なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

易行道と職務怠慢

2006-10-16 00:22:40 | ビジネスシーン
文章を読み手にどう見せるかは常に考えるのに、自分をどう見せるかは苦手だ。
自分の行動が、相手にどう見えるのか、それよりも、自分が相手に対してまっすぐでいることが誠実なのだと思っていた。
でもそれは、自分をよく見せたいから、問題を起こしたくないから、の逃げであり、易行道なのだと気がついた。自分の行動によって、これから先の折衝、つきあい方が大きく変わるのだとしたら、いい人でいることは職務怠慢だとK造さんに叱られた。
言われればまったくその通りで、
「はい、反省しています」
としょげたら、今度はS藤さんに「反省などするな!」と叱られた。

自分の行動がどう見えるか常に考えて行動するよりも、反省することの方が簡単。これも、易行道を行こうとしているってこと?

土なべ近況

2006-10-15 20:11:45 | ライフスタイル

忙しい日々の中で、夕ご飯だけは土なべで炊いています。
「だって、美味しいんだもん!」
講師、長坂潔曉さんの言うとおりでした。

掛川ライフスタイルデザインカレッジの9月セッション『うまさ120%のご飯を食べる~田んぼウォッチング&ご飯炊き」は、確かに私の生活を変えています。

たたむ

2006-10-14 23:47:04 | ビジネスシーン
新築のお宅の取材に行ってきた。30年間住んだ家の建て直しである。

古くなった家は確かに使い勝手が悪いし、家族一人一人にとっても、家族としての将来を考えたときも、住まいが新しく機能的に変わるのは嬉しいことだ。
でも、いくら古くなろうと、長年住んできた家を取り壊すのはやはり哀しい。取材中、ずっと寡黙だったご主人の姿が妙に印象に残り、もしかしたら、そんなさみしさがあったかもしれないと思った。

帰りの車の中で、取材に同行してくれたK造さんが言った。
「解体専門の知り合いが教えてくれたんだけどな、家を壊すとき、施主さんには『取り壊す』って言葉も『解体』って言葉も使わないそうだ」
「え? じゃあ、何て言うんですか」
「『たたむ』って言葉を使うんだ」
「たたむ……」
「ああ、『たたませていただきます』とな」

たたむ――。
美しい言葉だ。
日本語には、こうした場合場合で使う、心の感じられる言葉がある。

人の心の中に立ち入ることはできないが、様々な相反する想いを胸に抱えながら、人は踏み出さなければならないときがある。そんなことを感じると、新しい家の取材も、ほんの少しさみしくなる。「たたむ」が、人の心を思いやる言葉だけに、よけいにそう感じたのかもしれない。

順応性の高さ

2006-10-14 00:07:44 | ビジネスシーン

なだれ込み研究所は、毎度のことながらバタバタである。

昨日紹介した「コスモ アースコンシャス アクト クリーンキャンペーンin御前崎」と「森町サイクルツーリングデイ」の準備で、S藤さんとS木くんは必死の形相だ。あちこちから電話が入り、作業量も膨大。
「大変そうだなあ~」
などと他人事(ひとごと)のように思いつつ、自分の仕事も山積みである。

基本的に、私は計画性をもって仕事を進めたいタイプであるのだが、この事務所ではなかなかそうさせてくれない。次から次へと「今」やるべきことが目の前に積まれていき、とても「計画的に」などと言ってられない状況になってしまうのだ。

現場主義、とことんつき合う、というなだれ込み研究所の性格上、完結する仕事がほとんどないから、一度ファイルが置かれたらずーっと机の上にあることになる。とにかく机の上に置いておかないと、現在進行中の山ほどある仕事の中で、忘れてしまいそうになるからだ。ときどき机の上をチェックして、安心したり、あせったり。
いつだったか、
「頭の中で優先順位をつけて、効率よく仕事をやったらどうですか?」
とS藤さんに言ったことがあったが、それも遠い昔の話……。

今では、私の机の上がいちばん片づいていない。
ズボラなわけでも、性格が大ざっぱなわけでもなく、順応性が高いだけです、はい。

2006年11月12日(日)実施の
第4回 森町サイクルツーリングデイの詳細はこちら。
      ↓
http://www.conception.co.jp/mori/

御前崎を遊ぼう!

