なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

NIPPON学となだれ込んで来たアメリカ人(その1)

2007-01-29 18:39:16 | ビジネスシーン
「カレッジイズビューティフル~!」
と言ってなだれ込んできたSザンヌが、最近、なだれ込み研究所に出入りしている。彼女はアメリカ人なのだが、気づかいや心配りの仕方がとても日本的だ。片手にメモと鉛筆、そして『日本語決まり文句辞典』という本を持ち、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしている。

しかし、なだれ込み研究所常勤の3人は英語が話せない。話せないのに、話したいことや思いついたことを全て伝えたいと思ってしまう。身ぶり手ぶりと片言の英語、インターネットの翻訳ソフトを駆使して会話をする。

「あなたはアメリカ人の私に何を聞きたいですか?」
と質問された私は、
「アメリカ人の女性は仕事と家庭をどう両立させているのですか」
を聞いた。
S木君は、お昼ご飯の片付けをSザンヌとしているとき、燃えるゴミとプラスチックの分別の仕方を説明していた。
S藤さんは、日本の祝儀と不祝儀の話から、なぜ黒と灰色の墨を使い分けるのか説明していた。
「Sザンヌと話をしていると、日本の文化というものを改めて考える機会になる」

実はSザンヌには、掛川ライフスタイルデザインカレッジの新プログラム「NIPPON学」のインタープリターをお願いした。NIPPON学は「食(米)」「装い(着物)」「書」「芸」「酒」などの切り口で、日本文化を改めて学ぶ講座である。Sザンヌには、日本人でない視点から、各回の講座で感じたことを話してもらう。中にどっぷりつかっていると気づかないことを、外からの目で見てもらうのだ。掛川の茶畑の風景を、首都圏から来たお客さんが「素晴らしい」と言ってくれて初めてその美しさに気づいたように、彼女のものの見方、感じ方は、たぶん私たちは様々な「気づき」を与えてくれる。

この「NIPPON学」での役割を説明したとき、Sザンヌは『日本語決まり文句辞典』を見ながらこう言った。
「私のような者でお役に立てるなら……」
「他ならぬあなたたちのお頼みですから……」

NIPPON学は、Sザンヌという存在が加わったことで、他にはない、新しい価値観を持つ「和を学ぶ」講座となった。まさに「縁尋の機妙」である。
たとえ英語が堪能ででなくても、上っ面でないコミュニケーションを取ろうとし、なだれ込んできたものを引き受けようとする姿勢は、様々な機会、そして新しい関係性を生み出してくれる。たとえ、机の上が書類の山になろうとも。

事実、Sザンヌには、なだれ込み研究所での新たな役割と、場所が提供された。そして私にたちには、機会が。
明日以降執筆予定の「NIPPON学となだれ込んで来たアメリカ人(その2)」は「This is your desk.」である。
どうぞ、お楽しみに!

愛しいものとしてのフランス車

2007-01-28 18:36:57 | スローライフ

掛川ライフスタイルデザインカレッジ1月セッションが、エコパにて行われた。題して「フランス車が生活を変える」である。
ちょうど1年前の企画段階で、
「ライフスタイルデザインカレッジは大まじめでアカデミックな講座もあれば、なんちゃってな講座もある。その振り幅がこのカレッジの魅力の一つ」
という話があった。このフランス車講座は、まさしく企画したスタッフたちの粋狂からくる「なんちゃって講座」なのだと思っていた。

しかし違った。
この講座は、ライフスタイルデザインカレッジの、スローライフの、王道を行く講座であった。
講師はフランス車オーナーの中村樹氏。1年前から講座をお願いしていたのだが、1年前から緊張していたという逸話を持つ。
講座の前半はエコパ内の研修室で講義が行われ、後半は第2駐車場を借り切っての試乗体験会。
講義はフランス車のイメージから始まって、歴史、特徴、日本における位置づけ、さらに画像を見ながらの車種紹介、そして中村さん自身のスローライフ的見地からの自動車観の紹介などで、1時間の講義はあっという間だった。

この粋狂に見えるセッションには、静岡、浜松からも粋狂なお客様が続々と集まった。約30人の受講生に「マニュアル車orオートマチック車」の質問をしたら、なんと30%の人がマニュアル車だった。
参加者の層も、車好きだけでなく、機械オンチ、車オンチ、免許なし、ドイツ車乗り、イタリア車乗りなど、偏らないのがいい感じだった。

