なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

校歌はなぜ泣けるのか

2007-02-28 00:34:06 | ビジネスシーン
宮沢和史が母校の校歌を作ったという。校歌を聴いて、涙が出そうになった。
子どもの歌声というのは人の心を震わせる。でもそれは、感傷ではないと私は思う。
では、なぜ涙が出るのか。

この校歌を聴く前に、校歌を作るに至ったエピソードや、想いを綴った文を読んだ。
宮沢和史は、子どもたちに「こうであって欲しい」などと言えるとは思わないが、校歌の中で一つだけ願いを込めたフレーズを書いた、と記している。私が思うに、そうした背後にあるストーリーに琴線が触れたのだと思う。

雨が降る日は人の傘となり 風が吹く日は友の手を引く

たった一つだけの願いを込めたフレーズ。このストーリーが、歌声を聞いて心の中の一番柔らかい部分に触れたのだと思う。子どもの歌声というのは、大人になると二重にも三重にもくるんで覆い隠してしまうそうした部分を、むき出しにする力がある。
それは子どもが無垢だからでも純粋だからでもなく、誰でも持っている部分。

1年生から6年生、男の子も女の子も、歌が上手な子もへたっぴな子も、一生懸命歌っている子もつまらなそうに歌っている子も、いっしょになって歌うハーモニーは、音がはずれてようと、そうした心の柔らかい部分に確実に届く。そして、柔らかい感性は、背後にある物語と、子ども時代の自分、あるいは今の自分と重ね合わされて感情を震わせる。

……こんな分析をする必要はまったくないのだけれど。
校歌をどうぞ。
舞鶴小学校の校歌です。

http://www.maizuru-e.kofu-ymn.ed.jp/kouka.html

浜野語録追加

2007-02-26 22:59:02 | スローライフ
フォーラム当日、メモした紙はA4の裏紙15枚。そしたら、バッグの中に1枚しわになって残っていた。よかった~、何かが足りないと思っていた。

その16枚目と、書き忘れを追加します。

近代の按分主義が社会を悪くした。日本全体が同じでなくていい。格差社会でいい、地域格差がもっとあっていい。例えば、人が入ってこない地域があっていい。セイシェルみたいに1日限定30人しか入らなくていい。夕張市も夕張メロンだけで食っていける人口でいい。

浜野だからできるんじゃない。どの地域でも、誰でも、やったら面白いことが山ほどある。これからは人間のやる技が商品になる。天才の誘致と私は言ったが、誰かが天才になればいい。

「バリ島ヌサドゥア地区リゾート開発」に関して、この仕事を成し得たとき、村中の人が喜んでくれた。銅像を建ててくれると言った。しかし私は断った。この仕事は私がえらいのではなく、このプランを選んでくれた村長がえらいからだ。私は用心棒で、ただプランをたてただけだ。


浜野語録「やったらええ」

2007-02-25 23:36:57 | スローライフ

2月24日、掛川ライフスタイルデザインカレッジ2月公開フォーラムが美感ホールにて行われた。受講生だけでなく、市内外から一般の方の参加も多くあった。当日の朝、事務所に電話があり、「著作を読んでいてファンだったが、講演が掛川であることを新聞で知った」と、静岡からかけつけてくれた参加者もいた。
浜野安宏氏 トーク&ディスカッション『ニュー・ライフスタイルの創造+まちづくりに重要提言あり!』。語録を作成したのでご堪能下さい。

地球はどのみち滅びると言われている。では、どうせ滅びるからと享楽の道を行くか、それとも滅びるのはわかっていても一時間でも先に延ばす努力をするか。私はナチュラリストだから後者を選ぶ。