2006-10-13 01:22:13 | ビジネスシーン

なだれ込み研究所が、アクティビティイベント運営事務局をしている「コスモ アースコンシャス アクト クリーンキャンペーンin御前崎」が10/22(日)に行われる。
マリンパーク御前崎内を30分間掃除したあと、きれいになった海や道、風景で遊ぼうというものである。
〈アクティビティイベント〉
 ①御前崎半島サイクルツーリング
 ②クリーンなビーチでカヤック体験

サイクリングを3回体験し、カヤッキングを1回体験しただけの私ではあるが、風景を楽しみ、道を楽しみ、水を楽しむ、そういった自然に遊ばせてもらうためには、遊び場である自然がいつもきれいでいてほしいと思う。
自然に遊ばせてもらうという実体験が伴ってはじめて、自分自身、上っ面でない、嘘っぱちでない「自然観」や「環境観」がほんの少し芽生えてきたような気がする。まだまだ、本当に未熟ではあるが。

さて御前崎は、遠州灘と駿河湾に囲まれた小さな「半島」だ。車でも歩きでも感じることのできないことが、自転車では感じられる。
以前、御前崎市観光協会の観光パンフレットを作成したとき、サイクリストI田さんからこんな言葉を聞いた。
「遠州灘側では追い風だったのが、回り込んで駿河湾側に入ると、とたんに向かい風になります。こうした変化を感じることができるのも、御前崎の地形ならではです」

海があり、平地があり、茶畑があり、そうした地形や風景の変化があり、風の変化があり、走っていると尾根沿いの起伏の変化も感じるという。
I田さんに取材をしていて、
「御前崎というところは、自転車で走るのにいいところなんだなあ」
と思った。I田さん自身、自転車が御前崎の自然を五感で感じるツールになっている。

今回、美しい海岸線だけでなく、情緒あふれる軽便線の跡地や緑豊かな桜ヶ池もコースに含まれている。なんと言ってもサイクリストOさんとS木くんが実際に走り、コース設定をし、「素晴らしい!」と大絶賛した道である。
25㎞は初心者でも大丈夫、達成感が感じられる距離だ。

カヤッキングについては、とにかく水面が間近に感じられ、水との一体感がある。敷居が高いイメージがあるけれど、体験できるチャンスがあるならまずやってみるべき。……って、カヤッキングの説明が不足しているのは、1回しか体験していなからだと思う。せめてもう2回やって、サイクリングと同じ熱さで語れなきゃね。(レベルが低い?)

まだまだ募集中なので、ぜひ、ご参加下さい。
K-mixのお土産と、伊勢エビのみそ汁つきで、
なんと無料。
詳しくは、こちらをどうぞ。

http://www.k-mix.co.jp/06omaezaki/
http://www.conception.co.jp/earth/


使命、縁尋、なだれ込み

2006-10-12 01:22:07 | Weblog
日本経済新聞の夕刊に「フリートーク」というコーナーがある。今日は、ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコが、レイキャビクに世界平和を願うモニュメントを作ることになっての発言が載っていた。
「私たち一人一人が今という時に生まれてきたのは偶然ではない。使命を果たすためだ。しかし、その使命はまだ果たされていない」

この一文を読んで、最近つらつらと考えていたことを思った。

人というものは、地球という星に生まれては死に、また生まれては死んでいく。全てを司るものがいるのだとしたら、何のために人を誕生させ、好き勝手に生きさせているのだろう。たった数十年の命をまっとうし、造っては壊し、さらに造り、それが何世代も続き、では何が残るかといえば、時代ごとにつくりかえられていく風景が残るだけのような気がする。それが、長い長い地球という命の中で、どんな意味を持つのだろう。

