なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

たまには手前みそに

2006-07-31 23:35:51 | ビジネスシーン

午後一番で家庭訪問があるため、朝出社して一度家に戻り、二時過ぎにまた出社するという不規則勤務。

そんなこんなでバタバタとした午前中。
NPO関連の手続きで銀行に行こうとしたら、
「振り込みを頼みたいからちょっと待って」
とS藤さんに呼び止められた。
朝から机の上を整とんしているなあ……と思っていたのだが、整理整とんではなく、振り込みのためのメモを探していたらしい。
何も、そこまでひっくり返さなくても……、と言いたかったのだが、思いこんだらやらなくては気が済まないB型なので、好きにさせておいた(←この言い方は失礼か?)。まあ、ご苦労なことです(←一応、フォローもしておく)。

さて、この「なだれ込み研究所」のブックマークに「御前崎市観光協会」と「株式会社鈴木建設」のホームページをリンクした。両サイトとも、なだれ込み研究所がホームページの企画・制作に関わっている。

御前崎市観光協会の観光パンフ『御前崎観光読本』を作らせていただいたとき、
「これからの観光は『人』だ」
というコンセプトのもと、御前崎で暮らす人々にインタビューをした。御前崎の自然や文化や産業といった観光資源とのつながりを語ってもらうことで、生きた言葉で、物語性を持った資源の紹介ができた。

株式会社鈴木建設は、人間力を持った技術集団であり、木の文化、職人の文化、地域とのつながりを大切した地元の建設会社である。「√S+C」というホームページのタイトルが物語る意味を、ぜひ読んでいただきたい。

どちらも、団体として、企業としての本来の力があり(つまりは考え方、スタンス、ビジョンがきちんとしているということである)、美しく、読みやすく、情報の中味の濃いホームページになりつつある。なりつつある、というのは、今後、情報がどんどん蓄積されていく仕組みを作ったということだ。

仕組みとは、つまりブログシステムを活用するということ。ブログを活用することで、検索エンジンにも引っかかりやすくなるのだが、そのあたりのことは、また追って、わかりやすいアナログ言葉で表現してみたいと思う。
(私自身、システムを担当してくれたF田さんをつかまえては、あれやこれや質問をし続け、少しずつ理解できるようになっている)

まだまだ追加すべき項目、フラッシュ画像、修正点などあるが、ホームページの核となるべき考え方、そして、表現としての美しさ、読みやすさをぜひ見ていただきたい。
デザインはK出、写真はO川、文章はK住が担当し、プロデュースと最終的な品質管理は、冒頭、机の上を引っ散らかしていると紹介したS藤が担当している。

「自社のことを自社で褒めるようなホームページにしてはいけない」
と言い続けているS藤さんには叱られそうだが、たまには手前みそに。

気持ちを切り替えて

2006-07-30 22:44:50 | ビジネスシーン

『パイレーツ・オブ・カリビアン』を見に行ってきた。ジョニーデップのあまりのカッコよさに、ポストカードなど買ってしまった。
デスクトップの背景を変えてみようかとか、不埒なことを……。(ふふふっ)

書店に行き、本を読み、図書館に行き、本を読む。読みながら、先日書き終えたばかりの『松竹梅探偵事務所』の続編のアイデアを思いつく。堅牢な建築物のようにきっちりと作り込みすぎて、ほころびがなく、面白くないと言われたことのある私の小説。今回は、プロットを作り込む前に書き始めてみようか。

やらなきゃいけない仕事の原稿はたまるばかり。でも書こうという意欲が湧かない。事務所に資料を忘れたこともあるのだが、それを取りに行くのも躊躇する。
急に暑くなって、弱ってきているのかなあ……。
金曜日、サイクリストのK吉さんが事務所に見えたとき、こんなことを言った。
「S鳥さんとも話しているんだけど、よくこの事務所で辛抱しているねえ」
辛抱できなくなると、原稿が書けなくなるのかも。何に辛抱できなくなるのかな。
でも結局、気持ちが後ろめたくなった頃、あるいは本当にせっぱ詰まると、書かなきゃいけないと腹をくくる。
意欲とは、気持ちとは、なかなかやっかいなものだ。

