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時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

神に出会う時:闇を歩んで

2014年05月01日 | 特別トピックス

 



ヘンドリック・テルブルッヘン『福音書書記者聖ヨハネ』







   現代人はさまざまな
不安を感じながら生きている。自分、そして人類や地球が、将来このままの形で存続していくとも到底思えなくなっている。未来へのいい知れぬ不安は、恐らく多くの人の抱くものだろう。なにかにすがって生きたいと思う人も多い。心の拠り所を求めて、宗教あるいは超自然的なものへの関心は着実に高まっている。

 本当に神は存在するのだろうか。あるいは超自然的、霊魂 spiritual のごとき
ものに出会えるのか。個人として、その存在を実感することはありうるのか。こうしたことを考える本人はもとより、神学者や牧師、説教者などに突きつけられた問いは、重く、簡単には答えられない。

「神に出会うことはできるのか」
 その中で、ひとりの女性説教者の考えが注目を集めている。アメリカを代表するキリスト教説教者バーバラ・ブラウン・テイラー女史はそのひとりである。ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー本リストの常連でもある。それらを通して、不安に満ちた時代の状況が分かる。「どこへ行けば、神に出会えるのか」。最近のTime誌の表紙を飾っているのは「暗闇に神を見る」というテーマでもある。こうした宗教的、スピリチュアルな問題が、多数の人が目にする、このような著名な雑誌や新聞書評に大きく取り上げられることは、それほど多くはない。しかし、現代アメリカを代表する説教者のひとりとしての彼女の考えに、やや興味を惹かれた。このブログに記してきた内容と多少関わってもいる。

 取り上げられているテーマは神 God あるいは霊的、超自然的な存在 spiritual と、それとの遭遇の可能性ともいうべきものだ。ここで使われている神とは、自ら説教師でもあるテイラーの立場から、キリスト教の神が想定されてはいるが、漠然と超自然的な存在を含んでいる。
 
暗闇に潜む鍵
 これまで、多くの説教家や霊的な求道者は、神を光、啓発 enlightment と結びつけて考えてきた。実際、enlightmentには、なにかを照らし出すという含意がある。神は光として、あるいは光の中に見出されるという暗黙の想定である。しかし、テイラーは、違った考えを提示している。多くの現代人があまり目を向けなかった闇 dark, darkness の存在である。彼女は光とともに闇の重要性を説く。そこに現代人が神や救いの存在をイメージする鍵が潜んでいるという。彼女はそのことを森の洞窟や自宅の暗い部屋などで過ごすことを通して、少しずつ闇から学んだという。

 神の存在を証明すること自体、宗教家や説教者にとって、究極の問題なのだが、きわめて困難な課題だ。ここでは簡単にテイラーという宗教家の考えの輪郭を理解したかぎりで平易に書き直し、提示してみたい。

闇に向かって歩く
 彼女はいう。森や林などの暗闇に向けてゆっくりと歩み入ってごらんなさい。現代の人はあまりそうしたことに慣れていないでしょう。そこに、なにかを見出すというような気負いなど抱かずに、あてもなく旅するという感じで一歩を踏み出しなさい。そうして歩いている時に、どこかでふとなにか違ったものを感じたり、聞いたりすることがありますか。

 神や霊感について考えながら歩いていると、どこかにかすかな光、月の光のようなものが射していることに、気づくかもしれません。信仰や神、霊的な存在について、しばらく深く思索してきた人には、そういう時が生まれることがあります。長い間、神学の領域では、深く暗い闇には悪がひそんでいて、大きな未知な空間であり、怖ろしく、単純に闇はネガティブ、悪のイメージで見られてきました。

 iPhone、PC, タブレット、ラジオ、コーヒーポット、.....いつも使っている人工の品々を忘れ、プラグを抜いて、それらの器具に関わる人工の光、輝きをひとつひとつ捨てて行きます。それらが生む光のすべてが消え去っても、あなたの外側あるいは内側から光るような思いがした時、あなたはなにか超自然なものを見出すのです。人工の光に満ちあふれた都会にあっても、神を見ることは不可能ではありません。すべての灯りを消した自宅の一室で、静かに深く闇に沈み込み思索する時、暗闇の中に新たな生が始まるのです。(B.B.Taylor. Learning to Walk in the Dark, 2014 Quoted in Time, Atpri 28, 2014、筆者意訳)。

 テイラーはこのように、分かりやすい表現で、神、超自然的な存在を、現代人でも感じ取ることができるという。

「初めに光ありき」
 テイラーは神と暗闇は互いに長い間結びついてきた、隣人のような関係であるともいう。神は「初めに光ありき」といったではないか。聖書は光を聖なるものとし、闇を悪、地獄とイメージさせてしまった。神とは光と共にあるといつの間にか、人々は思い込んでしまった。人は暗黒の中にいるかぎり、神はそこにいないのだと思い、そして、人はいつの間にか闇を怖れ、遠ざけてきた。子供は夜を怖がり、大人はしばしば病気や失業と闇、暗黒を重ね合わせてきた。暗闇はいつの間にか、なにか人間を脅かすものと、理由がないままに結びつけられてきた。

 現代社会では、人間が悲しさ、惨めさに耐える文化的許容度が低下している。人々の心は弱くなっている。われわれの文化は光に重きを置き過ぎ、悲惨さを受け入れる力が弱まっている。そして、ひたすら暗さ、闇を消そうとしてきた。確かに、現代社会は人工の光には溢れている。反面で闇を怖れ、嫌い、ひたすら抹消しようと斥けてきた。

闇と対峙する
 闇から目をそらすことなく、正面から対峙する。それは現代人を悩ましている多くのことを癒し、治療する道につながっているとテイラーは考える。

 「暗闇の中を歩むこと」を習う、というのがテイラーの新著のエッセンスでもあるようだ。人は子供も大人も闇を怖れ、暗闇に立ち入ることを避け、人工の光で闇を消そうとしてきた。現代社会にも昼があり、夜がある。しかし、その夜は気づかずにいれば、昼とはほとんど変わりはない。闇が秘める超自然的、霊的存在を人間は怖れ、遠ざけてきた。こうしたテイラーの考えは、キリスト教神学の古い考えを再生させているともいえる。

 ここまで来ると、賢明な読者は、もう話の行方がお分かりかと思う。テーラーが言わんとすることは、実際に特定の神を求めたり、どこかの暗い森の中を歩いて見なさいというわけではないのだ。彼女はこう記している。「もしあなたが暗闇の中で落ち込んでいるとしても、そのことはあなたが人生を失敗した、あるいはとんでもない誤りをおかしてしまったということを意味するのではありません。長年にわたりこのような問題や疑問、そして神はいないのではないかということも考えてきました。それらはすべて私の信仰が欠けている証拠なのです。しかし、今ではこれこそが時代の精神、スピリットが向かっている道なのだと思うようになりました」(Time April 24,2014)。

  信仰というものがこの世に生まれてから、暗闇には神の神秘が静かに座してきた。そして、古来、ながらくの間、闇は日没とともに訪れ、希望や活力に充ちた昼の世界、光の世界を消し去り、怖れ、恐怖、そしてしばしば悪魔や魔女が飛び交い魑魅魍魎がうごめく世界をもたらすものでもあった。

 「危機の時代」ともいわれた17世紀は、とりわけそうした闇の世界が大きな存在であった。当初は「夜の画家」ともいわれ、夜や闇の深さを描いた画家ともいわれるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの宗教画、そして他の同時代の画家の作品には、蝋燭や松明の光とは別に、
どこからか超自然的な光が射し込んでいる。時には昼とも夜ともつかない不思議な背景の下に人物などが描かれている。しばしば画面の全体を覆う闇、暗黒の世界は、人間の力が及ばない、神や悪魔が住む次元とみなされてきた。しかし、この画家の世界には、どこからともなく光が射し込んでいる。光源は分からないが、その光は人物をはっきりと映し出している。ラ・トゥールと現代をつなぐ光であり、闇がそこにある。 



 "Finding God in the Dark" The Time, april 28, 2014


この世の最後まで神とご自身の関係を真摯に考えられていたS.T.先生、今はその思いをかなえられていることでしょう。ご冥福を祈りながら(2014.04.25)。

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おめでとう! 富岡製糸場世界文化遺産へ

2014年04月27日 | 特別トピックス

 




Photo YK(2009)




  富岡製糸場が世界文化遺産へ登録される見通しとのニュースは、最近暗い出来事ばかり多い日本に一点の輝きをもたらした。このブログにも5年前の5月に、製糸場再訪の記事を載せたこともある。あれからもう5年も過ぎたかという思いもする。

 不思議なことに、このたびのニュースに接したのは、ちょうど「富岡製糸場総合研究センター」所長の今井幹夫さんによる新著を読み終わった時でもあった。この書籍、新書版ながら、大変正確かつ平易に、富岡製糸場がたどった推移と状況が記されており、この日を待っていたような著作である。これを機会に「富岡製糸場と絹産業遺産群」のことをもう少し勉強したいと思う人たちには格好の入門書としてお勧めできる。

 若いころ、この製糸場の歴史に関わる資料を読み、アメリカ、イギリス、フランスなどの製糸・繊維工場のいくつかを訪ね歩いたことなどもあって、富岡は大変なじみのある場所でもある。最初に富岡を訪問した頃は、まだ片倉工業という企業の工場として操業していた。今では知る人も少なくなったが、東京駅北口前の『日本工業倶楽部』の屋上正面には、織機の杼(シャトル)を手にした女子労働者とつるはしを持った男子鉱山労働者の像が置かれている。日本の産業発展を担った二つの基軸産業の労働者の象徴である。

 
 富岡製糸場は、1872年に明治政府が設立した官営の製糸場であり、国内の養蚕・製糸業のモデルとして大きな役割を果たした。日本はフランスと共に、絹産業については古い歴史を持ち、産業の発展をリードしてきた。これも偶然ではあるが、今年4月5日まで、パリで日本の皇室が継承されているご養蚕にかかわる展覧会も開催され*2、日本とフランスの絹産業の交流もテーマとなっていた。

 イギリス、アメリカなど欧米諸国では、繊維産業が産業革命の中心となり、産業発展の原動力となり、アメリカ、ニューイングランドや南部の主要な繊維産業の栄えた町では、当時の工場が操業していた状況が工場建屋などとともに、博物館などとして維持・継承されてきた。富岡製糸場の原型となったフランスでも、リヨンやトロワなどには立派な博物館などがある。

 富岡製糸場は、日本のみならず世界の絹産業の発展に大きな役割を果たした。その意味でこの製糸場の具体的なイメージを遺産として残し、製糸場とそこで働いた人たちの姿を、なんとか次世代に継承してほしいと思っていた。そのため、今回の世界文化遺産としての決定で、最も望ましい形で継承されることになったことは、非常にうれしい。工場建築物としても、今日まで損傷が少なく在りし日の状況がきわめて良好な状態で保存されている。赤い煉瓦の壁面が美しい建物である。よく見ると、製糸場責任者が住んだブリュナ館、現場で指導に当たったフランス人女性労働者がすんだ女工館、工女の寄宿舎なども、それぞれに時を超えた美しさを留めている。さらに同時に認められた周辺の絹産業遺産群も、他ではほとんど見られない良好な状態で今日まで保存されてきた。そのために注がれた関係者の大きな努力が伝わってくる。

 日本の産業遺産ということを考えると、喜んでばかりいられないことがある。いうまでもなく、あの福島第一原発のことだ。人類史上の負の遺産ではあるが、しっかりと廃炉工程を完了し、放射性廃棄物の処理に目途をつけ、次世代の人たちが、深い反省と安心とを併せ持って、発電所跡地を訪れることができるようにすることが、現世代が負うべき責任だろう。この難事を成し遂げ、福島第一原発跡を世界遺産へ申請できる日は、果たしてくるのだろうか。
 
 

 

 

 