人は、自らの意志で何かを選択しながら生きているように思っているが、実は自分が決めて行動していることなどほとんどないのかもしれないと思うときがある。この時代、この場所、この環境、そういう自分が置かれている「今」という状況の中で、周囲に要請されたことに対して「やる」か「やらない」か、自分で決められるのはそのくらいなのかもしれないと。
そして、その延長線上に「今」があるのだとしたら、要請されること自体、今ここにいること自体、「使命」なのかもしれなくて、それは一個人の話だけでなく、地球規模の話でも同じような気がするのだ。

使命とは、本当に何だろう。
「やる」「やらない」の選択だとして、それは「なだれ込む」「なだれ込まない」と置き換えることもでき、さらには今日のK松さんのブログにある「縁尋(えんじん)の機妙(きみょう)」ということにもつながるのだとしたら。
今、要請されていることに対し、私がもし「やらない」ばかりを選択したとしたら、今ある使命も、なだれ込みの先の出会いも、縁尋(えんじん)の機妙(きみょう)も、きっとなくなってしまうのかもしれない。
「やるしかないだよ」ということのよくわかった、でも思考過程は全くつじつまが合ってない気のする、今日の辛気くさいブログでした。

祭りを文化と感じるとき

2006-10-09 22:03:04 | Weblog

生粋の掛川っ子でありながら、実は掛川大祭について何も知らなかった。それがよくわかった今年の大祭りだった。

「大祭りと小祭りの違いは?」
と聞かれたら、三大余興(瓦町のかんからまち、西町の大名行列、仁藤の大獅子)のことをまず答える。でもそれは、そもそも論の抜けた説明だった。

掛川の祭りは七つの神社が合同で行うのだが、子どもの頃は、神事よりも「おまつり!」というイベント的な認識の方が強かった。ただ、子ども心にも「祭りにはしきたりや決まり事があり、それに反することは粋ではなく、場合によっては町のプライドをかけたケンカになることもある」ということは無意識ながらも感じていた。
普段、自分の住む町を特別愛していたわけでも、隣町と違うのだと特別意識したこともなかったけれど、祭りのときだけは、自分の町の屋台や法被や手踊りが一番だと思った。
そしてそれは、大人になっても変わらず、自分の町の手踊りを見て、長唄を聞けば、胸が高鳴り、血が熱く騒ぎ出すのを感じる。
大勢のお客さんの前で、自分が小さい頃に踊った手踊りを披露したときには、誇らしい気持ちでいっぱいになり、気持ちが高ぶり、涙が出そうになった。

そんな、祭りのときだけ自町を意識し、自町を愛する私だから、当然、自町が一番、他町のことは野暮だと勝手に思い込み、他町のことはもちろん、掛川の祭全体のことなど考えようともしなかった。

それが今回初めて、掛川の祭りとはそもそも何なのか、各町内の手踊りとは何なのか、その全体像を考えようとした。
きっかけは、龍尾神社の渡御だ。
「とにかく渡御を知らなきゃ、祭りを知ったことにはならない」
K造さんがあんまりしつこく言うものだから、とにかく一度、見てみようと思った。私の町とは神社が違うため、今まで「渡御」というものが何なのか、まったく知らなかった。

渡御とは字のごとく「神が渡る」である。龍尾神社の御祭神が、現在の場所に遷られる前におられた地に、まさに渡る。氏子19町が神社の馬場先に参集し、神事、奉納を終えた後、「瓦町かんからまち」を先頭に、神輿、神職、舞姫、稚児……と続き、その後、氏子である「西町の奴道中」、そして18台の屋台が続くのである。全長1㎞にもなる行列は氏子全町を巡り、御旅所までの約4㎞の道のり進むのである。

そうか、そうだったのか、と思った。
掛川大祭と言えば、まっ先に三大余興の話になるが、それは、掛川の祭りとは何なのか、大祭りとは何か、のそもそも論が抜けた話だったのだ。

昨年、なだれ込み研究所で『掛川市市勢要覧2005』の仕事をさせて頂いたとき、掛川大祭のコピーをK造さんに確認してもらったことがあった。
「う~ん、それなりにうまくまとまってはいるけれど、これじゃあ、大祭りのそもそもが書かれていないなあ~。でもまあ書き始めると、神社ごとに説明しなきゃいけないから、そうもいかんだろうなあ」
そのときは、言葉の意味がわからなかったのだが、今回、龍尾神社の渡御を見て、はじめてわかった。実感を伴ってわかった、ということなのだと思う。