1時出勤予定だった金曜日の朝、S木くんから電話が入り、急遽出勤。バタバタと仕事をこなし、帰ろうとするとYちゃりのY崎さんが見えた。
「ブログ書けないみたいだけど、どう?」
優しい言葉を掛けられほろり。
事務所に来ると、嬉しいこともたくさんある。

まとまらず、タイトルがつけられないの巻

2006-07-27 23:29:16 | 読書日記

予約した本を図書館で借りた日、オビのコピーを読み上げながら、S木くんに自慢げに紹介した小説3冊。2週間たってようやく読み終えた。

『東京バンドワゴン』小路幸也・集英社・2006
明治から続く下町古書店〈東京バンドワゴン〉。
ちょっとおかしな四世代ワケあり大家族のラブ&ピース小説

『しゃばけ』畠中恵み・新潮社・2001
心優しく、めっぽう身体の弱い若だんなと
妖怪たちが繰り広げる
愉快で不思議な人情推理帖!

『男は敵、女はもっと敵』山本幸久・マガジンハウス・2006
超Aクラスの女性をめぐる
痛快でユーモラスな現代小説

「どう? 面白そうでしょ」
2週間前、有無を言わさぬ問いかけにS木くんは大まじめに首をかしげた。
「いやー、よくわからんです……」
まったくもって、なだれ込み研究所の面々は、小説を読まなくて困る。

でも、こうやってオビのコピーを並べてみると、私は「人情」「痛快」「愉快」「不思議」「ユーモラス」といった言葉に反応するようである。これは私が書きたい小説の底に流れるものでもある。

さて、午前中は久しぶりに書店へ行って本を5冊購入。
「K住さんのブログ、文学論が出てきたときは読み飛ばすよ」
とK造さん、サイクリストOさんには言われたけれど、しつこく行きます。

それにしても、デザインの仕事に関わるようになって、本の装丁や紙質、書体などに目が行くようになった。面白い本が美しいと嬉しいし、面白いのに野暮ったい本はもったいないと思う。その判断が正しいのかどうかはわからないが、一つ一つ意識して、見ていくことで、少しずつでも見る目を養いたいなあと思ったりする。

前は、原稿がたまらないよう、本も読まずに必死で仕事だけをしてきたけれど、
三つ、四つ……七つ、八つたまろうと、読みたいものは読みたいのだと、ちゃんと自分のこともしようと最近は思っている。
本を読まない時期が長くなると、水分が足りなくて、心がささくれ立ってくる感じ。これは、ノンフィクションではだめなんですな。物語でないと。

今日もまだまだ切羽詰まった仕事がたまっているのだが、入れる方(本を読むこと)と出す方(ブログで書くこと)の両方をすることで、自分の心の中がうまい具合に循環する。
もっとも、循環がうまく行きすぎて、「小説を書きたい!」と渇望する気持ちがすっかり失せているのが、困ったことなのだが。

主婦は褒め言葉なのか

2006-07-26 00:12:14 | ビジネスシーン

昨日、ブログの説明をしに静岡へ行ったのだが、私にとって初めて訪問する会社であり、初めてお会いする方々だった。
S藤さんが私を紹介するとき、
「この人は主婦なんですよ」
と言った。

バブルがまさに弾けようとしていた頃、私は育児休暇中で、かつ遠方へと転勤になった。仕事をしたいのに仕事を辞めなくてはいけない状況となり、退職した。主婦もやり方次第では立派な職業だと頭ではわかっていても、私にはそういう働き方はできなかった。自分が頭を使い、手を動かし、評価されて対価を得ることが、私にとっての仕事だった。
だからずっと、「主婦」と言われるのがいやだった。

昨年のなだれ込み研究所の忘年会では、「正統派主婦」とメンバー紹介に書かれた。
「これじゃあ、やだ!」
と言ったところ、
「これは演出だからいいの」
とS藤さんから言われた。
そのときはわからなかったのだが、もしかしてこれはほめ言葉なのかもしれないと、昨日、ふと思った。こういう昼も夜もないような業界で、主婦が働くことは難しい。そういうところで働いていることを、前向きに捉えてくれたのかもしれないと思ったのだ。
私の場合「文章を書く」という、ある意味自宅でもできる作業が中心なので、なんとかなっている部分もある。当然「持ち帰り仕事」だらけで、気分転換に家事をするといった状況の中、ほぼパソコンの前にすわっている。