では、なぜフランス車がライフスタイルデザインカレッジの、スローライフの王道を行くのか。講師中村さんと、講師補佐(?)S藤さんの言葉から拾ってみた。

「フランスは農業国であり、車はあくまで農業の道具として使われていた。生活に根ざし、ステイタスはないけれど、車とともに運転を楽しむ要素がある」

「フランス車の考え方は、人間はあくまで柔らかいものであることがわかっていて作られている。シート、ドアのノブ、クラクションの音など、人間が使う道具なのだと実感できるところがいい。長く乗ることで愛着もわく」

「フランス車は一つのモデルのスパンが長い。お気に入りの色、スタイル、そういった気に入ったものを大事にし、長く乗るという思想が息づいている。現代日本のように、気に入らなくなったら売ればいいという考えから、下取りに出したときいい値段がつくように無難な色を選ぶ、そんなことをしているから愛着もわかず、すぐに乗り替える。そうではない価値観がフランス車にはある」

「これは、まさにものを大切にする日本的な心であり、よく掛川市元助役の小松正明氏が言っていた『お手入れする思想』である。お手入れする思想が生活を豊かにし、どれだけ愛おしく思えるかで、ライフスタイルをデザインし、美しい毎日の創造を可能にするかどうかが決まるのである」

「最近は、顔つきが攻撃的で怒っているような車が多いような気がする。車社会が殺伐としている感じがする。車の表情が社会に与える影響があるのだとすると、優しい顔の車が増えればいい」

「自分が運転する車に、本当に自動操縦は必要なのか。何でも自動で動く機械の化け物が本当に必要なのか。フランス車は、自分の手で車を動かす楽しさを感じさせてくれる」

そして中村さんは、フランス車についてこうまとめた。
「フランス人の自動車観は『生活を豊かにするための道具』であるということ。そして、道具としての実用性と運転することの楽しさを両立していること」
フランス車講座をスローライフでやることの意味が、ここにあるのだと思う。

その後の体験会では、貸し切りとなった第2駐車場にフランス車がズラリと並んだ。私はプジョーとシトロエンに乗った。
フランス車の運転は初体験。その、柔らかい出だしにびっくりした。車が「異物」という感じがまったくしない。と言って一体感があるというのではなく、あくまで繊細で優しく包み込まれている感じ。アクセルを踏むとき、ブレーキを踏むとき、ハンドルを切るとき、優しい気持ちになる、そんな心地だった。
個人的には、シトロエンはその柔らかさが身体との一体感につながりすぎて、逆に恐かった。プジョーの方が好みである。

最後に、講座の実施前に中村さんから届いたメールのご紹介を――。
私がこのブログの中で、「まっ赤な車を2台も持っている中村さんは、実は恥ずかしがりやではないと思う」とコメントしたことについての返事である。彼は、やっぱりライフスタイルデザインカレッジの講師であった。

「シトロエンに関しては、前回のトラックと同様に2cvはとっても派手な車ですが、私は決して目立ちたがり屋では無いのであります(笑)。たまたま自分が惚れ込んだ車があの様な外観だったのです。シトロエン社は既成概念にとらわれない理想主義的な車作りが特徴でして、理想の小型乗用車と小型トラックを作ったらあの様なかたちになったので、外観は奇をてらったものでは無く、むしろ『形態は機能に従う』という考え方によって生まれたものであり、遊びの要素が全く無い点が気に入っています。

今でもあの目立つ2台に乗るのはとっても恥ずかしいのですが、でも一度きりの自分の人生ですから、世間の目より自分の気持ちを優先して本当に尊敬でき、素晴らしいと思える車に乗っているのです。
そうはいっても時々『道楽者扱いをされているのかも』と不安になりますが、特別高級車でもないですし、世間に迷惑を掛けるようなものではないから良いのではないか、と自分に言い聞かせています」

粋狂で道楽者だと思っていた中村さんの講座は、固定観念ガチガチの私の価値観を柔らかくほぐしてくれた。まるで、フランス車のシートのように。……こんなクサくて恥ずかしいセリフを思いついてしまったのは、きっとおフランスのせいだろう。
こうして、車オンチ、機械オンチ、フランスオンチの私のフランス車講座は終わった。さて、愛しいものとしての道具は、私の周りにあるだろうか。

