なだれ込み研究所の一日

物語作家を目指すもの書きが、ふとしたことから変な事務所で働くことに!
日々なだれ込んでくる人や仕事、モノやコト観察記。

お客さんの質と、来てほしいお客さん

2005-11-30 20:16:13 | スローライフ
ブログの師匠であり、私のonimasa名付け親でもあるK1さんの11/28のブログが面白かった。タイトルは「ハードから自分たちの手作りへ」

ある温泉街では、航空会社の飛行機の小型化により、旅行代理店へまとめて割り当てられる座席が減り、お客さんが減っているという。しかし、実際減ったのは「格安の旅行ならどこでもいい」というお客さんであり、残ってくれたのはリピーターだった。そういうお客さんの質の変化を見抜けず、景気が戻ればお客さんが戻ると、サービスを見直さなかった自分たちにも反省すべき点はあると、まちづくりに取り組んでいる方がおっしゃったそうだ。

お客さんの質――。この言葉には、はっとさせられた。
先日の森町のワークショップで、Sさんが同じようなことを言っていたのだ。
「これからのライフスタイルツーリズムは、ある意味、訪れる人を選ぶ観光なのかもしれない」
旅行だったらどこでもいい、というお客さんではなく、例えば「星の好きな人に来てほしい」「野菜の大好きな人に来てほしい」「鮎やアメノウオなどの川魚が大好きな人に来てほしい」、そんな訪れる人を選ぶツーリズムが今の時代、可能だというのだ。

昔の広告は大量に広告を出し、買いたい人をさがすマスマーケティングだった。今はインターネットの普及で、「私はあなたに売りたい」というワンツーワンマーケティングの商売が成り立つようになった。
たとえば、インターネットのブログを通じて、「掛川のまちにはこんないい風景がある」「天竜浜名湖鉄道沿いの道はすごくいい」と、県内外に住むサイクルストたちのあいだで盛り上がっているということを、地元の人たちは知らない。「知る人ぞ知る」情報である。
そういう情報をもとに、サイクリストたちは掛川を訪れてくれる。来たくて来てくれる旅人なのである。「訪れる人を選ぶツーリズム」とは、「こういう場所に行きたい」「ああいう場所でこんなことをしたい」という明確な、あるいは漠然としたイメージを持つ旅人が、多くの情報の中から選びとってくれた結果として成り立つツーリズムなのかもしれない。だとすると、受け入れる側も、そういう人たちに対してどんなサービスができるのか、どんなおもてなしができるのか、真剣に考えなくてはいけないのではないだろうか。

NPO法人スローライフ掛川が、昨年度国交省のモデル調査事業でしたことは、ハード面ではなく、まさにそういうソフト面でのおもてなしを充実させることだった。そのためには、まず、地元の人が地域の魅力を知らなくてはならない。
調査事業の中で、私も運動オンチながら24㎞の道のりを自転車で走った。走ってみて、自転車がこんなにも愉しく、気持ちのいいものだと初めて知った。

自転車というのは、歩きでは行けない遠くまで行くことができ、車では感じられない空気感を感じることができる。「こんな細い道に入るの?」というときのワクワク感。細い道から角を曲がり、風景がぱっとひらけたときの気持ちのよさ。のどかな田園風景の中を風を切って走る爽快さ。すべて、走ってみなければわからないことだった。
「掛川って、こんなにも素敵なところがあったんだー」
自転車というツールを使うことで、五感や感性が全開に解放される感じ。
こういう感じをわかってくれる人に、掛川に来てもらう。「訪れる人を選ぶツーリズム」とは、そういうことなのではないだろうか。

K1さんのブログを読みながら、そんなことをふと考えた。と同時に、場所は遠く離れていても、固有名詞を変えればどこの地域でも通じることがあるのだということ。
「掛川に是非行きたい!」というお客さんに、たくさん来てもらいたい。そのとき、自信を持って、実感をもって、「素晴らしい!」と紹介できるよう、住んでいる私たちがちゃんと「まち」を「みち」を「風景」を知らなくてはいけない。そういうことから、たぶん「まちづくり」というものは始まっていくのだと思う。