どこに行っても同じものしか売っていない郊外型のショッピングセンターが嫌いだ。安心安全とパッケージがしてあるが、昨今の世を騒がせている事件を見れば、それが決して安心安全でないことはよくわかる。日々、企業のトップが黒っぽい背広とネクタイをして頭を下げ続けている。あれは嘘つきの服だ。嘘つきの売場だ。
昔は正直な売場だった。流通の基本は「浜野さんの作ったものを田中さんが買う」という手渡しの商売だった。
「浜野さんが作ったものだから安心」
「田中さんが買ってくれるから一所懸命作ろう」
そうした関係は、今、朝市や地産地消に受け継がれている。パック詰めされているものよりも、よほど安心だ。
こうした嘘つきの売場が主流になっているのは消費者が悪い。手渡してくれる売場を大事にしないからだ。
火だるまの列車から飛び降りる勇気がない。回転している列車に乗っていた方が楽だから。
列車から飛び降りなくてはだめだ。それがひいてはまちのため、日本のため、世界のため、地球のためになる。

コンセプトは明確なビジョンに裏付けられたものでなければ説得力を持たない。ビジョンは肉体と精神の包括的な活動の中から、ごく自然にわき出てくるものだ。ビジョンはネイチャーが与えてくれる。私がやろうとしていることは、ネイチャーから授かったビジョンに基づいて創ったコンセプトの実践普及である。

ブランドには神話、レジェンド(伝説)が必要だ。体験に裏付けられたストーリーが必要だ。釣り狂っている私にとって、心臓が止まるような歓びの体験。そこから「FoxFire (フォックスファイヤー)」が生まれた。

私自身、一番自慢に思える過去の仕事は、30年前に提案したバリ島におけるリゾート開発である。バリ島の開発コンペで、私は木より大きな建物を建てないプランを提案した。私は建築家ではないから、建物を隠すのも仕事だ。低層の建築にしたのはもちろん自然との調和もあったが、もっと重要な理由があった。
バリ島にはヒンズーバリズムともいうべき宗教的精神があった。それは、15世紀にジャワ本島から迫害を逃れてきたバリ人が、芸術家、僧侶、学者といった文化人ばかりを祖先に持つ人種であることから生まれている。冠婚葬祭や儀式には踊りや音楽など様々な芸術がつきもので、それらはバリ人の日常でもある。
高層建築にすると何がいけないか。高層建築を建てたら絵描きやダンサーはメイドやベルボーイになってしまう。踊りや音楽はホテルの中庭だけのものになり、これでは文化ではなく芸人の世界になってしまう。低層建築は作業効率がよくない。開発を制限したから、文化が日常のままでいられた。

日本では、ストリートに価値のある建物や店ができはじめると、そのあいだあいだの土地を金持ちが買いあさり、土地を買えない値段にして、買い逃げてしまう。まちを育てたいのに、いいまちになるひまがない。若い人がおもしろい街をつくるひまがない。

莫大なエネルギーを使い、遠くまで仲間を連れて行き、フライフィッシングすることのジレンマは感じる。しかし、そこで体験したからこそ、仲間たちが地球や地域のための仕事をしてくれることも事実。一人の男の旅が地域を救ったこともある。しかし、そうは言ってもそれは言い訳かもしれなく、単純な罪ほろぼしで何かしようとしているのかもしれない。いつも反省しながら、謙虚に生きているつもりだ。

自分の意志で遊ぶことが「遊ぶ」であり、心が遊んでしまうことが「游ぶ」なのだと、意図的に使い分けている。私はどこにいても遊んでしまう。今、こうして講演していても、観客の顔を見て、一人ひとりどんな顔をしているか楽しんでいる。働いていても、まちを歩いていても、遊んでしまう。遊びがわかるか、わからないかはとても大事。遊び人でなければ自然は守れない。遊び人でなけれは自然は見えない。

遊漁権を持っていても、遊漁料だけでは食べていからない。ではなぜ持っているか。いずれダムが出来たとき権利を持っていた方が得だから。魚を愛していないから、魚を釣る自分を愛していないから、川を愛していないから、平気でダムに権利を売ってしまう。それが日本の悲劇だ。

