シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

いじめ…

2006-10-06 11:30:26 | ニュース、時事
市長が遺族に謝罪 女児「死にたい」と話す(共同通信) - goo ニュース
幼稚園の頃家建てて引越してから、中学卒業するまで、いじめられっ子の日々を送った。
コレそこの人、笑ってはいかんw
ずーっと継続していじめられていたわけではないけど、いじめの対象というのが何人かいてローテーションみたいになっていた。順番が回ってくると、学年の全クラスにお触れが出て、女子は全員口をきかなくなる。聞こえよがしに色々言われる。何で難癖つけられたか忘れたけど、トイレで土下座させられたこともあった。親友になろうねと言われて後で手のひら返されたり。いつもいつも上目遣いで人の顔色伺ってた。またそういうウジウジした態度がいじめをエスカレートさせてたんだけどねえ。何か言われるとベソかいてうつむいて。ドラえもんがいたら、へにょへにょしてた昔の自分を「ゴラーしっかりしろー!」とゆすぶってやりたい。でも当時はどうしようもなかったんだよねえ。
学級会で糾弾されたこともあった。教師は何も言わなかった。教師がいじめのタネを播いたこともあった。テストの成績で毎週席変えするなんていうのは、素直な子は頑張っていい席取ろうと思うかも知れないけど、ドキュソは僻むだけで。
見かねて部活の先輩が声をかけてくれたこともあった。でも打ち明け話が漏れようものなら何をされるかわからないし(結局告げ口したんじゃないかと疑われていじめられた。黙ってた意味ないw)絶対言えなかった。もちろん親にも。今思うと、よく学校行ってたなと思う。まあ、当時不登校なんて聞かなかったし、そういうので休んじゃだめなんだって刷り込まれてたからね。
死んだら楽になるかなあ、と思ったことは何度もあった。
でも私の場合、逃げ場があった。
町のジュニアリーダーのサークルに入っていたから、他の中学や高校生と交流があった。家と学校以外の場所があったから、中学卒業するまで耐えられたんだと思う。自分の世界が家と学校しかなくて煮詰まっていたら私もどうなったかわからない。
だからいじめで死んでしまう子を見るととても辛い。
世界はこんなに広いのに。

市長や教育委員会の謝罪は今頃かよ!って感じもするけど、まあ、謝罪しただけいい。
女の子は帰ってこないんだけど(´・ω・`)

自分語りに戻ると、誰も自分を知らないところに行って一からスタートしたかったから地元に行きたくなかったんだけど、うちの県って私立校にはあましいいイメージなかったし(一部除く)家にそんな金ねーし、だからって学区制に関係ない公立は普通高校ないし、第一親にそうまでして地元離れたい理由を説明できないもんだから、しょうがなくて地元の高校に。
でもそこの雰囲気がすごくよくて、ほんとに解放された。
で、解放されすぎた結果、今のような性格に(爆