そうやって、掛川の祭りとは何なのか、手踊りや長唄とは何なのか、ということを考えはじめると、「おまつり!」としてしか意識していなかったものが、「確かにこれは文化なのだ」と感じられる。
でも、こうして俯瞰した視点で書くことは、ある意味、自町だけを愛し、自町のみにのめり込むことから距離を置くことでもある。それが野暮と言われれば野暮かもしれないし、粋でないと言われれば粋でないのかもしれない。

でもまあ、なだれ込み研究所に関わり、そういうものの見方を身につけてしまったのだから、しかたないとあきらめ、堂々と、観察者の視点を持ち続けようと思うのであった。


ありがとう、1周年!

2006-10-06 23:25:19 | Weblog

本日、めでたいことに「なだれ込み研究所の一日」が1周年を迎えました。
K松師匠のように、毎日書き続ける意地と根性はありませんが、それでもなんとか続けて来られたのは、やっぱり意地と根性と負けん気と、「がんばれよ~」「楽しみにしてるからさ~」と他人ごとだからとお気楽に応援して下さる皆さんがいてくれるからです。
本当にありがとうございました。

コメントが少なかろうと、アクセス数が少なかろうと、日々、なだれ込んでくる人やモノやコトを、多少のデフォルメと演出をまじえながら、今後もエンターテイメントに語っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

毎週水曜日は

2006-10-04 23:52:54 | スローライフ
毎週水曜日は、NPOスローライフ定例会議の日なのだが、今日からそれに「静岡新聞の夕刊が待ち遠しいぞ!」が加わった。
なんと、NPO法人スローライフ掛川のI村代表が、静岡新聞夕刊一面のコラム「窓辺」に執筆する。今日の夕刊から始まって、3ヶ月間の長丁場。毎週水曜日が担当である。

「書いても書いても、原稿の締め切りがどんどん来るのは苦しいねえ」
「おっ、I村代表。売れっ子作家みたいですねえ~、ひゅーひゅー」
と、代表をからかう事務局K住であった。

さて、そのI村代表、今日はスローライフの視察でF市から見えた議員さん9名の対応と、静岡の情報誌『笑顔』の取材をこなしてくれた。ホッチキス止めから視察対応まで、代表の仕事は幅広い。
この中で、印象的だった言葉を紹介します。
「取材や視察対応をすることで、常に原点に戻ることができる」
おお~。思わず、「よっ、日本一!」と声を掛けそうになった私である。

午後7時からの定例会議でも、「なるほど!」とうなったことがあった。仕立て方一つ、表現のしかた一つで、面白さが2倍にも3倍にもなるということ。
10月に行われるセッション「時空が生活を変える」は、化石掘りと星空観察を行うのだが、「なぜその組み合わせなのか」を議論し、深く掘り下げていくことで、様々なことが見えてきた。

「化石を見ることは、大地の過去を見ることであり、星を見ることは、天空の過去を見ることである」
「また、空を見ることは、まだ光が届いていない未来の星を見ることでもある」
「三億年前の化石は、三億光年離れた星に照らされていたかもしれない。でも、その星の光は、三億年前に放たれた光であり、今はもう存在していない……」

完全に頭が文系の私は、何が何やらさっぱり混乱してしまったのだが、天と地、そして過去と未来のロマン、を感じたのは確かである。
ここからどうやって、この実際本当に魅力的なセッションを、魅力的に映るよう仕立てるか、そして魅力的に感じてもらえるよう表現するか、が大事なのである。
私のなだれ込み研究所の名刺には「表現計画担当」とあるのだが、まさに魅力的な商品となるよう、仕立て、表現するのが私の仕事なのである。

それぞれが、それぞれの役割の中で、自分というものを発見する。定例会議には、そんな意味合いもあるのかもしれない。

本日、10月4日水曜日、静岡新聞夕刊の「窓辺」を、ぜひご覧下さい。

めぐりめぐって

2006-10-03 20:23:41 | ビジネスシーン
ことの始まりは、S木くんが電話番号を教えまちがえたことだった。

YちゃりY崎さんから、NPO専門委員S木さんの携帯番号を聞かれたS木くんは、ライフスタイルデザインカレッジのスタッフ名簿から番号を教えた。Y崎さんがその番号に電話をかけると、なんと電話に出たのは北海道のK松さんだった!

