なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

仙人と内緒の話

2006-09-28 22:19:44 | ビジネスシーン
一ヶ月ぶりに、仙人アートディレクター(勝手に命名している)のH岡さんが出社した。H岡さんはアートディレクター以外の顔も持つため常勤ではないのだが、一ヶ月ぶりというのは珍しいことだった。
「H岡さん、忙しそうですねえ」
「うん、忙しすぎて、何が何だかわからんよ」
と言いながらも、飄々と白湯をすすっている。急須にお茶っぱが入っていなければ、白湯を飲むという、なかなかの仙人ぶりである。

さて、東京へ行った話をし、浜野安宏さんの新しいプロジェクトとブログに書かれていた「無」の話をしていたら、それは般若心経だねという話になり、そこから「人は生かされているのだ」という話、「人間の欲望について」の話、政治とは、そしてまちづくりとは、について話が及んだ。
「自分でも、まだここまでしか考えがまとまっていないんだけどね」
という話はあまりにもレベルが高く、私がメモできたのは二十分の一にも満たない。様々な仕事をこなし、これだけのことを考えていれば、そりゃあ忙しくもなるわ、と思いながらも、やっぱり仙人だわあ、と思わずにはいられない。

それでも、一生懸命に聞いて、その中から一つでも二つでもわかりたいと思った。必死でメモをとったものを、自分の覚え書きのためにまとめておきます。
H岡語録――。

政治というものは、ある意味権力闘争の場であり、強欲に、あるいは強引に物事が進んでいきがちな世界なのかもしれないが、強引に進めれば進めるほど、本来市民に向けられなくてはいけない視点から離れていく。特に市政というものは、市民にとってもっとも身近な「生活のひだ」に目を向けるものであり、と同時に「明日への環境づくり」ということを常に考えていなければならないものである。

では、どうすればいいかといえば、「人として、どうあるべきか」を常に考えることである。際限のない欲望の中で、人として足るを知る心で、ないものねだりをするのではなく、あるものさがしの価値観を持ち続けること。
そのとき、自分は自らが生きているのではなく、生かされているのだという考え方のもと、自分というものをどこかに置いておくことが必要になる。そのとき、三つの視点が大事になる。
その三つの視点とは――。
まず、自分という視点。
自分を鏡で見るという視点。
そして、それをもっと遠くで見ている俯瞰した視点。
この三つの視点を持つことで、己から、もう少し普遍的なものにものの見方が変わっていく。

さらに、歴史を検証し、日本人の幸せとは何かを考えるべきである。人間の欲望を越えたところにあるはずの、おのずとあるべき姿が見えてくる。
何をしたかではなく、何をしようとするかが大事なのである。

戦後、日本は「いけいけどんどん」の価値観の中で、拡大路線のみで突っ走ってきた。今こそ、人間として生まれてきた役割を考えなければならない。
効率、拡大、数値主義だけの世界では、地に足のついた人間ではなくなってしまう。最近の様々な事件は、人としての何かを取り違えてしまった結果のように思える。人間の知恵として編み出した文化論を、もう一度考え直さなくてはならない時期に来ている。それによって、人としての精神の充足と、明日につながる何かが生まれる。

例えば、道路一つとっても、今まではただ広くきれいで便利な道を作ることだけがされていた。しかし、その土地固有のインフラ整備があるべきで、たとえば、人が歩くための「野の道」の整備を考えていく、あるいはその土地に蛍がいるのなら、蛍と共存しながら蛍を見るすべはないのか考えながら、そのための道をつくる。あるいは、田園風景がきれいならば、「どの時期に、どこから、どう見れば美しいのか」を考え、そのための整備をしていく。そうしたことを都市計画の中で考えて行かなくてはいけないし、今まで自然に対する施策があまりにもなさすぎた。人が手を入れることで美しくなる風景があるのだということとの兼ね合いの中で――。

どれだけH岡さんの言いたかったことが理解できたか自信はないし、理解できなかった部分は私のわかる言葉に置き換えてしまったり、そもそも書けなかったりする。ちゃんと話がわかるようになりたいなあ、と思うのと同時に、私はここにいられて本当に幸せだと思わずにはいられない。
こんなこと私にできるのだろうか、というたくさんのことが目の前に積み上げられようと、できる、できないをぐずぐず言う前に、とにかくやっていくしかないのだという現実。これはやっぱり、幸せなことなのだろう。

「いけいけどんどん」という言葉をH岡さんが発するたびに、なぜか妙にかわいらしく思えてしまったことは、内緒である。


へなちょこサイクリスト、40㎞を完走!