 今井幹夫編著『富岡製糸場と絹産業遺産群』ベスト新書(KKベストセラーズ)2014年3月刊

*2 フランス、パリ、宮内庁主催『蚕-皇室のご養蚕と古代裂、日仏絹の交流展』。2014年4月5日閉幕

 

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少し離れて見る世界(7): ヨーロッパを制するガス管

2014年04月18日 | 特別トピックス

 


Photo YK



  このブログ、開設当初から「近いところ」は、なるべくトピックスにとりあげないように意識してきた。日々変化するこの国の実情など至近距離の問題は、多数のメディアが得意とするところ、そこへさらに小さな一石を投じるつもりはなかった。

 ただ、「近い問題」に関心がないわけではないし、新たな問題を見出すことも多い。それでも、歳を加え、多少人生の経験も積むようになるにつれて、少し距離を空けて、時には意図して距離をとって、世界を見てみたいと思うようになった。あまり近づきすぎると、見えるものも見えなくなってしまう。人類の将来を現時点で見通すことはきわめて難しいが、17世紀くらいまでタイムマシンで戻って、現在を見ると、「進歩」したと感じるのは武器の殺傷力くらいではないかと思うことすらある。戦争も疫病も、異常気象もなにひとつ無くなっていない。格差問題も改善どころか、拡大している。そして、経験したことのない真の危機はかなり近くにまで迫っている。次の世代はさらに厳しい状況に直面することを考えねばならない。もはや先延ばしにしたり、避けては通れない。


極端に分かれる見方
 あまり近くで見たり、結論を下すと危ういと思うことは多々ある。
ひとつの例を挙げてみよう。最近大きな書店、図書館などに出向いて気づくことのひとつに、中国についての出版物がかなり増えたことがある。ひとつの大きなコーナーを設けた書店もある。ひところと比べて驚くほど多数のタイトルが目につく。とりわけ日中関係が悪化してから、この問題に関わる書籍は驚くほど増えた。そのタイトルも刺激的となり、「没落する中国」から「中国が世界を支配する日」まで、極端な振幅がある。見る側にそれなりの蓄積、見識がないと、きわものを選んでしまいかねない。それを避けるための手段として、対象との間の距離の取り方は、ひとつの留意すべき条件と思う。

 ウクライナ問題にしても、日本のメディアがあまり詳しく報じない間に、実態は急速に悪化した。もはや明らかな内戦状態である。プーチン大統領は、クリミヤの電撃的編入とは手法を変えて、ウクライナ東部については、じわじわと実効支配による組み入れを企図している。今のプーチン大統領にはロシア系民族の圧倒的支持を背景に、強面の外交で、譲る気はない。中国が外交的にロシアに近づいていることもあって、ロシアは孤立する不安が少なく、今こそソ連邦崩壊で失った領土を取り戻す絶好の時と考えているようだ。

 ロシアがウクライナを手中に入れれば、ヨーロッパとロシアの距離は急速に縮まる。正確なニュース源は不明だが、ヒラリー・クリントン氏はウラディミール・プーチンのクリミヤ編入を1938年のアドルフ・ヒットラーのチェコスロヴァキア侵略に比したと伝えられる。当時、ヒットラーはズデーテンランドに住むドイツ人の保護を軍事的発動の理由に掲げた*1


打つ手のないメルケル首相
 ウクライナ問題をめぐっては、EUの基軸国、とりわけドイツのメルケル首相の打つ手が見えてこない。KGBの指揮官として東ドイツ時代、ドイツ語をしっかり身につけたプーチン大統領と、東ドイツ出身でロシア語堪能のメルケル首相は互いに十分手の内を知り尽くしているはずだ。ほとんど毎日電話していると伝えられる。

 しかし、プーチン大統領は今回は強気で押している。時間をかけてもウクライナを編入すれば、EUとロシアの地政学的状況は大きく変わる。ロシア系住民の力を梃子に、ロシアは軍事的介入の可能性をちらつかせながら、ウクライナから東欧諸国に居住するロシア系民族を支援することで勢力版図の拡大を狙う。こうした軍事力を背後にしたロシアの版図拡大が続けば、EU拡大の夢は消え、ヨーロッパは西方へ向けて押し戻される形になる。

 プーチン大統領の表情を見つめる厳しい顔のメルケル首相のイメージが掲載されているが、今回は一筋縄ではいかないという感じが両者の表情からうかがわれる*2

ガス管が切り札となる
 「ドイツ化するヨーロッパ」(Ulrich Beck)の指導者メルケル首相に、このところ迫力がないことには理由がある。日本ではあまり報道されていないが、ロシア側が強気の背景には、ロシアがヨーロッパに供給する天然ガス問題がある。

 ロシアからヨーロッパ諸国にかけて、ガスプロム(GAZP 政府系天然ガス企業)の天然ガスの供給ラインが、いわば動脈のように流れている。ロシアからウクライナを通り、ヨーロッパを横断し、スロヴァキア、オーストリア、ドイツ、イタリアにかけて、延々とロシアのガス供給ラインは伸びている。

 EU-28ヵ国のガス調達量に占めるロシア産の比率は、2012年時点で24%だが、リトアニア、エストニア、ラトビア、フィンランドは100%、ブルガリア、スロヴァキア、ハンガリーなどは80%台の高率だ。さらにオーストリア60%、ポーランド59%、チェッコ57%、ギリシャ56%、ドイツは37%と依存率が高い。ヨーロッパで、ロシア産のガスにほとんど依存していないのは、イギリス、スエーデン、スペイン、ポルトガル、アイルランド、クロアチア、オランダなどだ。フランスは自国に産出するガスと原子力に頼っている*3

 すでにプーチン大統領は、ドイツを含む18カ国首脳に、ウクライナが未払いの天然ガス料金を支払わなければ、ロシアは同国に対するガス供給を削減する可能性があり、結果としてウクライナ経由のロシア産ガスのヨーロッパへの供給も減少する恐れがあると警告している。すでにガスプロムはウクライナへのガス供給は、前払い条件にしており、価格も引き上げられた。

 福島原発事故を契機に、再生可能エネルギーを主軸とする方向へ、エネルギー源転換過程*4にあるドイツだが、ロシア産天然ガスへの当面の依存は避けがたい。エネルギー源の短時日での転換は難しい。メルケル首相のプーチン大統領への電話も恐らく迫力に欠けることだろう。

 さらに、ロシアの天然ガスへの依存が高い国は、どうするか。エネルギー源転換には長い時間がかかる。ドイツやフランス、オランダ、ベルギーなどは、国内にシェール・ガスの油層が存在することは、ほぼ確かめられている。しかし、技術開発、環境問題など、こうした代替エネルギーの選択には新たな難問が控えている。プーチン大統領の強気は、軍事力の示威ばかりではない。ガス送油管もきわめて強力な武器となっている。

  かつてこの国日本にも、「石油の一滴は、血の一滴」というスローガンが躍っていた時代があった。この句の意味と環境を正確に語れる人たちも少なくなった。エネルギーの調達のあり方は、国の盛衰に大きく関わる。福島原発事故で流した血がどれだけのものか。簡単に原発再稼働の決定などあってはならない。この事故によって図らずも、これまで十分認知していなかった原発の裏面の一端を知った。使用後の核燃料廃棄物の処理を含め、問題は次の世代以降まで持ち越される重みを持っていることを熟思すべきだろう。

 

 
 

 

*1-2 
"Which war to mention?" The Economist March 22nd 2014


*3

"Conscious uncoupling" The Economist April 5th 2014

*4
ドイツの総発電量に占めるエネルギー源としては、天然ガスは2013年暫定値で10.5%とさほど大きな比率ではない。しかし、脱原発に転換した同国の現在の原子力比率15.4%の今後の低下と併せると、ロシアを源とする天然ガス分を他の資源で直ちに代替することにはかなりの困難が伴う。安定的なエネルギー比率へ以降するまでの間、苦難の道が続く。プーチン大統領の攻めの外交はしばらく続くはずだ。


Arbeitsgemeinschaft Energiebilanzen e.V. 2013.12.12.


 

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少し離れて見る世界(6):民主主義とはなんだろう

2014年03月31日 | 特別トピックス

 



Photo YK




    

 これまで、折に触れ、少しずつ話題としてきた「民主主義」というテーマだが、最近では単に政治哲学の分野に限らず、経済、社会の広い分野で、問い直されている。とりわけ、問題として浮上しているのは、民主主義、あるいは民主制というイデオロギーが、現実の世界でどれだけ実現し、どのように評価されているのかという点にある。

  必ずしも日本に限ったことではないが、議会制民主主義も無党派層の増大、投票率の低下など、議会制度が前提としてきた国民の政治参加が十分機能しているとはみえない現象がいたるところに出てきた。


民主主義国 vs. 非民主主義国
 
今世紀に入って、世界の民主主義国といわれる国々の多くが、原因はさまざまではあるが挫折や後退を経験している。とりわけ、国家財政上の問題を抱える国々は、実質的に破綻している。他方、非民主主義国というグループに分類される中国などは、自分たちの制度・体制は、民主主義国よりもはるかに効率的に機能していると誇示してきた。民主主義あるいは民主制とは非効率を内在しているのだろうか。

  このように、民主主義という言葉は、いたるところで良く聞かれるが、実際にはいかなる内容が実現すればそういえるのか、少し考え直すと、実はあまりよく分からない。大新聞などの紙面には、毎日登場している言葉だが、あまり意味の無い修飾語のようにつかわれていることも多い。少なくも、民主主義が問われる時に、その問題に関係する人々の間にどれだけ共通の理解、基盤が形成されているか、疑問に感じることがある。

 この小さなブログで、こうした大問題の細部に立ち入るつもりはないのだが、たとえば日常使う辞書では、民主主義とは、「基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、またその実現が要請される(『広辞苑』第6版)、「政治上だけではなく、広く人間の自由や平等を尊重する立場をいう」(明解国語辞典」などと説明されている。
しかし、その状況が実現しているか否かを具体的な場で判定するのはかなり難しい。さらに民主主義という言葉は、多様性を持ち、歴史的にも変化をとげてきた。そのため、人々の抱くイメージもかなり異なっている。

 一般に民主主義が制度、民主制として実現している国としてあげられるのは、西欧の場合が多い。非西欧の国の中では少ないが、いちおう日本も含まれているようだ。その日本で、国民がいかに認識しているのかもあまりはっきりしない。

遠く離れたトクヴィルの時代

 1830年代にアメリカへ旅したフランスの政治家トクヴィルは、その見聞を基に『アメリカの民主政治』を著した。その中で、ローカルな政府がデモクラシーを最も良く発揮できると述べている。そこでイメージされた状況は、アメリカ独立期のタウン・ミーティングのような場合と考えることができる。しかし、当時考えられたデモクラシーと、現代のそれとはかなり異なるとみるべきだろう。トクヴィルの描いたようなイメージは、いわば「古典的民主主義」ともいうべき類型と考えられる。

 それに対して、現代の民主主義は、経済学者シュンペーターが議論展開の源になった「エリート民主主義」ともいうべき概念に近いようだ。言い換えると、主権者の意思の一致、実現が、現実にはほとんど存在していないことを論証した上で、政治家を議会メンバーとして選出する政治家主導の状況といえる。。

 しかし、「エリート民主主義」あるいはそれに類似した民主主義も、さまざまな欠陥を露呈してきた。その間に、「参加型民主主義」や「直接民主主義」など、異なったタイプの民主主義が、地域や職場などの次元で有効であると主張されるようになった。しかし、多くの人が納得し、賛同する普遍性の高い民主主義の類型は、まだ見出されていないようだ。

 現代の状況は、さまざまなタイプがそれぞれに問題を抱え、普遍性を主張できず、混沌としたままに動いているといえるだろう。

いまだ答が出ない問
 このブログの管理人は政治哲学などとはまったく無縁の分野で過ごしてきたが、最近思いがけず手にすることになった、民主主義の現状についてのいくつかの論評を読みながら、現実の世界はトクヴィルがアメリカを旅した時代と比較して、どうもさほど進歩しているとは言いがたい状況にあると感じるようになっている。いったい、人間の世界は、これからどこへ向かうのだろうか。これは、若い頃に考えさせられた「進歩とはなにか」という問に、いまだ答を出せていないということでもある。

 

 

 
  

Reference
'What's gone wrong with democracy and how to revive it.' The Economist March 15th-17th 2014. 

