なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

時空実感が生活を変える

2006-10-23 01:37:17 | スローライフ

10月21日、夕方4時から、掛川ライフスタイルデザインカレッジの10月セッション「時空実感が生活を変える」が行われた。地層観察・化石採掘と天体観測を通じ、時空(過去と未来、天空と大地)を実感しようというワークショップである。
苦労に苦労を重ねたコピーを以下に。

「時空実感が生活を変える」

  私たちがたたずむ大地。
  私たちを見下ろす天空。
  命を繋ぎ生きてきた私たちの歴史。
  はるか先まで続くであろう私たちの未来。

  化石採掘と天体観測の知られざるメッカ・掛川で
  この瞬間を生きる私たちと、大地と天空のつながりを
  地層と化石、夜空と星の観察からひもとき
  時空を実感します。

講師は、アマチュア化石研究家の鈴木政春さんと、アマチュア天文家で彗星新星の発見者である西村栄男さんのお二人。

まずは鈴木さんの講義。化石採掘の面白さは、「掘ること」「掘り出した化石の名前を調べること」「保存する作業をすること」なのだという。
地球の歴史についての説明があり、その後、会場となっているキウイフルーツカントリー内、歩いて2~3分ほどの観察場所へ移動した。

「掛川層群」と呼ばれるこのあたりの地層は、250万年ほど前のものであり、実は地質学上、考古学上、とても有名な場所なのだそうだ。そしてそのころ、ここは海底300mの深海だったという。地殻変動によって、今、こうして当時の地層を見ることができるが、その頃だったら海の底を歩いているようなもの。何だかとても不思議である。
そして同時に、掛川層群という地域資源の価値に地元はほとんど気づいていないという現実に、「こちらもそうか」という思いがした。

西村さんの天体観測は、あいにくの曇り空で急遽パワーポイントを使ってのお話となった。
西村さんがなぜ星に興味を持つようになったのか、その最初のきっかけは小学生の頃の夜の散歩だった(まるで恩田陸の『夜のピクニック』のようではないか)。
月のない夜、歩いていたら、星の明るさで自分のかげや木々のかげが見え、テレビもない時代、子ども心に「星というのは不思議なものだなあ」と思ったという。
それ以来、西村さんは晴れた日はほとんど毎日星を見に行く。そして、1つ目の彗星を見つけるまでに30年かかった。

私は素人なので、どうやって新彗星を見つけるか知らなかったのだが、撮影したフイルムと通常時のフイルムを並べ(この説明でいいか、ちょっと怪しいです)、顕微鏡で1個1個まちがい探しのように確認していくのだという。1枚のフイルムに要する時間は約30分。10枚撮影したら300分。5時間。途方もない作業である。

彗星を見つけ、新星を見つけ、今度は超新星を見つけようと思っていると西村さんはおっしゃった。三冠王を狙うのだと。
理系に弱い私が「超新星」について調べ、理解したところによれば、「質量の大きな星が、恒星進化の最終段階で大爆発を起こしたものと考えられるのが超新星」、つまり、星の死でであり、同時に星の生であるのだと私は理解した。

超新星は、一つの銀河で100~200年に一度見つかるという。銀河系では200年間見つかっていない。お隣のアンドロメダ星雲では300年間。「お隣」と表現したのは、もちろん西村さんである。

面白いなと思ったのは、この「超新星」が大地にも天空にも関わっている非常に重要なキーワードになっている、ということだった。
西村さんの話によれば、
「超新星の爆発によって、マグネシウムや鉄ができ、その飛び散ったものが新しい太陽になったり、人間の身体のもとになったりする」
そして、鈴木さんの話によれば、
「地球は宇宙のちりからできている。地球の中にあるものは、すべて宇宙から来ている」

星の「死」であり「生」である超新星が、地球を生み出し、人間をつくり、その人間が大地と天空に想いを馳せ、そしてまた天空では、新たな星の死と生がある、ということなのだ。

今回のセッションは、カレッジの受講生よりも一般参加者生が多かった。お話を伺ってみると、地層や天体に関してかなり興味を持っている方々だった。
地層のことも天体のことも、あまり興味のなかった私だが、今回、様々なことを感じた。もしかしたら今回の講座は、興味のある人よりも興味のない人にこそ、新しい気づきやきっかけを与えてくれるものだったかもしれない。

夜、収穫時期を迎えた甘いキウイフルーツの匂いとともに、暗い中、過去や未来、大地や宇宙について考えるのは、なんと不思議なことなのだろう。自分がここに存在していることさえ、現実ではないような……。そんなことを、夜の静けさと甘い匂いとともに感じていた。