なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

今年のベスト10

2005-12-31 22:24:52 | ライフスタイル
怒濤のような1年だった。
これは偶然ではなく、必然であったと自分では思っている。様々な人に出会い、刺激を受け、それは小説の中だけでは決して体験できないことであり、私の机上の論理や想像だけの世界をぶち破った。

と言っても、小説からは離れられない。どんなに忙しくても、私は活字の中からイメージをふくらませていくタイプであると思うから。

今年、読んだ本の「マイベスト10」を以下に。
(順位はなし)
①『風味絶佳』 山田詠美 文藝春秋 
②『風の果て』 藤沢周平 文藝春秋 
③『狐闇』   北森鴻  講談社
④『光の帝国』 恩田陸  集英社
⑤『日ぐらし』 宮部みゆき 講談社  
⑥『天切り松闇がたり 昭和侠盗伝』 浅田次郎 集英社 
⑦『雨にもまけず粗茶一服』 松村栄子 マガジンハウス
⑧『博士の愛した数式』 小川洋子 新潮社   
⑨『風神秘抄』 荻原規子 徳間書店
⑩『蒼路の旅人』 上橋菜穂子 偕成社
 

そして、私にとっての「10大ニュース」
それにしても、ホント、いろんなことがありました。
(順位はなし)
①『掛川奮闘記~スローライフと生涯学習の真髄』の編集。最終話のタイトル「上を向いて歩こう」を知らずにAちゃんが「上を向いて歩こう」を歌う。鬼雅、泣く。
②全国都市再生モデル調査の報告書作成。風邪をひき、熱でへろへろになりながら、ふとんをかぶってパソコンに向かう。苦しかった~。
③本格的になだれ込み研究所のスタッフに。仕事をするふりをして、日々、小説のネタを探す。
④浜野安宏氏の講演会に感激する。講演会の資料「浜野語録」の作成は楽しかった~。(前の日に言われましたけどね)
⑤所属する中部児童文学会の編集委員になる。自分の原稿が書けないのに、他人様の原稿が批評できるのか!
⑥30枚の短編「放課後のレシピ」が北日本児童文学賞の1次選考を通過。でも、それまでだった~。
⑦初のお泊まり仕事。御前崎での撮影は午前4時起き!
⑧Oさんと「宮部みゆきを語る会」を結成。会の基本スタンスは「酔っぱらいは信じるな」
⑨ブログ「なだれ込み研究所の一日」を始める。めちゃめちゃ忙しくなって、本が読めない~。
⑩なだれ込み研究所の納宴会で、酔っぱらって踊ってしまう!

今年1年、なだれ込んで下さった皆さま、本当にありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお迎え下さい。

(30日の記事も同時に投稿。ご覧下さい。↓)

「スローライフスクール」立ち上げに関する運営会議

2005-12-30 21:43:13 | スローライフ
年の瀬も押し詰まった30日、NPOスローライフ掛川の運営会議が行われた。議題は、来年4月に開校予定(案)の「スローライフスクール(仮称)」について。3時間ぶっ通しの熱い会議だった。

スローライフスクールは、スローな生活を提案するカレッジ形式の講座である。基本的な考え方として、地域の楽しい暮らし、素敵な暮らしをテーマに、①まちの新しい使い方、②豊かな生活術、③美しい毎日の創造、を学ぶ講座とする。
他のカルチャースクールとの違いは、ただの趣味の講座ではなく、あくまで生活提案に基づいた講座であること。学ぶことで「生活を楽しむ」「生活を豊かにする」ことのできる様々なメニューを用意する。われわれNPOスローライフ掛川でしか、でき得ない価値創造である。

前々から話が出ている映画制作を、1年間のスクールを通じてワークショップ形式でやってみようとか、スローライフ月間にできなかった掛川城天守閣からのコミュニティFMを実験的にスクールの中でやってみようとか、すでにいくつかの案が出ている。
スケジュールとしては、2006年4月開校、2007年3月卒業。
運営方式は通年型で、様々なメニューの中から参加者が出たい講座をチョイスする方式なのか、年間を通じての基礎講座とジャンル講座を組み合わせる方式なのか、詳細はまだこれからである。