釣りにつられてやってきたが、掛川は案外川から遠い。それでも、まちのほどほどのよさにやって来てしまう。掛川は「楽(らく)」な感じがする。人の笑顔もいい。ほどほどに楽で、ほどほどに楽しい。これはとても大事なことだ。嫌にならない。なじんでしまったのかもしれないが、ほどほどの良さを求める人のために、観光と合わせてそのほどほどの良さを商品化したらいい。やったらええ。

これからは、好きなところに移住、定住していく時代になる。旅行、験住(ためしに住む)、移住、定住というように好きな場所を探す時代。
日本は豊かだというけれど、本当に豊かだろうか。本当の豊かさを提供してあげよう。
国のブレーンになろうと思った時期もあったが、オレの言うことは反対が多いだろうなと考え、こうして動くブレーンになった。「オレ」と「私」を使い分けるのは意図的。「オレ」と言った方がカッコいいときは「オレ」と言う。
「その土地がオレを呼んでいる」

そう、浜野さんはトラベリングウィズダム(旅する知恵)なのだ。



さいは投げられた

2007-02-23 21:57:01 | スローライフ
「明日、どーなるかわかりませんが、細川さんへ持参する手紙のたたき台を書いててもらえませんか?」
S藤さんからメールが来たのは昨日の夕方6時過ぎ。「細川さん」とは元内閣総理大臣の細川護煕氏である。
当然の反応として「ひょえ~!」と思った。
さらに追い討ちをかけるようにメールは続く。

「連絡もなく直接伺ったご無礼のお許しを願いつつ、 著書を読み、ライフスタイルプロデューサー浜野安宏氏からもお話を伺い、さらには掛川前市長榛村純一氏の掲げたローカリズムの発展を市民で成し遂げたいと思ったので、ぜひ、掛川の地でライフスタイル論を聞かせて欲しい……というニュアンスで」

細川氏の著作を読み、語録を作成し、そして今回の手紙を書き……、そうしてやればやるほど、掛川ライフスタイルデザインカレッジにぜひ来ていただきたいと強く想った。心からの手紙を書いた。どんなに忙しくても、今、行かなければならないと思った。

そして今日。
S藤さんとK造さんの2人が湯河原に行ってきた。何もわからない状態で、でもご自宅にたどり着き、ご本人にはお会いできなかったものの、陶芸のお弟子さんに手紙と資料を直接お渡しすることができた。
これで、たとえば浜野さんとの対談が実現できれば、なんと幸せなことだろう。
さいは投げられた。

そして明日は浜野さんのフォーラムです。
会場は美感ホールなので、参加される方はお間違いのないよう。
心ワクワク、身体はヘロヘロ、仕事はバタバタ。それでもこれは、間違いなく幸せなことなのだと思う。
明日、遠足前の子どものように、熱が出ないことを祈ります。

カレッジの原点

2007-02-19 21:49:48 | スローライフ
銀行で営業の仕事をしていたとき、お客さんに商品をすすめるのがいやだった。たとえそれがいい商品だとしても、今、本当に必要なのか、将来この人のためになるのか、今しか見えない自分がすすめるのがこわかった。
2/24(土)に行われる公開フォーラムは、そんな私が、今、心からすすめられる講演です。きっと、何かを与えてくれる。

掛川ライフスタイルデザインカレッジ2月フォーラム「浜野安宏トーク&ディスカッション」は公開フォーラムとなった。タイトルは『ニュー・ライフスタイルの創造+ まちづくりに重要提言あり!』。前半は浜野氏のトーク、後半はS藤、アンコメN坂両氏を含めたディスカッション。20年前から浜野氏の言葉に揺さぶられている二人である。

実は「掛川ライフスタイルデザインカレッジ」は、浜野氏の著作『質素革命』が大きなヒントとなっている。「ニュー・ライフスタイルの創造」は、その原点を語ってもらうというもの、「まちづくりに重要提言あり!」は、浜野氏がS藤さんのところに直接電話をくれたとき、「この言葉、入れておいて」と言った言葉である。
その著作を読み、発信する情報の力、その感性、人の行動さえ動かしてしまう表現力に遅ればせながら心を揺さぶられた私にとって、今からとてもワクワクする(それ以上に今から張り切って、知恵熱が出そうな)講演である。

