なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

2006年総括(2)

2006-12-31 18:30:02 | ライフスタイル
今年はあまり本が読めず、「これだ!」とオススメできる本が10冊に満たなかった。
なだれ込み研究所の納会でO川さんに、「自分の小説を書くために人の小説を読むな」とキツく言われたが、それでは人生の楽しみの半分をあきらめるようなものである。夢や目標と楽しみを両立したいなどと甘ちゃんなことを言っているから、いつまでたっても自分の小説が書けないのかもしれないけれど。
でも私は、楽しみを削るつもりはないのです。
(……って、年末までケンカを売っている)

ということで、今年読んだ本の「マイベスト7」を以下に。
(順位はなし)

①『風が強く吹いている』三浦しをん著(新潮社刊)
②『サウスバウンド』奥田英朗著(角川書店刊)
③『ガール』奥田英朗著(講談社刊)
④『獣の奏者Ⅰ闘蛇編・Ⅱ王獣編』上橋菜穂子著(講談社刊)
⑤『幸福ロケット』山本幸久著(ポプラ社刊)
⑥『そして、ねずみ女房は星を見た』清水真砂子(テン・ブックス刊)
⑦『なぜ生きるんだ。自分を生きる言葉』坂口安吾刊(イースト・ブレス刊)

自分の好みの本を探しに探している、という感じが出すぎているような気もするベスト7。坂口安吾の『なぜ生きるんだ。自分を生きる言葉』は書店で偶然見つけた。生誕100年特集で平積みされていた中の1冊だった。坂口安吾は全集に収められている「アンゴウ」という短編しか読んだことがなかったが、この「作品から抜き出された言葉集」ともいうべき言葉の数々は、一つ一つ私の胸に、じっくりと深くしみ込んだ。

坂口安吾は「人の魂は、何物によっても満たし得ないものである」と言っている。
それでも自分の求めるものを求めるため、人は行動する。求めて、得て、満たされなくても、求めるものがあることが幸せなのだと私は思う。
来年も、かたくなに求め続けるつもりです。


2006年総括(1)

2006-12-30 22:41:23 | ビジネスシーン
今年も1日を残すだけとなった。振り返ってみると、カレッジに始まりカレッジで終わった1年だった。
NPO法人スローライフ掛川の運営する掛川ライフスタイルデザインカレッジ。事務局として、月に1~2回行われるベーシックプログラムには毎回参加した。全5プログラムあるアクティビティにも、事情の許す限り参加した。インドア派の私が、サイクリングで45㎞を走ったのも、山間の風景の中、フライフィッシングが出来たのも、カヤックで気田川を下ったのも、すべてカレッジのおかげである。事務局として記録を残す、という立場にいなかったら、たぶん一生やることはなかったものばかり。やってみたら、確実に私に何かを与えてくれたものばかり。

来年、カレッジを1冊の本にまとめる。フォーラムは講演会を抄録としてまとめ、その他も記録として残す。どんな視点でどんな展開でまとめるか考え中なのだが、私はこういう書籍を編集する仕事が好きなのだと思う。K松さんの『掛川奮闘記』を編集しているときは、ただ文章の編集だけだったが、今回は構想段階から考えることができる。自分でも成長したなあと思う。たぶん、掛川市の市勢要覧の仕事をさせてもらったことが、大きく影響している。事務方とはいえ、ずっと作り上げる過程に関わることができたから。

ホームページを作り上げていく仕事にも携わった。小ぎれいなだけでない、きちんとメッセージのあるホームページ。芯のある想いを、臭くなく、ちゃんと伝わるように表現する。たくさんの情報から、何をどういう順番でどのように見せていくかを考える。どのように分類しどのように表現するかを考える。
身の回りの整理整頓は苦手だけれど、情報を整理するのは得意だと思う。これはあくまで自分でそう思っているというだけだが、自分では新たな発見だった。
システムのことなど全くわからないアナログ人間の私が、デジタルのことに興味を持ち、Web2.0関連の情報を積極的に集めるようにもなった。

知識も、知恵も、考え方も、とてもたくさんのものが、うまく表現できないけれど曼荼羅状態になって私の中に詰まり始めている。生活も、かなり変わった。人生観も、変わった。
課題もある。カレッジの運営に振り回されて本来の仕事がきつかったこと。会社としても、新しい仕事を取ってくるということとの両立も実現させなければならない。個人的には落ち込みを乗り越えるすべも、身につけなくてはいけない。