話し合いの中で、運営スタッフの負担の問題、自主事業として採算をどう取っていくかなど、様々な問題・課題が出された。しかし、まずやってみなくては何もはじまらない。どれだけ魅力的なメニューをたくさん出せるか、まずそこからやってみること。結局、それがいちばん大事なことなのである。
スローライフ掛川には、掛川ファンの、スローライフファンの、素晴らしい講師陣を呼べるだけの底力があると私は思うのだ。

話し合いの中で、印象に残った発言を以下に。
・生活を提案する学校なんてどこにもない。自信を持ってやろう。
・全部オリジナルであるべき。
・ターゲットはしぼらなくていい。あくまで「生活提案の講座」に触覚が働く人、生活を適当な「まにあわせ」で済まさない人や、自分の暮らしや地域をクリアに見直したい人に集まってほしい。
・とにかくはじめに魅力的なメニューをどれだけ豊富に提案できるかが大事。やっていくことで課題も見えてくる。
・ちょっとイカしているな、オシャレだな、洗練されているな、気が利いているな、と思える講座であること。
・行政に縛られていない分、自由度がある。

S新聞のIさんからは、こんなエールをいただいた。
「組織は動き続けていかないとくすぶってしまう。NPOスローライフが岐路に立たされている今、こうして新たな展開になったのは必然。あとは覚悟だけ。いかに面白くやっていくか、期待しています」

スローライフの助っ人Oさんからのエールは、これ。
「こんな楽しそうなことができるあなたたちが羨ましい!」

そう、あとは「どんな楽しいことが待っているのだろう」と想像することだけ。
4月に開校するためには、1月以降、どんなハードスケジュールが待っているかそっちの方も想像できてしまうが、それを上回る楽しさが待っているとわかるから、頑張れる。
事務局も頑張ります!

「あとは、NPOメンバーがひとつのコンセプトを持ち合えるかどうかが重要」
会議の中で出された発言である。

熱く、楽しい1年が、また始まる。

「心配の専門家」対策

2005-12-29 21:27:28 | スローライフ
来年度、一年間にわたるスローライフスクール(仮称)を立ち上げようという案が出ている。今後、話し合いを進めていくのだが、何かはじめようとするときというのは、必ず「そんなこと、はじめてしまって大丈夫だろうか」「採算は取れるだろうか」と心配になるものだ。
浜野安宏氏の言葉を借りれば、「心配の専門家」。
もちろん、リスクマネジメントも大事だが、それにがんじがらめにされて、「じゃあ、やらない方がいいよ」になってしまったら、新しいコトなど起こせない。
12月15日の「今こそ上昇気流で」のコメント欄で、Sさんはこんなことを言っている。
「心配の専門家の頭上を跳び超えるには、『熱さ』ではなく、『酔狂』と『なんちゃって』である」

今日、事務所で話をしていて、もう一つの対策が見つかった。
「どんな楽しいことが起こるか、想像できること」
つまり、その一年のスローライフスクールで、どんな楽しいことが起きるか想像できる人は「やろう!」と思えるというのである。
私自身、いくつか案を出されたとき、
「あっ、それ参加したい!」
「絶対、面白そう!」
と思えるものがあった。どこのカルチャーセンターでもやっていない、参加してみたいと思える講座だ。実際やってみたとき、こんなふうじゃないかな、こんなふうに楽しいんじゃないかな、とイメージできた。そのとき、リスクよりも「やってみたい」が先に来た。

話は変わるが、小説を応募するときというのは、自分の作品は最高だと思っている。だから、「大賞に決まりました」と電話がかかってくる瞬間のことや、表彰式のこと、あこがれの作家に褒められるところなどを想像していた。おふとんに入って、表彰式には何を着ていこうかな、受賞のスピーチはこんなことを話そうかな、あがっちゃったらどうしよう、とまで考えていたものである。

楽しいことを想像するから、すぐ次の原稿に取りかかれる。半年後、前の原稿がボツとわかっても、その頃には次の原稿ができあがっていて、前の悪いところが冷静に見えているから、「ああ、あれはボツになっても仕方がないな。でも今度のは!」と思えるのである。前の悪いところが見えるというのは、それだけ自分が上達しているとも思えた。