K1さんのブログはこちら。
「北の心の開拓記」
http://blog.goo.ne.jp/komamasa24goo/



人のせいにしてはいけない事と、人のせいにしていい事

2005-11-29 23:56:20 | ビジネスシーン
耐震強度の偽造問題が世間を賑わわせている。
昼過ぎ、打ち合わせから戻ってきたSさんがいきなり聞いた。
「姉歯が構造設計をした建築主に対してどう思う?」
「どうって……」
「じゃあ、もしあなたの知り合いがその建物のオーナーだったら、その人に何て言う?」
「うーん……」
一瞬、言葉につまってしまった。その時の段階で、新聞からの情報しか知識として持っていなかった。テレビでは連日連夜関連の報道がされているようだが、新聞では全体の紙面の何十分の一でしかないため、世間で賑わっているほど私の中での比重は大きくなかった。
「その人に対してですか……、何て言葉をかけてあげればいいかわからないです」
「その人も悪いと思わない?」
「は?」
「みんな『あいつが悪い、そいつが悪い』って人のせいにしてるけど、その人だって悪いと思わない? 被害者だって責任の一端はあるんだよ」
Sさん曰く、「うまい話に乗ってしまった」こと、「そういう人たちと付き合ってしまった」こと、「これはヤバイかもしれないと、手を引かなかった」ことなど、そういうことに対しての自己責任があるのではないかというのである。
「もちろんその人たちは被害者だけど、『私もたしかに悪かった』ってひと言でも言った人、いないよね」
Sさんのその言葉に、自分が「被害者」という一面しか見ていなかったことに気づかされた。
言われてみれば、ほんとに、確かに、その通りである。「おいしい話には裏がある」と用心したり、「ヤバそうな話には近づかない」というまっとうな心の在りようがあれば、そういう話はそもそも寄ってこない。「被害者」の人たちに、甘さや、ずるさや、心のすきはなかったと言えるのだろうか。

例えば、私の好きな宮部みゆきの小説の中には、まっとうに生きる人たちが数多く描かれている。と同時に、それを踏み外してしまった人の、踏み外してしまったゆえの道筋を描いている小説もある。
一日一日積み上げるような日々の暮らしは、決してたやすいものではないということが、それらの小説を読むと強く感じる。うまく言えないけれど、ほんの一瞬の心のすきが人生を簡単に変えてしまうというごく当たり前のことを、私たちは忘れてしまってはいないだろうか。いろんなことに、鈍感になってはいないだろうか。

「被害者」という一面だけで見てはいけない。Sさんの言葉は、思い込みや固定観念だけで物事を見てはいけないということを教えてくれる。「人のせいにしてはいけない」という言葉には、人間としての心の在りよう、持ちようを考えさせられる。
「なるほどなー」
そんなことを考えながら、帰り道、自宅への道のりを走っていたら、ふと思い出した。
「あれー、前にSさん、『人のせいにすることも大事』とか何とか言わなかったっけ?」

探してみたらありました。3月末のメール。どうしてそういう話になったかは忘れたけれど、「人のせいにすることは、とても大事なことです」という言葉。
「人のせいにすることは、逃げたり、ずるしたり、卑怯だったりすることではなく、気持ちの収め方です。自分自身の気持ちというよりその怒りを聞いた人のため、その怒りを増殖させないためのものです」

う~ん、「あのときはこう」「今回はこう」と感覚としてはわかるのだが、じゃあどう違うのか、きちんと筋道を立てて説明しなさいと言われてもうまくできない、微妙な感じがある。もっとも、世の中はそういううまく言葉にできないもので満ちていて、だから小説というものが必要なのだと私は思うのだが。
まあ、「人のせいにしてはいけない事」と「人のせいにしていい事」は自分の人間としての心の在りよう、人としてのカン、野生のカンみたいなものを頼りにするしかないのだろう。もっとも、
「すまんが、あなたの野生のカンは信用できんなあ~」
とSさんから断言されている私ではあるが。

テープ起こしの醍醐味ととほほ感

2005-11-28 20:34:56 | ビジネスシーン
先日行われた森町のワークショップのテープ起こしをやっている。農山村の新しい体験・滞在・交流を提案する研究会なのだが、Sさんがそのアドバイザーをしている関係で、議事録のまとめなどをしているのだ。

