最終的なつめである。
4月1日号の「広報かけがわ」に折り込まれるパンフレットの作成で、ここ1週間ほど、バタバタを飛び越えて、ドンガラガッシャン状態だったのだが、ようやく形になってきた。理事のH川さんの言葉が印象的だった。
「今まで漠然としていたカレッジの印象が、こうして形になって目の前に提示されると、自分たちのしようとしていることは、なかなかすごいことなのかもしれないぞと実感できた。この『すごいことをしているんだ!』というハイな気分のまま、つっ走りたい」

会議の最中、郷土新聞の紹介記事を見たというT川さんから、カレッジについての問い合わせがあった。
「今、ちょうど、カレッジのミーティングをしているんですよ」
「講師陣の顔ぶれを見ても、こんなすごい講座はどこにもないから、頑張って下さいね」
「ありがとうございます」
「どの講座も魅力的で、どのプログラムに出ようか迷ってしまいますよ」

さて、そのT川さん。
私が電話で「ご無沙汰しています」と言ったら、
「なだれ込み研究所を見ているので、毎日、K住さんに会っているような気がして、ちっともご無沙汰って感じがしないんですよ」
と言われた。
こうして応援してくれる読者がパソコンの向こうにいてくれるというのは、本当にありがたいものだ。
日々、原稿書きに追われていて、「もうこれ以上文章が書けないよ~」「書きたくないよう~」「思考能力がないよう~」と弱音を吐きたくなるのだが、なんとか頑張りたいと思います!
(充分、弱音を吐いているけれど……)



商品としての文章

2006-03-27 21:42:08 | ビジネスシーン
午前中御前崎で会議と取材。
こなしても、こなしても、仕事は減らない。
でも、こなす仕事の前に増やす仕事があるということを、今日はじめて意識した。
困難な仕事の先にしか楽しさはないのだと、S藤さんは言った。

馬を見た。
癒しという言葉は好きではないが、馬の目を見ると心がなごむ。
身体にさわった。温かく、弾力があった。

商品としての文章について話をした。
インタビュー記事をまとめるときは、ただ聞いたこと、その雰囲気を描写をすればいいのではないと言われた。
意訳をして、
脚色して、
ストーリーにして、
商品として仕立てなくてはいけない。

風景を思い浮かべられるような文章。
そこへ行ってみたくなる表現。
それは、インタビューした相手の気持ちや立場よりも、商品としての魅力を最優先しなければいけないことでもある。
商品としての文章って、厳しい。

手段が目的になっている話。
私は「書く」ことを仕事にしたいと思ってきた。
今、書くことが仕事になっている。
では、目的は達成したのか。
書くことは目的ではなく手段なのである。その先の「なぜ書きたいのか」「書いてどうしたいのか」という本来の目的を見失ってはいけない。ときおり、本来の目的に立ち返らなくてはいけない。たとえ苦しくても。
そういう話をした。

仕事の厳しさ

2006-03-25 22:26:07 | ビジネスシーン
昨日は無事、御前崎に行って(そして、ちゃんと帰って)くることができた。一度、道を間違え、一度、道を聞くというおまけ付きではあったが……。

さて、一人で行って、今まで自分が恵まれた環境で仕事をさせてもらっていたのだと、初めて気づいた。最前線でS藤さんが踏ん張り、そこからフィルターにかけたものだけが私に手渡されていた。
仕事というのは厳しい。
今までも厳しさは感じていたが、もっと別の厳しさがあるのだと知った。

ケンカばかり売ってちょっと悪かったな、と思っているところへ、
「昨日の取材原稿、今日の夜までに送るように」
とS藤さんから指示が。
「ひょえ~!」
と私が叫んだのは、言うまでもない。
はいはい、今からちゃんとやりますよ。