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少し離れて見る世界(5):「後退する民主主義」雑感

2014年03月27日 | 特別トピックス

YK Photo


 
 ブログなるものに手を染めてから、10年余の年月が経過したことに改めて驚く。しかし、訪れてくださる方で、管理人と関心領域を共有している人たちは、実はきわめて少ない。ブログ・トピックスのほんのわずかな部分が重なっている場合がほとんどである。人間の生い立ちや関心事が異なる以上、当然のことではある。しかし、幸い少しずつ問題を理解いただき、関心領域を共有する読者の方々が増えてきたのはうれしいことだ。セミナーなどで対面してお話すると、かなり当方の意図が伝わっていて、脳細胞を刺激する話ができる。本来、ブログというメディアでは、取り扱いがたい問題をメモのように記している、この小さな試みに辛抱強くおつきあいいただいている皆さまにはひたすら感謝するしかない。

閑話休題

 さて、今回も前回に続き、クリミア問題との関連から始めることにしたい。日本と地理的に離れていることもあるが、日本のメディアからは事態の切迫感が感じられない。しかし、世界の重大事は時に思いがけないことから拡大する。今後十分関心を持ち続けることが必要だ。

 ロシアのクリミア併合について、EUもアメリカも有効な対抗策がないようだ。「制裁」と称して、ロシアの指導者何人かの入国拒否などをしてみても、すでに出来上がってしまった既成事実を、ロシアが元に戻すとは考えがたい。むしろ、西欧側がこれ以上強くクリミア併合のご破算を要求したら、危うくなるのは西欧側となる可能性が高い。事実上、アメリカなどもロシアによる領土併合を認めたようだ。

 前の世紀であったならば、短時日の間に局地戦からヨーロッパ大陸を巻き込む大戦になったかもしれない。リスクの高い地域であり、大戦につながりかねない材料もあった。しかし、関係国の自制もあって、なんとか火薬庫大爆発につながるような危機を回避している。

 国境を越えての経済的相互乗り入れが進んで、エネルギーなどをロシアに大きく依存しているドイツなどは、ロシアに強い制裁を加えることで、逆に供給制限などの対抗手段をとられれば、代償の方が大きくなってしまう。グローバル経済が進むと、関係国相互の資本、労働などの乗り入れが進んで、依存関係が強まるため、大きな紛争は起こしにくいことは考えられる。ロシアの行動は、こうした状況を読んだ上でのことだ。万一、戦争状態に入ってしまえば、送油管は大きな武器に変化することはいうまでもない。

したたかな非民主主義国
 今回、特にロシア側は周到な計算の上に、クリミア併合に乗り出している。併合という動きに出た場合に、その後他国からいかなる制裁措置を受けるかは読んでのことだ。これによって、ロシアは、G8から外され、仲間はずれの措置を受けたが、プーチン大統領にとっては覚悟の上だろう。西欧側に対抗する手段は当然準備しているので、さほど打撃を受けたとは思えない。

 クリミア併合という大きな実利を手に、国民の愛国心を煽り、強い対応に出られる非民主体制の国の方が、行動も早い。クリミア住民の中で、ロシア系のプーチン大統領支持率はきわめて高い。危険なことだが、ロシアはプーチン大統領という戦略に長けた強力な専制的指導者を得て、かなり権謀術数を駆使した活発な動きに出ている。

 問題は、今後ロシア軍がウクライナへ侵攻するなど新たな動きに出た時に、どんなことになるか。ロシア側は今回のクリミア併合で、新たな冷戦状態が始まり、かなり長く続くことは、読み込み済みだ。オバマ大統領は冷戦にはならないとしているが、ロシアは懐が深くしたたかな国だけに、西欧諸国としては、かなり扱いがたい相手になっている。

民主主義を希求する世代の力
 今後の動きを見通す上で、ひとつの注目点は、ウクライナの政治を再建しようと、ヤンケロヴィッチ大統領の政権を倒した若い世代のエネルギーの行方だ。彼らはウクライナの将来に大きな期待をかけていた。プラカードの文字には、ロシアの介入を拒否し、EUとの結びつき強化への期待が記されていた。

 ウクライナに限らず、東アジアで、台湾の行政院を占拠した学生たちの懸念は、大陸中国との関係にある。彼らには、ある日台湾が中国に併合されてしまう怖れを、なんとか今のうちに回避、阻止したいという思いがある。こうした考えは、台湾と中国との経済関係が拡大するに従って急速に強まってきた。これについて、台湾問題はすでに答は出ている、台湾が中国となるのは、熟柿が落ちるのを待つようなものだとの話を大陸側の人から聞いたことがある。大陸側としては、経済関係の拡大などで、台湾の実効支配を強めていけば、武力制圧などせずに自然に手に入るという考えがあるのだろう。プロテストに参加している台湾の人たち、とりわけ若い世代の人たちは、当然その日が近づいているのを感じている。尖閣諸島をめぐる問題も、底流にはかなり同質の部分がある。次世代のために、日中両国指導者の強い自制心を求めたい。

 これまで世界各地で、同様な危機を感じている「人々の意思」は、彼らの力によって新しく生まれる「政府の権威」にもつながってきた。しかし、21世紀に入って、彼らが求める民主主義は、なぜか推進力を失っている。このたびのウクライナ問題について、オバマ大統領は「民主主義が試されている」と述べている。

非民主制側の問題
 2007ー2008年の金融危機後の世界では、中国の台頭、イラク戦争、エジプトの凋落、EU諸国におけるポピュリストの台頭など、民主主義への多くの対抗的動きを見ることができる。たとえば、中国では成長さえ実現すれば、国民は彼らの専制的なシステムにも耐えてゆくだろう。いくつかの世論調査でも、中国人の大半は現在の体制に満足しているようにみえる。少なくも、民主主義体制よりも効率的で機能していると考えているようだ。他方、歯止めがきかなくなりつつある大気汚染、幹部の腐敗などへの不満も高まってはいる。習近平国家主席には、毛沢東、小平を初めとする現代中国の節目を生み出した指導者のような強いカリスマ性はない。自らに権力を集中しないと国家運営が危ういと思っているところがある。

  西欧に目を移すと、フランス、オランダ、ギリシアなどでのポピュリストの台頭も目立つ。ギリシアの「黄金の夜明け」党のようなナチ型の政党に、民主主義はどれだけ抑止力を発揮しうるだろうか。このたび行われたフランスの右派政党国民戦線の浸透度も注目に値する。

 かつて、 J・マディソン、J・S・ミルのような近代民主主義の創始者は、その普及に多大な情熱を注いだ。注意すべきことは、彼らはそれでも民主主義を強力だが、不完全なメカニズムとみていた点にある。そのために、民主主義体制の動きに常に注意を払い、不完全な点を補填する努力を説き、そのために力を尽くした

  近年の民主主義の失敗の原因はいくつか考えられるが、選挙に過大なウエイトを置き、多数決の結果に流されやすいこと、民主制の持つ他の特徴を軽視していることなどが挙げられる。とりわけ、日本のような国では、民主主義は世俗化し、本来維持されるべきスピリットを失っている。

多数決に過度に依存する危険
  そして、これまで細々ながら見守ってきたように、拡大をみせるグローバリズムの潮流にもかかわらず、近年顕著なことはアメリカ、ヨーロッパなどの主要
受け入れ国にみられる国境の壁の強化、制限・分断化の進行である。そのきっかけとなっているのは、国境紛争の増加、武器・麻薬などの密貿易、国境犯罪組織の拡大、移民の受け入れ制限などの動きに象徴的に現れている。

 難しい課題のひとつは、西欧諸国では十分な見通しと計画のないままに、定着・居住するようになった不法移民が、きわめて対応の難しい存在として移民政策の最難題になっていることだ。定住期間が長引くほど解決が困難となる。今頃になって日本は、「外国人実習生の受け入れ拡大」、「移民一千万人受け入れ」構想などと言い出しているが、こうした場当たり的対応を、次の世代は本当にどう考えているのだろうか。

 予想される社会的な緊張と残される重圧を背負うのは、次の若い世代なのだ。最近提示されている議論には、移民という長い歴史と蓄積を持つ問題分野から学び、政策を立案したという思考の進歩の跡が感じられない。国民の反応をみるアドバルーンにしては、あまりに稚拙に思われる。国家の運命を定める問題だけに、短期的な労働力不足の側面だけに目を奪われて、後の世代に大きな禍根を残すことがないよう、将来を見通し、問題点を整理して提示し、十分国民的議論を尽くすべきだろう。

 再言するならば、民主主義に潜む危険のひとつは、多数決主義に傾くことだ。成功した民主制はその点にからむ問題を注意深く回避してきた。民主主義については、あまりに論点が多く、ブログなどでは扱いきれないが、国民の間で民主主義の理解と蓄積の浅い日本にあっては、国家の重要問題は国民に明確に開示し、議論を尽くすことが必要だ。






ここで取り上げている問題は、国際的にも大きなイッシューになっている。さらにご関心のある方のため、いくつかの手がかりを記しておく。

References

 
"What's gone wrong with democracy and how to receive it" The Economist March 1st-7th, 2014.

Joshua Kurlantzick
Democracy in Retreat. The Revolt of the Middle Class and the Worldwide Decline of Representative Government, New Heaven: Yale University Press, 2014

Dani Rodrik, The Globalization Paradox: democracy and the Future of the World Economy, 2011
(ダニ・ロドリック(柴山佳太・大川良文訳)『グローバリゼーション・パラドクス』白水社、2013年)

 

 

 

 

 

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少し離れて見る世界(4):民主主義は欠陥商品?

2014年03月20日 | 特別トピックス



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  クリミヤはついにロシアに編入されてしまった。ウクライナの行方も危うくなっている。プーチンは欧米諸国の手の内を読み切っていた。冷戦が再現することを覚悟の上で、既成事実を積み上げ、予想されたプロセスを省略して、
一気に自国へ編入してしまった。ソチ・オリンピック、パラリンピックを成功させた路線上に、周到に企図されていたのだ。電撃的行動だった。

 必ずしもロシアに限ったことではないが、このように住民の支持(それがいかに形式上のものであっても)を背景に他国へ編入された領土を、それに反対する自国民の一部あるいは外国勢力が武力行使なしに取り戻すことはきわめて困難だ。今回は、とりわけアメリカの国力低下、ヨーロッパの影響力弱化を見越した上での行動だから、ロシアがクリミヤをウクライナに戻すことはないだろう。ロシアとしては、欧米諸国を相手に長期の冷戦に入ろうとも、手放さない覚悟とみえる。クリミヤに続き、ウクライナのロシア化が懸念される。

 ここで恐ろしいのは、ウクライナで局地的、偶発的衝突から戦火が拡大することだ。すでにその兆候は起きている。

新たな冷戦時代の到来?
 武力衝突を回避し、最も憂慮される危機段階を切り抜けても、世界は厳しい状況になるだろう。ロシアは隣国中国と結び、アメリカ、ヨーロッパの2大勢力が対決する新たな冷戦の舞台になるのではないか。今回のウクライナ問題に中国がほとんど実質的な関与を見せていないのは、この問題でロシアに貸しを作っておけば、アメリカとの対抗上も有利に働き、さらに
ロシアが自ら引き起こした問題に追われている間に、中国は大気汚染、官僚腐敗、財政危機などの国内問題に対処するつもりなのだろう。


民主主義は脆弱な制度か
 いずれにしても短期の解決は考えられず、歴史は再び冷戦期のような状況になりかねない。問題はこのたびのウクライナ紛争以前から世界の各地で発生していた一連の政治的民主化運動の評価にある。ウクライナがこのような段階に立ち至るまでに、世界には多くの民主主義を求めて、旧政権を打倒し、より民主的とされる新政権を樹立しようとの動きがあった。