2006-09-26 23:26:07 | スローライフ

さて、「へなちょこサイクリスト、40㎞を完走!」の巻である。
「バルブ」についての勘違いでアホ扱いされようと、ちっともへこたれないのに、実際のサイクリングでへこたれるのがへなちょこサイクリストの真骨頂である。

内閣官房 都市再生本部のA山さんは、都市再生モデル調査のときの報告書提出先の担当者である。ご自身も自転車に乗られるということで、オフを使っての来掛であった。サイクリングに興味があると知ったS藤さんが、自転車のイベントがあるたびに案内を出し続け、今回につながった。東京、名古屋から4名の方が来て下さった。
そして、W大学のT田さん。彼女は自転車とスローライフをテーマに卒論を書くために、輪行(自転車を袋に入れて電車に乗ること)で掛川まで来た。
スタッフ含めてサイクリストは11名、サポートカーをI村代表が出してくれての出発となった。

自転車に乗ると気づくのは、風の匂いや空気の変化、風景の素晴らしさだけではない。道そのものの魅力に気づく。宮内さんもおっしゃっていたのだが、国道やバイパスができる前の道、人が生活のため、歩くために使っていた道を走るのは、どこか懐かしさを感じる。「こんな道、入って行けるの?」という驚きや、どこに行くかわからないドキドキ感もいい。

私が特に印象的だったのは、素堀りのトンネルへの道である。木立を抜け、ちょっとよそ見をしていれば右手の池に落ちてしまいそうな舗装されていない道。前方にごつごつした岩肌が見えてきたときには、それがトンネルだと気づかなかった。
素掘りのトンネル――。
実際に人の手が掘ったトンネルである。

今まで、大きくて、コンクリートで固められたトンネルが当たり前のトンネルだと疑いもしなかった。でも、これが人の通るトンネルなのだとまず思った。自分たちが通るために、自分たちの手で、汗水垂らして山肌を削っていったトンネル。

人は、自分の手できることよりも大きいことをし続けすぎて、人の手ができることの限界を軽々と越え続けすぎて、人としての分をわきまえることも忘れてしまったのではないだろうか。
自分の手でできることから、次は便利な道具を作り、さらには機械を作ってしまう……、そんなふうにどんどん途方もなく巨大なものを作り続け、破壊し続けている。最初はたぶん、自分の手でできることから始まったはずなのに。いい悪いではなく、自分の手にあまるもの、自分の足では到底行くことのできない遠くから運び込まれたものが当たり前になっている、そんな現実を素堀りのトンネルを見て思った。

トンネルの中は怖かった。人の手が作り出したトンネルは、人間の力、想い、叫び、様々なものがうごめき、しみついているような気がした。一人では絶対に通れない。でも、みんなと一緒に通るのは怖い反面、楽しかった。

さて、掛川のオススメコース、次に向かったのは五明の茶畑である。ここは彗星発見の場所であり、私自身、発見者の西村さんからいろいろなエピソードを直接伺っているので、それらを紹介したかった。……にも関わらず、上まで上がったときにはゼーゼー状態。
「はーい、K住さん、説明してー」
と言われても、
「は、はい……、ゼー、……ここは、ゼー、ですね……、ゼーゼー……」
というように、息が切れてちっとも説明ができないのだ。サイクリングのガイドになるための必須条件は、まず体力である。

次に向かったのは、長屋門のあるお屋敷。コース途中にある前掛川市長のお宅にもおじゃまさせてもらった。築180年の木造建築とその空気感に、「おおーっ」と声が上がった。

細谷駅周辺の直線3キロの道、通称「自転車滑走路」も走った。途中、季節はずれの桜が咲いていたけれど、「狂い咲き」はもしかしたら自分なのかもしれないな、などと考えた。もぐらのような生活をしていた私が、おひさまの下をサイクリストと一緒にすでに25㎞以上走っている。それ自体、自分で信じられなかった。