さて、テープ起こしとは、音声データを聞きながら、同時進行で文字原稿にしていく作業なのだが、私の場合「テープ起こし!」というイメージからほど遠い“のろさ”で作業をしている。ブラインドタッチなんて、夢のまた夢。
そもそも、小説を書いているときは、イメージを頭の中で言葉に置き換えたり、考えながらキーを打つので、入力のスキルはさほど必要なかった。手が止まったまま、30分も考え込んだり、10行書けたと思ったら20行削る、なんてこともしょっちゅうだった。
もっとも、頭の中に映像がぱーっと流れるようなとき(いわゆる、小説の神様が降りてきてくれた瞬間)があるのだが、あまりの遅さに書ききれなかった原稿は数知れず。そのうちの一つでも二つでもものになっていたら、今ごろ売れっ子作家になっていたかも……、というのは冗談です。イメージとというのは不思議なもので、頭の中にある映像を言葉に置き換えようとした瞬間、プツッと消えてしまう。他の人はどうかはわからないが、私の場合「言葉に置き換える」という作業はきっと左脳で行われ、イメージは右脳で行われるので、左脳を使おうとした瞬間にスイッチが入れ替わる。一度に二つのことを同時にできない不器用さが、あ~、ここにも出ている。

さて、テープ起こしだが、思い起こせばはじめての経験は4年ほど前だった。私の所属する中部児童文学会に作家の芝田勝茂さんが見えたとき、「今、書きたい物語」と題して行われた講演会の講演抄録を頼まれたのだ。『サラシナ』(あかね書房)(←これがめちゃめちゃ面白いです!)ができあがるまでのエピソードや、ファンタジーとは何か、そもそも作家が物語を書くとはどういうことなのかなど、物語論、ファンタジー論ともいえるもので、1時間ほどの講演会だったが、なんせはじめてのことで、まん丸2週間もかかった。「ど・大変だった(最上級の「ず・大変だった」かもしれない)」のだが、何度も何度も聞き、発言者が何を言いたいのか前後の文章から考えたことで、芝田さんの想いが、1時間さらりと聞いただけよりも、後日講演抄録を読むだけよりも、確実に深く理解できた。
そういえば、学生時代も耳で聞いたり読んだりするだけでは頭に入らず、ノートに書いて覚えるたちだった。中学のとき、英語のスペルを覚えるのには「まっ黒学習」が欠かせなかった。
(※注「まっ黒学習」とは、例えば「dictionary」と約10㎝四方のスペースがまっ黒になるまで何度も書く勉強方法のことである)

そのテープ起こしが自分の仕事になるとは思わなかった。
昨年の11月からこの仕事に関わったが、「自転車によるまちづくり」とはどういうことか少しずつでもわかってきたのは、会議のテープ起こしをしたり、パネルディスカッションのテープ起こしをしたおかげだし、「掛川における木の建築とは」あるいは「木の文化のまちづくり」とはどういうことか知っていったのも、テープ起こしのおかげだった。音声データの中の発言があまりに素晴らしく、キーボードをたたきながら、涙ぐみそうになったこともあった。

さて、今回の森町のワークショップでも、アドバイザーのSさんが、なかなか「なるほど!」な発言をしている。その中の一つ。
「観光体験メニューを考えるとき、『らしいことを、らしく』やってもだめ。自然が好きで、リタイアして田舎暮らしをしようとしている人に、自然菜園をやりましょうと言ってもだめで、『らしいことを、らしくなく』やることが大事。例えば、茶髪のニイちゃんに提案する、そういったミスマッチ感覚が大切」
「なるほどねー」
パソコンの前で腕を組み、「ふむふむ」と感心などしているものだから、いつまでたってもテープ起こしが進まないのであった。
とほほ。

スローな椅子づくり体験~その2~

2005-11-27 23:21:16 | スローライフ
「素っぴんの家具を作ろう! スローな椅子づくりを体験する2日間」の2日目。
今日は椅子の座面と背面にペパーコード(紙ひも)を編み込んでいく。紙ひもは麻ヒモをリサイクルペーパーで巻き込んだもので、木、にかわ、紙ひもと、すべて土に戻る自然資材でできている。