 ウクライナ問題もその流れのひとつのはずだった。ヤンケロビッチ大統領の専制政治を倒した親ヨーロッパ派が、ロシアの介入を拒否し、民主的な政治体制を樹立しうるかという点に世界の注目が集まっていた。彼らが目指した基本的立場は、政治にまつわる腐敗の撲滅、乱費の防止にあり、政治家たちの専制的、恣意的な政治に代わり、国民が選択した一定のルールに基づく民主主義の体制を築くことにあった。

 民主主義が平均して見れば、その他の意思決定に比較して、構成メンバーの満足度を高め、豊かで、平和をもたらすことが多いことは、これまでの歴史の経験から推定できる。世界は概して民主制を希求し、その実現を求めてきた。

 しかし、現実の推移はこうした期待を裏切っている。民主主義を求めての新体制が、円滑に生まれることは少なく、その後も混乱し、つまづく例が多い。最近の例では「アラブの春」と呼ばれた一連の民主制を希求する道が、多難な状況にあることを示している

西欧以外では育ちにくい?
 民主主義への信頼は元来それが生まれた西欧で最も強いが、西欧以外ではそれほどではなかった。しかし、「アラブの春」や今回のウクライナ紛争の発端にみられるように、西欧以外の国々へも少しづつ拡大してきた。しかし、いずれも多難な道を歩んでいる。さらに、中国のような国では民主制は、望ましい国家のモデルとして選択されない。

 今回のクリミヤのロシア編入は、プーチン大統領という強力な指導者の主導の下に、強引に進められてきた。中国でも、習近平体制への権力集中が急速に進んでいる。ロシア、中国共に、国民が民主主義を強く望んでいる空気は感じられない。国内外に難問を抱える国が、民主的手続きで問題に対応することは、なぜ難しいのか。最近の動きは、これまで西欧中心に追求されてきた世界のあり方に大きな問題を突きつけている。

 こうしている間にも、ウクライナをめぐる情勢は時々刻々変化している。国連もロシアの拒否権発動でほとんど機能しない以上、EU,アメリカなどの対抗措置で事態のこれ以上の悪化を防ぐしかない。ロシア語に堪能なアンゲラ・メルケル首相も、ロシアへのエネルギー依存などもあって、切り札を欠くようだ。ロシアの行動を抑止する国際的な手段は限られている。こうした状況が生まれることは、地球規模で多くのの難題を抱える次世代にとって良いことではない。もう少し、その行方を観察してみたい。

 

 

Reference
 "What's gone wrong with democracy" The Economist March 1, 2014.


  

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少し離れて見る世界(3);拡大するリスクと政治家の責任

2014年03月14日 | 特別トピックス

 

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終わりの始まり?
 
この見出しは、英誌 The Economist(March 8th)が、ウクライナ問題の現状について、つけたものだ。多くの日本人には、ウクライナ問題はいまだ切迫感を持って受けとられていないようだ。しかし、筆者には、ウクライナ、クリミア半島は、ほとんど発火寸前の火薬庫のように感じられる。ロシアが武力介入し、内戦状態にでもなれば、世界はイスラエル・パレスティナ、シリアに次いで、きわめて深刻な問題を抱え込むことになる。
1968年の「プラハの春」を思い起こす。

 ロシアの後ろ盾による強引な住民投票で、クリミア半島のロシアへの編入が行われるならば、EU、アメリカなども否応なしに具体的な制裁に踏み切らざるをえない。この方向へ進むことは、ほとんど不可避になってきた。世界は新たな混迷と危険を抱え込む可能性が高い。これまでの歴史の経験からすると、きわめて危険に満ちた展開になっている。日本が仮にロシアをG8から外すというような国際的動きに加担すれば、北方領土問題はたちどころにロシアの戦略カードと化して翻弄されることになりかねない。

 The Economist誌*1などは、すでにクリミア、そしてウクライナのかなりの部分は、ロシアによって「誘拐」kidnapped されてしまったと論じている。ロシアは図らずもウクライナの国内問題に巻き込まれてしまったと弁じているが、筋書きは見え透いている。ロシアは明らかに先手の石を打っており、これを平和的に取り去ることはほとんど困難に思える。


 アメリカ、EUともに外交力が衰え、ロシアに圧力がかからなくなっている。ヨーロッパの中心的存在のドイツは、ロシアからの液化ガス・エネルギー供給に大きく依存していて、自ら強力な制裁措置はとりにくい。ロシアの隣国、中国は国内問題が急を告げていることもあって、ほとんど沈黙している。内政に難問を抱える今、世界の目を自国からそらせたい思いもあるかもしれない。こうした間隙を縫って、ロシアは大国への復権を企図しているのだろう。

 西側諸国は武力で事態を改善するという手段だけは避けたいと考えている。ウクライナでロシアと戦火を交えるのは最悪な事態だ。他方、大国の再現を目指すプーチンのロシアは、これらの点を見通し、すでに準備していた路線を押し通す強気な対応を続けている。今、EUでプーチンにある程度説得力が発揮でき、電話で話ができるのは、
アンゲラ・メルケル首相だけといわれている。しかし、彼女も東ドイツ時代にロシアの裏表に通じているとはいえ、決め手を欠いている*2

メルケルの青い電話:ヨーロッパの最も有効な武器?
 アンゲラ・メルケル首相
の机上の青色の電話は、世界の政治家ネットの中心として最も使われているようだ。とりわけ、クレムリンとの通話は多いらしい。しかし、彼女の説得にプーチン大統領は本気で応答しているかが問われている。ロシアが軍隊を撤退させない場合、ドイツは他のEU諸国と並んでロシアへ強硬な制裁をとりうるだろうか。現状は厳しいが、メルケル首相は欧米側の意図を体して、かなり強く当たっていると報じられてはいる。

 前回も記したドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックの論理を参考に、少し考えてみたい。ベックは現代ヨーロッパを中心に、グローバル化問題について、最も影響力ある論者のひとりである。

 ベックは、1992年の著作で、今日の世界が直面する状況を「リスク・ソサエティ」 risk society という概念で説明してきた。ベックはかなり多作であり、ドイツ語で書かれた著作ばかりでなく、最初から英語で書かれたものもある。しかし、年を追って、最初の概念が拡充・補足されたりで、かなり分かりにくい。

 ここでとりあげる「リスク・ソサエティ」なる中心的概念自体も、1992年の最初の提示以降、時間の経過とともに、論旨が少しずつ修正、加筆されてきた。経済学の場合は、数式、図表などが使用されることもあって、論旨は簡約にすることも可能だが、社会学では新たな概念が次々と導入されたり、増幅されて分かりにくくなる。主要著作について邦訳もあるが、「リスク」、「危険」、「ソサエティ」、「社会」、「世界」などの言葉が、訳者によって微妙なニュアンスの差異を伴いながら使われており、かなり難渋する。

 細部の議論にご関心の向きは、該当文献を参照いただくことにして、ここでは管理人が理解したかぎりで、ベックの道具立てを借りて話しを進めてみよう。

現代自身が生み出したリスク
 日本では「リスク」も「危険」もほぼ同義語のように使われていることもあるが、ベックは「リスク」 risk を、『現代化 modernization それ自体によって誘発され、もたらされた危険および不安定で危うい状態に対処する組織的な方法』と定義している*3 'systematic way of dealing with hazards and insecurities induced and introduced by modernization itself' (Beck:1992, 21).

 この点を別の言葉にすれば、ベックのいう「リスク」は、現代という時代が自ら生み出した危険で不安定な状態を、人類としてなんとか体系的にコントロールする方向を模索することとでもいえるだろうか。

 特に注意すべきは、「リスク」は、それ自体、「現代(モダーン)」が生み出したものであり、「現代」の存在自体を脅かしかねないものという理解である。さらに、ベックは「危険」hazardsのグローバル・レベルへの普遍化を説く。彼が1992年に最初に「リスク・ソサエティ」の概念を導入した当時、すでに1986年4月に現在のウクライナの首府キエフの北方、チェルノブイリ原子力発電所で炉心爆発・溶融破壊、建屋崩壊事故が発生していた。多数の死傷者が出て、欧州諸国が放射能汚染にさらされ、当時のヨーロッパはパニック状態となった。たまたま筆者が訪れたオーストリアでは、子供たちに呑ませるミルクがないとうろたえる人々の姿に、その現実の一端を目にした。こうしたこともあって、ベックは原子力発電の危険性について、最初から例としてとりあげている。

普遍化するリスク
 
さらに、この事故のこともあって、ベックは現代の危険は、単に特定の地域、企業などの範囲に限定されることなく、国境を越えて普遍化することを強調した。さらに、工場などからの汚染物質の排出、大気汚染などへも注意を促した。これらは産業の論理、言い換えると近代化それ自体が生み出すものであり、従来の国民国家の特徴である国境や地域の範囲内に限定することができないとした。現に中国などで発生しているP.M.2・5などの大気汚染問題は、当該国だけにとどまらず、国境を越えて他地域にまで悪影響を及ぼす。

 加えて、ペックは「リスク」の原理と「民主主義」の原理とを対比させて、現代の社会が直面する多くの問題を説明しようとする。いつ果てるともないパレスティナ紛争、「アラブの春」といわれた一連の動き、そして目前のウクライナ問題などが材料となる。ベックの論理は、グローバル化の次元へと拡大され、「世界リスク社会」という課題で論じられるようになる。

 ベックの展開する推論は、現代という世界が内在する問題を、とりわけリスクという観点との強いつながりで説明しようとすることが基軸になっている。理論というよりは、説明という感が強いが、いくつかの概念化で複雑な現代社会を理解する上で、重要な手がかりを提供してくれる。

「破断」する現代
 このように、リスクは「
現代」が自らが作り出し、現代を象徴する現象であり、さらに現代自体を脅かす存在であるとベックは言う。今日の世界に起きているさまざまな異常事態は、「現代」がいわば「破断」break しつつあることかもしれない。しかし、その後に続く世界がいかなるものであるかは、誰も分からない。

 ウクライナが火急の政治危機に直面し、そればかりでなく、あのチェルノブイリ原子力発電所もそこにあり、廃炉の行方も未解決のままにあるという事実をとっても、日本と無縁ではない。緊迫した東アジアの政治情勢にあって、原発問題をかかえる日本は、さまざまなことを考えねばなるまい。そして、当面、なによりもプーチン大統領、そして世界の政治家が人類の将来に責任を感じて、真摯に対応することを願うしかない。


 

*1
"Kidnapped by the Kremlin"  The Economist, March 8th-14th 2014

*2
”Charlemagne: Disarmed diplomacy” The Economist March 8th 2014

*3
Beck, Ulrich.(1992) Risk Society: towards a New Modernity, trans. M. Ritter, London: Sage Publications[東廉・伊藤美登里訳(1998) 「危険社会:新しい近代への道」 法政大学出版局]



References
____(1999) World Risk Society, Cambridge, U.K.: Polity Press[山本啓訳『世界リスク社会』2014年、法政大学出版会].
____(2009) World at Risk, Cambridge, U.K.: Polity Press.