その後、市役所の裏手を通り、オーガニックファーミングの会場となっているキウイフルーツカントリーへ向かう。実はこのとき、自分ではすでに限界だと感じていた。でも、途中で自分だけやめるわけにはいかないという妙な意地と根性が出てしまい、結局走り続けた。
途中の激坂ではもうへろへろだった。後ろから背中を押してくれたYちゃりのY崎さんが天使のように見えたし、スイスイ上っていくサイクリストのOさんとOくんが、ただの食いしん坊でないこともわかった。彼らは普段、お菓子のあるときに限って匂いをかぎつけるように事務所にやってくる。

キウイフルーツカントリーに到着したとたん、ダウンした。
「K住さん、ロード用の軽い自転車を買えばもっと楽に走れるよ」
誰かの言葉に、YちゃりのY崎さんはこう言った。
「K住さんがもう少しまともに自転車に乗れるようにならないと、ロードバイクは売れないなあ。危なっかしくてしょうがない」

その後、七曲りと鉄砲屋に案内し、ようやく事務所まで帰ってきた。40㎞完走。新記録樹立の瞬間であった。

こんな機会を与えて下さった都市再生本の皆さん、本当にありがとうございました。
私にも40㎞、走れた!
この高揚感は、やはり狂い咲きか。

へなちょこサイクリスト、その気になる。

2006-09-25 23:31:50 | スローライフ

9月23日(土)は、自転車づくめの一日だった。
昼前からは、内閣官房 都市再生本部の皆さん、早稲田の学生さんと共に約40㎞のサイクリングを楽しみ(苦しみ?)、夜からはサイクルスポーツ前編集長の宮内忍氏の講演会を聴いた。昼前の「へなちょこサイクリスト、40㎞を完走!」の巻は、追って報告しますが、まずは宮内さんの講演会の様子を――。

講演会のタイトルは『自転車が生活を変える』である。冒頭、宮内さんは、ママチャリとサイクリングの自転車は違うのだとおっしゃった。たぶん私は、それを最も強く実感している一人だと思う。自転車がこんなにも快適なものだとは、自転車に乗ることでこんなにもものの見方が変わるものだとは、そして、自転車に乗るだけでワクワクできるということを、私は知らなかった。

NPOスローライフに関わって、初めて長く走ったのが約17㎞、その後20㎞、そして今回40㎞。着実に距離を伸ばしているとはいえ、まだまだ、すぐにへこたれる。
でも、宮内さんの言葉には、自転車でこのまちを実際走ったことがあるからこそ感じられる「そうそう、そうなんだよね」という言葉がたくさんあった。
そうした言葉の数々をご紹介します。

自転車は、いつもで、どこからでも、一人でも始めることができる。
サイクリングの魅力は、風を切って自分の力で大地を進むこと。
常にパノラマの景色が見える。空の大きさや匂いや空気が感じられる。
本のページをめくるように、いろいろな風景を楽しむことができる。
よく見たければすぐ止まることができるし、行き止まりだったら戻ればいい。迷っても平気。
点から点への旅を、自転車は線をも楽しむ旅に変える。

う~ん、サイクリストって詩人だなあ~。
何人ものサイクリストと知り合いになり、何人もがサイクリストになっていくのを見たけれど、サイクリストはみんな詩人だ。そんなふうには見えなくても。

環境志向、健康志向の中、団塊の世代の一斉退職を前に、さらに京都議定書の発効も追い風となり、サイクリングを楽しむ人はさらに増えるだろうと宮内さんはおっしゃった。NPOスローライフは、今まで行ってきた自転車の事業を通じ「ただ自転車に乗るだけで、まちづくりにつながる」と言い切った。団塊の世代の方だけでなく、もっとたくさんの人が自転車に乗り、地域の魅力の再発見ができればいいと思うし、自転車に乗ってこそ、人と車とサイクリストの三つの気持ちがわかるというものだ。視点が増えることは、その分だけ周囲に心をくだく幅も広がるということだと思う。道のことも、環境のことも、まちのことも。

さて、自転車はイーブンペース(同じペース)が大事なのだそうだ。抜かされたからといって抜き返すような子供じみたことはしてはいけない。

さらに、ケンケン乗りをしてはいけない。(自転車を変えても相変わらずケンケン乗りをしている私は、こっそり小さくなった)

そして、タイヤに空気を入れるところを「バルブ」というのだそうだ。(講演を聞いていたときは、黒い小さなふたが「バルブ」だと思い込んでいたのだが、それはやっぱり「キャップ」だった)