スローなフランス車が生活を変える(予告編)

2007-01-23 01:48:05 | スローライフ

1月28日(日)、エコパにて「スローなフランス車が生活を変える」が行われる。掛川ライフスタイルデザインカレッジ1月セッションである。
今日、講師のN村さんが打ち合わせにフランス車に乗ってやってきた。

恥ずかしがり屋のN村さんが乗るとはとても思えないまっ赤な車。これは、シトロエンの2CVというのだそうだ。もしかしたら、2VCだったかもしれない……。

フランス車どころか、車のことも機械のこともさっぱりピンと来ない私には、何が何やらさっぱりわからないのだが、実際、乗せてもらったらなぜだか妙に楽しいのだ。サイクリングをしているときの、妙に浮かれた気分と似ている。ドアの取っ手やギアの横の何に使うのかよくわからない赤ランプと青ランプ、そういった小道具(?)がいちいち楽しい。
N村さんは、この日の試乗のために仮ナンバーを取得してくれた。ナンバーに赤い斜線があるのは、たぶん「仮ナンバー」ということなのだと思う。

実際に乗ってみると、椅子のクッションの感じがいい。懐かしいすわり心地がする。手動の窓は半分のところで外側に折れて、サイドミラーがつっかえ棒代わりになって止まるようになっていた。日本の昔の窓みたいだ。
「フランス車は日本家屋ととてもよく似ているかもしれません」
N村さんが言った。
「なるほどねっ」
フランス車が好きなS藤、S木、Y村の3人がうなずく横で、よくわかってない私も「なるほどー」と同じようにうなずいた。

それから4人は、「C3」だの「C2」だの、暗号のような会話をしていた。
そう言えば、今回のセッションに参加申込みをしてくれたスローライフ会員のS山さんが、申込書にこんなメモを書いていた。
「当方、V.W.旧ビートル、99年車です」
やっぱり意味がわからないが、何やら面白そうなことだけはカンの働くK住であった。

(2006年4月19日の記事「粋狂な人々」でもN村さんの別のシトロエンを紹介している。今見たら、こっちの車もまっ赤。N村さんって、本当は恥ずかしがり屋じゃないような気がする)
http://blog.goo.ne.jp/onimasa2004-11-11/e/12f04caf9e80bfaec5f81b9ec2e0920f

ワークショップ 「スローなフランス車が生活を変える」

■日時/平成19年1月28日(日)10:00~12:00

■集合/9:45 エコパスタジアム 西第3・4駐車場

■会場/(講義)エコパスタジアム内第1研修室
    (体験)東第2駐車場

■内容/①講義「フランス車はなぜスローなのか」
    ②体験「実際にフランス車に乗ってみる」

■受講料/カレッジ受講生   無料
     NPO会員   2,000円
     一般      3,000円

■講師/中村樹(なかむら いつき)氏
   フランス車オーナー(掛川市在住)
[メッセージ]
フランス車は日本車やドイツ車とは違う価値観でつくられています。フランス車の持つ魅力の数々を、実際に見て、聞いて、知って、乗っていただくことで感じる講座です。エコパに持ち込む車両は、プジョー、ルノー、シトロエン。フランス車のある生活がなぜスローなのか、フランス車に乗るだけでどう生活が変わるのか、どうぞお楽しみに!

※セッションは事前申込みが必要です。お早めにどうぞ。

カレッジ2年目に向けて

2007-01-20 23:44:42 | スローライフ
掛川ライフスタイルデザインカレッジ2年目に向け、現在、企画の大詰め段階に入っている。
1/18(木)の静岡新聞に「今春5講座増設~2年目へ内容充実」という記事が掲載されたように、アクティビティプログラムは、現在の5講座(カヤッキング、フライフィッシング、サイクリング、茶と器学、オーガニックファーミング)に加え、トレッキング、ネイチャーフォト、ダッチオーブンクッキング、掛川流和学などが加わる予定。
事務局には、すでに10件ほどの問い合わせが来ている。

ちょうど1年前、カレッジ開校に伴い、情報が発信された。たぶん今回の記事よりも大きな扱いだった。なのにその時より、確実に反応がある。
S藤さんとも話したのだが、これは事業を継続してやってきたことが、そして毎月のように記事になっていることが、「また出てる」「また載ってる」「NPOスローライフはいつも何かやっている」という情報の力となったことの結果なのだと思う。