来年は、Y村さんとともにS藤さんの初出版ももくろんでいる。
私自身、フィクションに再チャレンジする。
やりたいことがどんどん増え、それが実現可能な位置にいる。

なだれ込み研究所の価値

2006-12-30 01:00:44 | ビジネスシーン
仕事納めだった今日、なだれ込み研究所にはたくさんの人が訪れた。
論客I川さんが来たとき、仙人アートディレクターのH岡さんと「なだれ込み研究所の価値とは何か」を話し合った。
H岡さんはこう言った。
「人生とは、幸せとは、生きるとは、そんな青臭いことを日常会話の中で大まじめに話すことができる。そして、ここに来ると、元気になる、前向きになれる、何かヒントが得られる、出会いがある、そんな場である」

I大学のE戸君が水戸から卒論の取材に来た。一泊二日、年の離れたこの濃い大人達の話を、彼はどう思って聞いていたのだろう。明日、もう一日あるが、スローライフの定例会議に参加し、交流会にも参加し、大人達が勝手に盛り上がるのを間近でじっと聞いていた。

その交流会の席で、「怒れ怒れ」とS藤さんから言われた。この事務所に関わるようになって、私は本当に喜怒哀楽が激しくなった。それまで、どちらかと言えば人前で感情を露出されることなどなかった。
それがここでは怒る。泣いて怒る。
私が上っ面なつきあいで保ってきた「自分」というものを、片っ端からぶち壊してくれる。距離感を保ち、鎧をかぶることがいかにつまらないことか、真剣勝負で向き合うことがどれだけ面白いか教えてくれた。それまで、差し障りのない人間関係しか築けなかった、してこなかった、ということなのかもしれない。
「本当のあなたをちゃんと見てくれる人達がここにはいるんだよ。幸せなことだ」
その通りだと思う。思うのと同時に、そうやってなだれ込み研究所の価値を私自身が植え付けられているのではないかと、価値を実感した上で思うときがある。

この記事は、
「推敲なんかするな。10分で書け」
「酔っぱらったとき書いてみろ」
そんな言葉に乗せられて書いてみました。


仕切りと演出

2006-12-28 19:19:59 | ビジネスシーン
昨日、なだれ込み研究所の身内だけの納会が行われた。
会が始まる直前、私とS木君に、
「今日の司会進行、二人で仕切れ!」
とS藤さんから指示が出た。

今までただその場にいて、おもてなしと称しつつ自分が楽しんでいただけの飲み会。S藤さんの場を盛り上げる力に「さすがだねえ~」などと他人ごとのように思ってきたツケが一気に来た気がした。

冒頭のあいさつ、誰に乾杯を頼むのか。どのタイミングで主催者側からのあいさつとお客様のあいさつを入れていくのか。恒例のひと言を誰からお願いして、次は誰、その次は誰……、そして発言のあとの的を射たアドリブ。ポイントポイントで場の雰囲気を読みながら仕切っていく……。
そのあいだも、二次会の会場への移動手段をどうするか、車の手配と人数の割り振り、会費の徴求。おもてなしをしつつ、自分もお礼のあいさつをし、全体を目配りしながら飲み物を頼んだり。
……私には、ぜんぜんちゃんとできなかった。

そもそも人前でしゃべるとあがってしまい、準備してきたことや練習してきたことがすべてパーになってしまったり、調子に乗りすぎて思ってもいないことをしゃべってしまったり。だからどんなに時間をかけても自分の伝えたいことが表現できる「書く」ことを選んだ。
なのに、なだれ込み研究所ではそれだけを許さない。

ただの宴会の場、ではない。
おもてなしをする場であり、会社はそもそもプロデュースする会社。演出できなくてどうする、と確かに思う。
でも、苦手なのだ。慣れていないし、今まで自分のこととしてちゃんと見てこなかった。
……でも、だからって、例えば学習して慣れてそれが上手になった自分を想像すると、そういう自分はあまり好きじゃないような気がする。自分が思い描く自分の姿なんて単なる勝手な思い込みで、あれこれ考える前に役割としてやるべきなのだろうか。
こうしていちいち考え込むこと自体、たぶんナンセンスで面倒くさいヤツなのだろう。

夜のお仕事

2006-12-27 00:09:41 | ビジネスシーン
S木建設さんの完成見学会のチラシを作るにあたり、施主さんと設計・施工管理を担当した監督さんにインタビューに行ってきた。19時からの、夜のお仕事である。
そのまとめを、今、終えたばかり。