いい悪いは別にして、そうやって私は書き続けた。最初の段階で、「ああ、この原稿はだめだ~。きっとボツだ~。私はだめだ~」と思ったら、次は書けないのである。

ボツになってもボツになっても書き続けたから、今の私がある。
楽しいことを想像できたから、今がある。
だから、今度も踏み出してみようと思う。
楽しいことが始まりそうな、予感がする。


えびせんべいと苦悩

2005-12-28 21:30:00 | ビジネスシーン
I君。
今日は一人、トイレを借りになだれ込み研究所に来た人がいましたよ。もちろん大人。卒論の参考までに――。

さて、今、取りかかっているホームページの仕事だが、全体の構成と進むべき方向性はわかっているものの、明確な言葉……、小説で言ったらタイトルのような「その会社をひと言で言ったら」というイメージの言葉が出てこない。Sさんは苦悩している。苦悩していると言っても、うんうん唸っているわけではなく、傍目には通常の仕事をこなしているように見える。

「『これだ!』っていうのが出てこないんだよな」
2回目の打ち合わせは、すでに明日に迫っている。お客様からは、できれば12月中に形にしたい、という依頼なのだ。打ち合わせに同行した身としては、板挟みのような、たまらない気持ちになる。お客様の「早くしてほしい」という気持ちもわかるし、Sさんの「出てこない」という現状もわかるから。
でも、それを言ったらSさんにあっさり言われた。
「あなたがたまらん気持ちになってもしょうがないでしょう。それで、何かが出てくるわけじゃあないんだから」
まったくもってその通りである。「練習だと思って考えてきて」と言われ考えた案は、すでに二つボツになっている。
「創造性のある仕事って、何日までにって言われても、なかなかそうはいかないよ。もちろん、期日までに間に合えばそれに越したことはないけど」
締め切りに合わせて無理矢理書いた応募原稿が少しも面白くない、ただ間に合わせただけ、というのと少し似ている。ルーティンワークではないことは、わかっているつもりだ。
「それは、ものすごくよくわかるんですけど……、それでもやっぱり、お客様の期待には応えたいと思うじゃないですか」
私が言い返すと、Sさんはさらに言った。
「じゃあさあ。例えば、陶芸家が『明日までに茶碗三つ作って』って言われて作ったものが、質の高いものだとは思わないでしょ。それと同じだよ。ウチが、他のホームページ作る会社とどこが違うかって、そこが違うんだから。現場を知っていて、だからその会社にとって何が一番ぴったりくるのか、探してあげたいと思うんだよ。ただきれいに作るだけなら、それなりの形にしてあげるだけならいいけど、それじゃあだめなんだよ」
ものすごくわかるけど、自分にはどうにもならないという事実が、よけい悔しいのかもしれない。悔しいなんて思うのは、「10年早い!」と言われそうだが。

Sさんが苦悩しているのを知ってか知らずか、事務所には、次から次へと人がなだれ込んでくる。ちょうど事務所には、Hさんからの差し入れの「美味しいえびせんべい」がある。
Oさんがひょっこり現れて、えびせんべいを好きなのだけ選り分けて食べていく。Kさんが「トイレ貸して」とやって来て、やっぱりえびせんべいを食べていき、Yさんも「お歳暮届けに来ました」とえびせんべいを食べていく。その間、Sさんもえびせんべいを食べながら、いつも通りの顔で、いつも通り話をする。苦悩している様子は、外からはまったく見えなかった。

私が今、こうしてブログを書き、仕事の原稿をほんの少し進め、読みたい本を読んでいるあいだに、ぴったりの言葉は出てきているだろうか。
明日が楽しみ、と他人事(ひとごと)の気持ちでいることにした。
私がやきもきしても何もはじまらないし、それなら、私は自分の仕事をきちんとすすめ、自分の楽しみを愉しんだ方がいいと学んだから――。