先週の定例会議では、新たな講座について話し合った。掛川流和学については、魅力的な講座にするための様々な意見が出た。
「和学、和の心、といっても、辛気くさいものになってはだめ。若いヤツらが、茶髪のにーちゃん、ねーちゃんが『面白そう!』と言ってくれるような講座でなくては」
これを言ったのはS藤さんであるが、
「そのリトマス試験紙として、M繁が『面白そう!』と言えば、面白いものになる」
とも言った。M繁さんは、漁師でサーファーで、ブティックとレストランを経営しているオシャレでちょっとヘンな人である。

掛川流の和学は、酒、米、着物といった和の要素をどう掛川流に仕立て、粋な講座に仕立てるかが重要なポイントになってくる。地域ブランドの講演の中で言っていたように、「地域流儀」と「ここにしかない価値」「ここに存在する意味」を徹底的に顕在化することが求められる。だから、そのための掘り下げとストーリーづくりが大事になるのだ。

どんな講座になるか、皆さん、楽しみにしていて下さい!

1/18(木)の静岡新聞「今春5講座増設~2年目へ内容充実」の記事はこちら。
http://www.shizuokaonline.com/senior/study/20070118000000000035.htm

地域ブランド、地域商品の捉え方を考える

2007-01-18 22:50:12 | ビジネスシーン
なだれ込み研究所では、今、F市の地域ブランド事業に関わっている。切り口はズバリ、"地酒"である。今日の会議の中で、S藤さんは「地域ブランド、地域商品の捉え方を考える」と題した講演を行った。

私は留守番だったため、S木君に音声データを録音してきてもらった。聞きながら原稿に起こす、いわゆるテープ起こしをする。テキスト化しながら「なるほど」と唸った箇所は数知れず。この「なだれ込み研究所の一日」を読んでいてくれている皆さんに、おすそ分けを。
キーワードは、「地域流儀」と「生活提案」と「三つあります!」である。

まず、現在のマーケット論のさわりを話したあと、
「今回の商品をにらんだマーケットの特徴は、三つあります!」
と来た。
その三つが、なかなか「ほう、そう来たか!」と思わせる切り口なのである。「地酒」や「地域ブランド」が世の中に溢れている、ということにも触れていた。

「地域ブランドと言われる商品が本当に地域ブランドか。そうではないものが実はたくさんある」
「地域住民が面白がって、PRしてくれるような商品でなければだめ。『地域ブランドです』と言って、地域の人が見向きもしないような地域ブランドは、実はものすごく多い」

なだれ込み研究所が今まで関わってきた仕事についての紹介もあった。私が関わる前の仕事もあり、
「なるほど、この仕事はこういうコンセプトで行われていたのか」
と、再発見する想いだった。
例をいくつか――。

「何でもない普通の観光パンフレットに見えるかもしれないが、これには実は仕掛けがある。この中に込められているストーリーがある」

「自転車乗りのためだけのマップ。道(ハード)の整備ではなく、ルート(ソフト)の整備を」

「天竜材を普及させるための議論というと、校舎に使え、公共施設で使えと、すぐに出来そうな話になるがそうではない。一般の住宅をつくるとき天竜材をどう使ってもらうのか、に行き着かなくては本来の天竜材の普及はあり得ない。
では、どうするか。
地域の建築家と地域の材を使って地域の工務店で家を建てる、という仕掛けで家を建てること。『地域材をただ使え!』ではだめで、そこに生活提案があって、自分の生活を見直したとき誰が設計してくれるのか、材は何を使うのか、誰がつくるのか、まで言及しなくてはだめ。そのとき大切なのが、スタイルが良くて、商品としての価値がキレイで美しく、なんとなく持っているとステータスを感じるようなもの。そうしたことが、地域で地域ブランドを作っていく意味」

「では、地域の人が面白がって『この商品はいい!』と言ってくれるポイントは。ポイントは三つあります!」
「この会議で何をしていかなくてはいけないか。これも三つあります!」
「新しい視点でのツーリズムは何か。やっぱりこれも三つあります!」

こんな調子で「三つあります!」の講演は終わった。
このような「地域流儀」「生活提案」「三つあります!」がキーワードの講演会を実施したい方は、なだれ込み研究所までお問い合せ下さい。「なだれ込み研究所の一日で読みました」と言ってもらえると、講演料が一割引きになります。ホントです。勝手にオマケしときます。