さて、いよいよ編み込み作業。静岡の家具ギャラリー「クラフトコンサート」から職人さん(といってもカッコいいお兄さん)が来てくれて、編み方のレクチャーをしてくれる。左手前を下から上に、ぐるっと奥にまわして直角に左に折って右方向へ……。「なるほど」「ふむふむ」と周囲から納得の声がもれるのだが、展開図とか立方体とか三次元とかにめっぽう弱い私には、どう編み込まれているのかその仕組みがさっぱりイメージできない。頭に浮かぶのは「?マーク」と紙ひもがこんがらがって途方に暮れている自分の姿だけである。

「まあ、とりあえず、やってみるか」
『組み立てマニュアル』をのぞいていると、ちょうどいいところにフロム・フォーの鳥居館長が。紙ひもを固定するための釘打ちを手伝ってもらう。さらに、ちょうど通りかかったクラフトコンサートの職人さんに「見本」として2~3周編み込んでもらう。
不器用というだけでなく、1週間前にちょうど手首を痛めてしまい、手をひねれない私は、今現在、紙ひもを編み込むことができない「トホホ」な状態なのである。
ということで、作業中の心理やディテールを描写したいところではあるのだが、実際編み込み作業をしたのは助っ人なので、省略させていただきます……。(ここがほんとは書きたかった!)

お昼をはさみ、ひたすら黙々と作業を続けて約5時間。座面が出来上がり、それから背面の編み込みをしてようやく完成した。

参加者の声を聞くと、「途中は地獄の苦しみだったけれど、自分の作った椅子ができあがって、ほんとに嬉しい」という声がほとんどだった。2日間一緒に苦しみを味わった同志のようで、なんだか皆さんと親しくなれたような気もする。
「編み込みには性格が出るよなー」という声で、会場が笑いに包まれるなど、とてもいい雰囲気だった。といっても、ほとんどの時間は誰もが黙々と作業をし、会場は妙な静寂感に包まれていたのだが。

今回のイベントに、もうすぐ家を建てるという若いご夫婦が参加していた。2歳のお子さんに歌を歌ってあやしながら、ときにお子さんを外に連れ出しなだめながら、夫婦が1脚ずつ、自分のための椅子を作った。はたから見ていてとても大変そうだったが、このご家族は何にも変えがたい体験をしたんだなあとしみじみ思った。きっとお子さんが大きくなったとき、「あのときは、こんなにも大変だったんだよ」と家族で話題になるに違いない。
もし3年前にこういうイベントがあったら、私も家族4人で椅子を作りたい。それぞれが、自分の椅子をてまひまかけて作る。今とどんなふうに暮らしが変わっているかわからないが、きっと、何かが少し違っていた。
このご家族の家を設計するOさんがこんなことを言った。
「家づくりもおんなじなんだよな。てまひまかけてやれば、時間はかかるけど愛着もわく。きっといい家になるよ。いい暮らしができる」

そういえば、この「素っぴんの家具」のパンフレットにこんな文章があった。
「今、地域の森を守る運動の広がりやシックハウスへの対策として木の家が見直されています。木の家を建てている間に、家族で自分達の椅子を作れたら楽しいだろうな。こんな思いを実現できる、自然素材の組み立て家具です」

こうして、私の「椅子づくり体験」は終わった。イベントは終了したが、椅子を使うのはこれからだ。
1日目にのみでザクッと掘りすぎてしまった傷も、作っている最中はこの世の終わりみたいに思ったが、できあがってみれば全然大丈夫だった。

スローライフ月間でいちばん高額なエントリーイベント。2万4千円は決して高くないのかもしれないな。
2日間苦しみ、2日間楽しみ、そして一生大切にできる自分の椅子ができたのだから。

スローな椅子づくり体験~その1~

2005-11-26 22:38:16 | スローライフ
スローライフ月間のエントリーイベントの中で、いちばん高額な「素っぴんの家具を作ろう!」に参加した。お値段2万4千円、2日間のスローな椅子づくり体験である。

主催は「建築家と住まいのレシピ館フロム・フォー」、講師は静岡文化芸術大学教授の宮川潤次先生だ。「素っぴんの家具」は静岡文化芸術大学と㈱神谷家具との産業共同研究作品として生まれたのだが、そのネーミングの通り、自然な木の持つ素材感をそのまま生かした椅子である。作り方は、静岡産ヒノキのキットを組み立て、にかわで接着させ、ペーパーコード(紙ひも)を巻いていくのだが、出来上がりはわが家が家を建てたときに買った北欧家具とよく似ている。
パンフレットには、こんなふうに書かれている。
「今後の循環型社会に対応した物と建築のあり方を示すサスティナブルデザインの考え方にもとずいた環境負荷の少ない家具です。エコロジカルなライフスタイルを実践する暮らしの中で、家族と共に育つ家具を目指しています」
さて、体育・音楽だけでなく図工も苦手な私に、ちゃんと椅子は作れるのか!