「あ、あ、あれれ……、S木さんに電話をかけたはずなのに……」
と驚きながらも、せっかくだからとY崎さんは9月に行われたツールド北海道のことをあれこれ聞いた。K松さんは、仕事でツールド北海道に関わっている担当者なのだ。

「K松さんと話をしていてね、一般の人にサイクリングの楽しさを知ってもらうためには、バリバリのサイクリストが声を大にして『サイクリングは面白い!』と言ってもだめだという話になったんだ。絶対にサイクリングなんてしそうもない人が、よろよろしながらも走って、そうしたら面白かった、というふうにして周りを巻き込んでいかないと」
「そ、それって……、もしかして……」
私がおずおずと切り出すと、Y崎さんは電話の向こうでにっこり笑った(と思う)。
「そう、K住さんがサイクリングの本を出すんだよ!」

突然の話にびっくりしながらも、考えれば考えるほど、私しかいないという気もしてくる。
絶対にサイクリングなんてしそうもないインドア派の私が、自転車で40㎞を走った。サイクリストからすれば40㎞なんて「屁でもない」のかもしれないが、一般人からすれば「すごい!」のひと言。よろよろしながら、ゼーゼーしながら、それでも五感をめいっぱい働かせ、自転車で走ることの楽しさを感じた。
かといって、このままサイクリングにのめり込み、バリバリのサイクリストになることはあり得ない。
そんな、へなちょこサイクリストだからこそ書けること。今の私だから書けることがきっとあるはず。
「K松さんもS鳥さんもきっと寄稿してくれるよ。そうしたら、なかなか面白い本になると思うよ」
Y崎さんはS木さんの正しい電話番号を聞くと、「それじゃあ、構成も原稿もK住さんにまかせたから~」と電話を切った。人の心に突風を吹き込んでいって、自分は気楽なそよ風のように去っていった……。

ちょうど10日ほど前、事務所にS鳥さんが来て、こんな話をした。S鳥さんはサイクリストであり、平凡社から自転車関連の本を2冊出している(今度、3冊目が出る)作家であり、自転車文学研究室を主宰している文学青年(?)である。
「ボクの場合、書けない時期が10年くらいあったけど、あるとき突然書けるようになった。K住さんもきっと書けるよ。ここにいることで、いろいろな引き出しが増えると思うけど、書けるときって、まったく思ってもみなかった場所から出てくるものだよ。もしかしたら、そんな引き出しがあること自体、あるいはそんな場所が自分の中にあること自体、気づいていないかもしれないけど」
「そんなものでしょうか……」
「ああ、きっと」

今日の「サイクリングについて書く」ということも、まったく思ってもみないことだった。でも、たぶん、私ほど適任はいないような気もする。
ちょうどなだれ込んでいたF田さんの奥さんに言うと、
「K住さんの文章を読むと、私もサイクリングをしてみようかなって、ちょっと思いますもん」
と言ってくれた。F田さんの奥さんも、絶対にバリバリのサイクリストにはならないタイプ。

S木くんが電話番号を教えまちがえたばかりに、Y崎さんはK松さんに電話をし、こうしてめぐりめぐって、私のところに話がきた。不思議なものだと思いながら、打ち合わせから戻ってきたS木くんにそのことを話した。
「ええっ! ボク、まちがえて教えちゃいましたか。すみません」
あわてて名簿をめくるS木くん。
「あれえ~」
見ると、なんと、名簿の方が違っていた!
「この名簿って、私がつくっ……」

人生、やはり、めぐりめぐっている??