ブッシュ政権の時は大きな政治課題であり、オバマ大統領も政権早期に対応することを約していた移民問題だが、このところあまり政治の表舞台に登場してこなくなった。その背景を少し考えてみる。
「哀れなメキシコよ。神からは遠く離れ、アメリカにはあまりに近い」
これは、メキシコの19世紀の大統領、ポルフィリオ・ディアス Porfirio Diazの言葉といわれる。21世紀の今でもアメリカの下風に立たざるを得ないこの国に、払拭しがたく残る風土であり、一抹の哀感を漂わせている。
2000マイル、3200キロメートルの一本の長い国境が、世界有数な豊かな国と貧しい国の間を分け隔てている。こうした地政学的状況が見られるのは世界でここぐらいだ。2008年時点でアメリカは一人当たりGDP$47,000、メキシコは$9400と大きな格差がある。
他方、一時は救世主のような人気だったオバマ大統領も就任以降、支持率は下降一方。内政、外政ともに決め手を欠いている。中東増派も人気回復の材料にはならない。結果として、急速に雇用問題など内政重視へ傾いてきた。その中で内政、外政と明瞭に分かちがたいほど結びついているのが、アメリカとメキシコとの関係だ。
病んだ国メキシコ
アメリカはメキシコにいくつかの不安を感じてきた。不法移民、麻薬密貿易、麻薬がらみの犯罪、テロリストの潜入、豚インフルエンザなどで、アメリカがメキシコへ与える不安より大きいとされている。 確かに、メキシコ自体、疑いもなく、問題を抱えている。2006年頃からは選挙問題、経済不振、豚インフルエンザなどが深刻だ。麻薬については、ヘロイン、マリファナなどの巨額な不法持ち込みが行われている。さらに南アメリカからのコカインの中継国になってきた。
3年前、フエリペ・カルデロン大統領は麻薬の密売者にいまだかつてない強い対策を打ち出した。麻薬密貿易にかかわる殺人による死者は2008年メキシコ人だけで5000人を越えた。国家財政を含めて、メキシコは破産国家になっていると指摘するメキシコ人の学者もいる。
メキシコに影を落とすアメリカ
BRICsの後に続けなかったメキシコだが、アメリカの経済不振はメキシコにとっても深刻な結果を生んでいる。メキシコの輸出の80%近くはアメリカ向けだ。アメリカ経済の不振はメキシコにより強く当たる。アメリカでの建設、サービス、観光の沈滞は、彼らの仕事を奪い、母国の家族への送金に影響し、昨年は前年比3割近い減少だった。
越境を志すメキシコ人からみると、アメリカは依然として「機会の国」ではある。他方、アメリカの不況と国境管理の強化は、少なくも移民の流入を減少させた。不法入国で逮捕された者の数は昨年と比較して23%以上減少した。2000年以来67%の減少だ。しかし、実際にどれだけの数が帰国しているかを知ることはできない。メキシコ人の多くはアメリカを未だ機会に恵まれる地とみているのだ。1200万人と推定される不法滞在者の数にあまり変化はないようだ。
この点を示すかのように、最近の調査(Pew Institute)では、メキシコからアメリカへ来た10人のうちほぼ6人は、彼らの生活が改善されたと思っているようだ。また3人に1人はチャンスがあれば、アメリカへ移住したいとしている。
閉ざされる国境
2001年9月、メキシコの前大統領ヴィンセント・フォックスが初めて訪米しようとしていた数日前に9.11が勃発し、メキシコにとってはさまざまな意味で安全バルブの役割を果たしていた国境の扉も、次第に国境管理強化の方向へ収斂し、出入国は厳しくなった。
カルデロン大統領も国境問題について口数が少なくなっている。2007年、ブッシュの移民法改革の試みがうまくゆかなくなってから、アメリカのメキシコ政策に大きなシフトが発生し、国境閉鎖的方向へと傾斜が強まった。ボーダーパトロールは2万人以上に増員、600マイル以上にフェンスを設置。使用者への臨検も強化された。
すべては中間選挙
他方、アメリカのナポリターノ国家安全保障庁長官は、アメリカに居住する不法移民を現在のように社会の表面に出られない存在から引き出すために、議会は不法移民合法化へ向けての法的基盤を強化すべきだという。しかし、その方向は正しいとしても、最近の不法移民増加を抑止しているのは彼女が指摘している諸方策ではなくて、アメリカの経済停滞だ。景気が戻れば、不法移民も再び増加し、実態も悪化する可能性が高い。先進諸国の中でアメリカは例外的に人口が大きく増加している国だ。長らく人口2億人台であったが、2006年には3億人を越え、2050年あるいはそれ以前に4億人になると推定されている。日本と異なり、人口の点でも大きなダイナミズムを残していることに着目しておきたい。
オバマ大統領は選挙中にヒスパニック系にも依存してきた。選挙遊説中は移民問題は最大課題のひとつとして、早急に着手すると述べてきた。しかし、当選後は問題山積で、歯切れも悪くなり、最近は沈黙を続けている。その背後には11月の中間選挙までは手をつけない方がいいとの考えが働いているようだ。メキシコもそれを察知し、静かにしているようだ。しかし、現実は厳しさを増し、政策決定を先延ばしにするほど、対象となる問題の大きさは膨らむばかりだ。新政権の議会運営も最近では議席を失ったりで、与党主導では行えなくなっている。支持率低下が顕著なオバマ政権のたどる道はこの点でも険しくなるばかりだ。
Reference
“Gently does it” The Economist December 5th 2010
Joel Kotkin. The Next Hundred Million: America in 2050. Pengunin, 2010.