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少し離れて見る世界(2): 一極集中の恐ろしさ

2014年03月11日 | 特別トピックス

  

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文字の利点と欠点
 この頃ブログや紙面に文字を書くという作業が、次第に面倒になってきた。面談や講演などであれば、言い足りないと思った部分は、聞き手の対応を察知して、追加の発言や説明である程度自在に補填可能であり、自分の考えをかなり正確に相手に伝えられる。しかし、限られた紙面に、一定の時間内に伝えたい内容を表現するには、論旨を整理し、多くの手間をかけて、入力や筆記作業をしなければならない。入力ミスも増えてきた。要するに伝達手段に費やす時間が惜しくなってきたのである。

 もちろん、他方で文字による意思伝達の有用性を認めた上での話である。口述筆記や口述の文章転換がもう少し楽になればと思うが、テープ起こしをした経験からも、こちらはかなり手間がかかる。結果として、ブログや筆記の作業
から遠ざかることになる。しかし、表現しないでいることのフラストレーションもある。関心を共有する人たちのために、少しでも書いてみたいと思うことは山のようにあり、ジレンマ状態にある。

首都の代替・支援機能 
 あの日本の運命を定めた日から3年を迎えた。受け取り方は人さまざまかもしれないが、管理人にはあっという間の3年という印象しかない。復興というにはほど遠い被災地の現実を見るにつけ、いまだに頭の中が千々に乱れるような時がある。被災地から人口が多数流出してゆく事実に直面するたびに、なぜ政府は東北へ首都機能の一部を積極的に移さなかったのかという思いがする。

 戦争や天災で被害を受けた地域からは人口が減少し、多くの場合復興がきわめて困難なことは、世界の多数の事例が示している。少なくも人口を被災以前の数に増加させるような計画的な努力をしなけらば、かつての水準は到底取り戻せない。こうしたことは、既知の事実なのだ。そのためには、想像を超えるような人材とエネルギーを投入しなければ、震災前の水準への復帰はとてもできない。

 3年経過しても、確実に復興に向かっているという感じを被災者の多くの人々が共有できないのは、最初の段階から政府が、この国家的危機でもある大災害の復興に必要な条件を、正確に掌握していないことにあると管理人は見てきた。

次の天災への対応は 
 他方、東京湾岸地帯、大阪湾岸地帯、さらに太平洋岸の現実を見ると、大変気にかかる問題がある。噂される南海トラフ地震が少しでも東側にずれたりすれば、あるいは首都直下型地震などが勃発すれば、ほとんど外海や河口に接して林立している東京湾岸地帯などの燃料や化学物質の貯蔵タンクなど、どうなるだろうか。その前を通るたびに、防潮堤らしきものもなく、水辺からほとんど無防備状態で存在する建造物に背筋が凍る思いがする。中国の銭塘江やブラジルのアマゾン川などで発生する海嘯のごとく、津波が高潮となって墨田川などの河口から遡ってくることは十分ありうるのではないか。

 さらに、万一、東京五輪の時に、大震災が発生したらどんなことになるのか。もちろん、考えたくもないことだが、天災の発生だけは神ならぬ身、誰も正確に予想できない。

東京の都市機能分散化
 
東京などの大都市の機能を分散し、東北被災地の復興基盤の一部とすれば、人口流出も防げるし、復興への意思決定も早くなり、産業の移転も加速される。そして最も強調したいことは、この国の維持に不可欠な首都東京の支援地になりうるのだ。

 もしかすると、東京に大震災が起きた場合に、バックアップ基地の役割を果たしてくれるのは、東北になるのかもしれないとさえ考える。東北大震災復興の初期から、名称はともかく、「東北都の構想を管理人は描いてきた。次の天災が列島を脅かす時、自分は幸いこの世に存在していないだろう。しかし、次の世代にあのような苦難を与えたくない。

安全機能を分化させる→過密化した太平洋岸
 世界の多くの国が、首都に万一のことがあれば、かなりの機能を代替しうる都市を複数擁している。しかし、日本にはそれはないに等しい。東京に直下型地震が発生したら、このままではほとんどこの国は壊滅するだろう。東京一極化があまりに進み、他の都市には国の危機管理の代替機能などないにひとしい。

 東海道の東京から名古屋、京都、大阪まで旅すると明瞭だが、人口密集で切れ目がない。最近しばらくぶりに来日した友人のアメリカ人が、その光景に接して絶句していた。彼らが前回日本に滞在していた1960年代、東海道線の海側には美しい砂浜もあり、列車から海水浴を楽しむ人々の姿が見られた。管理人も熱海、興津などの砂浜で海水浴をした記憶がある。しかし、今は護岸工事、テトラポットが果てしなく続き、かつての美しい光景はまったく消滅している。富士川周辺も工場の煙突で、富士山も著しく美観を損ねている。この地に東北大震災のような災害発生すれば、今度は文字通り日本が壊滅する悲惨な光景が生まれるだろう。

 前回記したドイツでも、東西ドイツ統一後は、首都はベルリンに移転しているが、かなりの首都機能はボンに残されている。1990年の東西ドイツ統一後、1994年の「ベルリン・ボン」法によって、ボンは「連邦市 (Bundesstadt)」であると規定され、「連邦首都 (Bundeshauptstadt)」であるベルリンと並んで国家の中枢機能を保持することが定められた。教育学術省、郵政省、環境省、食糧農林省、経済協力省、国防省、研究技術省、保健省、会計検査院などの省庁が置かれることになった。
しかし、日本では国家の安全機能の分散保持という考えは薄く、そうした配慮が存在しない。

潜在危機に配慮が足りない日本
 前回、ウクライナ問題の勃発に関連して、いまやヨーロッパの運命を決める力量を保持するにいたったドイツ、とりわけメルケル首相の政治思想について、少し記した。ドイツも日本も第二次大戦の敗戦国として、その内容には差異はあっても、戦後70年余を経過しても消すことのできない「歴史問題」と称される深い傷を留めている。

 ウルリッヒ・ベックが使った「ドイツ帝国のような」a German Empire という用語自体、国内外に反発する議論は多い。ドイツはヨーロッパにおいてかなりの政治力を発揮しているが、メルケル首相を始め、マスメディアなどが神経質なほど注意している用語や概念もかなりある。ベックが挙げているように、たとえば、「権力」という言葉より「責任」、「国益」よりは「平和」「協力」「経済安定」、「舵取り」、「指導」よりは「リーダーシップ」などの言葉遣いだ。使い方を誤ると、歴史によって汚染された公式的反発へと逆戻りしかねない。「靖国」問題のように、ひとたび発火させてしまうと、相手はそれを政治的武器として使用してくる。

 今日のドイツは慎重に、現在のようなヨーロッパにおける重みと指導力を手にするまでに至った。しかし、その事実を考えるならば、ドイツがヨーロッパに関わる重要問題に自ら決定力を発揮しないでいるというゆとりや贅沢はしておられない。少なくも多くの国民がそうした無作為の時間を認めないだろう。

「メルキアヴェリ・モデル」 Merkiavelli model の内容
 メルケル首相が「ヨーロッパの無冠の女王」として、存在しうるのは、彼女が自らが置かれたこれらの関係、利害を巧みに活用し、エカテリナ女帝を理想像としながら、日々の政治活動を行っているからだろう。遠くから見ても、彼女はヨーロッパの諸力のバランスを把握することに長けている。他方、マカヴェリは「愛される君主」と「怖れられる君主」のいずかかを選ぶかと問うている。推測に過ぎないが、彼女は外国からは畏敬され、国内では愛されることを志しているともいわれる。メルケル首相の行動が、これまで時に優柔不断に見えたのも、冷静に計算された時間の浪費とも考えられる。

 彼女のこうした政治行動の性格は、評伝作家や政治学者の間でも必ずしも一致しているわけではない。たとえば、同じ社会学者でもベックとハーバーマスの間には微妙な理解の差異がある。メルケル首相の評伝をみると、いまだ物心つかぬ内に牧師であった父親に伴って、東ドイツへ移住している。そして、あの悪名高い国家秘密警察シュタージの網にもかかることなく、壁の崩壊を経験し、今日の地位を築きあげた。その生い立ちからも、かなり慎重な性格の持ち主であることは想像できるが、慎重だけでは、今日のメルケルはないだろう。彼女の政治家としての成長・充実の過程は、それ自体きわめて興味深いのだが、ここで書いている余裕はない。

現下の問題にどう対処するか
 急展開している「ウクライナ問題」に限る。大国アメリカは、明らかに外交力も低下し、イギリスも次第にヨーロッパから離れ、フランスは政治、経済双方において国力を顕著に低下させている。本来、もっと前面に出るべきブラッセルの上級代表は政治家としての資質が問われている。ヨーロッパの結束力はかなり危ういといわざるをえない。。

 こうした状況では、アンゲラ・メルケル首相のみが、なんとかプーチン大統領と対抗できる存在といえる。大国復権を狙うロシア側も、ヨーロッパの実態は十分承知の上で、強権発動、軍事介入も辞さない構えのようだ。今、メルキャヴェリストはなにを考えているのだろうか。今回は決断に与えられた時間は短い。ウクライナ情勢は急変する可能性は高い。国際的な監視機構の仕組みは活動開始までにいつも多大な時間を要する。せっかく壮大で平穏な光景を楽しもうと思った環境だが、ひとたび閉じたPCを開く回数も増えそうだ。


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少し離れて見る世界(1)

2014年03月07日 | 特別トピックス

 

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 しばらく旅先きで、少し離れて世の中の動きを眺めている。雪深い山中、人影も少なく、およそインターネットのことなど考えもしないような場所だが、今では都会にいるのとまったく異なることなく、ネット社会に入り込むことができてしまう。PCを開かないならば、世の中の煩わしさなどに関わることなく、ひたすら静かに時間だけが過ぎて行くのだが、時々雑念が頭をよぎる。

 遠い山並みの彼方で起きていることから、まったく自分を切り離すまでにはいたらない。日に一回くらい山並みの向こう側の世界の動きを確認したくなる。周囲が静かであるだけに、多くのことがとりとめなく浮かんで来て、かえって整理に困ることがある。ウクライナ問題はどうしても帰趨が知りたい。ソチ・オリンピック前から一抹の不安があったが、やはり発火してしまった。オリンピックの閉幕を待っていたかのようだ。紛争勃発後のロシア側の対応などをみると、周到に準備されていたような感じもする。これはもうヨーロッパだけの問題ではまったくない。クリミヤ半島やセバストポリなど紛争地の地名を聞くごとに、暗いイメージが浮かび、さまざまな思いがよぎる。事態は一触即発の危機状態だ。

大戦化の危機を避けられるか
 多くの日本人には、遠い国の出来事のように思えているようだ。しかし、もうそうした時代ではない。「鮫に囲まれている国」といわれるまでになった日本の現実を考える。この国の先行きも決して安心してはいられない。ウクライナ紛争は「対岸の火」などと、他人事のような楽観はできない。

 ウクライナを支配下に置こうとするロシアの力の行使を、EU、アメリカはなんとか制御することはできるのだろうか。アメリカの地盤沈下が顕著な今、これも衰退の色濃い当事者ヨーロッパは、どう対応するのだろうか。かつてはヨーロッパとロシア世界の間には、温度差はあるが、緩衝地帯が介在していた。しかし、EUの拡大によって、二つの世界は直接国境を接し、対峙する関係になった。その接点における紛争と戦火の拡大は、世界をすべて巻き込んでしまう危険に満ちている。

 ヨーロッパにおけるフランス、イギリスというかつての主導的大国が大きく後退した今、EUの命運は「一人勝ち」のドイツの政治・経済力に大きく依存している。そのドイツを率いるアンゲラ・メルケル首相は、あのサッチャー首相のような鮮烈な「鉄の女」の印象は与えない。ポーランド系の血筋を受け、東独育ちのこの強靱な思考力を秘めた女性首相は、かつての東西ドイツの裏表を知り尽くしている。一時期、「コールのお嬢さん」、「鉄のお嬢さん」などと呼ばれたこともあるが、彼女は、サッチャー首相のように、決して鉄のような自ら曲げることのない路線を開示しない。最近、多数のメルケル評伝が刊行されてはいるが、なかなか彼女の思想形成や推論の仕方を理解することは難しい。いかにメディアが発達しても、極東の日本などからは、彼女の公私の日常を知るに遠いこともあって、実像が十分把握しにくいところがある。

 昨年2013年のドイツの選挙前に刊行された社会学者ウルリッヒ・ベック Ulrich Beck の『ドイツ化したヨーロッパ』などを読みながら、ようやくこのしたたかな女性首相と、彼女に主導されるドイツ、そしていまやその色彩に染め変えられつつあるヨーロッパの姿が少しずつ分かってきたような気がしている。ヨーロッパは、「ヨーロッパのドイツ」から「ドイツのヨーロッパ」へと変容しているのだとベックは見る。もちろん、EUという存在はあっても、現時点ではさまざまな色合いを持った国々の集合体であり、統合体として純然たる共通経済政策を持つ段階までいたっていない。いうまでもなく、この意味は、現在の段階ではドイツの影響力のEU加盟国への強い浸透を暗示しているという内容にとどまっている。