「これ読んでみて」と言われた本と、読みたいと思って注文した2冊の本が目の前にある。
さあ、今からゆっくり本を読もう。

嵐の2日間

2005-12-27 20:16:41 | ビジネスシーン
嵐のような2日間だった。
何がといえば、感情の起伏の幅が、ということである。

まず26日。
O製薬のSさんが来て、印刷物の見積もりを依頼。けれどSさんは、すんなり見積もりだけ出すようなことはしなかった。
「見積もりを出せば、どう考えてもウチは他より高いと思いますよ。印刷物をどう作るかではなく、どう商いをするか、その部分こそがウチの商売なんですから」
背中を向け、自分の仕事をしているふりをしながら、ふむふむとメモを取り始める私。様々なアイデアを出しながら、Sさんはこんなことを言った。
「どう商いをするか、現場感覚で提案し、その一環した流れの中で、イベントに仕立てたり、リーフレットやパンフレットやホームページの制作に関わるのがウチの商いなんです」
「コンサルティング業務ってことですか?」
「いいえ。コンサルと違うのは、あくまで現場感覚であること。地域の中で、その商いをずっといっしょに実践し、歩んでいくこと」
なるほど。
私のいるなだれ込み研究所は、そういう会社だったのか――。

19時からは、ミレレの2階での納宴会。
なだれ込み研究所の内部スタッフ、外部スタッフ(カメラマンやデザイナー)、日頃お世話になっているお客様が集まった。
印象的なことを、以下に覚え書きとして書いておく。

①カメラマンのOさん「ガーン事件2連発」
「めがねを取るといいよ」などと言われ、調子に乗ってコンタクトにチャレンジしたはいいものの、今日はどうしてもコンタクトが入らず、ここ一番に相変わらずイケてない私であった。なのに、自分の言ったことをまったく覚えていないOさん。
さらに、「高村薫の『マークスの山』は最高傑作だよ。絶対読まなきゃだめだよ」と熱く語られ、この日に間に合うように上下巻の分厚い物語を読破したというのに、
「え? オレ、そんなこと言ったっけ」
「……」
言葉も出ない私。Sさんが隣りであっさり言った。
「Oさんは『気分』の人なんだからさあ」
あんなに悩んだ「気分」論。いまだに哲学的な意味が隠されていると思い続けている私であるが、ただの「酔っぱらい」論になり果てたらどうしようと、気に病みはじめている。

②ようやくわかったコピーと文学の違い~助っ人Kさんの広告論
最近会社を立ち上げたKさんから広告の世界のことを聞く。今までどうしてもわからなかった「コピー」と「文学」の違いがストンと胸に落ちた。私はあくまで自分のやりたい表現にこだわればいいのだと、改めて思った。ある意味、コピーとは対局にある文学の表現を私が仕事上でこだわることで、表現の幅が広がる。その幅の中から、品質管理をするSさんが改めて選び取り、表現すればいい。
私はあくまで自分の世界をつきつめます。
それにしても、広告業界の人って、距離感をもって付き合わないと、うまくまるめこまれそう~。

③NPO代表のIさんの「なんちゃっていろいろ」提案
生きていくうえでのスタンス、ポリシー、あり方。Sさんが「なんちゃって」なのだとしたら、Iさんは「くだらない世界」なだという。Iさんの話を聞いていると、言っていることはSさんとの共通点が多い。それを言うとIさんはこう言った。
「そうだね。言葉のつかまえ方、とらえ方の違いだけかもしれないね。あなたは、Sさんだけでなく、ボクだけでなく、たくさんの人の言葉を集めるべきだよ」
なるほど、それは面白いかも。集めてみます。

④ブログに関するご意見いろいろ
・読み物としてまとめようとしすぎている。1日で完結しなくていい。「つづく」と書いて、その後、なかなか続きが書かれないくらいのいい加減さでいい。
・新聞連載の小説を書く要領でいい。そのかわり、1日1日に山があり、見せ場があること。
・この業界の素人の私が、Sさんの言葉に一喜一憂して驚いている様子が面白い。現場をそのまま書けばいい。
・書いてない日があると、「どうかしちゃったかな」「風邪でもひいたかな」と心配になるから、「今日はネタがないです~」のひと言がほしいなあ。

いろいろなご意見、ご要望があるものだ。読者の生の声がすぐに聞こえるブログの良さを改めて感じた。すべてをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の価値観のフィルターにかけ、残ったものだけを咀嚼して、実行していきます。
ご意見いただいた、社長のSさん、オトッサのIさん、気分のOさん、芸人のOさん、ありがとうございました。

