なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

武相荘(ぶあいそう)へ

2007-06-24 11:25:11 | ライフスタイル

白洲次郎が、武蔵の国と相模の国の間にあることから、また「無愛想」とからめて名づけた旧白州邸、武相荘(ぶあいそう)へ行ってきた。

日本の民家の美しさ。
自然の作法に則り、正直に、清楚に暮らすということ。
大切なものを大切にするという、ごく当たり前の感覚。

屋内に入ったときの独自の匂い、ひんやりした空気感、木の建具の美しさと、当たり前にそこにある家具の存在感、邪魔にならない新しい価値観の調度品。

書斎に入ったときのむせ返るような空気感。ゆっくり、そおっと入って行かなくては、そこにある何かに叱られてしまいそうな、不思議な感覚。
ここで確かに白洲正子は本を読み、執筆したのだ。

外に出て、高台に建つ旧白州邸から街を見下ろすと、田畑や民家の点在する集落の風景が目に見えるようだった。今は現代の街並みがあり、振り返れば、しっとりと雨に濡れる武相荘が佇んでいる。


2006年総括(2)

2006-12-31 18:30:02 | ライフスタイル
今年はあまり本が読めず、「これだ!」とオススメできる本が10冊に満たなかった。
なだれ込み研究所の納会でO川さんに、「自分の小説を書くために人の小説を読むな」とキツく言われたが、それでは人生の楽しみの半分をあきらめるようなものである。夢や目標と楽しみを両立したいなどと甘ちゃんなことを言っているから、いつまでたっても自分の小説が書けないのかもしれないけれど。
でも私は、楽しみを削るつもりはないのです。
(……って、年末までケンカを売っている)

ということで、今年読んだ本の「マイベスト7」を以下に。
(順位はなし)

①『風が強く吹いている』三浦しをん著(新潮社刊)
②『サウスバウンド』奥田英朗著(角川書店刊)
③『ガール』奥田英朗著(講談社刊)
④『獣の奏者Ⅰ闘蛇編・Ⅱ王獣編』上橋菜穂子著(講談社刊)
⑤『幸福ロケット』山本幸久著(ポプラ社刊)
⑥『そして、ねずみ女房は星を見た』清水真砂子(テン・ブックス刊)
⑦『なぜ生きるんだ。自分を生きる言葉』坂口安吾刊(イースト・ブレス刊)

自分の好みの本を探しに探している、という感じが出すぎているような気もするベスト7。坂口安吾の『なぜ生きるんだ。自分を生きる言葉』は書店で偶然見つけた。生誕100年特集で平積みされていた中の1冊だった。坂口安吾は全集に収められている「アンゴウ」という短編しか読んだことがなかったが、この「作品から抜き出された言葉集」ともいうべき言葉の数々は、一つ一つ私の胸に、じっくりと深くしみ込んだ。

坂口安吾は「人の魂は、何物によっても満たし得ないものである」と言っている。
それでも自分の求めるものを求めるため、人は行動する。求めて、得て、満たされなくても、求めるものがあることが幸せなのだと私は思う。
来年も、かたくなに求め続けるつもりです。


土なべ近況

2006-10-15 20:11:45 | ライフスタイル

忙しい日々の中で、夕ご飯だけは土なべで炊いています。
「だって、美味しいんだもん!」
講師、長坂潔曉さんの言うとおりでした。

掛川ライフスタイルデザインカレッジの9月セッション『うまさ120%のご飯を食べる~田んぼウォッチング&ご飯炊き」は、確かに私の生活を変えています。

ただのズル

2006-09-03 22:23:14 | ライフスタイル

名古屋に住んでいたとき、児童文学の何たるやを教えてもらった中部児童文学会で、私は編集部に籍を置き、発送係を担当している。その105号の発送準備がようやく完了した。全部で160通。ゼーゼー。
この『中部児童文学105号』に私の中編(原稿用紙にして約100枚)が掲載されている。

「松竹梅探偵事務所~真夏の風が運んだもの~」の舞台はずばり掛川である。
アガサクリスティの「ABC殺人事件」を連想させる「あいう殺人形事件」が次々起こるという児童小説で、小学校6年生の女の子が主人公である。
舞台となる石の丸屋敷は「竹の丸」そのものだし、松竹梅探偵事務所はなだれ込み研究所のようにも読める。そこに集う人たちは、実際のモデルがいたり、いなかったり……。
ということで、もし読みたい方がいらっしゃれば、なだれ込み研究所に貸し出し用を置いておくので、声をかけて下さい。