いやあ~、世の中、知らないことが多いものだ。
道具類やメカニズムが複雑で、自分でパンクが直せないと遠出もできないサイクリングだが、宮内さんは「メカニックが苦手な女性の方も、心配しないで下さい」とおっしゃった。
「こうしたNPOのガイド付きサイクリングに参加すれば大丈夫。サイクリストは教えるのが大好きです。みんな、すぐ口を出し、手を出してくれます。こういうのを『女王様サイクリング』と言います」
会場は大爆笑だった。宮内さんの口調が飄々としているから、さらに面白かった。

最後に、宮内さんのオススメのコースである。
「私が知る限り、世界一の自転車コースは、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ通称『しまなみ海道』と呼ばれる道。この道は素晴らしい。飛行機の視点で海を見ることができる」
ぜひ、行ってみたいと思った。距離は約80キロ。私の場合、20㎞、40㎞、と来てるから、次は80㎞という気がする……。
似合わないヘルメットをかぶり、しまなみ海道を颯爽(?)と走るインドア派サイクリスト。そのへなちょこぶりを見る日も、そう遠くはないかもしれない。

宮内さん。わかりやすく、楽しく、そして「自転車に乗ってみようかな」「遠出をしてみようかな」とその気にさせるお話をありがとうございました。
自転車に乗ることで、確かに生活は変わります。

※画像はサイクリストのOさん撮影。私の撮ったのは、ブレてました。


マジか、シャレか

2006-09-22 21:16:15 | スローライフ

9月23日(土)、サイクルスポーツ誌前編集長宮内忍氏の講演会が行われる。講演のタイトルは、「自転車が生活を変える」である。

宮内氏との出会いは、都市再生モデル調査のアドバイザー会議の席である。私もまだまだ初々しさが残る頃で(と言っても、たった2年前だが)、編集長と呼ばれる方に会うのも初めてで、かなり緊張していたのを覚えている。宮内氏の第一印象は、穏やかそうで、冷静そうで、飄々としている感じの方、だった。

冒頭の写真は、アドバイザーの皆さんがレンタサイクル試乗実験をしているときのものである。宮内さんは、集合場所の掛川グランドホテルに到着すると、今まで着ていたスーツをおもむろに脱ぎ始め、てきぱきと、そして颯爽と、自転車を乗る格好になってしまった。ズボンのすそにはちゃんとバンドが巻かれていた。
一緒に掛川市役所まで走ったのだが、ホントに自転車が好きなのだと感じられた。

さて、アドバイザー会議で、印象的な言葉がいくつもあった。
「茶畑というのはただ一つの斜面だと思っていたが、手のひらを広げたように谷に落ちていき、上は真っ平ら。すごく複雑な地形で、まさに異空間だった」
「ガイドツアーの良さは、観光スポットから観光スポットに行くのに、いちばんいい道、いちばん素晴らしいコースをたどって行けることだ」
「旅の本質は非日常。『塩を作ったり』『歴史的建築物の中で食事をする』のは完全な非日常。コースにどう非日常を組み込むことができるかが大事」

掛川の良さを、東京から来た宮内氏にたくさん教えてもらった気がする。
その頃ママチャリだった私も、今はシティーサイクルに乗っている。この自転車なら、神明町の坂道もスイスイだし、五明の彗星発見の場所だって、1回降りただけで上ることができた。自転車がこんなにも気持ちのいいものだと、周りの空気や景色まで違って見えるのだということにも、気づかせてもらった。

講演会では実際の自転車を用意してのレクチャーがあるらしい。はじめ、ロードバイクだけの予定が、マウンテンバイクも追加になったことを、S藤さんが話す電話口での会話で知った(いえ、聞き耳をたてていたわけではありません……)。

さて、講演会『自転車が生活を変える』は、自転車に乗る人も、乗らない人も、これから乗ろうとしている人も、私は絶対乗らないと思い込んでいる人も(私はコレでした)、オススメです。全国誌の編集長が何を話すのか、自分の耳で、目で、身体で確かめて下さい。

おまけに宮内氏のエピソードを一つ。
連絡事項のメールをいただいたとき、結びの言葉にこんな言葉があった。
「マジはご報告まで」

これは「マジ」か、「誤字」か、「シャレ」なのか。
いまだに謎である。
明日の宮内忍氏の講演会をお楽しみに!