どきどきしながら箱をあけると、無垢の木の色合いが素晴らしいキットと紙ひも、サンドペーパーや取扱説明書などがきちんと収まっている。さわってみると、手にしっくりと馴染む。「さあ、いよいよだぞー」と心の中で気合いを入れる。
まず、紙ひもを巻きやすくするため、背面と座面の一部をのみで削っていく。のみなど初めて持つ私は、最初から力を入れすぎ、ザクッと深く掘ってしまった。
「ひぇー、どうしよう。こんな掘っちゃいました~」
すぐさまフロム・フォーの鳥居館長がとんできて、カッターとサンドペーパーでささっと直してくれる。ありがたやー、助かりましたー。
次は、サンドペーパーで全体を磨いていく。ここでてまひまかけることで、仕上がりがきれいにいくのだそうだ。さっきの失敗を取り戻すように、丁寧に丁寧に磨いていく。磨いていると、不思議なことに椅子が「私の椅子」って感じになり、どんどん愛おしくなる。まわりを見渡せば、みんな、黙々と作業をやっている。
ぴかぴかに磨き上げられた椅子は、素っぴんだけど、ちゃんとお手入れがしてあるお肌みたいだ。「きれいになってきたね」などと心の中で椅子に声を掛ける。こうしてその時の心のうちを言葉にすると、なかなか変人みたいだが、これがその場にいると、ほんと、そんな気分になるのだ!

続いてにかわで接着させる作業。
「ひぇー、つけすぎてしまった~」
「うわーっ、はまらない~」
にかわの温度管理をしていたM事務所のSさんが、あまりに不器用な私を哀れに思ったのか、とんかちでトントンやる作業を手伝ってくれた。ありがたやー、助かりましたー。
参考までに、にかわは室内の温度24℃、湯煎のお湯の温度60℃がベストなのだそうだ。
背面キットに座面をはめ込むとき、どうしてもうまくいかず「困った」と思っていたら、参加者の年配のご夫婦が手伝ってくれた。なんとまあ、素晴らしい手つき! 聞けば木材関係の仕事をしているプロでした。

そんなこんなで、皆さんのご協力もあって、無事、1日目の組み立て作業は完了した。背筋を伸ばして佇んでいるような私の椅子は、なかなかに美しかった。
明日はいよいよペーパーコード巻き。
「スローな椅子づくり体験~その2~」をお楽しみに!

なだれ込みの実践者

2005-11-25 00:37:20 | スローライフ
S大のI君とNPOスローライフとの出会いは、まさになだれ込みだった。
23日に講演に見えた中央大学の工藤先生が、ゼミ生を引き連れて掛川にやってきたのは5月の末だったが、ちょうど同じ日、NPOのことを調べようとまちなかをうろうろしていたのがI君だった。

ゼミ生20人ほどが、まちなかのおかみさんギャラリー前で「スローライフ」についての説明を受けていた。私はその場に居合わせなかったのではっきりとはわからないが、たぶんこんな感じだったのではないかな。
「あのー、何やってるんですか?」
「中央大学のゼミ生がスローライフについて調べに来たんだよ」
「じ、自分も、NPOのことを卒論に書こうと思って、スローライフの人に会いにきたんですけど、一緒に聞いていいですか?」
「ちょうどいいじゃん。聞けばいいよ」
「あ、ありがとうございます!」
「このあと、NPOのメンバーがまちなかを案内して、そのあと夜からは講演会もあるけど来る?」
「い、行きます!」

他校のゼミ生の中に一人だけ違う大学の学生が混じるというのは、なかなか勇気のいることだと思う。でも彼はごく自然に入ってきた。躊躇したかもしれないが、結果としてずっと一緒に行動した。
たぶんそこには「ちょうどよかった。一緒に話を聞こう」というだけでなく、「なんだか面白いことになってきたぞ」というわくわく感があったと思う。面白そうだから行く。これは「なだれ込み」の基本である。