「メルキアヴェリ」:強靱な政治家
 ベックは、メルケル首相のことを15世紀から16世紀への転換期に生きたイタリアの政治思想家マキアヴェリ Niccolo Machiavelli, 1469-1527)になぞらえて、「メルキアヴェリ」 "Merkiavelli" という。元祖マキアヴェリは当時のフィレンツェにあって、混乱した時代における支配者の権力行使のあり方を論じた。彼が著した『君主論』 Il Principe は、フィレンツェの支配者メディチ家ロレンツォII世のために書かれた。この時代、政治的危機は支配者である君主にとって権力集中の源でもあったが、衰亡の要因でもあった。支配を目指す者にとって存亡の危機、カタストロフは、反面新たな機会でもあった。ベックは、メルケル首相の立場はまさにそれに近いという。さらに、ベックはこれまでの著作で展開してきたように、現代は「リスク・ソサエティ」"risk society"ともいうべき状況にあり、そこには「リスクの原理」と「民主主義の原理」という二つの原理が相反しつつ存在している。そして、「どの程度の民主主義ならば、切迫したカタストロフの下で存続を許されるのか」という問が提示される。

 いまやヨーロッパの最強の指導国となったドイツだが、日本にもつながる「歴史問題」の影を引きずっている。その意味で、ベックは、ドイツは自ら望み、意図して今の地位に就いたのではなく、「思いがけなくなってしまった帝国」 accidental empire と考える。この事実は、少なくもこれまでのドイツの政治行動を規定してきた。

 マキアヴェリが『君主論』で述べているように、「用心深い支配者は自分の利害に得ではないとみれば、手の内を明かさない」。それまで、示していた方向も利にあらずとなれば、まったく反対の策もとることを辞さない。福島原発問題の後のエネルギー政策の急転換などに、メルケル首相の思考様式は典型的にうかがえる。このしたたかな政治家に率いられるドイツ、そしてドイツの力なしには動けなくなっているヨーロッパが、このたびの危機にいかに対応しようとするのか。この機会に急速に大国としての復権を図ろうとするプーチンのロシアは、いかなる行動に出るか。プーチンにとっても、かねてから企図してきた時なのだ。虎視眈々と、機会を窺っている。遠く離れていても到底目は離せない。





Ulrich Beck, Das deutsche Europa: Neue Machtlandschaften im Zeichen der Krise, Suhrkamp Verlag, Berlin 2012
___. German Europe, Cambridge: Polity Press, 2013 (English version).

メルケル首相をめぐる最近の政治・文化的状況については、pfaelzerwein さんのブログ記事が大変参考になった。記して感謝したい。

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「L字型」と「逆L字型」の危機に対する世界

2014年01月25日 | 特別トピックス

 


 

  先日、このブログで10 Billion(『100億人』)というタイトルの小著(ステファン・エモット)を題材に、世界人口のかつてない増加がもたらすであろう恐るべき結末についての議論を記した。今回はそのトピックスに関連した記事を記してみたい。実はエモットの小著に限らず、このまま無策でいると、地球上の人類の衰退・滅亡がさほど遠くないことを論じた書籍、論文はかなりの数に上る。

「逆L字」世界に向かって
 エモットばかりではないが、現在およそ72億人と推定される世界の人口がこのまま増加すると、世紀半ば、おそくも世紀末には100億人に達することが予想されている。その過程で資源の浪費量、電力などエネルギー不足、水不足、食料不足、異常気象、移民・難民の増大など、これまでになく対応がきわめて困難な事態が発生する。とりわけ、次世代以降の若い人々が危機を迎えるのだが、それらの深刻な問題に人々は無力・無関心で、十分な対応策を持っていないとエモットは論じた。

  その結論があまりに衝撃的であったがゆえに、刊行以来多くの議論を生んでいる。結論はほとんど絶望的ともいえるもので、「息子に銃の使い方を教えておく」という衝撃的な一文で終わっている。

 人間は誰もいやなことは考えたくない。とりわけ、自分の世代ではなく、子供や孫の世代に危機や苦難が持ち越されるという問題については、考えたくないのだ。多くの人は自分の時代だけ無事過ごせれば、子供や孫など後の世代については、積極的に自分の世代の責任も感じることなく、なんとかなるのではないかと楽観視してきた。いやなことは考えず、先にのばすという人間に生まれ備わった本性かもしれない。しかし、もし今の段階において、世界レベルで対応を考えて努力していれば、次世代以降が直面する恐ろしい苦難を、ある程度軽減できるとなれば、現世代も努力する意義と責任を感じる
だろう。

「逆L字」型の反転はきわめて困難
 当然ながら、エモットの提示は議論を分かりやすくすることもあって、直裁に過ぎた。小著で説明不足の点が多々みられる。そのため、多くの反論を招くことになった。しかし、エモットの小著は、現代の人間が熟慮すべき問題提起と少なくも管理人は考えている。

 議論は始まったばかりだが、たとえば世界は生活環境の悪化、多数の女性が家庭外で働くようになるなどの変化を反映して、子供を産まなくなるから、人口は80億人台にとどまるという見方も出ている。果たしてそうだろうか。エモットなどの破滅的推論を嫌い、ことさら楽観視しているかにみえる。日本ばかりを見ていると、他の国々も少子化に向かうと安易に思いがちだが、他の国々、とりわけ新興国では人口は減少どころか増加の道を進んでいる。

 世界の人口は先進国ではおおむね減少あるいは停滞気味だが、中国、インドを含め、そしてアフリカなど開発途上の国では増加し続けている。一人っ子政策をとってきた中国でも、高齢者比率が高まり、社会の活力がなくなることが問題となり、制限を緩和しようとしている。しかし、そのタイミングを誤ると、母数が大きいだけに、思わぬ誤算となりかねない。

 日本は世界全体の人口が増加を続ける中で、これまで経験したことのない大きな人口減少、高齢化が進む国であることを注意しておきたい。成長ばかりを追わず、優雅に幕引きをして高度な文化を保つ小国として生きる方向を探索することも必要ではないか。世界に破滅的危機が来るとしても、同時一元的に起きるとは思えない。弱小な部分から破綻が始まるとみるのが自然だろう。

 世界の人々が来たるべき危機の内容を十分察知しているとは思えない。代替エネルギーの開発、環境改善技術の開発などを進めれば、まだ救いの手はあるはずだなどの反論も生まれてはいる。しかし、大気汚染や異常気象などについても、新興国での根強い自動車購買意欲、電力や水不足の深刻さを見れば、大気汚染などの環境も急速に改善するとは期待しがたい。肝心の自動車メーカーや電力会社が、車や発電所の販売をめぐり激しく競争している。地球上は車で溢れかえっている。しかし、自動車がないと生活できない地域も多い。

 オリンピック招致を決めた日本では、東北大震災復興工事もあって、すでに建設労働者が大幅に不足している。このところ、急に外国人労働者を受け入れねば、関連工事が遅滞してしまうとの声が出ているのも、長年にわたり外国人問題を観察してきた者にとっては、余りにご都合主義だとの思いがする。新興国での人口増、ギリシャ、スペインのような経済不振の国々、あるいはシリア難民など、世界には居住と働き場所を求めて、本国から流出する人たちが急増している。受け入れる国があれば、そこをめがけて殺到する。移民・難民問題の性格も、急速に変質しつつある。

細部よりも大きな流れを把握する 
 基軸的な要因である世界の人口の伸びを、長い歴史的な時間軸上でグラフに描くと、すべて右上がりの増加、それにほぼ比例する形で、エネルギー、水、食料、大気汚染などの問題数値もほぼ対応して右上がりになり、急速に資源が不足する現象や深刻な問題が次世代以降に増大することを、エモットはかなり単純化して示した。細部について異論が生まれることは先刻承知の上で、警告をしたのが同著の眼目なのだ。

 エモットが指摘した問題状況を、管理人は「逆L字型」の世界と名づけ、そこに生きることを強いられている次の世代のために、早急に対応策を考えねばならないことを記した。

懸念される「L字」型の経済停滞
 たまたま、1月24日付けの『朝日新聞』「2014年の世界経済」(1月24日付)というオピニオン特集を読む機会があった。その中に、カウシィク・バス氏(世界銀行・上級副総裁)の『L字形の低迷、挑戦恐れるな』と題された記事が掲載されている。ここで使われている「L字」型とは、上に記した「逆L字」型の問題とは重なる部分もあるが、やや別の次元の問題の指摘である。

 バス氏の指摘する問題は、世界経済に浸透している別の不安に関連する。それは世界のリーダー国や地域での経済成長が停滞し続ける、いわば「L字形」の低迷である。要するに、アルファベットの文字にたとえるならば、もはや楽観的な「V字形」や「U字形」の経済回復を望めなくなり、過去の高成長の時代(L字の縦の部分)が終わり、長い停滞(
「L字」の横線の部分)が継続することへの懸念と今後への警鐘である。これは「逆L字」の問題とほぼ平行して発生する、比較的中期の経済停滞の問題といえる。

 バス氏は、2013年について、アメリカ、日本などは長い停滞、大震災の痛手から立ち直り、少しずつ改善していると見る。しかし、楽観はできない。他方、欧州は失業率の上昇、改善の兆しがないなど、さらに状況が悪化していることを問題としている。

 そして先進諸国の景気減速・停滞が、今後長期化する可能性を論じている。こうした考えの人々を悲観論者と退けることはできない。すでに事態はこの局面にあるからだ。この閉塞状況を打開し、長期停滞の束縛から脱出する方途を考えねばならない。

 バス氏は新しい分析的な思考の必要を説く。世界大恐慌の際に政策の重要で画期的な成功をもたらしたような革新的思考である。現在はいわば袋小路から脱却する創造的思考が経済専門家の間で欠如しているとしている。しかし、バス氏自身のそれ以上の提案はない。

グローバルな対応の模索
 このふたつの「L字」「逆L字」の議論を読みながら、管理人が痛感しているのは、経済学、政治学、あるいは工学、医学などの伝統的科学が、今日展開しているグローバルな課題(イッシュー)に対応できる体制になっていないことにある。いくつかの例をあげれば、医学の発達は、病苦に悩む人々の苦痛を改善し、人々の寿命を延ばすことに多大な寄与をしてきた。天文学、宇宙物理学の発達は、これまで夢であった宇宙へ人間を送り、そこに滞在させることに成功している。経済学も専門化し、部分的問題へは処方箋を提示できるが、かつての政治経済学が持っていたような包括的視点を欠くようになった。議論は著しく専門化の度を加え、細分化し、このままの状況では、合成の誤謬を生みかねない。
皮肉なことに、こうした専門化した分野ごとの科学の発達の結果は、そのままでは地球全体の問題改善にはつながらないことだ。

 今日、世界における重要問題は、もはや一国の力量をもってしては解決しえないものが圧倒的に多い。急速に展開するグローバル・イッシューへ対応する上で、専門化が過ぎた諸科学の新たな再編、グローバル政策ともいうべき総合アプローチの構築が焦眉の急務と考えているが、日暮れて道遠しの感が強い。人間は未来のことを考えるのは得意でなく、破綻するまでは同じ路線に乗っていたいようだ。



カウシィク・バス「L字形の低迷、挑戦恐れるな」『朝日新聞』2014年1月14日朝刊

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逆[L字」の世界に生きる若い人たちへ

2013年10月17日 | 特別トピックス

 


世界の人口推移
UN Population Bureau



  これから記すことは、この秋の真夏日、猛暑で思考力が低下しての妄想の結果ではない。すでに1980年代、石油危機の後くらいから、折にふれて脳裏に浮かんでいたトピックスである。当時は誰も関心を寄せないような話だったが、いまや人類が直面する最大の問題となった。最近、ヨーロッパのジャーナリズムにも頻繁に登場しているテーマである