掛川ライフスタイルデザインカレッジ
ベーシックプログラム[9月フォーラム]

宮内忍氏 講演会 『自転車が生活を変える』

●日時 平成18年9月23日(土) 19:00~21:00
●会場 掛川グランドホテル
●講師 宮内 忍(みやうち しのぶ)氏
     サイクルスポーツ誌前編集長
     株式会社八重洲出版部長

※ちなみに、写真に写っている5人のアドバイザーを
 全員答えられたら、あなたもかなりのスローライフ通。
 コメント欄に答えを書かなくていいですからね。


京都へ

2006-09-20 23:40:38 | Weblog

今日はお休みをいただいて、京都へ行ってきた。
一週間の間に東へ西へ、私もアクティブになったものだ。

さて、京都行きは、なんと高校の修学旅行以来。
建築物を見たり、軒を見たり柱を見たり、風景を見たり、空気感を感じたり、街の喧噪を感じたり、路地を見たり、町並みを見たり……。撮影したデジカメの画像を見たら、道や、通りや、細い路地や、町並みの佇まいといったものをたくさん撮っていた。

京都は、掛川とは比べものにならないほどたくさんの(しかも質の高い)財産がある。なのに、途中で乗ったタクシーの運転手さんは、京都や京都市行政についてのぐちを言っていた。
「おっちゃん、ないものねだりをしてないで、あるものさがしをしなよ。あんたらのまちは、こんなにも素晴らしいじゃん!」
とは、とても言えなかったが、観光客へのおもてなしの第一歩は、自分のまちを誇ることなのだと思った。

さて、K造さんオススメの、町屋をそのまま使った喫茶店にも行ってきた。おいしいコーヒーを飲み、おいしいコーヒーのお土産も買った。自転車のガイドツアーを実施しているお店に行き、ちょっとだけ取材もしてきた。
忙しい時期にもかかわらず、お休みをいただき本当にありがとうございました。

冒頭の写真は東山の哲学の道を、哲学のことなどまったく考えずに歩いているところである。

途方もない

2006-09-19 20:15:32 | ビジネスシーン
先日、東京に行ったときのことである。
御殿場を車で通ったとき、
「帰りにアウトレットに寄りたいね」
という話になった。
「アウトレットって、何ですか?」
私が言ったとたん、車に乗っていた全員がのけぞった。
「K住さん、本当に知らないの?!」
「は、はい。どうしてみんなは知っているんですか?」
「なぜ、あなたのところにだけ情報が届かないの? そっちの方が不思議だよ」

興味のあることについては極端に調べたがるのに、興味のないことは頭の中を素通りするたちである。テレビは全く見ず、新聞は日経新聞に変えてから、それでなくても弱い社会面がさらに弱くなった。インターネットでニュースをチェックするが、興味のあるところしかクリックしない。
「しかし、東名のインターが渋滞して、専用のインターがもう一つできたっていう社会現象だってあったんだよ。知らない方がおかしい」
確かに、自分の興味がどうこういう前のレベルである。

しかし――。
最近、日経新聞の連載コラム「日記をのぞく」の中で、鳥居耀蔵(とりい ようぞう)が取り上げられていた。悪名高い江戸時代の役人であり、妖怪と呼ばれた男でありながら、晩年の人情味あふれるエピソードが紹介されていた。

私には、そちらの記事の方が断然興味がある。記事の中で紹介されていた童門冬二の『妖怪といわれた男 鳥居耀蔵』(小学館)や、平岩弓枝の『妖怪』、宮城賢秀の『妖怪犯科帳』シリーズをすぐにでも読みたくなる。

そんな具合で自分の感覚にフィットすることが見つかると、猛然と突き進む。周りは見えない。いちおー大人なんで、日常生活はフツーにしているように見える。
と、こんな構図で、一般的に知っていて当たり前のことを案外知らない。
「それも知らないの?」
よく言われる言葉である。

今までは、それでいいと思っていた。
でも、今は、文章を書き、それでお金をいただくプロである。
今日、静岡行きの新幹線の中で、S藤さんにこう言われた。
「価値観の幅を持たなきゃだめだ。あなたは表現者だろう。あなたと同じ価値観を持つ人だけでなく、賭け事で借金しまくるようなオヤジの心にも、飲んだくれるヤツの心にも響くような文章を、感動させられるような文章を、あなたは書かなきゃいけないんだ」

いったい私は、どれだけのものを体験し、感じ、どうやって表現していけばいいのだろう。それでなくても読みたい本は山ほどあり、調べたいことは山ほどあり、それらは次から次へと増えていくというのに。
「積極的試行錯誤だよ」