2次会はカラオケ。(実は12年ぶりくらい)
オンチだし、ノリは悪いし、大丈夫かな~と心配していたが、……どうやら、踊ってしまったようです。いやあ~、お恥ずかしい。理性の人であるはずの私だが、このときばかりは感情が理性を上回った。
N商店のNさんと、KフルーツのHさんといっしょのときは、なぜか、酔っぱらったり、羽目を外してしまう私。どうしてでしょう。お二人のお顔は、妙に似ている……。これも今後解いていくなぞの一つです。

そして、27日。
嵐はさらに続くのであった。

(つづく)


遠州弁いろいろ

2005-12-24 20:39:41 | Weblog
中1の娘の国語のプリント「THE遠州弁~君はどれだけ知っているかな」があまりに面白すぎるので、ここでご紹介します。
皆さんへのクリスマスプレゼントは、「遠州弁いろいろ」で決まり!

○たんすと壁のあいさに何かあるに~。

○まったくっ、いっしょくたあにするなよ!

○いらんこん、言うじゃないよ!

○コップにいみりが入ったやあー。

○もったいないで、うっちゃるなよ。

○おーい、口におかあばりが付いてるに。

○そこん、かいいやあー。

○ほれ、かじくっちゃあ、いかんよ。

○頼むで見せてくりょお。

○そりゃあ、そうだけえがさあ……。

○げえが出た。

○このこうこう、どしょんばいやあ。

○うそばっかりこくな!

○あんた、しゃんべえだねえ。

○おーい、まだグランドじゅるいら?

○新しいじょんじょお、買ってやあ!

○しょろしょろしてんなよ。

○そんなこん、知らすけー。

○こりゃあ、もう、せずようがないやあ。

○そらみい、こぼしたで。

○ちみくっちゃあ、いかんにー。

○早くしんと、つんもっちゃう!

○ほれ、やかんがちんちんだに!

○暇こいてるなら、てんだってやあ。

○そんなこん、とんじゃかないやあ。

○あんたは、ほんとにぶしょったいねえ。

○ほれ、やくたいもなんこん、するじゃないに。


答えのプリントは、なだれ込み研究所に置いておきますので、いつでもお立ち寄り下さい。
では、遠州弁で、よいクリスマスを!
「メリー、クリスマス、だに~」

目利き

2005-12-22 09:28:04 | ビジネスシーン
S大のI君が「卒論に詰まりました~」となだれ込み研究所にやってきた。彼の卒論のテーマは『NPO法人におけるソーシャル・キャピタルの構築』である。
「みなさんは、何を求めてここにやって来るんでしょうか」
たぶん「NPOにおいて人と人を結びつけているものはなにか」をテーマの中心に捉えたい彼にとって、なぜ人がここに集まるのかが重要な鍵となるのだろう。
「ここで、しばらく続きを書かせてもらっていいですか」
私の席の前に陣取るI君。
「お茶は自分で入れなさいよ」
と突き放す私。そして、2人、黙々とそれぞれの作業の続きに取りかかった。

しばらくして、Sさんが戻ってきた。
「おまえ、すごいものを書こうとしてないか」
Sさんの言葉に、I君は胸を張って答える。
「思ってます!」
「情緒的になりすぎてるんだよ。自分が体験して見聞きした事象をそのまま書けばいいんじゃないか」
「はあ……」
いいものを書こうと力めば力むほどわけのわからないものになっていく、ということは、自分の創作を通じて、また『掛川奮闘記』の編集を通じて、嫌というほど実感している。私も口をはさんだ。
「いいものを書こうなんて大上段に構えちゃだめだよ。あなたはもういろいろなものを体験しているんだから、それをそのまま書けばいいの」
そうすれば、体験から得られた実感が行間からにじみ出るような、ふくらみのある文章になる。彼はそれだけのことを実体験として持っている。もっとも、「それをそのまま書く」ことが、どれほど難しいかは言わなかったが。

そんなところへOさんがやってきた。I君は卒論のことを説明した後、Oさんに、なぜなだれ込み研究所にやってくるのか、何の用事で来るのかを質問した。
「ここの事務所にはな、用があって来ちゃあ、いけないんだ」
「は?」
「オレはな、今日、ここにメシを食いに来た」
混乱しまくるI君。
その後、様々な話がOさんから切り出された。Oさん、Sさん、私が議論するのを聞いていたI君は、「なぜここに人が集まるのか」「なにを求めてここに来るのか」の一端を感じ取ることができただろうか。
苦しんで苦しんで下さい。
答えを見つけるのはあなた自身なのだから。