その後、I君はNPO主催のイベントにちょくちょくと顔を出し、スタッフとして手伝い、NPOの会員にもなり、気がつけばすっかり周囲になじんでいた。
学生時代と言えば、親や先生以外の大人と関わることは少ないが、世代も職業も専門も違う大勢の大人たちと関わり、まちづくりの現場を自分の目で見て、直接話を聞いたことはものすごい財産になっていると思う。文献だけでは得られないものを得ているはずだ。
それは、あの日、おかみさんギャラリーの前で自分から声を掛けたことから始まっている。偶然ではなく、必然。なだれ込みは、ただ巻き込まれるのではなく、「必然」という要素があるのではないかな。
「なんちゃって論」だけでなく「なだれ込み論」も書きたい私としては、実践者の観察は必須である。

さて、そのI君がこんな質問をしてきた。
「なだれ込みって、わかるようでわからない。一体どういうことなんでしょうかねえ」
あなたですよ、あなた。

LOHAS(ロハス)の混沌

2005-11-24 21:07:26 | スローライフ
11月23日、NPOスローライフ掛川主催の講演会「スローライフからLOHASまで」が、明治の豪商の屋敷跡「竹の丸」で行われた。講師は中央大学教授で、NPOスローライフ掛川のアドバイザーでもある工藤裕子先生だ。おでん、豚汁、手打ち蕎麦、さらにお酒も出てくる堅苦しくない講演会である。

この日、中央大学のある八王子市からケーブルテレビが取材に来ていたのだが、講演会に先立って、「あなたにとってスローライフとは何ですか」と質問を受けた。
「今まで目標を達成することが人生を充実させるすべだと思ってきたが、NPOスローライフ掛川と関わって、目標を達成することよりも、その経過を楽しむことの方が大事なのかもしれないと思うようになった。私にとってもスローライフは経過を楽しむことです」
そんなふうに答えた。

工藤先生の講演会は、そもそも「スロー」とは何かということから始まり、効率や早いことが「良し」とされる世の中で、スローの価値を発信していく勇気が必要であること、さらに「スローライフ」と「LOHAS」は根本的に違うのだということ、LOHASビジネスの危険性にまで触れられた。

私が特に印象的だったのは、「こういう暮らしがロハス的ですよ」と雑誌などで紹介されると、自分のために何に投資したらいいかわからない人にとってはわかりやすいが、いわゆるパッケージ化した商品になってしまう恐れがあるということ、そもそもロハスはビジネスに直結しているのだというお話。
ロハスもスローライフも同じようなイメージを持ち、その違いなど考えたことのなかった私には、「なるほどー」とうなること多かった。「自分のために何に投資したらいいかわからない人」という言葉には考えさせられた。

さらに、「周囲に心をくだくことのできる人間になれるかということが、スローライフの目指すものの一つ」という言葉も印象的だった。自分だけではない人とのつながり、周囲とのつながり、地域とのつながりというキーワードが出てくるあたりが、ロハスと根本的に違うということなのだろうか。

どうもうまくまとまらないのは、私が「ロハス」についてちゃんと知らないこと、「ロハス」に関して自分の価値観を持っていないことから来るのだと思う。
今日は吸収するばかりで、うまく外に出すことができない。頭の中で、心の中で、まだ混沌とした状態なのだろう。

新しいことを一つ一つかみ砕き、自分のものにしていくのは、なかなか難しい。たぶん、普段はそれを無意識に行い、だんだんと自分のものになったり、ならなかったりしていくのだろうが、こうしてブログをはじめたことで、その経過をも言葉にする作業を試みるので、わけがわからなくなる。とっても面倒くさいが、今まで意識してやらなかったことなので、なかなか面白い思考体験ではある。もっとも、それを読まされる方は迷惑な話だろう。まあ、ある意味、私自身のデータベースでもあるのでお許しを。一応このブログ、面白い「読み物」であることが目標です。


フライフィッシングの気分

2005-11-23 20:29:32 | スローライフ
11月も後半に入り、スローライフ月間のイベントが目白押し。午前中は「フライフィッシングスクール」に、夜からは「スローライフからLOHASまで」に参加した。