『質素革命』は、倹約や清貧の奨めではない。地球環境と都市文明を調和させ、最新のテクノロジーをも駆使したハイセンスなライフスタイルの実顕的探求であり、ライフスタイル・デザインによる地球との共生、産業構造革命までも視野に入れたメッセージである。(「MARC」データベースより)
この『質素革命』の出版は1971年。35年も前の著作に、時代がようやく追いつき始めた。私たちがようやく、「なるほど」と思える時代になったのだ。

2003年に改訂版『新 質素革命』が出版された。その中から、私が心を揺さぶられた言葉の数々をご紹介します。

質素に人間を再確認する。産業のめざしていたものが何であったかをもう一度考えてみる。自分自身の幸福、人類全体の幸福が何であるのかをよく自問してみなければならない。
今、私たちの新しい生活の発見、そのための原点である人間の本当の姿の発見をめざす時がきている。この何者かに独占された狂気の時代をもう一度多くの人間のものに奪い返すのは、一人ひとりの本気の生き方いかんにかかっている。

食を守るのは想いである。美味しいものを健全に食べたいという願いがないかぎり、どうしても自動作用に流される。まずはスローに自分の生活を革命してみることが必要だ。

だが、思い出してほしい。かつて日本には質素だがもっと良いものがあったことを。豊かな心情があったことを。ホンネがあったことを。それが過剰な産業の一人よがりな発展と、それに追いまくられる生活のために、テラ銭稼ぎ的デザインのマニアワセ商品のハンランとなってしまった。そこには人間の生活全体を見通す包括的なコンセプトも、すじの通った生き方も、美しいものを美しいと感動する心も消し飛んでしまった。産業の利潤追求の亡霊が飛び交っているだけである。

自分で棲みつきたいと思える、愛着の持てる自然や生活があれば、人々は破壊することも、汚すこともしなくなる。そう思える自然や町や生活は少なくなってきたけれど、そう思えるうちになんとかしたほうがいい。

受講生以外の方も先着100名まで無料で参加できます。さらに、50名までは浜野さんを囲んだ懇親会にも。お申し込みはNPO法人スローライフ掛川まで。

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掛川ライフスタイルデザインカレッジ [2月フォーラム]
浜野安宏氏 トーク&ディスカッション

『ニュー・ライフスタイルの創造+まちづくりに重要提言あり!』

■日時/平成19年2月24日(土)
受付14:30~ 開演15:00~ 終了18:00

■会場/掛川市美感ホール 多目的ホール
(JR掛川駅南口より徒歩2分)
掛川市亀の甲1丁目13番7号

■講師/浜野安宏(はまの やすひろ)氏
ライフスタイルプロデューサー
http://www.teamhamano.com/

■内容/
第1部トーク「シンプルシックライフの提案」
第2部ディスカッション「遊びが生活を変える」

※フォーラム終了後懇親会を開催します
19:00~ 会費5,000円 定員50名(事前申し込み制)

≪参加申込書≫ project@slowlife.info まで 
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2/24 浜野安宏トーク&ディスカッション
 ①参加者名                 
 ②住所 〒               
 ③メールアドレス 
 ④電話      
 ⑤ファックス       
 ⑥懇親会(5,000円)  □参加   □不参加
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文章の力

2007-02-18 20:00:45 | 読書日記
文体とは言葉の選び方であり、並べ方であると私は思う。想いを表現するために、言葉を選び、並べ、文体というリズム・心地・空間ともいうべきものになって他人に伝わる。その人独自の、文章の力である。
ここ数日間で、私の心に届いた「文章の力」の数々をご紹介します。

細川護煕氏『明日はござなくそうろう 細川護煕 リーダーの条件』ダイアモンド社・1991年刊より

いったい何のために学問をするのか。それは深い教養を身につけるためだということでしょう。教養とは、ひと言で言うなら「思いやり」があるということです。

「青年」とは、闘う意志を確固として持った者のことであって、70歳でも80歳でも世の不条理に対して、あるいは自らの掲げている精神的、肉体的、社会的目標に向かって闘う意志を持った者は紛れもなくそれは青年である。

