時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

断裂深まるアメリカ(5)

2011年01月11日 | 移民政策を追って

  
 
最近、このブログで、アメリカに移民政策に起因する人種的、そしてそれに基づく政治的分裂の可能性が高まっていることを指摘してきた。このたびのアリゾナ州における民主党ギフォーズ下院議員などに対する銃乱射事件は、この予想が不幸にも的中したことを示している。

  事件の真相は未だ不明だが、南のメキシコ側から進入してくる不法移民の増加が、それまでの住民との間にさまざまな軋轢を生み、保守派の強い反発を招き、不満が高じた結果、こうした不幸な事態へとつながる風土を生み出した可能性が高い。オバマ大統領の医療制度改革への反発もその一環だ。移民政策への着手が遅れたオバマ大統領にとっては、厳しい試練が加わったといえるだろう。すでにオバマ再選不可能説すら議論されている。しばらく目が離せない。

 
外国人(移民)労働者問題は、多くの国民が自分の体験や見聞などから、ある考えを抱き、発言できるようにみえるが、それをもって国民として妥当な公平性のある見方とは直ちになしえない難しさがある。人生経験や立場によって、極端に異なる考えが生まれる。このところ取り上げている不法滞在者について、いかなる立場をとるかという問題も、そのひとつだ。現在の段階では、日本は比較的不法就労者は少ないが、本質的にはどの国にも適合する問題だ。

 いずれにせよ、世界が事態にいかなる対応をしているかを、辛抱強く、しかも広い視野を確保して見なければならないことは明らかなようだ。時間を要するが、さまざまな移民現象の根底に流れる本質的問題を熟考する必要がある。各国の対応と経験の蓄積を客観的に観察すべきだろう。その範囲はミクロとマクロの双方にわたる。
前回に引き続き、欧米諸国の事例をもう少し見てみよう。


事例3
 
ヒュー・ルイ・ング Hiu Lui Ngはヴェトナム生まれで、17歳の時に両親に伴ってアメリカへ来た。その時は観光査証での入国であった。査証の滞在期限が失効した後、難民としての庇護申請を行った。申請の審査が行われている間、彼には労働許可 work permit が付与されていた。しかし、結果として難民申請は却下されてしまう。

 
その後、いわば不法滞在の形であったが、彼は勉学を続け、コミュニティ・カレッジでコンピュータ・エンジニアリングを学び、エンパイア・ステート・ビルで働いていた。そしてアメリカ市民の伴侶に出会い、結婚し、二人の子供を得た。2007年、彼の存在はアメリカ移民局の役人が注目するところとなる。ングは適切でないアドヴァイスを受けてグリーンカード(永住許可証)の申請を行うが、移民・入国管理局 Immigration and Custom Enforcement は彼に国外退去を求めた。しかし、ングはその前に失望と肝臓がんのために死んでしまった。

 
この経緯はニューヨーク・タイムズ紙の注目するところとなった。移民局の決定に反対する運動が始まった。ングは法的な問題を除けば、あらゆる意味でアメリカ人になっていた。なぜ、彼は強制退去の対象とされたのか。

 
事例2で取り上げたグリモンの場合とどこが異なるのか。ングはグリモンのように子供の時にアメリカに来たわけではない。そのために、子供の時代に受け入れ国での社会的経験は少ない。他方、青年になって入国したxングは、アメリカ市民である女性と結婚していた。

 とりわけ移民の場合、結婚はその国の人との深いつながりを強化するばかりか、配偶者の背景につながる人々との関係の輪に入ることになる。ヨーロッパの多くでは、家庭生活の基盤は基本的人権として守られている。家族の靱帯をまもる家族の再結合の道は、最重要な原理であり、配偶者と子供たちを結びつけるものとして守られてきた。そのため現在居住する国に合法的な地位を持つ親は、海外にいる配偶者や子供を呼び寄せることができる。実際ングはこの点を基礎にアメリカへの定住許可を求めていた。彼はアメリカ人女性と結婚しており、彼女はこの国を人生の基盤とし、彼もまたその範囲に定着していた。配偶者がアメリカ市民あるいは永住権を保持する場合、その人と結婚している者を海外へ強制退去させる対象とすべきではないという考えは、どこの国でもかなり有力で根強い。

 
ングはこの点に加えて、すでにきわめて長い期間にわたって、アメリカに居住していた。グリモンのように70年近くも相手国に滞在していたわけではないが、15年間も問題を起こすことなく、学び、働き、社会的関係を築いてきた。人間の生涯で15年は中途半端な長さではない。

 
こうして不法に滞在しているからとして、彼らの出身国へ送還しようとする当該国の権利は、滞在している時間が長くなるに従い、後退して行く。彼らが滞在していることはその国の法に反しているかもしれないが、窃盗、殺人などの犯罪者ではない。確かに、不法滞在者の中には、犯罪を犯す者もいるが、不法であれ合法であれ、外国人・移民を受け入れているということは、人間のすべてを受け入れていることに等しい。言い換えると、移民を受け入れることは、労働力の部分だけを切り離して受け入れるわけではない。

 
こうしてみると、入国の経緯はいかなるものであれ、時間の経過とともに、これらの外国人の社会的メンバーとしての重さは変化を生む。時間は二つの方向へ切り込む。本国送還は望ましくないと考えられる期間はどのくらいだろうか。これまで見てきた僅かな事例からも、犯罪歴などがなければいかに保守的な立場でも、市民権付与の道へ導く期間として、5-7年、最大限でも10年あればほぼ条件を満たしていると考えられるのではないだろうか。

 
他方で、市民権付与の道を開くにはいかにも短すぎるという年数もあるだろう。1-2年では認められないというのが、多くの国の基本的考えだ。

 この問題については、さらに考えたい問題もある。すでに制限字数を大きく越えでしまった。次回以降にまわすが、こうしたルールを社会的な対話を通して確立して行き、市民権付与への安定した道を準備することは欠かせない。欧米諸国は長い年月にわたる試行錯誤を通して、今日の政策形成に至っている。日本人がお好みのどこかの国の制度を移植してくればといった安易な方法は、まったく通用しない領域だ。いずれ人口の3人に1人近くが65歳以上になる日本が、外国人を受け入れることなく、社会を維持し、活性度を保ってゆくことなど、到底できるはずがないことは、さまざまな現場で体験してみれば直ちにわかることだ。(続く) 

 

Carens (2010) pp.13-17

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