以前、なだれ込み研究所で作る完成見学会のチラシが、他の会社でつくるものとどこが違うのか、S藤さんはこんなふうに言った。
「いくら『こう作って』と頼まれても、それが商いの環境整備の中でもっといい方法があれば、『そりゃあだめだで、こうやんない』と言うよ。見学会の印刷物も、ただ小ぎれいにつくるだけならどこにでもできる。うちがやる意味は、商いのトータル的な環境整備の中で、今回の見学会がどう位置づけられ、では今、何を、どんなコンセプトでやっていくべきか提示できること、それを表現できること。受け手がちゃんと見てくれる、読んでくれる、心で感じてくれる、そんなストーリーのある表現物が作れるということだ」

今まとめた原稿、ちゃんとストーリーが感じられるだろうか。住まいづくりのドラマが感じられるだろうか。
人肌のある文章で、押しつけがましくなく、心に届くものを、書きたい。

突然と、予定通りのお客様

2006-12-25 20:15:25 | スローライフ
朝10時、その電話は鳴った。
「あのー、今里と申しますが、そちらで出版されている『掛川奮闘記』という本を買いたいのですが」
一般書店での流通はしていないため、時々こうして本を送ってほしいという電話やメールが入る。この方もそうなのだと思い、送料など一覧にしている表を取り出そうとしたとき、
「今からそちらに伺いますので」
「はい?」
「同志社大学の今里と申しますので」
と電話は切れた。

それからばたばたと資料やら本を準備し、同志社大学大学院総合政策科学研究科の今里滋教授がおみえになった。
まちづくりの話、スローライフの話、農園の話と話題は多岐に亘り、その間、レンタサイクルのリバイブに興味を持たれ乗ってみたり、サステイナブルな椅子に興味を持たれ座ってみたり、紙ひもクラフトに興味を持たれ手にとってみたりと、好奇心旺盛な先生だ。
ちょうど農園の話をしているとき、キウイフルーツカントリーにお使い(?)に行っていたS木君が、キウイフルーツをお土産に帰ってきた。
「このキウイフルーツが美味しいんですよ」
と、さっそくすすめる。そのまま、キウイフルーツカントリーにもなだれ込むことになった。
なだれ込みを地でいくようなアクティブで気さくな先生だった。
京都の町屋でゼミを行っているということで、ぜひ、NPOが京都へガイドサイクリングの視察に行くときには(2年前から計画しているのだが、ちっとも実現しない)、ぜひ伺いたい、ということになった。何より、また掛川にお越しいただきたいものだ。まだまだ、ご案内していない素晴らしいポイントがたくさんありますので。

さて、午後1時には産経新聞の記者がみえた。先週、オーガニックファーミングの受講生に、「農業」「ライフスタイル」「セカンドライフ」についての話を聞きたいという連絡があったため、受講生のM本さんにお願いしていたのだ。
お昼休みを取材にあててくれたM本さんが、1時5分におみえになった。
ご自身がオーガニックファーミングをどう受け止め、カレッジに参加してどう生活の変化があったのか、取材を通じてはじめて知った。今年、何度ポトフを作ったかわからないこと、お子さんたちに農園のことをたくさんおしゃべるすること、「次はあれを作ってこれを作って」と、畑に植える野菜のリクエストがあることなど。

嬉しそうなM本さんの顔はとても輝いていて、事務局として本当に嬉しかった。カレッジ1年目ということで大変なことも多かったが、それを吹き飛ばすかのようなお話だった。取材を快く引き受けてくれたこと、こんなに喜んでくれたこと、そしてそのお話を聞くことができたこと、私自身、とても嬉しかったです。
皆さん、ありがとうございました。

そんなこんなのなだれ込み研究所。その後も、Mづくり株式会社のW辺君、「e-じゃん掛川」のH瀬さんなど続々となだれ込んできてくれた。デスクワークはちっとも進まなかったけれど、とても充実した、濃~い一日だった。
あまりの濃さに、頭の中が「ごった煮状態」で集中しきれず、S藤さんに出した原稿は直されっぱなし。……切り替えが、うまくできるようにならなくてはいけませぬ。

休日に想うこと

2006-12-24 22:42:59 | 読書日記
買い物の途中に、サイクルランドちゃりんこに寄った。サイクリング用の手袋を買うつもりだったのだが、ベラベラしゃべって何も買わず、逆にお土産までいただいた。
「K住さん。手袋じゃないよ、グローブだよ」
駄客に言い方のアドバイスまでしてくれるY崎さんである。