さて、Oさんの話は今日も面白かった。掛川の建築について話していたとき、「本物を見極める目」の話題になった。
Oさんは目利きである。目利きとは、本物を見抜く目であり、価値を見抜く力である。
私がOさんのことを初め「こわい」と思ったのも、自分の底の浅さとかをすっかり見抜かれそうと思ったから。
「どうすれば、本物を見極める力ってできるんですかね?」
「本物を数多く見ることだな。積み重ねていくこと」
「積み重ねていくこと……」
ひまさえあれば本ばかり読んでいる私は、実体験としての「本物を見る経験」が極めて少ない。胸にこたえる言葉である。
「本物を知る人にガイドしてもらえば、よりいいよな。例えば、この柱はここが素晴らしくて、この角度から見ると、ほら、こういうふうに見えるだろうって解説してもらえれば、一人で見るよりも深く知ることができる」
目利きのそばで、本物を見る目を養いたいものだとつくづく思った。
そのとき、私が思うのは、自分が本を読むことで深めてきた自分の世界というものが、決して邪魔にならないということ。本物を見たときの感情の揺れの幅、目利きから聞く話にイメージを広げること、自分の価値基準でもう一度咀嚼してみること、そういうことにつながり、確実に心の豊かさを生み出すと思うからだ。
だから、
「そんなに忙しいなら、本読むの、やめたら?」
と、いくらSさんに言われても、やっぱりやめたくない私なのです。
っていうか、ただ楽しいから読んでいるだけなんですけどね。

足るを知る心で

2005-12-21 12:31:50 | スローライフ
さて、日本都市計画家協会からの原稿依頼。苦しんで苦しんでなんとか納得できるものに仕上がったと昨日書いたが、その後どうなかったのか――。

その夜、原稿をメールで送ると、しばらくしてSさんから返事が来た。
「いやー素晴らしい! バッチリじゃないですか」
私としてはSさんの言った言葉を、忠実に表現し直しただけなのだが、あまりにストレートに褒められて、「いや~、そうかなあ~」などと調子に乗ってしまった。

で、翌日。
朝からSさんはパソコンに向かい、私の書いたものに手を加えている。こうして、さらに研ぎ澄まされた文章になっていくのだが、原稿が11時になっても12時になっても上がってこない。締め切りは昨日で、すでに催促のメールが入っている。
――たぶん、苦しんで苦しんでいるのだろう。
きのうの「いやー素晴らしい!」というのは、その時は本当にそう思ってくれたのだろうが、いざ自分で手を加える段階になるとさらに磨きをかけたくなるということ。Sさんも、表現者なのである。

そして、苦しむこと3時間あまり。
「これでっ、どうだっ!」
とプリントアウトしたものを手渡され、目を通して「おおっ」とうなってしまった。「自転車を愉しむまちづくり」の実験事業が、1年近く経った今だからこそ見えること、それが、より明確になって書かれていた。もともと内容の濃い実験事業だったのだが、「他ではやっていないぞ」という自負が感じられる文章、新しい視点の問題提起、自転車のまちづくりをすすめる他所とは、確実に差別化された書き方、見せ方だった。

タイトルは、
『自転車生活を愉しむまちへ~足るを知る心で豊かな地域生活を~』

今まで、まちづくりに「足るを知る心」という視点を加えたものがあっただろうか。
そもそも「足るを知る心」とは、二宮尊徳の報徳思想の「分度」の思想である。分度とは、それぞれの分限を守り、相応の生活をすることである。これにより収支のバランスが取れる。
二宮尊徳というと、倹約や勤労の精神だけがクローズアップされがちだが、今の時代、私たちの心に本当に必要なのは、あと二つの精神「分度」と「推譲」なのではないかと私は思うのだ。
ちなみに「推譲」は、分度を確立した上で、収入の一部を将来のため、社会のために譲るという精神であり、これはまさしくNPOの精神そのものである。