まずはフライフィッシングスクール。
なぜ、アウトドアもスポーツも苦手な私がこのスクールに参加しようと思ったのか。フライとルアーとテンカラの違いも、そもそもそういう言葉や分類があることさえ知らなかったというのに。

理由その1。事務所にはフライフィッシングをする人がやってくる。フライフィッシングをしている人の繋がりって、濃くて深くて、でもどこかさらりとしていて、不思議な人間関係だなと感じていた。それが何なのか、どこから来ているのか知りたいと思った。
理由その2。今回、講師をつとめる小川さんに、フライフィッシングの魅力を聞いたとき、返ってきた言葉が印象的だった。
「気分だよ、気分! フライフィッシングをするときの気分を感じてほしいんだよ!」
寡黙な小川さんが熱かった。
一体、どんな気分になるのだろう。

まずは特別ゲストである川野信之先生から、フライフィッシングの歴史や面白さ、そもそもフライとはなにかなど、体系立てた説明を受ける。川野先生は世界的な脳神経外科医なのだが、フライフィッシング歴24年、3275語を収録した『フライフィッシング用語辞典』の著者でもある。穏やかな口調で、難解な言葉は使わないからわかりやすく、話される内容は論理的で、素人の私は引き込まれるように聞いた。
「フライというのは、川魚のえさに似せた毛鉤のことで、いかに魚をだますかがフライフィッシングの面白さです」
「へえー」
「魚をだますには、えさである水生昆虫のことを知らなくてはいけないし、川のことを知らなくてはいけない」
「なるほどー」
魚を釣るためにいろいろな毛鉤を作り、知恵をしぼり工夫をして、まるで魚とのフィフティフィフティの知恵くらべみたいである。面白いのは、だますために水生昆虫や川のことを知っていくと、自然のことがよくわかるようになり、釣っても結局逃がしていくことが多くなるというお話である。大いなる自然の中であがき、でもそれはお釈迦様の手のひらの上にいるように、結局は自然の中に抱かれている自分に気づく、というイメージである。そのあがいたり、気づいたりする過程が小川さんのいった「気分」なのかなあと、ふと想像する。

さて実際。
竿をふる練習では、修行僧のようにひたすら竿をふり続け、誰も途中でやめようとしなかった。毛鉤を作る体験はまるで内職作業のようだったし、実際川から水生昆虫をすくったときなど、ヒゲナガカワトビラだの、ナベブタムシだの、ヘビトンボだの、今までその存在さえ知らなかった虫を、みんな食い入るように見つめた。普段だったらさわれないような虫も、自然の中だと不思議とこわいと思わなかった。

気分は……、まだ、よくわからない。
でも、この気持ちのいい自然の中で、魚をだますためにありとあらゆる努力をしてあがくことは、もしかしたらとても心躍ることなのかもしれないな、とふと思った。
もう一人の講師である佐藤さんは、「つりをしたいがために、魚はどうしたら生息するか考えるようになる。川を通じて小宇宙が見える」と言っていた。
頭ではわかるような気がするのだが、気分が……。
うーん、よくわからない。
よくわからないのだが、目に見えるキャスティングの技術だけは、運動神経に比例して、さっぱりだったことだけは確かである。
実際の川へ行ける日はまだ遠い。

(「スローライフからLOHASまで」の模様は明日のブログをお待ち下さい)

DJボクシングと、やれやれな2人組

2005-11-22 08:41:23 | ビジネスシーン
スローライフエントリー漏れの「UKロック DJボクシング」なるものに参加した。
主催は音楽同世代のIさんとSさん。『マイフェイバリットイギリスロック、ネオアコースティック、あるいは大ハズシ音楽を掛け合いで紹介&対決する』ということらしいのだが、音楽のさっぱりわからない私には、何のことやらわからない。
それでも、子どものように目を輝かせて準備しているIさんとSさんを見ていたら、とりあえず行ってみたくなった。Sさんは仕事そっちのけで(「仕事をしながら、だよ!」と言っているが)機材の準備をし、事務所にお客さんが来るたび解説を始め、Iさんに至っては、得意げな顔で事務所に顔を出したと思ったら、
「これ、Sさんに渡しておいて下さい!」
と、表に『挑戦状』と書いた紙を置いていった。
まったく、やれやれな人たちである。