さて、私が行ったとき、ちゃりんこにはバリバリのサイクリストI田さんがいた。その後、最近サイクリングにのめり込んでいるO澤君が、2人の友人とともにやってきた。なだれ込み現象はここでも起きている。
たぶん、地域のところどころにこうした場所はあり、それは自転車やさんだったり、お化粧品やさんだったり、喫茶店だったり飲み屋さんだったりするのだけれど、共通の趣味、共通の土地柄、共通の感性などで人と人とをつなげる。
その価値を外に向かって発信しないし、そもそも価値だと意識していないかもしれないけれど、そこには確かに地域における価値がある。

なだれ込み研究所の一日をブログで発信しようと思ったとき、ここで起こる様々な出来事を、中にいる人だけが知っているのはあまりにもったいない、と思った。言葉に出して「こうだ」と明確に言えないけれど、それでもここにしかない価値を感じ、発信したいと思った。
なだれ込み研究所の社長であるS水さんは、私のことを「まとめることのできる人」と評してくれたが、たぶん、私のまとめる力がブログを書くとき役に立っているのは確かだ。さらに、なだれ込み研究所での日々の仕事やブログを書くことが、さらに私のまとめる力を向上させてくれていることも実感している。
ただ、最近思うのは、まとめる力がつけばつくほど「物語」は書けなくなってしまうかもれない、ということだ。と同時に、でも私が今ここにいるのが偶然ではないのだとしたら、私が書かなくてはいけない、とも思うのだ。

そんなことを思いながら、久々に本屋さんに行った。
「おおーっ!『彩雲国物語』の新刊が2冊も出ているではないか!」
2冊出ていたことに気づかないほど、本当にしばらくぶりの本屋さんだった。マンガのようにスルスルと読めるライトノベルだけど、主人公秀麗(しゅうれい)の、まるで私の心をそのまますくい取ってくれたかのようなセリフがあった。

「強がらなきゃやっていけないことだってあるんだから。カッコつけたい人にはうっかり強がっちゃうし、認められたい人には弱音なんか吐かない。頑張れって言ってくれる人の期待には調子こいて応えたいって思うし、無理するしかないに決まっているんじゃない。1回でも『もーいっか』なんて思ったら、それきりズルズル行っちゃうんだから。口だけでもエラそうなことを言わなくてどうすんのよ!」
あまりに痛快で「秀麗ちゃ~ん!」と思わず叫び、娘に軽蔑の目を向けられた。

ちなみに昨日は、宮部みゆきの『名もなき毒』(幻冬舎)を読んだ。刊行されたと同時に図書館に行って予約したのだが、5ヶ月たってようやく順番が回ってきた。
私にとって、今も『火車』が宮部みゆきのベストなのは変わらないが、これはこれで面白いしうまいし、宮部みゆきでなければ書けないテイストやフィーリングがてんこ盛りだ。うますぎて、さらりと書いたように感じさせるから「もの足りない」と感じる人もいるかもしれないが、それは作者が宮部みゆきだからだろう。
私には、主人公杉村の義父(妻の父)である今多コンツェルンの総帥今多嘉親(80歳)が素晴らしくカッコよかった。
「権力というものをどうお考えですか」
の問いに、今多嘉親は「空しいな」と答える。
「社員達がわけのわからん薬を盛られて、それが誰の仕業かわかっておっても、手出しができんのだ。それが何の権力者だ。そう思わんか」
そして、こう続けるのだ。
「究極の権力は、人を殺すことだ。他人の命を奪う。それは人として極北の権力の行使だ。しかも、その気になれば誰にでもできる。だから私は腹が立つ。そういう形で行使される権力には誰も勝てん。禁忌を犯してふるわれる権力には、対抗する策がないんだ。無力なことでは、そのへんの小学生と同じだろう」

この言葉を読んだとき、作者は『模倣犯』で答えの出せなかった問いの答えに(それは社会もいまだ答えを出せずにいることなのだが)、自分のこととして苦しんでいるのだと私は感じた。作家とは、なんと苦しいものなのだろうとも。
「なぜ、そうした権力を求めてしまうのか」の問いに、作者は一つの考えを提示している。今多嘉親の言葉を借りて。
「飢えているんだ。それほど深く、ひどく飢えているのだよ。その飢えが本人の魂を食い破ってしまわないように、餌を与えなければないない。だから他人を餌にするのだ」
この『名もなき毒』は『誰か』の続編であるのだが、新たなキャラクターも登場して、このシリーズの先がさらに楽しみになってきた。