それにしても、自分の書いた小説を読んでもらうというのはめちゃくちゃ恥ずかしい。以前、K松さんに批評してもらったとき、「自分の裸を見せるよりも恥ずかしい」と言ったことがあったが、こうしたブログのようなエッセイと違って、小説は自分というものがむき出しになる。エッセイのように笑いネタや理論武装でごまかせないし、自分のズルさ弱さ、ときにはヤワな美意識や純粋さなんかも、こっぱずかしいほどに滲み出る。
ではなぜ書くのだろう。
なぜ発表するのだろう。

きっと、私という人間をわかってもらいたいからだと思う。同じ価値観を持つ人を探しているのだと思う。
小説という表現方法よりも、こうしたエッセイの方が自分らしさが出るのではないかと、最近、気づきつつあるのだが、未だ「小説を書く」ことから離れられずにいる。
以前、私の尊敬する作家那須正幹さんが、
「修行とは、自分に才能があるかないか見極めるためにやるものだ」
とおっしゃった。
才能があるかないかなんて、自分ではわからない。だから本気で書いてきた。1枚も書く前から、「作家になんか、なれっこない」なんて思いたくなかった。
でも、そろそろ、見極められる状況になりつつあるなあという気はするのだが、それでも、未だあきらめきれず、しがみつき、あがいている。

さて、その自分の作品をどう発表するか、である。
これについては、日頃からS藤さんにあれやこれや言われている。
「応募して受賞して本になるのを待つんじゃなくて、自分のホームページを持って、身近で、あなたを知っている人が読みたいと言ってくれるなら、どんどんダウンロードできるようにすればいい。NPOで出版したっていい」

まったくその通りだと頭ではわかっているのだが、「大手出版社から本を出すことが認められること」という私の中の神話を、どうしても崩すことができない。
K松さんの『掛川奮闘記』があれほど読まれ、ローカルで出すことの意義も意味も実感しているにもかかわらず、それでも捨てられない何かがある。
ワンツーワンマーケティング、リレーションマーケティングだと言いながら、マスマーケティングやグローバルの価値から離れられないのは自分かもしれない。

S木君が、
「山を案内するのは、自分が海外のメジャーな山を制覇してからでなければ、その資格はないと思っていました」
と言ったとき、私は彼に言った。
「そんなこと関係ないよ。あなたが話す山のことを聞いていると、今まで知らなかった山の魅力が確かに伝わってくるし、本気で山に登りたくなる。登りたいと言ってくれる人が近くにいるのなら、どんどん登ればいいじゃん」
同じことだとわかっているのに、そこから一歩踏み出すのはものすごく簡単なことのはずなのに、自分のこととなると出来なくなる。
「そりゃあ、ただのズルだね」
と、S藤さんには言われ続けている。

なだれ込み研究所とは

2006-08-06 23:01:03 | ライフスタイル
私にとってなだれ込み研究所とは何か。
怒濤のように流れていく日々の中で、ときに立ち止まり、自分の立ち位置を確かめることが私にとっては必要だ。楽しいから、充実しているからと、流れに身を任せているだけではだめだと、何かが私の中で警告する。

なだれ込み研究所で働くようになり、小説を書く時間は激減した。「書く」こと、「表現する」ことができる環境であるため、「書き手」として、ある程度、満足してしまっている部分もある。
なぜ、このままではいけないのか。
どうして、そうも小説にこだわるのか。

もともと、読み手として物語というフィクションの世界が好きだ。どんなに忙しくても、小説を読んでいないとストレスがたまる。ノンフィクションや新書のようなものだけでは絶対だめで、ぐっとその世界に入り込める物語を読まないと心がささくれ立ってスカスカする。

小説とは、そもそも作者の価値基準を示すものだと私は思っている。それをストレートに書くのではなく、主人公の行動を通じて、人と人の関わらせ方を通じて、それらをどう語るか、あるいは語らないことで表現する。言葉だけで表現するものであるのと同時に、直接の言葉では語らない。ぼんやりとでも、心で何かを感じ取るもの。

最近思うのは、自分自身の価値基準が、なだれ込み研究所にいると明確になってくる、ということである。様々な人が入り乱れ、それぞれに個性の強い人に出会う。様々なキャラクターの参考になる、エピソードの宝庫だ、というだけでなく、話を聞くことで、その人が何を大切にしているのか、価値を置くポイント、ものさしに、ほんの少しでも触れることで、自分の幅が広がるのを感じる。と同時に、自分自身の譲れない部分が明確になってくる。

譲れない部分。
そう感じたとき、自分の幅のなさ、器量の狭さ、意固地なところ、いろいろ思って迷ったりもする。譲れない部分を持ちながら、振り幅を持てばいいとも思う。
しかし、やっぱり譲れない部分はある。
それをユーモアにくるみ、自分自身にツッコミを入れ、オチのネタにして、フィクションとして表現していく。
頭でっかちであるからこそ、心にじかに響く小説という手法を求めるのかもしれない。