さて、DJボクシングは「詩のボクシング」と同じように、交互にオススメの曲をかけ、7ラウンド、各10点満点で合計点を競う。正式な審判3名を選んだのだが、とりあえずみんな点数をつけていく。
「ロック」というイメージだけで「自分にはわからないんじゃないか」と思っていたのだが、なかなかどうして、「いい感じ」の曲である。音楽のジャンル分けがわからなくても、「いいな」と思える自分の感性を大事にすればいいのかもしれない。例えば、北村薫が「日常の謎派」と言われる作家で、坂口安吾の『アンゴウ』から始まって天藤真、仁木悦子の系統に属していることを知らなくても、『夜の蝉』が純粋に楽しめるように。

さて、ちなみに私が10点満点をつけたのは以下の曲である。

Harf Pint「Winsom」
Prefab Sprout 「Appetite」

2人が曲と曲の合間に話す曲への想いや解説を聞いていると、「オレはこれが好きなんだぜー!」という熱い叫びと、好きなことを思う存分主張できる(しかも対抗する相手がいる、聞いてくれるお客さんがいる)喜びを、お互いが全身で感じているのがわかった。審判のジャッジを聞くときなど、まったく同じ格好をして、うなずき方まで同じなので、Mさんと大笑いしてしまった。

対決は僅差でSさんが勝ち、次回のクリスマス対決の予告がされた。
S「クリスマスソングはリズムで戦う? それともメロディー?」
I「魂で戦う!」

コアな音楽好きも、ほとんどわかってない人も、どちらも十分楽しめるイベントだった。大の大人がムキになっている姿というのは、なかなか微笑ましいものである。
ちなみに、UKロックのかかる中、Tさんと私が『海のトリトン』『デビルマン』『バビル二世』という70年代のアニメソングを歌っていたことは、誰も知らないだろう。

そうそう、そういうことなんだよね

2005-11-21 23:32:30 | ビジネスシーン
NPOスローライフ副代表のTさんは、私の家を設計してくれた建築家である。そもそも、この事務所で働くようになったのもTさんとの出会いがあったからで、世の中、何が幸い(災い?)するかわからない。

さて、そのTさんが現在設計中の建物の現場見学会を行うことになった。
普通の見学会と違うところは、家を建てる経過そのものを見学できること。月1回の6回コースで(お肌つやつや美顔6回コース、みたいである)、建築家と施主の打ち合わせに同席でき、その足で現場の進み具合も確認できる。

家づくりは一生に一度のもの。「もう一回やれば、もっといい家になるのに」と言われるのも、家づくりが一回こっきりのものだから。
この見学会のいいところは、半年間、施主といっしょに家づくりに関わることで、どんなふうに家づくりが進んでいくか、自分の目で確かめることができることだ。それに、なんといっても建築家と施主の打ち合わせを見学できるのはいい。施主からどんな要求があり、建築家がどのように答え、何をどう提案し、どんなふうに形にしていくのか、それを現場の進行状況とともに見ることができるのだ。

建築家の仕事はもの書きの仕事と似ているところがある。
建築家と家づくりをして一番感じたのは、「こういう生活をしたい」という、うまく言葉にあらわせない想いを、建築家はすくい取って「家」という形にしてくれるということ。
「そうそう、こういう間取りがよかったんだよね!」
「こういう家に住みたかったの! Tさん、なんでわかったの?」
本を読んでいると、「そうそう、そういう気持ちなんだよね!」という言葉に出会うときがある。それと同じなのである。
人の想いを建築という形にする建築家と、人の想いを言葉にするもの書き。
よくTさんと話をするのは、
「ゼロから1にするときが一番苦しいんだよね」
生みの苦しみは、設計も文章も同じなのかもしれない。

今回の現場見学会のちらしづくりでは、Tさんに自分の建築に関する想いを言葉にしてもらった。
「そういうのは苦手だで、やってやあ」
「いつもしゃべっていることを、そのまま言葉にすればいいんです」
「それが難しいじゃん」
「甘えてないで、さあ、やってくる!」
施主と建築家がこんな会話をするようになるのだから、ほんと、人生のめぐり合わせって面白い。
もっとも、私をこの仕事に関わらせた本人は、
「なんでこの事務所で働くようになったの?」
と臆面もなく言っている。