あれこれ考え、あれやこれや読み、でもサイクリストOさんに借りている本はいまだ進まず、年賀状も待ったなしの状況、クリスマスイブだというのにこうして自分の心を大仰にまとめ、それで心が安堵しているような気分になっている、そんな休日の一コマでした。
(2177文字、原稿用紙5枚強も書いてしまった……)


なだれ込み研究所で行われていること

2006-12-23 18:07:57 | ビジネスシーン
S木君がなだれ込み研究所に来たばかりの頃、K造さんがかけてきたサングラスは誰が似合うか、でサングラスをまわしっこしたことがあった。マフィアの親分のようなサングラスである。
S藤さんがかけ、私がかけ、それをきっかけに私のかけているメガネ、S藤さんのフライフィッシング用の偏光グラスと、次から次へとかけまくり、「似合わない~!」と大いに盛り上がった。

また別の日は、サイクリング用のヘルメットだった。
事務所に常備してある何種類かのヘルメットを、K造さん、S藤さん、そしてI村代表までも順番でかぶり、「似合う」「似合わない」とその都度、大笑いした。意外にも、いちばん似合ったのはI村代表であった。他の二人は代表に比べ、少しだけ顔が大きかった。

そして、先日のことである。
論客のI川さんが事務所に見えたとき、どこからそういう話になったのか今となっては覚えていないのだが、
「人差し指だけ伸ばして組んだ手で、4人が座っている人を持ち上げることができる。子どもの頃しなかった?」
とS藤さんが言い出した。普通の状態では持ち上がらないのに、座っている人の頭の上に順に手をかざし、それからもう1回やってみると上がるのだという。
「ホントですか~」
そういう遊びをしたことのなかった私は、即座に嘘っぽいと思った。
「ホントだってば。やってみるか」
ということで、S藤さん、I川さん、私の3人が立ち上がった。

その時、事務所にはパソコンのメンテナンスに来ていたF田夫妻がいた。この状態だと、座る人も含めてあと2人必要だ。察したようにご主人が立ち上がり、奥さんが一瞬、ギクッとしたように控え目に後ずさった。
「ぼくがやりましょうか」
後ろからS木君が、大まじめな顔をして立ち上がった。まるでお客様に気をつかわせてはいけない、こういう仕事は自分がやらなくては、と判断したような顔つきだ。
「いや、奥さんにやってもらおう」
S藤さんがこれまた仕事の指示でもするかのように、S木君に言った。

こうして、まん中にI川さんが座り、そのまわりをF田夫妻、S藤さん、私の4人が囲んだ。I川さんの脇と膝の裏側に、人差し指を伸ばして組んだ手を4ヶ所から差し込み、力を入れる。
持ち上がらない。
「じゃあ、I川さんの頭の上に、手を順にかざして」
S藤さんの指示に、真剣な表情で臨む大の大人3人。手が、少しずつあいだをあけた状態で8段に積まれる。
「さあ、持ち上げるぞ~」
「せーの」
そして、I川さんの腰が椅子から浮いた。

……なだれ込み研究所では、日々、そんなことが行われている。本日の記事、画像がないのが残念である。

[参考までに]
理系で左脳的なF田ご主人によれば、これは上げる方4人の力ではなく、上げられる方が手をかざすことで儀式的なものを感じ、身体が緊張して持ち上がるのではないかと。赤ちゃんが、起きているときより眠っているときの方が、全身の力を抜いていて重く感じるのと同じように。
へえ、なるほどねえ。

映像が地域を変える~ロケ支援活動をきっかけに

2006-12-22 19:55:00 | スローライフ

12月20日、坂野真帆氏の講演会「映像が地域を変える~ロケ支援活動をきっかけに」が行われた。
坂野氏はまずソフトプランナーなる仕事がどんなものか、自己紹介も兼ねて話をされたのだが、事務所を立ち上げ、自分1人で仕事をしていくやりがいと共に厳しさも感じるお話だった。例えば、市民参加型のワークショップを引き受けると、たった3回のワークショップなのに、主催者側から事前に「ワークショップで話し合われた内容で図面を書き、あわよくば参加している市民が主導してくれるような流れまで作る」ことを言われる場合もあるのだそうだ。また、市民からのアイデアが全く反映されていない報告書が出ることもあると。「そういうのは嫌だ」と言うから嫌われているのですよ、と坂野氏。男気あふれる「らしい」エピソードである。