ただし、ありがたいことになだれ込み研究所では、
「干したふとんを取り込んできまーす」とか、
「今日は夜から会議なので、ご飯を作りに一度家に帰りまーす」とか、
「子供を病院に連れて行くので遅れまーす」とか、
周囲の状況と自分の仕事の状況さえ許せば、私の都合のいいようにさせてくれる。当然自己管理が必要だが、ストイックで生真面目な私には、この働き方が性に合っている。
今日も、久しぶりに晴れ間が見える晴天の中、ようやく漬け込んだ梅干しの土用干しが始められた。
「梅干しを上下ひっくり返しに、ちょっと自宅に戻って来まーす」

ちなみに明日から子供が夏休みに入るため、午後からの出勤にしてもらった。
ありがたや、ありがたや。

人材のキャスティング

2006-07-25 22:32:54 | ビジネスシーン
機械のこと、パソコンのこと、ネットのことなどとんと弱いアナログ人間の私が、今日はなんと「ブログシステムの検索エンジン最適化対策」について話をしてきた。もっとも、私一人ではなく、ベラベラ専門のS藤さんといっしょなのだが。
検索エンジン最適化対策、と言った瞬間から、私には途方もなく遠い存在のように思えてくるが(それが専門用語なのだそうだ)、要は「どうしたら、ネット上の検索に引っかかりやすくなるか」ということである。

今回説明するにあたり、ブログのプロF田さんのレクチャーを受け、借りた本を熟読し、ネット上で「ブログのシステム」や「ブログの今」「ブログの時代性」といったものをさぐり、自分なりの言葉に置き換えた。私自身がわかる言葉で、というスタンスである。

ブログは今、個人の日記を越えて、その優れた機能に目をつけた企業がマーケティング手法の一つとして活用をはじめている。いわゆるビジネスブログである。
最近の日経の記事にも、ブログでの口コミ情報を活用したマーケティング事例、1記事数百円で有力ブロガーに記事を書かせる商売が成り立ちはじめている事例などが紹介されていた。
それに関して「書き手」として言いたいことはさておいて、ブログの活用に関してS藤さんがよく言うのは次のようなことである。

「デジタルの普及を、デジタルで普及しようとしてはいけない」
「デジタルの普及にはアナログ人間も入れるべき」
「つまりは振り幅の問題」
「人材のキャスティングの問題」

私が表現者としていつも思うのは、自分がわからないことは書かない、ということである。今回の説明でも、自分自身がわかる言葉で書くことを心がけた。テキストのままに書けば、それらしい文章にはなるが、それでは伝わらないし、わかってもらうことはできない。だからわかるように努める。わからないで書く表現は卑怯だとも思っている。
では、システムの専門家が自分にわかるように書けばいいかと言えば、そうではない。
つまり、うとい人がうといなりに専門的なことを理解しようと努めた結果、自分のわかる言葉で表現する。それをシステムのプロが補足し、補足したものをアナログな人間が伝わるよう(通訳するよう)書く。そんな、振り幅を持ったキャスティングが必要ということである。

今日の説明でも、私の「わかる言葉」での説明だけではだめで、S藤さんの社会に対する視点、新しいものの見方が必要である。逆に新しい考え方に、私が一般人としての補足を加えることでわかりやすくもなる、と自分では思っている。そういうところに、私の役割があるのかな、と思うのである。(そう思って、自分を励ましている)

さて、振り幅とキャスティングの問題を、なだれ込み研究所で例えてみると面白い。
チャランポランっぽいS藤さんがいるかと思えば、大まじめなS木くんがいて、仙人のようなH岡さん、鬼のような私がいる、というのも振り幅。
何をしているのかよく分からない怪しげな事務所で、堅く、わりとキチンとしている私が働いているのも振り幅。もっとも、自分が堅い人間だと言い切ってしまうところがなかなか高慢ちきだが、なだれ込み研究所内で堅い、というだけで、それは世間ではかなり低レベルな堅さなのかもしれない……。