さて、「自転車によるまちづくり」における「足るを知る心」とは――。
原稿から抜粋します。

今回の取り組みにより、観光とは無縁と思われていた場所が、サイクリストの視点に立つと貴重なツーリズム資源となることが明確になった。地域生活者にとっては見慣れた田園や茶畑、適度な起伏の里山を横断する道や線路沿いの一本道、街なかに残る木の建築や路地が、美しい風景・豊かな空間としてサイクリストたちの記憶に残る。
それは、自転車がもたらす絶妙な速度感と、歩くよりも遠く広く、クルマよりも自由な機能性が、自然と生活を五感で感じとることができるからだ。

(中略)

「自転車がもたらす価値が、地域の魅力の再発見・自立と再生・活性化へと繋がる可能性を示した」というのは少し大げさかもしれない。しかし、観光都市ではない掛川のような地方都市で「ひとが自転車に乗って走る」だけの行為から、地域のひとびとが地域に誇りを持ち、その価値を知ってもらうために新しいステップを踏み出したことは事実である。
自転車ブームはまだまだ続く。サイクルツーリズムを標榜する地域も現れてきた。その中で、私たちが取り組む「自転車を愉しむ生活提案」。それは、足るを知る心で、個性的で豊かな地域生活を実現するためのひとつの手段なのである。


お金をかけて「うわもの」をつくらなくても、「足るを知る心」で見れば、地域には素晴らしい資源がたくさんある。それは、茶畑だったり里山の風景だったりするわけで、サイクリストの視点を持つということは、私たちが普段忘れがちな「足るを知る心」を思い出しやすくしてくれるということなのだ。
まちづくりにサイクリストの視点を持ち込むだけで、ただ自転車に乗りさえすれば、地域は活性化する。言い切ってしまえるところに、やってきたことへの誇りがある。

私が苦しんで苦しんで、さらにSさんが苦しんで苦しんだ文章をじっくりとお読み下さい。

(写真は、現在修復工事中の大日本報徳社です)


表現者シリーズその2~表現者のズル~

2005-12-20 21:18:07 | スローライフ
NPOスローライフに、日本都市計画家協会から原稿依頼がきた。昨年度の全国都市再生モデル調査「自転車によるまちづくり」を受けて、「市民で進める自転車プロジェクト」と題しての原稿である。

2週間ほど前、Sさんから資料を渡された。期日は20日だったので、19日までに仕上げて渡そうと準備をしていた。Sさんからは、
「前に都市再生本部に出した原稿があったよね。字数が合うように、それに手を加えればいいよ」
と簡単に言われていた。
予定通り19日に仕上げ、原稿を手渡した。でも、今日の朝見たら、書類の山の中にファイルごと埋もれ、チェックしてくれてある形跡は見られなかった。
「あのー、この原稿、今日が締め切りなんですけどー」
「ごめんっ、これも今日なんだっ!」
パソコンに向かい、キーボードにけんかを売っているように打ち込み続けるSさん。まあ、こんなことは日常茶飯事なんですけどね。
実際、Sさんが原稿を見たのは昼過ぎだった。
「うーん、これじゃあオレたちがやってきたことと、言いたいことの半分も伝わらないよね。よそでやっていることとの違いを際立たせたいからさ……」
Sさんがしゃべり出す。
こうして、またもや口述筆記と原稿の書き直しが始まるのである。

たしかに、今までの原稿では、最近になってさらに見えてきた「自転車によるまちづくり」の意義や可能性といったことが的確に書かれていない。何げなくは散りばめられているのだが、私の目から見ても簡潔とは言い難かった。つい、「前に出した原稿に手を加えればいいよ」という言葉に甘え、書き直そうという気持ちを無意識に奥の方にしまい込んでしまったのである。

それを見抜かれたような思いだった。例えていうなら、「今日の煮物はいまいちだなあ」とひそかに思っていた日、子どもたちが「おいしくない!」と煮物を確実に残している状況とちょっと似ている。
正直言えば、表現者として手を抜いた。ズルである。昨日のブログの中で「表現者としてのファースト・プライオリティ」などとエラソーなことを言ってしまった翌日だというのに、まったくもってお恥ずかしい限りである。

そんな気持ちを知ってか知らずか、Sさんは容赦なく高い要求をつきつける。
はいはい。やってきますよ。期日が一日遅れようとね。
これが、品質管理っつうもんですか。

こうして、苦しんで苦しんで、なんとか納得できる原稿が仕上がりました。
ズルはやっぱりバレちゃいますねえ。
いやはや。