 1980年頃のある光景が目に浮かぶ。当時北京を訪れた筆者の視野は、驚くべき数の自転車(自動車ではない)で埋め尽くされていた。天安門広場付近も同じであった。そのほとんどは、今はほとんど見ることがなくなった人民服姿であった。朝の通勤時の交差点など、先を急ぐ人たちの怒号も混じって、恐ろしいほどの雑踏ぶりであった。歩道側に近い部分は自転車で埋まり、うっかり渡り損ねたら大変な騒ぎとなった。他方、通過予定時刻前から、厳重に交通規制をした大通りを党幹部の黒塗りの公用車が信号にかかわりなく傍若無人に疾走していた。自動車は特権階級、富裕層の持ち物であり、彼らの地位と権威を象徴していた。今日では、北京に限らず、自動車主体の光景に一変している。13億人の人口が生み出す力に、良い意味でも悪い意味でも、強い印象を受けてきた。


地球上に何人住めるか 

 さて、話は一口でいえば、地球上に住む人口の爆発的増加の問題であり、それがもたらす深刻な問題である。それ自体はこれまでさまざまな形で取り上げられてきた。最近目にしたある記事によると、1950年の世界の人口は25億人だった。ジョン・ブランナーというイギリスの小説家が1968年に書いた記事では、当時の世界の人口は35億人。生活可能か否かなどの点を度外視して、ただ肩をすり合わせるような面積、たとえば一人当たり50センチメートル四方の空間に全人口を押し込めば?、文字通り立錐の余地がないような状況だが、アイルランドのマン島(572平方キロメートル)になんとか、詰め込めたという計算だった。

 ブランナーはさらに、2010年には世界の人口は70億人になるからもっと大きな島が必要になると考えた。東アフリカ沖のザンジバル(1,554平方キロメートル)くらいの島が必要になると予測した。この人口予測は実に正確で、その後の国連人口局の集計では2011年10月31日に地球の人口は70億人に達した(この転換時点、アメリカ人口局は2012年3月としているが大差はない)。

 地球上に住む人口は多すぎるのではないかという議論はすでにあり、たとえば2009年には、ヒラリー・クリントンの科学アドヴァイザーが、「多分、地球にはすでに支えきれないほどの多すぎる人口がいる」と述べている。しかし、人口ほど増加、減少などの変化をさせがたいものはない(日本のように政策が機能せず反転増加しない国もあれば、中国のように一人っ子政策の転換を迫られ、さらに増加しそうな国もある)。このままでは2050年には、国連は93億人以上になると推定している。100億人に近くなるとの説もある。2100年にはほぼ確実に100億人の線に達するだろう。今度はハワイのマウイ島の規模が必要になるといわれるが、世界の全人口をこの島に押し込めても、問題はなにも解決しない。

問題の根源は
 今日、地球上に起きている多くの問題、地球温暖化、大気汚染、水不足、エネルギー・食料不足、農地不足、都市過密、移民・難民、内戦、領土紛争、戦争など・・・。いずれの問題をとっても、人口に関連している。多くの科学者たちが主張するように、その因果関係をひとつひとつ実証することはきわめて難しい。しかし、人口増加と関連する負の側面のいくつかは、比較的容易に確認することもできる。たとえば、北京の近年の大気汚染は、明らかにこの国のモータリゼーションと工業化(特に石炭火力と家庭の石炭依存)に関連している。

 
さらに中国のように人口政策の一環に一人っ子政策を採用したりすると、そのゆがみを正すには、想像を絶する努力が必要になる。ある中国人の友人が、自分はいったい何人の両親、祖父母、親戚の看護・介護をしているのか! 疲労困憊、今後を考えると気が遠くなると述懐していた。さらに、中国ではひそかに進行している胎児の性別判定による出生児の淘汰で、2025年には20代男性は結婚しようにも配偶者になりうる女性が見つからないという事態が深刻化するといわれている。

地球人口100億人の時代に
 こうしたことを考えている時、ステファン・エモットという著者の『100億人』10 
BILLION という小著に出会った。200ページ足らずの本だが、その内容は書籍の体裁とはまったく異なり、内容はあまりに衝撃的で、とても重く、誰も支えきれないだろう。



 この本には何枚かの印象的なグラフが挿入されているが、いずれもある特徴を備えている。まず、すべては人口の爆発的増加から始まる。有史以前から2100年近くまでの世界の人口を、横軸に年次、縦軸に人口数を刻んでプロットすると、2000年近くまでは人口はほとんど横軸(X軸)にぴたり平行に沿って推移している。しかし、2000年頃からほとんど縦軸(Y軸)に沿って反転、垂直状になる。たとえてみると、英語の「L」字を左右に(水平に)裏返したような形状のグラフがプロットされる。このブログ管理人は「逆L字」形と名づけた。

 続いて出てくるグラフは、ほとんどが、時系列軸に沿って、この「逆L字」形か、急激な右上がりの形状になる。世界のエネルギーや水、石炭の消費量、大気温度の上昇、海水温の上昇、一酸化炭素の排出量、自動車累積生産台数、アジアの洪水量、生物個体の消滅数など・・・。ほとんどあらゆる問題が、人口増加とリンクして、爆発的に変化する。著者は複雑な現実をあえてきわめて単純化して簡明に指摘する。しばしばページのほとんどを白紙に残し、意図的に直截に問題を提起する。

 当然、科学者たちからはその論理の正当さに批判、疑問が提示される。確かにこのようなパンフレットほどの小著で、世界の帰趨を断定することは早計であり、危険だろう。しかし、彼らといえども、人口増とこれらのいくつかの変化、たとえば自動車普及台数の世界レベルでの急増、それらが生む排気ガスの驚くべき量などの間の因果関係を認めざるをえない。

 論旨の構成を複雑にし、命題のひとつひとつを立証しようとすれば、膨大で難解な科学論文になってしまう。著者エモットは、非科学的、粗雑な論旨展開との批判を覚悟の上で、あえて散文のような体裁で、問題を我々の前に突きつけたのだ。科学者たちが検討に値しないと一蹴するのはたやすい。しかし、根本的問題は解決されることなく先送りされ、事態は年ごとに深刻化する。

 人間はこれからどう対応すれば良いのか。食料生産を人口増に見合うように世界規模で短期に急増したり、人間の物欲を顕著に減少させる方法は見出されていない。この予測の著者エモットはイギリス、ケンブリッジにあるマイクロソフト・リサーチのコンピューター・サイエンス部門の統括者でオックスフォードの教授も兼ねているが、科学技術では地球は救えないと明言している。これは、ある意味できわめて恐ろしい断定だ。政治にも、宗教にも期待はできないとなると。もう時間はない。破局、カタストロフィは遠い日の話ではなくなった!

 そして言う、「この本はわれわれについて書いた。そして、あなたやあなたの子供たち、両親や友人などすべてについての本だ。われわれの失敗、個人としての失敗、企業の失敗、そして政治家たちの失敗について書いた。かつて人類が経験したことのない、地球の危機であり、それはわれわれ人間が作り出した。いうまでもなく、本書はわれわれの未来を語るものだ。」(このエモットの論説に同意できないならば、説得力のある反論が必要だ)。

 幸い、破局が来る前に消えることができる管理人は救われた感がある。しかし、これからの若い世代はどうするのか。もはや今までのような成り行き任せに過ごすわけには行かない。無為に過ごすほどに、苦難は増してくる。

 人類は破局から逃れる術を持っているのか。著者エモットは自分の信頼するひとりの理性的で、聡明な若い科学者に、直面する問題に唯一なさねばならないことがあるとすれば、なにかと問う。短く驚くべき答えが戻ってきた。

 


  その答えはあえてここには記さない。

 

 

 

 その回答を見た瞬間、誰もが言葉を失う。

 

 


 

 

 "A tale of three islands", The Economist October 22nd, 2011.

 Stephen Emmott, 10 Billion, Penguin Books, 2013.

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危機の時代:酷暑によぎる思い

2013年08月12日 | 特別トピックス

 しばらく、自由に身体が動かせない時間を経験した。頭脳の方はそれを補おうとするのか、これまで以上に色々なことを思い浮かべ考えてしまう。とりわけ気になるのは、このごろの日本人の「忘れやすさ」だ。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざもあるが、今年の酷暑などは早く過ぎ去ってほしいし、忘れたいことだ。しかし、決して忘れてはいけないこともある。そのひとつを挙げておきたい。

 福島第一原発から海に流出する放射能物質による汚染水が1日300トンに達するという衝撃的なニュースに
言葉を失った。これまでは配水管の漏れで数リットルといった報道ばかりだったのが、突然驚愕すべき水準の数字になっていた。しかも、地上ではなく海へ流出しているという。さらに驚いたのは、当面有効な抜本的対策はないと明言されていることだ! 

 小さな井戸を掘って地下水をくみ上げただけで、これだけの流水を阻止できないことは、素人でも推測できる。あれだけ海への流出が懸念されていたのに、関係者は汚染された水を貯蔵するタンクが果てしなく累積する先に、いったいなにを見ていたのだろうか。結局、その場しのぎの対策しか持っていなかったのではないか。汚染された水が海流に乗って、世界へ広がることを思うと、背筋が寒くなる。被爆国としての体験を後世に伝える努力はなんとか続けられてきた。しかし、
その国が犯したこの出来事はどう伝えるつもりなのか。

 マスコミは総体としてこの衝撃的ニュースを短く報じたが、その後いかなる状況にあるかを客観的、詳細に知らせることなく、ほとんど沈黙を維持しているのはどういうことなのかという疑念も生まれる。3.11の震災と原発事故発生直後は他のニュースなど報じられないほど、汚染拡大への懸念一色だった。責任の追求が、自分たちに向くことを恐れているとしか思えない。情報が積極的に公開されない、秘匿されているということは、さらに疑惑を深めかねない。 

 あの大事故直後ならば、全体像も見えず、多少あたふたしても仕方なかったとしても、すでに2年5ヶ月もの年月が過ぎた時点で、開き直ったような事実が突如明らかにされるとは、この国の企業や政府の危機管理はいったいどうなっているのだろうか。

 やはり「東北都」を創って、政府など政治・経済活動の一部を被災地近傍へ移し、政治家も現場に近く、緊迫度をもって国家の危機に対する気構えが必要ではなかったのかと改めて思う。国家の危機管理の上でも、政治・経済ベースの分散は望ましい。産業の新生や雇用の創出にもつながる。復興ソングは美しい。しかし、現実は言葉にならない。

 原発報道に加えて、この酷熱の夏、全国で大小の災害が相次いでいる。ながらく17世紀への旅を続けてきた。近世初期「危機の時代」といわれた世紀である。この400年余りの間に、人類はどれだけの「進歩」をしたのか。このことを考えるだけでも、われわれは過去からの教訓を十分学んでいないことを感じる。実際、以前に紹介したG・パーカーの新著『グローバル危機:17世紀の戦争、異常気象と破滅(カタストロフィー)』などを見ていると、17世紀と21世紀の前後関係が危うくなるほど近似している。とりわけ戦争がもたらす惨禍は、現代になるほど使用される武器の破壊力が圧倒的にすさまじいだけに、その後の破滅的状況が恐ろしい。再生は不可能に近くなる。世界各地で発生している戦争、紛争、そしてその可能性までふくめるならば、われわれは「危機の時代」に生きているというべきだろう。

 酷暑が続く夜、偶然見たBS1のEL MUNDOなる番組(8月11日、18日再放送)で、ニューヨークのセントラールパーク*2など、市内の大小さまざまなパークで行われている美化、再生や新企画の活動状況を目にした。

