新築のお宅の取材に行ってきた。30年間住んだ家の建て直しである。
古くなった家は確かに使い勝手が悪いし、家族一人一人にとっても、家族としての将来を考えたときも、住まいが新しく機能的に変わるのは嬉しいことだ。
でも、いくら古くなろうと、長年住んできた家を取り壊すのはやはり哀しい。取材中、ずっと寡黙だったご主人の姿が妙に印象に残り、もしかしたら、そんなさみしさがあったかもしれないと思った。
帰りの車の中で、取材に同行してくれたK造さんが言った。
「解体専門の知り合いが教えてくれたんだけどな、家を壊すとき、施主さんには『取り壊す』って言葉も『解体』って言葉も使わないそうだ」
「え? じゃあ、何て言うんですか」
「『たたむ』って言葉を使うんだ」
「たたむ……」
「ああ、『たたませていただきます』とな」
たたむ――。
美しい言葉だ。
日本語には、こうした場合場合で使う、心の感じられる言葉がある。
人の心の中に立ち入ることはできないが、様々な相反する想いを胸に抱えながら、人は踏み出さなければならないときがある。そんなことを感じると、新しい家の取材も、ほんの少しさみしくなる。「たたむ」が、人の心を思いやる言葉だけに、よけいにそう感じたのかもしれない。
古くなった家は確かに使い勝手が悪いし、家族一人一人にとっても、家族としての将来を考えたときも、住まいが新しく機能的に変わるのは嬉しいことだ。
でも、いくら古くなろうと、長年住んできた家を取り壊すのはやはり哀しい。取材中、ずっと寡黙だったご主人の姿が妙に印象に残り、もしかしたら、そんなさみしさがあったかもしれないと思った。
帰りの車の中で、取材に同行してくれたK造さんが言った。
「解体専門の知り合いが教えてくれたんだけどな、家を壊すとき、施主さんには『取り壊す』って言葉も『解体』って言葉も使わないそうだ」
「え? じゃあ、何て言うんですか」
「『たたむ』って言葉を使うんだ」
「たたむ……」
「ああ、『たたませていただきます』とな」
たたむ――。
美しい言葉だ。
日本語には、こうした場合場合で使う、心の感じられる言葉がある。
人の心の中に立ち入ることはできないが、様々な相反する想いを胸に抱えながら、人は踏み出さなければならないときがある。そんなことを感じると、新しい家の取材も、ほんの少しさみしくなる。「たたむ」が、人の心を思いやる言葉だけに、よけいにそう感じたのかもしれない。