では、S藤語録をおまけに少し。

「地酒の商品化、地域ブランドの商品化といっても、これはすなわち地域の観光にほかならない。地域を売り出す、地域に来てもらう、この感覚で商品化を考えることが大切」

「生活の中にその商品がストーリーとして息づいているか」

「そこに存在する意味を徹底的に顕在化すること」

お預け

2007-01-16 22:19:00 | ビジネスシーン

8時に出勤し、S木建設さん完成見学会印刷物の撮影に。
一部、養生を外してもらっているあいだ、カメラマンのO川さんが、なぜか地面にしゃがみ込み写真を撮っている。
「ネイチャーフォト講座の材料を集めておこうと思ってね」
何という葉っぱかわからないが、朝露が玉になった光っていた。

撮影は10時に終わったが、明日入稿という強行スケジュールのため、O川さんにはなだれ込み研究所で画像処理の作業をしてもらった。
「O川さん、ほんとすみませんねえ~、今日中にお願いしますね」
「撮影したその日に納品!」というものすごい注文なのである。
朝10時から作業を開始して、お昼の中西屋のラーメンをはさんで5時までずっとかかりっきり。きれいな写真に仕上げるための作業って、なかなか細かな根仕事(こんしごと)なのだ。

O川さんがコツコツ作業をしていると、今度は論客I川さんがやってきた。
首を寝違えたというI川さんは、身体のキレは悪そうだったが、発言は普段と変わらずキレていた。まちなかの活性化について、S藤さんと議論をする。

今、中心市街地の活性化については、たくさんのまちが様々な試みをしているけれど、なかなか形になって現れてこないのが現状のようだ。
I川さんとS藤さんの話の中で、私がすくい取れたのは次のようなこと。

「どこのまちでもそうだが、商いを単純化しすぎて一発で儲けようとしすぎている。魅力のある商いを、一つ、二つと、地道に育てていくことが大事」

「と同時に、静岡-浜松間で『ここにしかないもの』を仕掛けること。例えば、新幹線に乗ると東急ハンズの袋を持った人をけっこう見かける。一つの建物の中にある都市型ではなく、まちなかの路面店がそのまま東急ハンズのショップになったら面白い」

「中心市街地活性化の話になると、駅から掛川城への道や、旧東海道といったメインストリートの議論しかされないが、もしかしたら一本道を入った路地から、活性化の一歩は始まるかもしれない」

「金ちゃんカフェなど、インパクトがあり、集客も見込め、人の流れも作れそうな事業をまず実施してみること」

「こうしたことを複合的にやっていくしか、方法はないかもしれない。しかし、コンサルなど専門家になればなるほど、ある意味教科書には絶対載らないこうした考えはなかなか案にもならない。市民が、NPOがやっていく意味や意義は、こういうことろにある」

そんなことを話していると、電話が鳴った。S木君が電話を取り、保留を押しながらS藤さんと私を交互に見る。
「あの……、北海道のK松さんがS藤さんかK住さんかどちらかを、と言っていますが……」
「はいはい!」
と手を上げ、私が先ず話をさせてもらった。NPOの助成金交付について、どのような切り口で申請書を書いたらいいかアドバイスをお願いしていたのだ。

「……はい、はい、なるほど! はい、そういう切り口で書いてみます!」
話しているうちに、申請書の方向が見えてきた。
その後、S藤さんに変わり、I川さんにも変わり、再び私、S藤さんと、電話はたらい回しに(同じところを)された。

前に、私がはじめてこうした申請書を書いたとき、K松さんに言われたことがある。
「これは企画書と名を借りた文学だ」
その企画は落選した。今度は文学じゃない、読み物じゃないものを書きます。

そうそう、K松さんの電話を切ったあと、K造さんが事務所にやってきた。O川さんとの撮影も、中西屋のラーメンもK松さんとの会話も、それからI川さんの寝違えた首にちょっかいを出すことも、今日はお預けのK造さんであった。

8時出社続く

2007-01-15 23:27:31 | ビジネスシーン
なだれ込み研究所の出勤時間だが、私は勝手に9時半と決めている。ちなみにS木君は8時半に出社し、ゴミ出しやら掃除やらをしておいてくれる。ありがたや~。
「ごめんよー」と謝りつつも、甘えてしまっているのが現状である。