留守居役は大忙し

2006-03-23 23:13:54 | ビジネスシーン
今日明日と、S藤さんはまたまた出張。年度末の度重なる出張は、留守居役の身としてはなかなか大変。ここぞとばかり仕事をこなそうと思っても、遠隔操作で「あれやれ」「これやれ」とメールが入る。近くにいると話ができないのに、遠くにいれば指示が来る、相変わらずへんてこななだれ込み研究所である。

さて、今日も続々とお客様が見えた。
まずはキウイフルーツのH野さん。
「昨日はカレッジのミーティングがあったの?」
「ありましたよ、だいぶ決まってきましたよ」
「あれれ、メール見落としちゃったかな」
飄々としたもの言いとは裏腹に、H野さんが講師を務める農園講座と全体の流れについての意見は鋭く、的確だ。
そんなところへ、K新聞のT塚さんが現れた。
「カレッジの記事、明日発行の新聞に載りますからね」
締め切り前日、必死になってまとめた記事は、案外、思ったより、とっても、小さく……。
「いやあ、原稿量が多すぎて、簡単にまとめさせてもらいました~、わはは」
新聞社に情報を提供するときは、長すぎるとだめなようです……、いい勉強になりました。

さてさて、そんなところへ、うちの二人の娘がやってきた。
春休みに入り、たまには子ども孝行と、「今日は事務所に誰もいないから、お昼を一緒に食べよう」と言ってあったのだが、あまりの忙しさにすっかり忘れていた。歩いて事務所までやってきた娘たちは、アートディレクターのH岡さんも含めた3人のナイスミドルに囲まれながら黙々とお弁当を食べ、そして食べ終わるとさっさと帰って行った。

午後になり、今度はカメラマンのS藤さんがやってきた。以前取材に見えた岐阜の生活情報誌を手に持っている。
「岐阜の姪っ子のところで見つけたんだよ。K住さん、載っているじゃない」
にこにこと、嬉しそうに差し出してくれる。
先日のS野さんといい、思わぬところから情報が戻ってくるものだ。

その後現れたのは、ブログを通じて知り合ったF田さんご夫妻。
バタバタ状態だったため、立ち話になってしまう。
「いえいえ。ブログを読んでいて、忙しいのはわかっていますから、いいんですよ」
バーチャルとリアルがつながって「気づかい」してもらうという状況。
いろいろな展開がある。

そんなこんなのなだれ込み研究所。
留守居役の私も、明日は1日、取材で御前崎へ行ってきます。
ちゃんと聞けるか、ちゃんと書けるかよりも、ちゃんとたどり着けるか、がいちばん心配、なのでした――。

ケンカ売る、再び

2006-03-21 23:47:49 | ライフスタイル
K松さんのブログにコメントを入れたら、
「さて、お互いにブログばかり書いていないで、もう少し良質の文章も書きたいものですね」
と返事が返ってきた。
私は、ブログが良質の文章ではない、とは決して思っていない。こんなことを書くと、また、そこらじゅうでケンカを売っているね、などと言われそうではあるが、あくまで言いたいことは率直に……。

ただ、ブログは日常の覚え書きであり、自分自身のデータベースとして大事ではあるが、それ自体では決して「作品」とは成り得ないことは理解している。K松さんは、たぶん、そのあたりが言いたかったのだ。
「ちゃんと、作品、書いている?」と。

今日、久しぶりに書店に行った。
忙しさにかまけ、世間から遠ざかっている間に私の好きな作家の新刊が続々と出ていた。「あれも読みたい、これも読みたい!」という気持ちがふくらみ、それだけで幸せな気分になる。
児童文学、大人の文学、ノンフィクションと本を手に取りながら、改めて、私は今、どんな「作品」が書きたいのだろうと思った。