柔和を以て方便となすという言葉がありますが、態度において柔和、事において剛毅、それが清のジェントルマンというものでしょう。

細川護煕氏『権不十年』日本放送出版協会・1992年刊より

読書することは、なんといっても最高の愉しみである。それは我々を日常の世界から非日常の世界へと導き、過去から未来にわたって、思索の旅にいざなってくれるからである。中国の歴史家司馬遷は、一日のうち二時間だけでも別世界に住み、その日その日の煩悩を絶つことができれば、それは精神と肉体の牢獄に閉じこめられている人たちから羨望される特権を得たことになると言ったが、このような非日常体験は、ある意味で旅をすることと同じ効果を持つ。

塩野七生氏『ローマの街角から』新潮社・2000年刊より

「どれほど悪い事例とされていることでも、そもそもの動機は善意によるものであった」
ユリウス・カエサルのこの言葉は、人類はなぜ性懲りもなく同じ過ちをくり返すのか、と考えあぐねていた私を救い出してくれた。
そうなのだ、と私は思った。そうなのだ、動機の正否などは関係ないのだ。動機ならばみな、善き意志の発露だからだ。問題は、その善き動機が、なぜ悪い結果につながってしまうか、である。
人類が歴史から学ぶことがいっこうにできないのは、動機を重視するからである。動機の正否にこだわるあまり、その動機が結果につながる過程への注意を怠ってしまうからである。

浅田次郎『蒼穹の昴』講談社・1996年 乾隆帝(の魂)と西太后の会話より

「そちは類い稀なる胆力と頭脳を持ったおなごじゃ。五千年の歴史に幕を引く者は、そちをおいて他にはおらぬ。そちは天に選ばれたのじゃよ」
「午前年の歴史、って――?」
「堯舜の昔より連綿と続く、この国のしくみじゃ。帝が政をなし、官が民をしいたげる、長い長い歴史じゃ。そちは鬼となり修羅となって国をくつがえす」
「やだよ、そんなの……ひどいよ、みじめすぎるよ……」
「そう、ひどい。みじめじゃ。しかし最も才ある者は、最もみじめな思いをせねばならぬ。最も過酷な使命を負わねばならぬ。しれは天の摂理じゃ。わしが生前そうであったように、そちもまた、世人の決して理解できぬ苦労をなめねばならぬ。そして、そちにはそれをなしうるだけの天賦の才がある」



[予告編]掛川ライフスタイルデザインカレッジ2007

2007-02-14 19:48:32 | スローライフ

2年目となる「掛川ライフスタイルデザインカレッジ2007」のパンフレット案が上がってきた。デザイナーのK出さんから送られてきたばかり、できたてほやほやの第一稿である。「なだれ込み研究所の一日」をご愛読の皆さんに、ひとあし先にご覧いただきます。

貧乏NPOなのでカラー印刷は予算的に無理。表面は2色、裏面は1色。冒頭の画像は2色の表面だが、裏面がまたいいのだ。
「1色でも、すごくいい感じになるんですねえ」
私がしみじみ言ったら、S藤さんは言った。
「K出さんだから、こうなるんだよ」

修正と校正作業、その後印刷となり、実際に皆さんのお手元に届くのは来月でしょうか。どうぞ、素晴らしいデザインと、デザイナーのK出さんが「文字量がはんぱじゃないですね」と言った充実のプログラムをお楽しみに!