さて、坂野氏が関わっている「フイルムコミッション伊豆」の活動を紹介しながら、ロケ支援活動の現状や問題点、新たな動きや地域における意義などを話されたのだが、私が印象的だったのは次のことである。

・制作会社が欲しがっている絵は、いわゆる観光名所的なところではない。商売的には全く売れそうもない床屋さんが、今回のロケにはぴったりだと評価されたり、レトロというより取り残されたような商店街がいいという場合もある。制作者側と地元の思惑にズレがあるが、ただ人がいいように受け入れるのではなく、地域のメリットが出るような仕組みを作らなくてはだめだ。

・「あいくるしい」のロケ地ツアーを県の委託事業で実験的にやったことがある。県の広報なんて見ないような若者が、多く申し込んできた。ツアーを企画する際、「ロケのポイント」だけでなく、「ロケの場面の先を見てもらえるような」「地元の特産に触れられるような」ツアーであることを念頭に置いた。

・映像のいいところは、「映像がメディアに乗って多くの人に見てもらえること」「映像が残り、繰り返し見ることができること」「データベースとして残ることで、『変える』『変えない』のアクションのベースになること」などがあげられる。

・また、ロケによって地域資源の価値に気づく人が出てくるが、「映像」を切り口にすることで、若い人や今まで地域の資源や風景などに興味のなかった人、地域づくりに関心のなかった人などが地域を見つめるきっかけになったと。制作の現場に興味があったり、俳優や業界に関心があったり、映像文化に興味があったりと、いわゆる地域づくりに感心を持つ意識の高い人からすれば「ナンパだ!」と言われるかもしれないけれど、それでいいのだと。きっかけは極めて私的なこと、自分の興味のあることでよく、それを入り口として地域を見つめていくことこそが、自分らしい地域づくりの関わり方なのであると。

だから坂野氏は、「この掛川ライフスタイルデザインカレッジは、サイクリングやバードウォッチングや土なべで飯炊きなど、まさしく私的な興味を入り口としている。だからいいのだ」と言い切った。入り口の開いた人は、他のこともどんどん見えてくると。

講演の途中、
「しまった! パソコン、つけ忘れた」
「鼻水が出てしまいました……」
など、普段どおりのお茶目なところも垣間見せながら、坂野氏の新たな魅力も発見できた講演会だった。運営側の内輪の人間として、さぞやりにくかったでしょう。ホント、お疲れ様でした。

ちなみに今回の画像、アップの美しいのもあったけれど、あとで怒られそうなので、遠目(しかも、ちょっとピンぼけ)のものを選んでおきました。

ともだち

2006-12-19 21:24:37 | ビジネスシーン
なだれ込み研究所は、地域SNS「e-じゃん掛川」のパンフレット作成の仕事に携わったのだが、今日ようやく、メンバー全員の登録が完了した。発進から約1ヶ月半、いやあ~、大変遅くなりました。
掛川市役所のホームページによれば、本日までの登録者数は403人。リアルとバーチャルの両面で、地域をつなぎ、地域を愉しむツールになっていけばいい。

とりあえず私は、「なだれ込み研究所の一日」をリンクさせているだけなのだが、使いこなし、そういう人が増えてくれば、地域の中でかなりのことができそうだ。
例えば、掛川ライフスタイルデザインカレッジの公式ブログとは別に、カレッジ受講生用のコミュニティをつくり、プログラムの枠を越えた情報交換を「あーだ、こーだ」とするもの楽しい。使い方とともに、みんなが面白がって楽しめる仕組みや盛り上がり、そしてリーダーとなるような存在が必要だ。

ところで、この「e-じゃん掛川」には「ともだち」という設定がある。「ともだち」になると、「ともだち」の日記更新が自分のトップページで確認できたり、「ともだち」だけに紹介したい情報を枠として設定できたりする。

ちなみに私には「ともだち」が5人いる。私を「ともだち」にしてくれたH瀬さんは、「ともだち」がなんと35人もいる。努力のあとが見えますなあ。
参考までに、うちの事務所のS木君には「ともだち」が2人、S藤さんに至ってはまだ1人も「ともだち」がいない。
どうしようかな、2人と「ともだち」になってあげようかな……。そんなことを考えながら、ひとりニヤニヤしてしまった。
「e-じゃん掛川」も、なかなか楽しいじゃん!

「e-じゃん掛川」の登録はこちらからです。
http://e-jan.kakegawa-net.jp/