真っ当なことを真っ正面からなんちゃって気味に書く児童文学が好きだ。子どもに物事の本質を、ストーリーの中でさりげなく、でもきちんと伝わるように書くのは難しい。子どもも楽しめ、大人も「なるほど!」とうなるような物語性豊かな児童文学が世の中にはたくさんある。
そういう作品を書きたいと思っていた。
と同時に、こっそりと、青春小説を書きたいと思っている。
じりじりと、せつなくなるような、それでいて、向こう見ずでまっすぐな、そんな小説が好きだ。人の心を「揺さぶり」「動かし」「感じ」させる、小説はそんな力に満ちている。

さらに最近では、パンフレットにしろ書籍にしろ、読み物色の強い出版物の編集をしたいという気持ちが出てきた。もしかしたら、小説を書くことよりも、こうしたノンフィクションに近いようなものを書いたり、まとめたり、それをわかりやすく面白く提示することの方が向いているのかもしれないと、思うようにもなっている。今日も、何冊かの児童文学と小説とともに、『新レイアウトデザイン見本帖』なる本まで買ってしまった。

やりたいこと、書きたいことの幅が広がったのはいいことなのだろうか、とふと思う。あれもこれもと欲ばかりかいて、何もできなくなってしまうのではないだろうか。そんな日常に活を入れるために、K松さんは「良質の文章を」と書いてくれたのかもしれない。

一応最後にフォローを試みまして、決してケンカを売っているわけではないことを証明いたしました~。


会話アラカルト

2006-03-20 21:38:55 | ビジネスシーン
午前中、ある委員会出席のため、S藤さんと大東へ行った。
今日のブログは、その道すがらの会話アラカルトです。

①方向音痴はズルか
「大東支所への道、ちゃんとわかります?」
「ああ、なんとかね」
「私、方向音痴なものだから、道ってなかなか覚えられないんです」
「そりゃあ、覚える必要がなかったからだろう。やらないでいて『できない』と言うのはズルだぜ」
「ズルですか」
「ああ」
「この私がズル?」
「ああ、ズル」

②危機管理にドキドキ
「今日、急に委員長が来られなくなるなんてこと、考えたことある?」
「ええっ、ないですよ」
「報告書のたたき台の報告を急にやれって言われて、それらしくできる?」
「ぜ、ぜ、絶対、できません」
「オレなんて、今までそんなのばっかだったぜ。そういうときハッタリでも何でも、それらしくできるようになることが大事」
「だめです~。緊張しちゃって、前の日から眠れなくなります~」
「そういうとき、K造さんだったらハッタリでもウソッパチでも、ちゃんとやってくれると思わない?」
「思います、思います」
「尊敬しちゃうでしょ?」
「絶対、しちゃう!」

③実体験を伴わない原稿について
「こないだのブログで、オレのVEGAの原稿、今回だけ実体験が伴っていないって書いただろう」
「ええ、書きましたよ」
「それを読んだI川さんが、『S藤さん、ケンカ売られてましたねえ』って言ってたよ」
「別にケンカなんか売ってませんよ。思ったままを書いただけですから」
「それが『ケンカ売ってる』ってことなんじゃない?」
「まあ、S藤さんにケンカ売れるときなんてなかなかないから、ケンカ売ってたのかもしれませんねえ」
「そう?」
「そうですよ。いつもベラベラ病でやられっぱなしだから、ちょっとでも突くところを見つけたら、それが針の穴ほどでも、思いっきり突くんです!」
「実体験のないあなたに言われたくないなあ」
「それとこれは別です」

④熱く語れるか
「きのう、浜名湖サイクルツーリング、86㎞を走ってきちゃったよ」
「あらま、ご苦労さまでした。どうでした? 今年の運営会社は?」
「オレらの方が断然いいね」
「例えばどこが?」
「まず、コースの設定。あれは自転車に乗らないヤツらがルート設定してる。それに、はじめのブリーフィングに熱さがない。メモ見ながらじゃだめだよ。参加者の気持ちがぐっと盛り上がるように語らなきゃ!」