プログラムのさわりだけ、ちょこっと紹介します。

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掛川ライフスタイルデザインカレッジ2007
 ~掛川でスローな生活をデザインする講座~

知識を知恵に、そして行動に。
自分の生活や地域をクリアに見直したい人に。
地域の楽しい生活・面白い生活・粋な生活をテーマとして、
「まちの新しい使い方」
「足るを知る心」
「美しい毎日の創造」
を探求し、実践する、生活提案講座です。

【ベーシックプログラム】
ありたい生活、美しい毎日を創造するための基礎講座です。全受講生が参加できる講義・ワークショップ型のフォーラムと、関係者全員が集うフェスティバル、定員制のフィールドワーク型セッションを用意しました。

■フォーラム(年12回)
著名な講師をむかえた講義またはワークショップ

■フェスティバル(年1回 11/25)
受講生、講師、運営スタッフが一同に会する交流懇親会

■セッション(年4回以上)
地域の専門家を講師にむかえたフィールドワークまたは体験プログラム

【アクティビティプログラム】
クワイエットスポーツ、自然回帰体験や生活体験、自然素材・地域素材によるモノづくりなどに取り組むプログラムです。今年度は新4メニューを加え、全9メニューを用意しました。アクティビティプログラムには、ベーシックプログラムの受講資格が付加されています。

■カヤッキング
4月~11月 全7回
初心者を対象に、リバーカヤック-川、シーカヤック-海 とフィールドを広げながら、クワイエットスポーツとしてのカヤックの魅力を満喫します。

■フライフィッシング
4月~11月 全7回
渓流魚、水生昆虫の生態を通して、生活の中に息づく森林と河川環境のあり方、地域の自然資源が持つ高い価値を、フライフィッシングという遊びから学びます。

■サイクリング
4月~2月 全9回
里山空間。裏道や界隈。地域の魅力ある道を使って、サイクリングの基礎を学びます。自転車を存分に愉しむため、早朝サイクリング、電車利用の輪行などのプログラムも交えて。

■トレッキング
4月~11月 全7回
日本の山は、世界有数の美しさです。歩き方の基本だけでなく、自然との関わり方、楽しみ方を学びます。八高山(掛川)、岩嶽山(旧春野)、櫛形山(山梨)、金峰山(山梨)、笹山(静岡)、蕎麦粒山(旧本川根)などへのトレッキングを予定しています。

■茶と器学
7月~11月 全6回
自らの手でお茶のための器をつくり、お茶を摘み、お茶を学ぶ。あらためて茶と器を意識し、その価値を取り入れた美しい毎日を創造するためのプログラムです。

■オーガニックファーミング
4月~11月 全9回
農園運営を通じて、自然に即した生き方と食の豊かさ、サスティナブルなあり方を考えます。自らの畑と共同の畑を持ち、あえて手間とコストを惜しまない「素直な農業」にチャレンジ。

■ダッチオーブンクッキング
4月~11月 全5回
ダッチオーヴンは「手間ひまかかる、面倒な万能鉄鍋」。手間がかかるけれど、他には見られない優れた機能をたくさん持っています。選び方やメンテナンス、そしておいしい料理づくりに挑戦。

■ネイチャーフォトグラフィー
5月から11月の全5回
自然やまちの中で、ふと目に止まる美しい風景、感性にふれる光景。そんな場面、場面をフォトジェニックに撮影してみませんか? 掛川周辺からフィールドを広げながら、写真のスキルや表現方法とともに、自然の見方や接し方について学びます。

■Nippon学
11月から3月の全6回
日本に住んでいながら以外と知らない和の文化。「食」「装」「書」「芸」「酒」という五つのテーマを、ライフスタイルの中に取り入れます。各回専門講師を招き、日米のコーディネーターとともに、インターナショナルに和の心をひもときます。


デザインとストーリー

2007-02-12 22:58:33 | ビジネスシーン
今日の日経新聞に「デザイン会社増える~企業、ブランド確立へ起用」という記事が載っていた。なだれ込み研究所では、折しも地酒の地域ブランド化の仕事をしているまっ最中である。

ちなみに、なだれ込み研究所はデザイン会社ではない。結果としてデザインの仕事もするけれど、その前のコンセプトづくりや、そのまた前の段階や、そのまた前の前の段階(きっとお客さん自身にさせ、もやもやしていてうまく説明できないこと)から関わっている。S藤さんはこれを「商いの環境整備」と言っている。

