今日は掛川ライフスタイルデザインカレッジ「ネイチャーフォトグラフィー」の第2回目だった。撮影場所はならここの里。
受講生にまじって撮影をし、撮影した写真をみんなで見て、講評を聞いていると、同じ場所で撮影をしているのに、それぞれまったく見方が違うんだなあと実感する。興味の対象、感性のおもむく先、どこからどう撮り、どう切り取るかが全く違う。
一人一人が、みんなそれぞれなのだ、と金子みすゞの詩の一節「みんなちがって、みんないい」をふと思い出した。
(金子みすゞ『私と小鳥と鈴と』より)
講師小川さんの印象に残った言葉を以下に。
「デジタルカメラのオート機能は親切だから、人が失敗しない方へ失敗しない方へ動いてくれる。作品の美しさよりも、最低限失敗しない方、間違いのない方へ動く」
「自然の風景の中に、ストロボという人工の光が入るのは不自然だと感じる」
「余白があると、その場の空気感を感じる」
「モリアオガエルの卵があると、卵だけを撮ろうとしてしまう。しかし、モリアオガエルの卵が必ず水の上に作られることを知っていれば、写真の中に水辺は必ず入れる」
それにしても、カエルの卵が木につくとは知らなかった。
ネイチャーオンチの私としては、モリアオガエルが木に登ったときのことを想像しただけで、かなりの驚きだった。(それとも、木に登らなくてもできちゃうの……??)
モリアオガエルが何年の寿命があり、この季節にいるのかいないのかさえ知らないが、遭遇しなくてほんとによかった、と心から、こっそり、思ってしまった。
ちなみに冒頭の画像。階段を上がった光の先に何があるのか知りたくて、撮ってみました。