年上の、しかも彼の生み出す建築のラインに惚れ込んだ、ある意味尊敬する建築家にエラソーなメールを送った。
「ブログを始めて下さい。自分の価値基準を示す場として、ブログは非常に有効です。玉石混淆のブログの中で、質の高い生活者は、質の高い情報を、自分と価値観の似通った人を、確実に求めています。デジタルは苦手、だなんて言っている時代ではありません。自らの価値観を、価値基準を、生活者に向けて発信して下さい。おせっかいなようですが」
彼は建築家吉村順三の孫弟子にあたる。「吉村順三は、多くの文章を残さなかった」とどこかで読んだことがあるが、建築家が語るべきものを表現するのは建築であるべき、と思っていたのかもしれない。
しかし、「自分らしい住まい」を志向する生活者にとって、建築家が何を考え、どんな哲学を持っているのか、きっと知りたい情報なのである。ブログ、という手段があるのに、それを「ツール」として使わないのはもったいないし、ズルだと思う。
彼には語るべき哲学がある。
建築だけでなく、言葉でも表現すべきである。
「簡素でありながら美しいもの、自分達の住んでいる日本の、長年にわたる風土と文化によって培われてきたさまざまな建築から学び、日本の気持ちから出たものをつくるべきでしょう」
吉村順三の言葉であり、紡ぎ出された言葉は静かで、潔く、品がある。
メールを送ると、「メール読んだよ、その件だけどさ」と電話をかけてくるアナログ人間T橋さんであるが、T橋さん、ここまで来たら、ブログを書くしかないでしょ。