さて、地酒ブランド化第3回会議が行われた。S木君に音声データを録音してきてもらったのだが、まだ聞いていない。「この地域にしかない個性化、オリジナル化とは?」というテーマで会議が行われたのだが、前後の書類を見るとなかなかに興味深い。
ほんの少し、さわりを――。

地域ではあたりまえのことが、他所では特別なことや個性として感じられたりする。そのことを踏まえ、地域に受入れられ、評判や情報が一人歩きしていくようなネーミング、商品化が必要。そのためには商品に生活提案力が必要。その商品がどのような生活をもたらしてくれるのか、を考える。

訪れた人たちが地域ブランドとして認識、受入れられる背景やストーリーを考えることが重要。

その上で、地域の魅力ある地域資源やこのまちの楽しみ方を参考に考えてみる。
①まずストーリーを考え、ネーミングを導き出す
②ネーミングから、このまちならではのストーリーを考えてみる

①と②のネーミング案が、なかなかに面白い。よく考えつくなあというものばかり。その上で、きちんとストーリーがある。ストーリーがあると印象に残りやすいし、覚えやすいし、そのストーリーに共感すれば思い入れを持ってしまう。
情報が力を持つ、というのはこういうことなのだなあと思う。

ちなみに『蒼穹の昴(全四巻)』(浅田次郎著・講談社刊)を読み終え、今、続きの『中原の虹(第一巻)』を読んでいるのだが、歴史の教科書には、この時代のことが次のように書かれている。

「中国では、帝国主義列強の圧迫に対抗する動きが強まり、清をたおして民族の独立と近代国家の建設をめざす運動が始まった」

このたった数行の中にどれだけのドラマがあったのだろうと、学生時代は想像すらしなかった。だから清朝末期のことなど、何も覚えていない。
それが小説を読むことでストーリーを持った。この激動の時代に生きた人々の人肌を感じ、苦しみも強さも美しさも共有することで、この数行がまったく別のものに見えてきた。
これがストーリーの持つ力だと思った。

私がなだれ込み研究所の仕事を面白いと感じるのは、きっといつでも「ストーリー」が大事にされているから、なのかもしれない。

チャレンジ

2007-02-07 20:45:59 | スローライフ
一昨日、掛川ライフスタイルデザインカレッジのフォーラムで誰を呼びたいか、の議論になった。私は会議に出席しなかったので、これはS木君から聞いたのだが、そこで細川護煕氏の名前が出たという。言わずと知れた元内閣総理大臣である。

細川氏の名前を聞いたとき、「ライフスタイルデザインカレッジにこれほどピッタリの人をよく思いついた!」と歓声を上げた。呼べるとか呼べないとか、無理に決まってるとかではなく、まさしく細川氏のライフスタイルについて話を聞いてみたいと思ったのだ。現在の細川氏は、自然と向き合い、土と向き合い、晴耕雨読を実践する陶芸家である。首相時代の着こなしや場の処し方など、独自のライフスタイル感を感じさせるものが多くあった。

偉大な人を前にしたとき、「あの人はすごい人だから」「私とは違うから」と自分を卑下することは、ある意味、逆の意味で差別だと私は考える。そりゃあ、知性や教養、頭の回転や価値基準のあり方、品性まで全然違うとしても、それでもやっぱり同じ人である。
今読んでいる『蒼穹の昴』(浅田次郎著・講談社刊)の西太后も、こないだ読んだ『天璋院篤姫』(宮尾登美子著・講談社刊)の代28代島津家藩主島津斉彬も、苦しみもすれば悲しみもする“人”であった。

これは私個人の勝手な思い込みだが、細川氏にはどこか「この人ならば人としての道理をきちんと通せば、ちゃんと人対人で話をしてくれる」という感じがするのだ。地位や名誉が心の中で大きくなりすぎて、人としての心を忘れてしまう人と、そうではない人を、小説の中でたくさん見てきている私のカンは、あくまで想像の世界での場数を踏んでいるだけに過ぎないのだが、でも、そんなふうに感じるのだ。

