201系電車と鉄道に関するブログ
SINCE 2005-01-18
201系のブログ
もっと中央線らしくあるために(~2009-01-30)
今週も撮影できました。昭和30年代から続く朱色一色塗りの通勤形電車、これぞ中央線の中の中央線の姿。
今週は日曜日にも遭遇しました。

今週もなぜか00Tではじまりました。



今年の誕生祝は連日の00Tとなりました。




もう一本は53Tでした。




もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
きっと、関係者の方々も気付いていることと思います。
今週は日曜日にも遭遇しました。

今週もなぜか00Tではじまりました。



今年の誕生祝は連日の00Tとなりました。




もう一本は53Tでした。




もっとも中央線らしい面影を残す朱色一色塗りの201系。もっと中央線らしくあるために今週も201系はがんばっていました。この電車の存在は、中央線の価値向上には欠かせない存在だと思います。
きっと、関係者の方々も気付いていることと思います。
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201系電車に排障器
ファイルを整理していたらこんな記事が出てきました。

1993年3月23日、交通新聞「201系電車に”排障器”」
一般的にはスカートと呼ばれていますが、正式には前部機器覆いだったように思います。本記事によれば簡易型排障器(国鉄・JRでは型はあまり使われないようですが本記事では型が使われております)と書かれており、ATS-P車上子の保護を目的としているとのことです。東京地域本社武蔵小金井電車区の社員の提案なのだそうです。92年11月から試作品を3ヶ月試験し、全車への取り付けが決まったとのことです。同年度末までに14両に施工予定と書かれています。

大学祭の準備に向かう途中で発見、11月からの試行という記事と記憶は一致しました。最初に見たときには、つり金具はグレーでした。

その後、つり金具は黒になり、スカートにナンバーが書き込まれました。

そして、量産タイプの登場です。記事にもありますが、中央部が丸みを帯びています。

さらに、中央総武緩行線にも拡大

武蔵野線用の6連2編成にも装着。これにより、朱色のオリジナルの顔は見られなくなってしまいました。

中間に連結されるクハの自動電連装備車には中央部が低くなったスカートが取り付けられました。

既に廃車された車両には自動電連では無い車両にも中央部が低くなったスカートを装備した車両がありました。
余談ですが、エレベーターの下部についている覆いはエプロンと呼ばれているそうです。

1993年3月23日、交通新聞「201系電車に”排障器”」
一般的にはスカートと呼ばれていますが、正式には前部機器覆いだったように思います。本記事によれば簡易型排障器(国鉄・JRでは型はあまり使われないようですが本記事では型が使われております)と書かれており、ATS-P車上子の保護を目的としているとのことです。東京地域本社武蔵小金井電車区の社員の提案なのだそうです。92年11月から試作品を3ヶ月試験し、全車への取り付けが決まったとのことです。同年度末までに14両に施工予定と書かれています。

大学祭の準備に向かう途中で発見、11月からの試行という記事と記憶は一致しました。最初に見たときには、つり金具はグレーでした。

その後、つり金具は黒になり、スカートにナンバーが書き込まれました。

そして、量産タイプの登場です。記事にもありますが、中央部が丸みを帯びています。

さらに、中央総武緩行線にも拡大

武蔵野線用の6連2編成にも装着。これにより、朱色のオリジナルの顔は見られなくなってしまいました。

中間に連結されるクハの自動電連装備車には中央部が低くなったスカートが取り付けられました。

既に廃車された車両には自動電連では無い車両にも中央部が低くなったスカートを装備した車両がありました。
余談ですが、エレベーターの下部についている覆いはエプロンと呼ばれているそうです。
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