そんな9時半出社の私が、今日は8時に出社した。9時に御前崎で取材があるためなのだが、8時に出社し慣れないゴミ出しなどしつつ、S藤さんを待っていると電話が鳴った。
「別件であと少しかかりそうだから」
「先に行ってますか」
「そうして」
心の中では「ひょえ~、あんな遠くまで一人で運転できるかなあ~。心細いなあ~。道はたぶんわかるけど、迷子になったらどうしよう~」と不安でいっぱいである。
でも、私もいちおー、大人。
「はい、わかりました」
落ち着いた口調で電話を切った後、「たいへんだー、車を取りに行かなきゃー」と大あわての朝だった。

おいしいお茶やさんのN山さんに同行してもらい、なんとか無事、約束の場所に行くことができた。S藤さんも合流し、取材も順調に終えた。
原稿は明日まで。夜書けば、なんとかまとめられるだろう……と思っていたら、「今日中に」に変更の電話が。
「ひょえ~!」
事務所では仕事が進まないと思い、昼過ぎから自宅に帰って原稿をまとめる作業に。静かで邪魔が入らないと思っていたのもつかの間、思いのほかまとめに時間がかかり、子どもたちが帰ってきてしまった。
久しぶりに「おかえり」を言えたのは良かったが、人がいる、というだけで集中力は甘くなる。時間ばかりが過ぎ、気持ちはあせるばかり。

なんとか5時に書き終え、急いで事務所に戻る。すると、これまた久しぶりのK造さんが床屋さんに行って来たらしく、好青年のようになって事務所に来た。ゆっくり話す間もなく、1時間ほどの仕事の後、再び家に戻る。
バタバタと夕飯の仕度をしていたら、明日の撮影のことでS木君から電話が。各所に連絡を終え、一瞬ほっとした後、PCのメールチェックをすると、さらにやっておかなくてはいけない作業が山盛り……。

明日も、8時に出社です。

ファーマーの誇り

2007-01-13 23:19:25 | スローライフ

1月11日(木)、掛川ライフスタイルデザインカレッジ1月フォーラムが行われた。「おらはミミズ~ミミズから見た人間社会は・・・。ミミズと人間のコラボレーション。農村型循環社会が生活を変える」と題した平野正俊氏の講演会には、受講生、一般参加者、スタッフを含め約80名が集まり、会場はいっぱいであった。

講演会を通じて思ったのは、現場の人の言葉には力がある、地に足がついている、ということである。平野さんの言葉は、気負いとか、熱く語るとか、そうした感じがまるでなく、ごく当たり前のことを、ごく普通に話しているのだという「あくまで自然体」の感じなのだ。

「今日は国際シンポジウムに出席するため、朝から東京に行って、今帰ってきたところです。朝から一度も土を踏んでいない。土の上を歩かないファーマーなんて、ファーマーではないですね」
冒頭から、ファーマーであることを誇りとしている平野さんの生き方が、そのまま感じられる言葉だった。

講演では、土、水、ミミズ、有機農法、生態系、循環型社会、人類の役割など、ミミズの話から始まって、根源的で壮大な話になった。壮大といっても実はとても身近なことで、自分たちが見えていないだけなのだ。平野さんは「自然を大事に」とか「環境を考えましょう」などとひと言も言わないのに、それらの言葉は心にまっすぐ響いた。

途中、キウイフルーツカントリーJAPANで有機栽培されたニンジンを食べた。ステック状の生のニンジンは、甘く、ニンジン本来の匂いと味がした。
有機農業の価値は誰もがわかっている。その上で、デメリットを乗り越え主流になっていかないのは、効率や目先の経済性、そして面倒くささを一人一人が乗り越えられないからだ。考えてみればごく当たり前の、真っ当なそもそも論が後回しされるのは、結局はその大事さが本当にわかってないから、身に染みていないから、なのだ。

そうしたやり切れない現実を、たぶん平野さんはたくさん突きつけられているはずだ。それでもまっすぐに行動していけるのは、本当に大事なものがわかっているから。日々、自然に触れることで、人は自然に生かされているのだと実感していることで、甘えや、ズルさから逃げないでいるのだと、私は思う。
ここにも難行道を行く人がいる。

