生粋の掛川っ子でありながら、実は掛川大祭について何も知らなかった。それがよくわかった今年の大祭りだった。
「大祭りと小祭りの違いは?」
と聞かれたら、三大余興(瓦町のかんからまち、西町の大名行列、仁藤の大獅子)のことをまず答える。でもそれは、そもそも論の抜けた説明だった。
掛川の祭りは七つの神社が合同で行うのだが、子どもの頃は、神事よりも「おまつり!」というイベント的な認識の方が強かった。ただ、子ども心にも「祭りにはしきたりや決まり事があり、それに反することは粋ではなく、場合によっては町のプライドをかけたケンカになることもある」ということは無意識ながらも感じていた。
普段、自分の住む町を特別愛していたわけでも、隣町と違うのだと特別意識したこともなかったけれど、祭りのときだけは、自分の町の屋台や法被や手踊りが一番だと思った。
そしてそれは、大人になっても変わらず、自分の町の手踊りを見て、長唄を聞けば、胸が高鳴り、血が熱く騒ぎ出すのを感じる。
大勢のお客さんの前で、自分が小さい頃に踊った手踊りを披露したときには、誇らしい気持ちでいっぱいになり、気持ちが高ぶり、涙が出そうになった。
そんな、祭りのときだけ自町を意識し、自町を愛する私だから、当然、自町が一番、他町のことは野暮だと勝手に思い込み、他町のことはもちろん、掛川の祭全体のことなど考えようともしなかった。
それが今回初めて、掛川の祭りとはそもそも何なのか、各町内の手踊りとは何なのか、その全体像を考えようとした。
きっかけは、龍尾神社の渡御だ。
「とにかく渡御を知らなきゃ、祭りを知ったことにはならない」
K造さんがあんまりしつこく言うものだから、とにかく一度、見てみようと思った。私の町とは神社が違うため、今まで「渡御」というものが何なのか、まったく知らなかった。
渡御とは字のごとく「神が渡る」である。龍尾神社の御祭神が、現在の場所に遷られる前におられた地に、まさに渡る。氏子19町が神社の馬場先に参集し、神事、奉納を終えた後、「瓦町かんからまち」を先頭に、神輿、神職、舞姫、稚児……と続き、その後、氏子である「西町の奴道中」、そして18台の屋台が続くのである。全長1㎞にもなる行列は氏子全町を巡り、御旅所までの約4㎞の道のり進むのである。
そうか、そうだったのか、と思った。
掛川大祭と言えば、まっ先に三大余興の話になるが、それは、掛川の祭りとは何なのか、大祭りとは何か、のそもそも論が抜けた話だったのだ。
昨年、なだれ込み研究所で『掛川市市勢要覧2005』の仕事をさせて頂いたとき、掛川大祭のコピーをK造さんに確認してもらったことがあった。
「う~ん、それなりにうまくまとまってはいるけれど、これじゃあ、大祭りのそもそもが書かれていないなあ~。でもまあ書き始めると、神社ごとに説明しなきゃいけないから、そうもいかんだろうなあ」
そのときは、言葉の意味がわからなかったのだが、今回、龍尾神社の渡御を見て、はじめてわかった。実感を伴ってわかった、ということなのだと思う。
そうやって、掛川の祭りとは何なのか、手踊りや長唄とは何なのか、ということを考えはじめると、「おまつり!」としてしか意識していなかったものが、「確かにこれは文化なのだ」と感じられる。
でも、こうして俯瞰した視点で書くことは、ある意味、自町だけを愛し、自町のみにのめり込むことから距離を置くことでもある。それが野暮と言われれば野暮かもしれないし、粋でないと言われれば粋でないのかもしれない。
でもまあ、なだれ込み研究所に関わり、そういうものの見方を身につけてしまったのだから、しかたないとあきらめ、堂々と、観察者の視点を持ち続けようと思うのであった。