車好きのS藤さんはこう言っていた。
「細川さんの乗ってきた歴代の車種を見てみればわかる。きっと、来てくれそうな気がする」

さて、「どうやったら細川さんを呼べるのか」の話になった。
S藤さんとK造さんは頭を悩ます。二人の会話はおのずと白洲正子の話になり、そんなとき、インターネットの検索をしていたS藤さんが「おおっ!」と声を上げた。
「NHKの『知るを楽しむ~こだわりの人物伝』で、細川さんが4回シリーズで白洲正子を語るらしいぞ。し、しかも、2月7日、今日からじゃん!」
「ちょうど細川さんと白洲正子の話をしているときに見つけるなんて、しかもその番組が今日だなんて、運命を感じるねえ。それこそ、縁尋(えんじん)の機妙(きみょう)だよ」
K造さんは言いながら、しみじみとパソコンをのぞき込んだ。
「あれっ、2006年って書いてある……」
二人、まじまじと顔を見合わせた。そして、
「何かを暗示してるんじゃあ、ないよねえ」
と再び顔を見合わせたのであった――。

ちなみに細川氏が熊本県知事時代、「くまもと日本一づくり運動」にブレーンとして参画したのが浜野安宏氏である。細川氏は浜野氏との対談の中で、このように語っている。

「地域の特性を生かすということが言われていますけれども、単純に産品がどうだとか、観光資源がどうだとか言うことではなく、目にはなかなか見えない漠とした地域イメージ、これをどうやってクリアなものに表現、演出していくか、つまり地域デザインをしていくかという視点が、地域の個性を創っていくうえでいちばん大切だと思いますね」
(『浜野安宏コンセプトインデックス』より)

チャレンジしてみても、いいではないか。




レッスン1

2007-02-05 19:55:32 | ビジネスシーン

Sザンヌの英語レッスン「おしゃべりタイム」が始まった。初回の生徒は、S木君とダッチオーブン講座チーフのS木さん。私は急ぎの仕事が入り、一緒にランチのあと中座、仕事をこなしつつ、聞き耳を立てるというお得意のワザが飛び出す。
席は遠いながら、笑えるところは一緒に笑う。

デスクワークのあとF田夫妻との打ち合わせも終わり、3人で途中参加。
「今、何時ですか?(当然、英語で質問される)」
「ええっと、ツー……、あの、その……」
という具合である。
F田ご主人は「2時55分」を「3時5分前」と表現し、ポイント3点加算。S木君はなぜか坊主頭がすっきりしたというだけで、ポイント10点もプラスされていた。
ちなみに、このポイントは「ノリ」というだけ意味はない。

さて、そんなところへ英語ペラペラのサイクリストOさんが。
借りていた本を返したら、また新たな本が!
「次々あるから、楽しみにしていてね」
「ひょえ~」

そこへ、大家さんでサイクリストのM浦さんが。
「K住さん、やまだえみ、いいねえ~」
「やまだえみじゃなくて、山田詠美(やまだえいみ)ですよ、いいでしょう」

サイクリストは案外本好きなのかも。
以前、このブログで三浦しをんの『風が強く吹いている』を紹介したら、ちゃりんこ店主でバリバリサイクリスト(本人はゆっくり走っているらしい)のY崎さんが書店から電話をくれた。
「ブログで紹介していた駅伝の本、なんてタイトルだっけ?」
Y崎さんはその場で購入。読み終わった後、「走ること」についてしみじみ語り合ったものだ。走れても走れなくても、走る気持ちは小説を通じて共有できる。

さて、英語レッスン言い出しっぺのS藤さんは、今日は外で打ち合わせのためお休み。Sザンヌからは、
「S藤さん、マイナス5ポイントね~」
と言われていた。

(冒頭の画像は、今日書店で購入した和英辞典である。うちにあるのは高校生のとき買ったもので、単語がたくさんありすぎて(難しすぎて)使えなかった。この『初級クラウン和英辞典』だと、「自転車」も「bicycle」だけでなく「バイスィクる」と読み方まで書いてあるので助かるのだ)