では、平野正俊語録を堪能して下さい。

「土について、自分の周りの土はどうなっているのか感心を持って欲しい。例えば、ゴルフ場の土にミミズはいるか。芝が育ちやすいよう土壌改良し、雑草が生えないよう除草剤がまかれた土は生きた土ではない。死んでいる土。その中に生命はいない」

「水耕で育つ植物もあるが、本来、根は大地の中に立つ足と同じ。しっかり根を張る、という言葉があるように、根は土の中で育つものだ」

「ミミズは土を作る。では、土をたくさん作るために外来種を入れてもいいのか。ミミズにも原住民ともいえる土着のミミズがいる。外来種を入れると即効的には効果を増すが、長い目で見ればよくない。そもそも生態系が違う」

「農業をやっていると、生態系の、循環社会の見事さを感じる。人間が自然を管理しようとした瞬間から、自然は破壊の一途をたどる。パートナーとして、自然と共存していく気持ちが大切」

「現代社会において、人は自分の周りにある、車やコンクリートの建物と一緒に暮らしているような感じを持っているかもしれないが、私たちはトンボやミミズと一緒に生きている。我々の命は、トンボやミミズといった、人間以外の生命に生かされているのだから」


「1㎝の腐葉土を作るのに100年かかる。街路樹の落ち葉を見て、あなたはゴミに見えるのか、宝の山に見えるか。ミミズを見て『ぎゃー』と言うか、手を合わせて『頑張ってるね、ありがとう』と言うのか」

「今、私たちは人類をつないでいく役割がある。『人間が生態系の一部になれるか』が非常に重要。キーワードは『いかにミミズが生存しやすい環境をつくるか』と『アジア型循環社会』である」

ミミズ・竹・キウイと言えば

2007-01-09 21:17:14 | スローライフ

1月のフォーラムは、我らが掛川ライフスタイルデザインカレッジ校長平野正俊氏の講演会である。題して『おらはミミズ~ミミズから見た人間社会は……(農村型循環社会が生活を変える)』である。

なかなか常人では「おらはミミズ」を講演のタイトルにしようなどと考えつかない。平野さんはキウイフルーツの好きな普通のおじさんに見えて、実はそうではないのだ。冒頭の画像は、アクティビティプログラム「オーガニックファーミング」での一コマである(平野さんはオーガニックファーミング講師でもある)。
お昼ご飯を食べていたとき、平野さんがのこぎり(だったと思う)を手に突然立ち上がった。
「切ったばかりの竹にお水を入れて飲むと、とても美味しくなるんだよ」
そう言うと、休憩場所のすぐ横の山肌(崖のようだった!)に駆け上った。何をするのかと考える間もなくあっけにとられていると、そこに生えている竹を切り始めたのだ。
ギコギコ……。
竹がゆっくりと倒れてくる。
「ひぇ~!」
たしか途中で、どこかに引っかかって止まったと思う。そして絶壁のような崖を「さささっ」と下りてくると、竹を手に再びギコギコ……。
受講生、スタッフは、できたてホヤホヤ(?)の竹の器で竹の香りのする美味しい水を飲んだのであった……。

平野正俊さんは、キウイフルーツカントリーJAPANの代表である。なぜ、キウイフルーツなのか。いつも疑問に思っていた。あるとき、その答えを聞く機会があった。
「アメリカで農業観が変わった。農業に自信と誇りを持ち、主体的、能動的に農業に取り組む人たちと出会い、『自分にとっての農業とは何か』を考えるようになった。しかし、日本で情熱を持って農業をやるためには、既存の体質に縛られない新しい何かが必要だった。そんなとき、キウイフルーツに出会った」
この話を聞いたとき、好奇心と意地と新しいことへのチャレンジ精神を感じた。

その農業観は――。
「畑で作業をしていると、横には小川や木があることに気づき、地中の虫や小魚にも目がいく。身近な自然とふれあい、体験することで、人は何かを感じ、何かを学ぶ。自然を壊し、開発することが発展とされる効率優先の社会の中で、農業には、農作物を栽培するだけではない機能や使命があるはずだ」
「農の復権」へ向け、悩み抜いたすえにたどりついたのが今の平野さんの農業のスタイルなのだ。そして、そこにはミミズが欠かせない……。
そんなお話が聞けるのではないだろうか。
平野さんの講演会、実は地元ではあまり聞けない貴重なものです。

平野正俊氏 講演会
『おらはミミズ ~ミミズから見た人間社会は・・・』
    農村型循環社会が生活を変える

■日時/平成19年1月11日(木)
  受付18:30~19:00  講義19:00~21:00
■会場/掛川グランドホテル2階ラファエロ
TEL.0537-23-3333
■講師/平野 正俊(ひらの まさとし)氏

■参加費/カレッジ受講生  無料
     NPO会員  2,000円
     一般     3,000円

※フォーラム終了後、交流会(会費制3,000円)もあります!