ここまで書いて、今日S藤さんに言われたことを思い出した。
「最近の私、間違えないように気をつければ気をつけるほど、間違えちゃうんですけど、気持ちがゆるんでいるんでしょうか」
「そりゃあ、気をつけすぎているからだよ」
「は?」
「あなたの場合、『ちょっと気をつける』くらいがちょうどいいの。気をつけすぎると、時計の針が一回転半くらいしちゃって、かえって正解から遠ざかる。正解のちょっと手前くらいのいい加減さでやると、気をつけすぎるより正解に近くなる。こういうことだよ」
「はあ……」
わかるようでいて、よくわからない理論。

ここでわかったことと言えば、S藤さんがどんな理屈をつけてでも人を言いくるめたがるということ。
こういうときは、
「なるほど、そういうもんですかー」
とテキトーに聞き流すのが一番なのだが、基本的に言いくるめられるのが嫌いな私は、さらに理論武装して、屁理屈をこね回し、対決する。最近では、20回のうち1回くらいは勝てるようになってきた。勝って何になるかよくわからないが、テキトーに聞き流すことができないタチなので仕方がない。
これもある意味、人材のキャスティング?
ハマっているのか、ハマっていないのか、よくわからない……。
これまた考えすぎて、時計の針が一回転半。


作法2種

2006-07-24 22:03:34 | ビジネスシーン
またまた書けない病が再発した。
F田さんからは「周期的に来るもんですよ」
K造さんからは「『書けない!』と書きゃーいいんだよ」
と励まされる。

またまたドブ掃除。今度は私もくさい。
S藤さんからは「ようやくわかったか」
S木くんからは「今日はかなりですよ」
とドブ掃除仲間にようやく入れてもらえた気分。別に入れてもらえなくても、いいんだけどね。

K造さんが、がまの油売りの実演販売の作法というものを実演で教えてくれる。素晴らしかった。
話の中で、今日はS町のお地蔵さまのお開帳だと知る。隣町に住んでいた私には懐かしい。大通りの夏祭りではなく、細く暗い路地で行われるお開帳。子どもの頃、お開帳というのは縁日のことだと思っていた。

夜、子どもたちを連れてS町へ。S町のお地蔵さまは子安延命地蔵であるのだが、お堂の段々にK造さんがすわっていて、一年に一度の拝むときの作法を教えてくれる。おびんづるさんを触り……、よくなりたいところを触らせてもらう。私は頭、子どもたちは顔だった。

抽選をするために並ぶ。抽選券が1枚しかなかったため、急遽、子どもたちを事務所に走らせ、折り込み広告に印刷されている券をもらってきてもらう。夜、姉妹二人でお使いへ。まちなかで、お開帳の日だからこその冒険。
事務所には男の人が二人いたと言う。S木くんと、さっきのK造さんだと。
あれ……、K造さん、お堂の番人はいいのかな、と一瞬思う。
30分並んで、当たったのはテッシュと鉢植え。
帰り道、お堂の前を通ると、K造さんがいるではないか!
もう事務所から戻ったの??
それとも、さっき事務所にいたのはS藤さん??
顔が似てるからか、雰囲気が似ているからか、それともホントにK造さんなのか。

今日は、K造さんが私の前にたびたび出没する日だった。K造さんの前に、私がたびたび出没したのかもしれないが。

[おまけ]
今日の日経の夕刊に、「プチ“ライター稼業”1件数百円でブログに紹介記事」という記事が載っていた。これに関しては、ひと言も二言も物申したい。こちらの方は明日以降に。
だんだん、ブログを書く意気込みが湧いてきたぞ~!