感性を磨くということは、表現するということは、なんと途方もないことだろう。

必然の先に

2006-09-18 21:15:50 | ビジネスシーン

先週、東京に行ってきた。
浜野安宏さんが総合プロデュースを務める建築の、その工事が始まる前の一週間だけ、東京の一等地(青山通りと骨董通りが出会うあたりの2000畳もの土地)が白い砂利で敷きつめられ、土地を休ませるというのだ。
何もしない、真っ白な一週間。
この空白は無空ではない。無垢な大地に還元して壮大な構想にむけた、新たな楔を打ち込もうとする第一歩。(と浜野さんのブログに書いてあった)。
真っ白い砂利の上に立ち、自分が何を感じるのか試してみたかった。
だから行ってきた。

当日のアートイベントは招待状がないと入れないということで、でも、浜野事務所にご挨拶に行くこと、会場の様子を表からでも見ることができればそれでいい、それだけで十分すぎるほどだと考えていた。
ところが!
な、な、なんと、事務所には浜野さんご本人がいらっしゃって、会場をご案内して下さるというのだ。まさに、天にも昇るような気持ちだった。

会場は白一色。スタッフの方たちが忙しそうに動き回り、出演者の方たちがリハーサルをしている。夜、照明に照らされた白はどんなふうに輝くのだろう、出演者の方たちの動きはきっと息も止まるほどのものだろう。そんなことを考えていたら、胸がいっぱいになり、呼吸が苦しくなるようだった。……というより、その時点ですでに舞いあがってしまっていた。とても、「無」の境地を感じる、なんてことはできなかった。

でも、その場に立てたこと、様々な方のご厚意を感じることができたことは、何にも代え難い経験だった。

だから、どんなに忙しくても行かなくてはならなかった。
これは偶然ではなく必然なのだ。
バラ色の未来やこうありたいと願う生活や出会いは、突然やってくるのではなく、必然を積み重ねた先にしかない。


米(こめ)への愛

2006-09-16 23:47:57 | スローライフ

今日、掛川ライフスタイルデザインカレッジのベーシックプログラム「うまさ120%のご飯を食べる~田んぼウォッチング&ごはん炊き」のワークショップが行われた。
土なべでごはんを炊く、田んぼを見る、クイズに答える、という身近なところからスタートし、知らないうちに、米の科学、農業とは、景観とは、そして現代農業の矛盾、社会のあり方まで話が広がり、深まっている、奥行きのある講座だった。しかも、楽しくて美味しい。講師長坂潔曉(ながさか きよあき)氏の哲学と心意気の感じられる講座だった。

米のとぎ方、水のつけ方、水の分量の話では、どうやるのか、なぜそうやるのか、といううんちく話が語られ、受講生たちは懸命にメモを取る。会場は、「毎日食べているごはんを美味しく食べたい!」という意欲と熱意がみなぎっていた。私など、自分が日本人であること、米の飯(めし)を食べる民族なのだということを思い出させてもらったような気がした。

今回、講座会場を提供して下さったキウイフルーツカントリーH野さんの田んぼも見に行ったのだが、ここでもうんちくが語られる。うんちくばかりなのだが、これが実に楽しい!
押しつけがましさが全く感じられないのは、長坂氏の米への愛があるからだろう。

さて、現在一反の田圃でできるお米の量は平均8.5俵だという。H野さんの田んぼは有機農法(無農薬、無化学肥料)で6俵。でも、現実にはその倍12俵ないと、農家として生計を立てられないという産地もあるという。
では、どうやって12俵作るのか。
答えは簡単。
苗を詰めて植えればいいのである。詰めて植えると当然、日も行き届かず、風通しも悪い。根の張りも悪いひょろひょろの病気にかかりやすい稲になる。そのため、農薬に頼ることになる。
「病気になれば薬を与える、というのが今の農業の大半。病気にならないような稲を作ることこそ本当なのに」

江戸時代、遠州掛川米は「おいしいお米ランキング」で日本一だったことがあるという。それを知ったとき、長坂氏は「産地は関係ないのだ」と思ったという。
「与えられ場所で、精一杯の仕事をする、最高の仕事をすることが大事なのだと感じた」
この言葉は、米ではなく、自分自身に言われているような気がした。