既視感と逃げたくなる気持ち

2007-01-08 20:15:41 | スローライフ
「掛川ライススタイルデザインカレッジ2006」を書籍化するにあたり、そろそろ原稿をまとめなければ、と作業を開始した。はじめてみてみると「ホントにできるのだろうか」と不安になった。

まず、12回あるフォーラム(講演会)は、講演会の音声データがすでに原稿になっているので、それを抄録としてまとめる。1時間半の講演で約80枚分(原稿用紙換算)。これを10枚分にまとめる。時間はかかるが講演のポイントをきちんと押さえていれば、あとは講演者の気持ちになってコツコツまとめていくだけだ。

問題はセッションと各アクティビティプログラム。
まず、セッション。講演というよりワークショップやフィールドワークが中心なので、何を、どんなふうに実施し、どんなことが起こり、どんなことが見え、どんな感想を持ったか、そしてこの講座が生活をどのように変えていく可能性があるか、そういったことをまとめあげる必要がある。私的な感想や視点ではなく、あくまでパブリックに。

各アクティビティプログラムも、全6~7回ある講座をどのようにまとめるか非常に難しい。すべての講座に出ているわけではないので、生きた情報をどのように文章にするか、具体的に考えはじめると途方もないような気がしてきた。

といって「ああ~、どうしよう~」と言っていても仕方がないので、とりあえず大変そうなところから手を付けてみる。
まず、セッション。7月に行われた「浜野安宏と歩く―掛川ストリートワークショップ」をまとめてみた。フォーラムやセッションがあるたび「なだれ込み研究所の一日」で詳細を書いてきたし、このセッションに関しては、セッション後に「浜野語録」を自分なりにまとめていたので、それらをつなぎ合わせればなんとかなると思った。
書いて、S藤さんに送った。
「このようなまとめ方、文体でよければ作業を先に進めますが、いかがでしょうか?」
すると、しばらくしてメールが返ってきた。
「客観的に書き過ぎ。これはレポートではない」

このメールを読んで、既視感を感じた。
「これはあの時と同じだ……」
ちょうど2年前、K松さんの本を作ることになり、はじめての原稿がメールで送られてきたときのことだ。
ホームページ上でイキイキと語れていたことが「いざ本!」となったとたん、まるで論文のような文章になっていた。K松さんの文体の美点がすっかり抜け落ち、立派そうだけど、読んでもちっとも面白くない文章だった。

K松さんは苦しんで苦しんで(たぶん)、自分の文体を取り戻した。
それには、今までホームページ上で書いたものをまとめるのではなく、新たに書くという作業が必要だった。エピソードはすでに書いたものを素材とするが、結局その文章を上書きして手直ししようとすると、前の文章に引きずられる。頭の中や心の中に残っていることこそが大事で、それを今書き、必要なデータのみ、前に書いたものから持ってくる、というようにしけければならなかった。
たぶんK松さんは、そういう書き方をしたのだと思う。

あの時と同じ。今度は私が書く番で、立派じゃなくてもその時その時の場面を思い出し、臨場感あふれる読んでいてワクワクするような文章を書かなくてはいけない。パブリックに、でも報告書やレポートのようになってはいけない。ストリーテラーを目指す私なりの美点を入れ込みながら。

それにしても……。
K松さんの本についての打ち合わせは、2年前の1月6日が第1回目。出版は3月25日だった。ということは、実質2ヶ月半で原稿を書いたことになる(毎日メールで1話ずつ送られてきた)。もちろんその間も仕事をし、様々なイベントに顔を出し、飲み会などもたくさんあっただろうし、ホームページ上のブログも更新していた。今思えば驚異的である。

……それを自分ができるのだろうか。でもやるしかない。でも逃げたい。
だからこうやってブログを書いている。