犯人

2006-07-20 21:21:51 | ビジネスシーン

「事務所のショーウィンドーの掃除をよろしゅう」
というメールだけ残し、S藤さんは朝から出かけている。
私とS木くんの二人で、明日のホームページ関連の打ち合わせ資料作成、週末に行われるプレゼンの準備、オーガニックファーミング第1回目の連絡調整など、バタバタとこなしていく。
お昼近くにS藤さんが戻ってきて、コンビニのざるそばを食べながら指示を出し、再び伊豆長岡の打ち合わせへと出かけていった。
あ~、せわしなかった。

あっという間に午後になり、オーガニックファーミングの受講生でS交通のS木さんがやってきた。なんと彼女は私の幼なじみ。観光関連の仕事をしている関係で、S藤さんに会いにきたのだが、あいにく出かけていたため私が対応。……とS藤さんにメールをすると、さっそく電話がかかってきた。気にして電話をかけてくれたのだが、電話でベラベラしゃべることを私がその通りにベラベラ説明する、という時間差攻撃(?)に、S木さんは目をぱちくりさせていた。
はじめてのなだれ込み研究所でのなだれ込み経験。これに懲りずに、次回は直(じか)ベラベラも体験して下さいね。

さて、S藤さんがしゃべったことはこんな内容。
「これからの観光はガイドツアーだ!」
「やわな自然体験ツアーはするな!」
言い切ってしまうところがS藤さんらしい。観光に関して、現場で様々な場数を踏んでいるからこそ出る言葉だと思った。

そのあとは、続けざまにK造さんとキウイフルーツのH野さんがやってきた。私は先に帰ったため、最後まで話が聞けず、残念。
でも、K造さんから貴重なお話が聞けた。
「実はオレもドブが臭くないんだよね」
「ほんとですか!」
「ああ、S藤は『クサい、クサい』とくどいほど言うけど、まちの人間はこういう匂いには慣れてるんだよね」
私だけがドンカン・繊細じゃない・デリカシーのない人間と思われていたところへ、ふた筋目の光が。
いやあ~、K造さんが味方について、百人力である。

そんなこんなで「お先に失礼します」と玄関を出て、きれいになったショーウィンドーを振り返りながら眺めていたところ、足もとでズボッと手応え(足応え)が……。
なんと、ドブ掃除のときにガムテープでふさいだ穴にヒールのかかとがはまってしまったのだ。
「まったく、ガムテープの上をわざわざ踏んで、穴を開けていくアホは誰なんでしょうねえ」
と、昨日見えたF田さんご夫妻と話したばかり。
他の穴を見ると、私のつけた穴と、ほぼ同じ形……。
ひょえーっ。
周囲を見まわし、誰も見ていないことを確認すると、こっそり帰った私だった。

キザな文章

2006-07-19 18:07:25 | ビジネスシーン

静岡新聞社発行のビジネス情報誌「ビジネスVEGA」の最新号(7月号 No.83)が届いた。S藤さんがその中で、「しずおか自然回帰の旅」と題したエッセイを連載している。
毎回ギリギリまで原稿が書けず、苦しみぬいているエッセイだが、文章だけのときは穴だらけに思えた原稿も、こうして雑誌になり、写真がついた記事になると、なかなかそれらしく読めるものだ。たぶん、はじめから写真やデザインとともに表現する文章だとわかっているから、こういう文章が書けるのだろう。文章だけで表現しようとする私には、それがなかなか難しいことなのだが。

さて、その文章。今回のはめちゃめちゃキザである。
どうキザかと言えば、「清流」というものに対し、環境おじさん、環境おばさんでは決して言えない実体験を持った視点で書かれているのだが、サカナたちとの分け隔てのない視点と言おうか、自然と共生しようとする視点と言おうか、そういうものが、私にはかえってこっぱずかしいものに映るのである。「サカナと戯れる」とか「豊かな流れがあることの証」とか「日本の正しい清流の尺度」とか、読んでいてうひゃーっと思ってしまう。私には絶対書けない言い回しである。

私は率直に言った。
「この文章、キザすぎて、自分で恥ずかしくなりません?」
「キザなように書いたからね」
S藤さんは自信満々に答える。
「私にはこんなキザっちい文章は書けませんね」
と、会話はここで終わった。