さらにこの話。
江戸時代の人に比べて、現代の日本人は米を食べる量が減っている。米の需要が減り、だから減反になり、そのせいで効率化が進み、そのため化学肥料が日本の農業を支えるという図になってしまった。ある意味、現代の矛盾の構図というものを、私たちに気づかせてくれた。

土なべで炊いたごはんがうまかったのは言うまでもない。炊きあがるまでのいい匂い、おなかがすいた、早く食べたいな、という待ち遠しい気持ちになれたことも、土なべでご飯を炊くことの現代における意義のような気がした。
来年度は、アクティビティプログラムの中で、ぜひとも全5回講座で企画を考えてみたいものだ。

さて、印象的だった長坂氏の言葉をメモにしておきます。

・米というのは、どれくらい自分が水を抱き込めば美味しい米になるか、米自身が知っている。
・もう「米を研ぐ」という言葉は廃止してもいいのかもしれない。貯蔵技術や精米の技術が悪かった時代には、経験値としてしっかり研いだ方が美味しく感じたのだろうが、今は、ザーッと洗ってササッと水を変えるくらいでちょうどいい。
・稲という植物は、常に新しい可能性を模索し、自分自身で新しい種を作り出す。
・田んぼを見て「自然がいいですね」というのは間違っている。人の手が加わり、人が手入れをしてはじめて美しい里山の風景はつくられる。
・土なべで炊いた米のうまさに、人は魅了される。

最後に、「美大出の長坂先生です」の紹介に、長坂氏は「いえ、私は美大出くずれです」という答えを返してきた。
この返答から感じられる何かに、私は共感する。
長坂さん、哲学と心意気のある講座をありがとうございました。

五ツ星お米マイスター長坂潔曉氏のアンコメ通信はこちら。
http://www.tokai.or.jp/ankome/

言葉をつかむ

2006-09-13 23:58:16 | ビジネスシーン
最近、数字に弱い。
銀行に10年勤め、日銀主催の家計簿大賞なるものをかつて受賞し、自分は左脳人間であり、感覚的なものより論理的に物事を捉える方が得意だと思い込んできた。
なのに……。

見積書を作るため原価を計算しようとした瞬間、頭の中が真っ白になる。
なぜ? まるで空白状態みたいに。
計算機を前に頭を抱えていたら、K造さんがやって来た。
「得意なはずの計算が、最近、なんだかとても苦手なんです」
落ち込む私に、K造さんはあっさり言った。
「そりゃあ、あんた。なだれ込み研究所の仕事をしていたら、右脳がどんどん肥大して、左脳は脳のすみに小さく追いやられるわな」

K造さんとの会話その2。
「なだれ込み研究所でよく使う『振り幅の問題』だがな、わかりやすい例を考えてきた」
「教えて下さい!」
「いいか。スーパーマンは、普段うだつの上がらない新聞記者がスーパーマンになる。遠山の金さんは、普段はやくざな遊び人がお奉行様だ。振り幅があるっていうのは、そういうことさ」

その3。
「オレがこの事務所でいろいろ話しても、ブログに書くのは難しいだろ」
「はい、その通りです。どうしてでしょう?」
「それはな、オレが言葉にしにくい言葉で話しているからさ」
「ど、どういうことでしょう?」
「商売柄、心に言葉として残らないような話し方をしているうちに、それがしみついてしまったのかもしれないな。言葉よりも雄弁に語るものがある、オレはその価値がわかっていて、その価値を感じることのできるヤツは感じ取ることができる、感じ取れないヤツはそのままだ。何も残らないが、そのときの感じは残っている。そういうことに価値があると思っている」

特に「その3」については、うまく言葉にすることができなかった。うまく表現することができない、のではなく、それ以前の、言葉としてつかむことができないのだ。そのときは、ちゃんと聞いてちゃんと「わかった」と思うのに。

いつの日か、『K造語録』なるものをまとめたいと思っている。言葉にできない面白さや奥深さやわけのわからなさ。これらを言葉で表現するのは難しそうだ。「それこそ、野暮ってもんさ」という声が聞こえてきそうだが、でも私は表現者。その世界を「これでどうだ!」と表現したい。ただの負けず嫌いなのかもしれないが。

「あんたが酒楽(男衆の行く飲み屋です)に一人で行って、男衆の邪魔にならない存在感をもって、一人、コップ酒を飲みながら新聞を読んでいられるようになれば、書けるようになるかもしれないな」
K造さんはそう言って、「じゃあな」となだれ込み研究所を去っていった。