そんなことを、意固地に、頭でっかちに、かわいげもなく考える場所が、私にとってのなだれ込み研究所なのかもしれない。

メガネとヘアースタイル

2006-07-17 00:32:11 | ライフスタイル

昨日と今日、ライフスタイルデザインカレッジのフライフィッシング受講生たちは大井川源流に行っている。事情を優先した私は、釣りの気分も、山と山に囲まれたひらけた感じも体験できなかったが、行きたかった美容院にはようやく行けた。
それと同時に、メガネも変えた。さすがに5年も使っていると、デザインも度も、かなりズレたものになっている。
一度はコンタクトにチャレンジしたものの、目を指でさわるのがこわくて挫折した。

ということで、新しいメガネをかけると、『アルプスの少女ハイジ』に出てくるロッテンマイヤーさんのイメージにだいぶ近くなってきた。なんといっても、「K住女史!」とときに言われる私の、コワさ、キビシさを演出する小道具としてのメガネである。
一週間後には、パワーアップしたメガネ姿をご覧いただけると思います。

とはいえ、コワさ、キビシさをカタカナで書いているくらいのホントはへなちょこであり、K造さんからよく言われる「あなたも案外ものを知らないねえ」に象徴される、ものを知らない私がなるべく「ものを知ってる」ように見せるための演出でもある。新しいメガネと髪型が、私の意図をちゃんと発揮してくれるかどうか。これで自分自身をプロデュースする技量がわかるかな?
一週間後をお楽しみに!

ケンカ売る、再び

2006-03-21 23:47:49 | ライフスタイル
K松さんのブログにコメントを入れたら、
「さて、お互いにブログばかり書いていないで、もう少し良質の文章も書きたいものですね」
と返事が返ってきた。
私は、ブログが良質の文章ではない、とは決して思っていない。こんなことを書くと、また、そこらじゅうでケンカを売っているね、などと言われそうではあるが、あくまで言いたいことは率直に……。

ただ、ブログは日常の覚え書きであり、自分自身のデータベースとして大事ではあるが、それ自体では決して「作品」とは成り得ないことは理解している。K松さんは、たぶん、そのあたりが言いたかったのだ。
「ちゃんと、作品、書いている?」と。

今日、久しぶりに書店に行った。
忙しさにかまけ、世間から遠ざかっている間に私の好きな作家の新刊が続々と出ていた。「あれも読みたい、これも読みたい!」という気持ちがふくらみ、それだけで幸せな気分になる。
児童文学、大人の文学、ノンフィクションと本を手に取りながら、改めて、私は今、どんな「作品」が書きたいのだろうと思った。

真っ当なことを真っ正面からなんちゃって気味に書く児童文学が好きだ。子どもに物事の本質を、ストーリーの中でさりげなく、でもきちんと伝わるように書くのは難しい。子どもも楽しめ、大人も「なるほど!」とうなるような物語性豊かな児童文学が世の中にはたくさんある。
そういう作品を書きたいと思っていた。
と同時に、こっそりと、青春小説を書きたいと思っている。
じりじりと、せつなくなるような、それでいて、向こう見ずでまっすぐな、そんな小説が好きだ。人の心を「揺さぶり」「動かし」「感じ」させる、小説はそんな力に満ちている。

さらに最近では、パンフレットにしろ書籍にしろ、読み物色の強い出版物の編集をしたいという気持ちが出てきた。もしかしたら、小説を書くことよりも、こうしたノンフィクションに近いようなものを書いたり、まとめたり、それをわかりやすく面白く提示することの方が向いているのかもしれないと、思うようにもなっている。今日も、何冊かの児童文学と小説とともに、『新レイアウトデザイン見本帖』なる本まで買ってしまった。

やりたいこと、書きたいことの幅が広がったのはいいことなのだろうか、とふと思う。あれもこれもと欲ばかりかいて、何もできなくなってしまうのではないだろうか。そんな日常に活を入れるために、K松さんは「良質の文章を」と書いてくれたのかもしれない。

一応最後にフォローを試みまして、決してケンカを売っているわけではないことを証明いたしました~。


ライトなおまけの話題2種

2006-02-10 23:59:12 | ライフスタイル
今日は、午前中デザイナーと打ち合わせのため静岡へ、午後は掛川で森林インストラクターにインタビュー。あまりの慌ただしさに、新幹線の往復切符を買わせてもらった。
掛川-静岡間を新幹線で行くなんて慣れていないため、帰り、ふと気づいたら在来線のホームに立っていた。
「ひぇー!」
新幹線が遠く離れたホームにすべり込んでくる。
走って走って走って、なんとか間に合った。

そんなこんなで、デザイナーとの打ち合わせも、森林インストラクターへのインタビューも、書きたいことが盛りだくさんなのだが、どんどん仕事がたまってしまうので、今日はライトなおまけの話題を2つほど。

中1の娘との会話。
(その1)
バレンタイン直前、学校にチョコレートを持って行ったことがバレて、クラスの女子全員が反省文を書かされた。親もコメントを書くという。
「10行以上だって」
「ええっ、そんなに」
娘の文面を読み、それらしくお詫びとお礼の文章を書く。
「はいよ。15行も書いちゃった」
「すごーい!」
「まあね、文章書くのは仕事だから」
「ママ、自分の才能がこわいでしょう~」
反省すべき娘の言うセリフか!