その後、S藤さんが席を外したとき、S木くんがこっそり言った。
「よくあんな強気な発言、できますねえ」
「強気だった?」
「はい、めちゃめちゃ強気でした。ケンカ売ってるみたいでした」
「だって、ふだん、ぐうの音も出ないほど言いくるめられているから、言える時は、じゃんすか言いたいじゃん」
「そういうもんですか」
「そうだよ、負けっ放しはくやしいでしょ」
「負けっ放しって……」
「なに?」
S木くんはぼそりと言った。
「K住さんって、けっこう負けず嫌いですね」
「おぬし~!」と言おうとしたけれど、S木くん本人が、私にケンカを売っている発言をしていることに気づいていないようなので、言うのはやめた。事務所の全員にケンカを売ってもしかたないので。

さて、そんなこんなでS藤さんのキザな文章を読みたい方は、今すぐ書店かなだれ込み研究所へどうぞ。

思えば、いろいろ出来るようになったもんだ

2006-07-18 19:49:52 | ビジネスシーン

師匠がいないと仕事が進む、と言ったのは建築家のT橋さんだったが、今日はまさにそんな一日だった。
S藤さんは、IT推進委員会の委員の視察で一日藤沢へ。
事前に「質問事項を出して」と言っても出してくれないのに、その場に行くとベラベラ質問するので困っちゃうんだよねと、S藤さんを評して事務方のH瀬さんが笑って言っていた。S藤さんに言わせれば、
「そんなもん、直接会って話をしてみないと、話したいことも、質問したいこともわからんよ」
ということなのだが、事情を優先する事務方と、本来の目的を見失わない委員の両方の言い分はよくわかる。もちろん目的が大事なのはわかっているが、周囲との軋轢を生んでまで事情を無視するわけにもいかず、まあこれは、スケールの大小に関わらず普遍的な悩みである。

さて、午前中は画像の処理を。
カメラマンの撮影したTIF画像をJPEG変換し、リサイズして、インデックスでプリントアウトし、CDに保存する。
午後は、週末に行われるプレゼン用のパワーポイントづくり。
……こうして書くと、何だかいろいろできるようになったなあと、感慨深いものがある。なだれ込み研究所で働くようになったばかりのころは、ただただワードで文章を書くことしかできなかったのに。
必要に迫られて、ということなのだが、こうした事務作業一つとっても仕事の幅が広いなあとつくづく感じる。
ついでに、私の好きな挿絵画家のポストカードを、こっそり画像として読み込み、トリミングして、デスクトップの背景にした。
う~ん、いいなあ、佐竹美保。
トップの画像は『西の善き魔女Ⅰ セラフィールドの少女』の一場面である。

ということで、順調に仕事が進んだ一日だった。

ガラガラポン

2006-07-17 16:44:29 | 読書日記

『ゲド戦記』好きのH田さんから教えてもらった『別冊宝島 僕たちの好きなゲド戦記』(宝島社刊)を読んだ。今まで3度読んでわからなかったアースシーの世界観がようやく見えてきた。解説によってわかるのがいいことなのかはわからないが、どうつかまえていいのかわからなかったものに対して、一つの見方を教えてもらって、ようやく心が落ち着いたという感じがした。

巻頭に訳者 清水真砂子さんのインタビューが載っていた。その中で、表現についてふだん私が漠然と考えていたことに、一つの言葉を与えてもらった気がした。
一部、引用させて頂きます。
「詩人が何かに感動して詩にするとき、その感動の源をそのまま辿れ、なんて誰が言えるでしょうか。詩人が詩として表現するときは、まったく形を変えて出すわけですから、今回の映画化はそれと同じことだと思います」

自分が見たこと、体験したこと、感じたことを一度ガラガラポンにして(混沌にして、という意味で私は使っている)、そこから何をすくい上げて提示するかが表現することである。……という言い方をしていたことが、そうだ、こういうことなのだと、改めてくっきりとした言葉を与えられた気がした。
清水さんの選ぶ言葉が、私は好きです。

さあ、『ゲド戦記』の1~5巻、そして外伝をもう一度読み返さなくては。
むらむらと、読みたい感情がわき起こり、沈黙のオジオンに、テナーに、テハヌーに会いたくなった。
ドストエフスキーも、山も、川も、もう少し先になりそうです。

(今日読んだ『優しい音楽』(瀬尾まいこ著・双葉社刊)には、静かな時間が流れていた。こちらもオススメ)