⑤観光資源と地域の作法
「あのー、O市の観光パンフレットですけど」
「ああ」
「今までの観光パンフレットと言えば、ただ観光資源の紹介をするだけだったじゃないですか」
「ああ、そうだよな」
「それを今回、観光資源とそこに暮らす人達をつなげるような仕立てにしたでしょう。地域の自然や伝統、文化や歴史といったベースとなる背景を、そこに暮らす人は意識していなくても、日常生活の中に実は溶け込んでいるってストーリーをつけ加えた」
「ああ」
「これって、哲学者の内山節さんの言うところの『地域の中に蓄積された作法ともいうべきもの』なんじゃないでしょうか。『それはときに自然に対する伝統的な接し方であり、地域の自然と人間の矛盾の克服の仕方であり、自然との対立しない生業のあり方である』っていう……。それが、今もちゃんと暮らしの中にある」
「ああ、そうだね」
「そういうところに視点を置いた観光パンフレットなんて、今までないじゃないですか。私、原稿書きながら、何だかすごいことしてるって嬉しくなっちゃいました。こういうすごさが感じられる限り、無理難題言われようと頑張れそうです!」

気づいたこと、言いたいこと、山ほど言わせていただきました。ときにケンカも売ったりしながら――。
ああ~、スッキリした。



挑戦

2006-03-19 23:50:23 | 読書日記
昨日、心に蓄積したものを書いてはき出すことで、また、たくさんのものを吸収しようと思うエネルギーが満ちてくる、と書いた。
小説を書くときも、こうして日々あったことを書くときも、結局、自分の中から発した言葉でなくては人に伝わらないと感じる。

私の場合、できれば家の中で本ばかり読んでいるような生活がしたいので、実際の現場での経験というものが極端に少ない。実体験があってはじめて、ビジョンやコンセプトが生まれるということは、ここ1年半の仕事を通じてよ~くわかっているのだが、なんせ、もとが出不精なので仕方がない。

さて、世の中には世間のトレンドとはまったく無関係に、一人興味深いものを見つけ、その一点のみを追求する人たちがいる。『博士の愛した数式』(小川洋子著・新潮社刊)の博士もそうした一人であり、ある人は学者と呼ばれ、ある人はオタクと呼ばれたりする。

K松さんのブログを通じて、また、私の好きな作家の言葉を通じて、『ローマ人の物語』(塩野七生著・新潮社刊)を読みたいとずっと思っている。この塩野七生も、そうした一点を追求しようとしている人であると思う。
ただ、K松さんからは、
「読むには相当の覚悟がいるよ。初めは図書館で借りた方がいいかも」
と言われていたし、実際、図書館で手に取ってぱらぱらとめくってみると、私のあまりに貧相な歴史の知識では到底読破できそうもないと直感した。
ということで、まず入門編ともいうべき、『ローマから日本が見える』(塩野七生著・集英社刊)を読んでいる。

塩野七生がなぜ、今から千五百年以上も前に滅びたローマの歴史に目を向けたのか。
「ローマが千年以上にわたって続いたのは、けっして運がよかったからでもないし、彼らの資質が特別に優れていたからでもありません。彼らが同時代の他の民族と違ったのは、自らの失敗を認めたときにも改革を行う勇気を失わなかったところです。彼らには自分達のありのままを姿を直視し、それを改善していこうという気概があった」

さらに、こう続く。
「ローマ人くらい面白い人たち、素敵な人たちはいなかった。ローマが産んだ唯一の創造的天才ユリウス・カエサルをはじめ、一級品といっていい男たち、ユニークな人物、型破りな人間、あるいは仕事はできないけれども愛すべき男たちが無数に登場しているのがローマ史です」

こういう文章に出会うと、読みたい気持ちがずんずん膨らんでくる。
そして、次の文章を読んだときは、まだその著作をちゃんと読んでないにも関わらず、塩野七生が好きになってしまった。
「私は十代の頃からローマに興味を持ち、半世紀を過ぎた今もずっとその興味と疑問を持ち続けている。
実際の男友達に関してはやたらと心移りする私だったが、本当に私を魅了したことには、意外としつこく迫ったのだ、と。その理由はおそらく、後者の場合は『挑戦』であるのに対して、男友達に対しての私は挑戦しなかったからでしょう。でも、挑戦くらい、エキサイティングなこともないんです。だからこそ、長期にわたって私をしばりつけたのかもしれません」

