なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

思い入れを排除し、淡々と語ること

2006-08-20 22:18:26 | 映画観賞
これから本格的に関わろうとしている印刷物の仕事の関係で、
「この映画は絶対に見ておいた方がいいよ」
とK造さんに薦められたのが、『アメリ』と『初恋のきた道』だった。
『アメリ』はフランス、『初恋のきた道』は中国が舞台の映画である。

『アメリ』では、かわいらしく、人を幸せにさせるアメリの世界と、アメリの心の闇が、同じリズムで、同じスタンスで、はしゃがず淡々と語られるのがいい。

両方の映画とも小道具が利いていて、場面としての映像が素晴らしかった。いわゆる『アメリの世界』と言われるもの、それを感じる感性、それをどう表現しているか、といったところのエッセンスがこれからの仕事に結びつけば、なかなか面白い印刷物に仕上がるだろうと予感させるものがあった。
……と仕事のことはさておいて、いい映画はいい、と改めて思った。

そもそも私は映画に弱い。映像をじっと見ているのが苦手なため、自宅でビデオ鑑賞などほとんどしない。想像の余地がある小説の方が心を震わせる、と勝手に思い込んでいるところもあった。
しかし、である。
今回、薦められた映画を見て、とくに『初恋のきた道』が素晴らしいと思った。

ストーリーはここでは語らないが、中国の大地の映像を見ただけで、どうしてなのか心が震え、涙が出てきた。
黄金の麦畑、雄大な山々、白樺の林、村から町へと続くなだらかな道。日本の原風景とは色合いも質感もまったく違うのに、そうした風景を見たこともないのに、どうしてなのか、懐かしい風景として私には映った。
少女の着ている鮮やかな色の服と、一途な表情。物語が淡々と語られれば語られるほど、そうした風景の中、鮮やかに浮かび上がる。

あまりにまっすぐな一途さは、今の時代では受け入れられないところがある。その一途さが、まったくの作為を感じず、ストレートに胸に響くのは、時代設定もあるのだろうが、あくまで、「思い入れを排除し」「距離感を持った人物の捉え方をし」「淡々と」語られるという、「どう語るか」に負うところが大きいのではないかと思った。
町から村への一本道を、棺を抱え、皆が黙々と歩く場面は、泣かせようというような描写を一切排除しているにも関わらず、人の心のまん中の、一番柔らかい部分を震わせる。今どきの安易な感動ものとは、一線を画す品格のようなものが確かにあった。

瀬戸物の修理の場面では、こんなことを思った。
そういえば、昔ははこんなふうに普段使いの道具を修理する場面をよく見たなあ。道具を直すことは、道具を大事にすることであり、直す職人の手仕事を見ることであり、職人を尊敬することだったんだなあと。子どもの頃、修理をするのを見るのが好きだった。そんな場面を思い出した。
冒頭、棺にかける白い布を織ると言って聞かない母親に、主人公は「買えばすむことだよ」と言った。今の時代の「買えばすむ」という生活は、それと引き替えに、どれだけたくさんの大事なものを、指の先からこぼれ落としているのだろう。

映画ビギナーの私に、またお薦めの映画を教えて下さい。さっそく、「映画観賞」というカテゴリーを、このブログにも作りましたので。