シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

税吏とファリセイの主日2010

2010-01-24 17:01:35 | 正教会及び宗教全般
ってかもう大斎準備週間って早えええええ
今年の復活祭は4月4日なんだよね。
いつも聖枝祭のネコヤナギって郊外に自生してるやつを信者さんが奉仕でとってきてくださるんだけど、こう早くっちゃネコついてないから花屋さんとかでシュロかなんか仕入れんといかん。
しかも釧路の4月上旬なんてまだ寒い罠

ところで今日の主日。
2007年の記事→税吏とファリセイの主日
意外と書いてないのねこの日(汗

カリストス・ウェア主教の「大斎の意味」より。
この日と続く二つの日曜日では、「悔い改め」が主題となっている。悔い改めは、我々が大斎へ入っていく入口であり、復活大祭への旅の出発点である。悔い改めは自己憐憫や、過去に行なったことについての無益な後悔から、はるかにかけ離れたものである。ギリシャ語の「メタノイア」は「心を向け換えること」を意味している。すなわち、悔い改めることは再生であり、内的見解の変容であり、我々の、神と人との関係への新しい見方への到達である。ファリセイの誤りは、彼が自分の考え方を変えようとしていないことにある。すなわち、彼はひとりよがりで、自己満足していて、それゆえに自分の内に神が生きるための場所を一つも用意してない。一方、税吏は本当に「心を向け換えること」を求めた。すなわち、彼は自己に不満足であり、「心の貧しき者」である。それゆえに、この自己不満足から救う場所には神が生きる部屋がある。もし税吏の隠れた内なる貧しさを学びとらなければ、斎の春にあずかることはできないであろう。この日の主題は、砂漠の聖師父たちの言葉に要約される。「私は、罪を犯さず自分は正義を行う者であると考える人よりも、罪を犯したことを認めて回心する人が好きだ」

最後の、砂漠の聖師父の言葉で、ちょっと意味合い違うかもしんないけどこれを思い出した。
「私は、不親切で冷淡でありながら奇跡を行うよりは、
むしろ親切と慈しみのうちに間違うほうを選びたいと思います。 」
マザー・テレサの言葉ね。

まああてくしの場合罪を犯したことを認めて回心しようとするんだけどまたやっちまうわけだがorz
神様だじげでぐだざい(魂の叫び

今週は不禁食週間だから冷凍庫の中身一掃しないとな。
先週人の頭ぐらいはあろうかという鹿の肉を頂戴しましてね。
カンカンに冷凍してあったから冷蔵庫で丸一日かけて解凍して(そいでも中のほうは半解凍だった。切りやすくはあったけど)せっせと切っていろんな下味つけて冷凍してあんだわ。
何年かぶりの高級食材(今変換したら贖罪って出たぞ、さすが準備週間だわね)だもんで舞い上がっちゃってきゃーどうやって食べようかしら?
ダンナ「カレー」
あてくし「えー最初っからカレー?」
ダンナ「カレー」
あてくし「カレーかあ…」
ダンナ「カレー!」
ということで第一弾のカレーうめえwww
第2弾は若干厚く切って塩コショウすりこんで(食べた後に乾燥パセリだのタイムだのが棚で寝てたのを思い出した。クヤシス)一日寝かしてたやつのガーリックステーキ。
これまたうめえwww鹿うま杉wwwww
てなわけで今週は鹿祭りでふ。