挑戦――。
このありふれた言葉が、この文章の中にあることで気概に溢れた言葉になる。文章の力を感じる瞬間である。

さて、自分に関しては、挑戦すべき「この一点!」というのがあるような、ないような私だが、どんな挑戦に対しても「書く」ことを道具にしていることだけは共通している。来週から、どんな挑戦すべきことが待っているか楽しみである。
……と、気概に満ちた言葉を書きつつも、でもやっぱり、本を読む時間も欲しいよお~、あんまりドサッと仕事を寄越さないでね~と、遠回しに言っている、ただのへなちょこ業務連絡になってしまった……。

しぶとい表現者

2006-03-18 23:58:26 | ビジネスシーン
ふと気がついたら、4日間も更新していなかった。ようやく少し落ち着いたので、自分に活を入れる意味でテンプレートを「とうがらし」にしてみます。イメージだけの問題だけど、何となくピリッと来そうなので……。

さて、この4日間。
今、私がかかり切りになっている印刷物の最終校正を終え、ある委員会の議事録と報告書原案をまとめ、スローライフの会議(相変わらず、夜中の1時まで6時間ぶっ通し)に参加し、そこで決まった「掛川ライフスタイルデザインカレッジ」の概要をまとめた。
今、こうして文章に書いているだけでゼーゼーする。

でも、たった4日間だけど、こうして振り返ってみると、本当に幸せな仕事をさせてもらっているなあと感じる。

最終校正を終えた印刷物は、ようやく私の手を離れ、あとは「いい子」になって刷り上がってくるのを待つだけだ。最後の最後、表紙で悩ませたデザイナーのK出さんとも、「ようやく、出来ますねえ~」としみじみ電話で話し合ったばかり。
ページ数にして56ページ。作った身内が言うのもなんだが、素晴らしい出来だと自信を持って言える。この仕事をさせてくれたクライアントさんと、関わらせてくれたなだれ込み研究所に、改めてお礼を言いたい気分である。

そう言えば、ちょうど1年前も、K松さんの『掛川奮闘記』の編集の大詰めだった。こうした出版物を手がけることができるのは、本当に幸せだ。

出版物の編集や執筆に関わって感じることを、自分の覚え書きとして書いておく。

執筆という作業は、一つ一つ根気がいる。資料から、取材から、あるいは心の中に蓄えていたものから、根気よく文章に仕立てていく。プロデューサーが、それらいくつものパーツを一つの意志を持った形に仕上げていくのだが、作業する私は、形となって見えることで、はじめて自分の心の中に蓄積されていたものが外に出たような気分になる。
うまく言えないのだが、形になって現れることで、はじめて自分の内にあったものが外に出たことに気づく感じ。それは同時に、心の中にスペースができたことに気づくことでもあり、大きく深呼吸ができるような気分になるのだ。そしてまた、たくさんのものを吸収し、蓄積したいと思うエネルギーが満ちてくる。そのためには、納得のいく文章を書くことが大前提である。

現実の私はけっこうへなちょこで、体力的にも情けないものがあるのだが、ものを書くことに対しては、しぶとく、骨太で、体育会系でありたいと思う。

ちょうど1年前の手帳に、こんなメモが残っている。
「甘いね。あなたは表現者でしょう」
S藤さんから言われた言葉なのだが、私が何を言って「甘いね」と言われたかは忘れてしまった。
1年前より、表現者として、少しは成長しているかな。

表現し、深呼吸し、また蓄えていくというサイクルの中で、しぶとく、ぴりりと辛いもの書きになっていきたいなあと思うのであった。