なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

M町ツーリズム研究会と「まとめよう」とする思考

2005-10-24 22:20:14 | ビジネスシーン
夕方6時に再び出社し、M町のツーリズム研究会の第2回ワークショップの会場に向かう。地域資源を活用した農山村体験型メニューを整備し、受け入れ態勢づくりをすすめる研究会なのだが、アドバイザーとしてSさんがメンバーになっているのだ。私の仕事は、議事録を作成するため、現場で生の声を聞き、その場の雰囲気や流れをつかむこと。

第1回のワークショップでSさんがくり返し言っていたのは、「資源」とは実体験を伴った「資源」でなくては説得力を持たないということ。例えば「M町には硫黄の出る沢があるらしい」というだけではだめで、「私は硫黄の沢の湯を汲んで、毎日おふろに入れているから身体の調子がすごくいい」になってはじめて「資源」になる。つまり、実体験に基づく生活提案がされて、はじめて「資源」になるというのだ。
なるほどー。
メモを書きながら感動している私である。

さて、グループワークでは様々な意見が出たのだが、特に私が感じたのは「まとめることは、いいことなのか」ということである。
最初から「うまくまとめよう」と思考が働いた瞬間から、最大公約数的な、平均値のような、ありふれた答えになってしまう。斬新なアイデアや、日常のごくありふれた一コマ(それこそ地域資源!)を自分の頭から抜き出すことができなくなってしまうのではないかと思うのだ。

これは、実は私の「書く」姿勢にも共通することで、自分の欠点を突きつけられたような気持ちになった。
私の頭はすぐ「まとめよう」という流れに行く。まとめるという思考は、報告書や議事録には役立つが、小説を書くときには両刃の剣になる。
「うまくまとまっているけれど、ありきたりで面白みがない」
そういう小説になってしまうということである。
小説を書くとは、結局はエピソードの積み重ねである。まとめた話ではない。日常の何げないエピソードの中に、その積み重ねの中に、人間が見えるのである。

私に足りないのは、まさにその「まとめない」ということ。
ついついまとめてしまう頭の動きを、どうやって止めればいいのでしょう。
悩みは深い。

Sさんの口ぐせ

2005-10-14 22:01:18 | ビジネスシーン
Sさんの指示は期限なしのこともあれば、2~3日でというのもある。期限なしだと思ったら、急に「明日まで」なんてこともあるので、いつ、なんどきどんな指示を出されても応えられるように、常に一生懸命のせっぱ詰まった状態で仕事をしている。でも一番困るのは、昼どきに「今日の6時頃までにやっておいて」という仕事である。

飲まず食わず、洗濯物も入れず、ご飯の仕度もせず、必死で原稿を書く。
「ママ、宿題の本読み聞いててよ」の言葉にも「わかったから、あっち行ってなさい」と答える母。
せめて1日あれば、まわりに迷惑かけることなく、精神的にも追いつめられることなく、夜中にじっくりできるのに……、と思わずにはいられない。

でもまあ、そういう仕事なのだろうと、最近はあきらめた。Sさんの電話にこっそり耳を傾けたり、机の上を何げなくチェックして、締め切りの近そうなものを確認したり、出来ることはしているのだけれど、さすがに携帯電話の中と頭の中の情報は見ることができない。
それでもまあ、私の限界を超えない程度には仕事量を調整してくれている(らしいので→それでもって、調整したものは自分でやっているらしいので)、まあ、私は私で自分の限界を引き上げる努力をするしかないのだろう。

それでも、いい仕事であり、いい職場なのだと思う。
「まったく、困っちゃいますよ」「いい加減にして下さい」の言葉がちゃんと言えるのだから。
Sさんが「私はいつも女性に怒られるんですよ」と口ぐせのように言っているのは、こういうことなのである。
ちなみに深読みの私は、そうやって女性に許しを請う高度なワザを使っているSさん、と冷静な目で判断している。

Kおかみさん会 街中美術館

2005-10-13 21:54:21 | まちづくり
Kおかみさん会が主催する「街中美術館」のパンフレット兼マップをリニューアルすることになった。詳細を代表であるYさんから聞く。その後、ネットなどで調べてみると「Kおかみさん会」のすごさが改めてわかった。

街のにぎわいを取り戻すため、様々な仕掛けやイベントを打ち立て、実行していること。しかも、それらが地域につながりを持てるような形で仕立てていること。
例えば、今回の「街中美術館」も、街なかに子どもたちや若いお父さん、お母さん世代に来て欲しいと、子どもたちの絵を街中に展示し、自分の絵が「どこにあるのかな」と探す中で、街を歩き、街を見て回る仕掛けになっている。

行政側との折衝、幼稚園・小中学校との連絡や実際の作業など、頭の中でシミュレーションしただけで、その手間は相当なものだとわかる。さらに、これを月に一回の恒例イベントとし、その他にも恒例イベントをいくつか実施しているというのだからすごすぎる。

これらは、街なかのおかみさん達が行っている。「おかみさん」だから、当然女性たちである。お店があり、家のこともあり、子どものこともあり、様々なことがある中で時間のやりくりをし、活動している。

平成6年に前身であるグループが組織され、今の会が発足したのは平成8年というのだから、すでに10年の実績があるということだ。
「街に昔のようなにぎわいを」
その願いの一端に、私も関わることができて嬉しいと思った。
街のことも、地域のことも、ほんの一年前まで考えもしなかったけれど、私も、街なかで生まれ育っているのだから。

スローライフエントリーのなだれ込み

2005-10-06 21:30:25 | スローライフ
「Sさんがいないと事務所が静かだよね~。仕事は進むし、仕事が増えないからいいよね~」
うららかなお昼どき、Kさんとの会話である(といっても、ほとんど私一人がしゃべっている)。
今日は終日Sさんが出張だった。

午後もこの調子でたまった仕事を一気に片づけて……、とうまくいかないのがこの事務所である。午後からは、スローライフエントリー者が続々となだれ込んできた。YちゃりのYさん、Oさん会のYさん、ビーズのSさん、パソコン教室のFさん、そしてS事務所のHさん。Hさんは会場を探しているということだったの、急遽竹の丸に案内する。
「えー、ここは明治の豪商の屋敷跡で、枯山水の庭に面して書院があったんですけど……(後略)」
一階の座敷からの庭の眺め、二階からの掛川城の眺め、建物としての価値、竹の丸再生に向けての市民の動き(枯山水の庭の復元や、畳の張り替えイベント)などを説明する。『木の建築フォラム』のテープ起こしをしたので、竹の丸に関してはちょっとした「通」になっているのだが、説明しながら、知らないうちに自分も竹の丸のファンになっていることに気がついた。一年前まで、その存在さえも知らなかったというのに。さらに、「石の丸屋敷」と名前を変え、小説の題材にもしてしまった。

こうしてお客さんを現場に案内するのは初めてだったが、人に説明することで、自分の気持ちに気づいたり確認できるものだ。なだれ込んでみるものですねえ。

だけど。
今日になってエントリーになだれ込んだみなさん。
締め切りはもう一週間も前なんだよ。来年からは締め切り守ろうね~!