(その2)
『博士の愛した数式』(小川洋子著・新潮社刊)にえらく感動した娘が言った。
「どうして泣けるのかわからないのに、泣けた」
「それでいいんだよ」
「友だちなんて、『○○』や『△△』で泣けたって言ってる」
『○○』や『△△』は、最近ちまたに氾濫している泣ける系の小説である。
「ああいうわかりやすい感動ばっかじゃ、だめだと思うんだよね」
「どうして?」
「確かに泣けるけど、安易な感動の大安売りって感じじゃん」
「ママだって、そういう小説書けば、本が出るかもしれないよ」
「やだ。絶対書かない」
「どうして?」
「だって、人を感動させるツボさえ押さえとけばいいって小説なんて、書きたくないもん」
「そんなこと言ってていいの?」
「いいの。感動するっていうのは、どうしてかわからないけど心が震えるってことで、その本質を突き止めようとするのが小説なんだからっ!」
「???」

ということで、今日の詳細はまた後日。



夜のお仕事

2006-02-06 23:22:32 | ライフスタイル
今日は、森町のワークショップの日である。
夜7時から始めるため、一度家に帰り、夕飯の仕度をしてから6時に再び家を出る。そのため、夕食は5時となる。
私が一人、黙々と夕飯のカレーを食べていると、遊びに来ていた娘の友だちが言った。
「夕ご飯、早いんだね」
「うん。今日は夜の仕事があるからね」
「よ、よ、夜の仕事……」
ギョッとした顔で、その子は帰って行った……。

そう。
なだれ込み研究所は「夜のお仕事」もあるのです。
夜あり、早朝あり、真夜中あり、お泊まりあり。
様々なバリエーションで、私の順応性を試している?

ということで、これからテープ起こしなどしなくてはいけないので、今日はこのへんで。
「○○ちゃんちのお母さん、夜の仕事なんだって!」
って噂になっていたらどうしよう……。

生活者と建築家の出会う場

2006-01-29 21:54:27 | ライフスタイル
フロムフォーのお客様がわが家に見学に来るため、朝から大そうじ。5分前の到着となり、まだ掃除機をかけている真っ最中でした。失礼しました~。

さて、「from/for 建築家との住まいづくりレシピ館」は、家を建てたい生活者と建築家とを繋げる出会いの場である。建築家とオリジナルな住まいづくりをしたいと考える人は多くなっているものの、まだまだ敷居が高いイメージがあるのが実情だ。設計事務所に直接行くのも勇気がいるし、一度行ったら断るのも心配だし……。
フロムフォーには、掛川市近隣の建築家のファイルが置いてあり、プロフィールや作品ファイルを自由に見ることができる。
今日、わが家に見えたNさんご夫婦も、作品ファイルを手に取り、3名の建築家を候補にあげ、その中の一人T橋さん設計のわが家を見に来たというわけだ。

「こうやって、実際に暮らしている方から話が聞けるというのはいいですね」
Nさんの言葉に、T橋さんはにやにやしながら私に言った。
「ほれ、いつもみたいにべらべらしゃべって下さいよ」
ということで、T橋さんに設計を依頼するに至った経緯や、ライフスタイルと実際の住まいのポイント、暮らしやすさなど、T橋さんの言葉通り「べらべら」しゃべってしまった。ちょっとしゃべりすぎたかな、と思うくらい。

さて、今日はフロムフォーのT館長も一緒だったのだが、こういう生活者と建築家が出会える場があるというのはすごくいいと思う。
わが家の場合も、「建築家と話をしたいけれど、どこい行けばいいかわからない」という状況の中、県の木造館で建築家の作品をいくつか見ることができ、T橋さんと出会うことができた。今、木造館はなくなってしまったが、フロムフォーができた。
生活者と建築家を結びつける「お見合いおばさん」のように、T館長には頑張ってもらいたいものだ。

それにしても、T館長がわが家をきょろきょろ眺めていると、私の「からかいネタ」でも探しているのではないかとヒヤヒヤした。本棚などじっくり見られると、やたら恥ずかしいものがある。
「この場所が一番日当たりがいいねえ」
などと真顔で言われ、「なんだ、普通に家を見ていたのか」とホッとしたりした。

ということで、Nさん、住まいづくり、頑張って下さいね!