 1960年ー70年代にかけては、立ち入ることが危険な場所とまでいわれ、荒廃していたセントラルパークが、今素晴らしい市民の憩いの場に変容していた。パークの中にある『不思議な国のアリス』像を見つけようと、友人と歩き回った日々が思い浮かぶ。当時はヴェトナム戦争の最中、パークにはヒッピーといわれるタイやミャンマーの僧侶のような黄色の衣を身につけた若者たちが、なにをするというわけでもなくたむろしていた。パークの東側を北上すると、多数の美術館が建ち並び、目が洗われるような時間があった。パークは確かに荒れてはいたが、危険を感じることはなかった。広大なパークを吹き抜ける夏の風は爽やかだった。パークの周囲の高いビルなども、パークの美しさを守っているようにさえ見えた。



 その後、3.11という歴史的大惨事を経験したニューヨーク市だが、今は大人も子供も広大な芝生や緑の木々の美しさを楽しんでいる。そして、感銘したのは、危険な場所のひとつとされ、市民からも敬遠されたこのパークが、驚くほど美しく修復・再生されたことだ。ニューヨーク市が財政危機で破綻状態であった頃、市民の自発的な活動で募金が行われ、素晴らしい別天地のように生き返り、輝いてみえた。あの時代、パークばかりでなく、ニューヨークの道路や橋梁などもこれが世界有数の大都市と思うほど荒れ果てていた。

 パーク新生の契機となったのは、あの3.11の出来事だった。あの経験を背景に、市民の間に同じ地域に住む人間としてお互いにもっと理解を深めようという動きが持ち上がり、その具体化を目指して健全で真摯な努力が実ってきた。かつて輝いていたパークの復活はそのひとつだった。晴れた夏の日、セントラルパークの広大な芝の上に寝そべって、木々の間を吹き抜ける爽やかな風と頭上に広がる透き通るような青空を体験してみたいと思う人は多いだろう。大人や子供、犬などが跳ね回っていた。そして、公園のそこここで、小さなコンサートも開かれていた。かつてパークを構想した人たちの理想が再現されている。市民の地域に向ける愛と情熱、斬新で大きな構想と小さな努力の積み重ねが、こうした結果を生む。



 被災地となった東北にいつ爽やかな風が吹くのだろうか。単なる「再生」ではなく、「新生」new bornとなるような構想の再構築と迅速かつ強力な具体化を、若い世代に改めて託したい。そのためには、世界から「新生」のプランを募集してもよいだろう。いまや「福島」そして「東北」は日本だけの関心事ではないのだから。



Geoffrey Parker, Global Crisis: War, Climate Change & Catastrophe in the Seventeenth Century, Yale University Press, 2013.

*2
 セントラル・パークは1857年から1860年にかけて創られたアメリカ最初の都市型の公園である。マンハッタン島のほぼ中心部に、およそ336ヘクタールを占める広大な公園である。1850年頃のニューヨークは階級、宗教、人種、そして政治によって分裂状態にあった。資産階級や名士たちは、街路での暴力や犯罪を恐れ、憂いていた。パークの構想を練った企画者の一人、フレデリック・オルムステッドはパークを市民の教育の場と考え、貧富、アイルランド系移民やエピスコパリアン(アングリカン)教徒が多かった先住白人などのコミュニティを統合する空間にしたいと考えた。候補地に選ばれた地域は、マンハッタン島で最も荒涼として、無法がまかり通っていた。公園の構想と完成に伴う秩序の維持、規則の遵守などの徹底は、公園空間のすばらしさ維持に役立った。1866年にパークには783万人を越える入場者があったが、110人が逮捕されたにすぎなかった。春夏、秋には野外コンサート、劇、冬はスケートなど四季を通して賑わった。その後、時代の推移とともに、パークの性格も変化したが、今もニューヨーク市民の最大の憩いの場であることに変わりはない。
 

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はるかにサスケハナ川を望んで:3.11の源流

2013年02月28日 | 特別トピックス

 

 

 早くも3.11が巡ってくる。われわれはこの間なにをしていたのだろうか。福島には少なからぬ縁がある自分の無力さにも心が痛む。折しも、アメリカのTVがスリーマイル・アイランドの原発事故後、まもなく34年が経過することを報じていた。この年、1979年の3月、この原発の加圧水型炉で、炉心の半ばが溶融し、放射能が外部へ漏出する大事故が発生した。この事故は人災だったが、発生した時期は福島同様に3月だった。

 福島第一原発はもちろんだが、この世界を震撼させたスリーマイル原発も今もって廃炉にはほど遠い状況だ。いつになれば安心した状況になるのか、両者共に専門家でもよく分からないままに、気の遠くなるような年月を待たねばならないのだ。
スリーマイル原発のことを考える時には、必ずサスケハナ川 Susquehanna river のことが思い浮かぶ。この原発はアメリカ東部ペンシルヴァニア州ハリスバーグ市を流れるサスケハナ川にあるスリーマイル島(中州)に建設されていた。

 サスケハナ川はアメリカ大陸の北東部を流れる大河で、流域はニューヨーク、ペンシルヴァニア、メリーランドの3州にまたがっている。水源はニューヨーク州中東部のオチゴ湖とされ、その後下図のように大小の蛇行を繰り返しながら、最終的にはメリーランド州北東部、大西洋のチェサピーク湾に注ぐ。サスケハナの名前は、先住民族サスケハナ族(アルゴンキン語族)の言語によると
、「一マイルの幅、一フィートの深さ」あるいは「泥まみれの流れ」というような意味だったらしい。ちなみに、1853年7月、ペリー提督来航時の提督の旗艦(蒸気フリゲート艦)の船名も「サスケハナ」であった。




サスケハナ川の流域。水源のある上部一帯がニューヨーク州、左隅はオンタリオ湖。中央部がペンシルヴァニア州。右下がチェサピーク湾。

 この川はたとえば、ペンシルバニア炭田の石炭を運ぶなど、古来アメリカの北と南を結ぶ重要な河川であったが、急流が多く途中で船が転覆するなどの事故も大変多かったようだ。管理人はかつてペンシルヴァニア州スクラントン近くの広大な露天掘り炭鉱を見学したことがあった。とても日本の炭鉱などが束になっても太刀打ちできないと思ったほどの迫力だった。しかし、これもエネルギー革命の進行とともに、急速に衰退していった。色々な事件があったのだが、話を進めるために、省略せざるをえない。


 管理人がこの川に関心を抱いたのは、まだ若く好奇心が強かった滞米中に、しばしばこの流域を通っていた経験があることによる。ニューヨーク州北東部にあった大学からニューヨーク市やニュージャージー州の親友の家に行くには、途中、この流域を通るのが最短だった。いつも、スリーマイル島の原発の巨大な冷却塔を眺めながら走っていた。昼も夜も昭明で照らし出され、冷却塔からは水蒸気が白い煙のように、もうもうと立ちのぼっていた。

 この大発電所が後年、世界を震撼させた大事故を起こすとは夢にも思わなかった。事故発生後、しばらくして、訪米の旅の途上で、現地を訪れたが、厳重な警戒と外側からはなにが起きたのかまったく知ることができないことに気づかされた。福島原発のように誰が見ても破滅的な光景に接しないかぎり、原子炉の内部でなにが起きているかは、少数の専門家以外は、外からはまったくわからないのだ。

 サスケハナ川には、さまざまな思い出がつきまとった。野球の大好きな友人が近くのクーパーズ・タウン(野球の殿堂があることで有名)へ連れて行ってくれた時もこの川のほとりで休んだ。

社会実験の舞台 
 
さらに、興味深いことがある。ニューヨーク州北部、ペンシルヴァニア州はさまざまな社会実験が行われた興味深い土地であった。旧大陸からアメリカへ逃れたプロテスタントの中には、この地に住み着いた人たちも多かった。クエーカーなどはよく知られている。アーミッシュの人たちも有名だ(このブログにも記したことがある)。よく知られた宗教運動ではセブンスデー・アドヴェンチスト教会と末日聖徒イエス・キリスト教会のことをご存知の方もおられよう。日曜学校と孤児院の設立、テンペランス集団(アルコール消費の廃止)、反奴隷制団体、女性の政治的権利獲得を目指す運動などが、19世紀初めから中頃にかけて、活発に活動した。筆者の友人が手助けしていたアルコール中毒者の矯正施設などは、今日でも存在している。

 Upstate New York といわれる美しい森と湖や川に恵まれた地域は、南北戦争前から、アメリカにおけるさまざまな先進的・社会的実験の温床のようなところだった。逃亡奴隷の保護活動、そしてさまざまな婦人の権利向上の試みも見られた。1848年にはセネカ・フォールズで最初の婦人参政権(woman'suffrage)の集まりがあった。イギリス、ヴィクトリア朝の社会を思い起こしていただきたい。

 さらに、興味深いことは、この地域のオナイダやスカニアトレスなどで、ユートピア社会の試みが行われ、大きな注目を集めた。英文学の研究者などの間ではかなり有名な話なのだが、イギリスの著名な文学者・詩人のコールリッジとサウジーが、1974年、このサスケハナ川の近くにパンティソクラシー(Panthisocracy: ギリシャ語が語源。すべてにとって平等な政府に起因する平等社会)といわれる一種のユートピア社会の建設を「サスケハナ計画」の名の下に構想したことだ。しかし、1975年頃までにサウジーが計画の実行可能性に疑問を抱き、合意が壊れ、計画は挫折してしまう。サスケハナ河畔の広大な土地にユートピア社会が実現していたら、どんなことになったろう。世界中でさまざまなユートピア計画が構想され、あるものは実現したが、多くは消滅してしまった。このサスケハナ計画と発案者については、もっと書くべきなのだが、今はただそうした構想があったということしか記す時間がない。

「サスケハナ計画」への飛翔
 管理人は世界で試みられた同様なユートピア計画にはかなり長い間、関心を抱いてきたが、多忙にまぎれて十分に調べることが出来ずにいた。先日、ふとしたことから著名な英文学者だった由良君美氏(1929-1990)の著書『椿説泰西浪曼派文学談義』[青土社、1972年)を手にすることになり、あっと驚くことになった。なんと、「サスケハナ計画」なる一章が含まれているのだ。惜しむらくは、談論風発であった氏の作品らしく、章の途中で話が他へ飛んでしまっている。

 この著者には遠くなった記憶だが、かなり明瞭に網膜に残る一齣がある。ふとしたことで管理人の恩師であったドイツ文学のN先生と著者の由良先生が座談をされる機会に陪席させていただいたことがあった。お二人の先生は30歳代半ばであったと思う。まだ学生であった筆者は恐れ多く、お二人の談論風発、とどまることを知らない議論の展開にひたすら驚くばかりだった。場所は今はもうなくなってしまった東京渋谷駅に近接した『ジャーマン・ベーカリー』という店であったことまで覚えている。大変残念なことは、お二人とも若くして世を去られてしまったことだ。

 「サスケハナ計画」の話は残念ながら、その時には出なかった。ひとつ覚えているのは、学問の世界の議論に、境界は百害あって一利なしというお話だった。われわれはともすれば、「専門」という人為的な壁を作りがちな欠陥に気づかされた。管理人がアメリカへ行くことを考え出したのは、この頃であったかもしれない。さまざまなことが頭の中をかけめぐっていた時期であった。当時の日本ではイデオロギー論争がたけなわで、どちらの側につくか、そして専門領域はなにかという壁が厚く、息苦しくなってきていた。今、こんな変なブログを書いている背景には、この時代の影響が強く残っているような気がしている。

  「サスケハナ計画」、そしてスリーマイル島の原発事故のことを思うと、福島の地を50年後には世界の人々に希望を与えることができるいわばユートピアのような地にするような雄大な計画は、構想できないのだろうか。言葉の意味に近い理想的な社会、理想郷は地球上どこにも存在しない。しかし、まさにほとんど壊滅に瀕した地を豊かに花が咲き、人間らしい生活の場に戻すための知恵や手段は、それがたとえユートピアにはほど遠いものであったとしても、かぎりなくあるはずだ。復興のテーマソングだけに終わらせてはならないと思う。たとえていえば、多くの夢と可能性に溢れた ”FUKUSHIMA-Utopia Plan"
を世界中から募集できないだろうか。人々が故郷を失い、年を追うごとに増えるばかりで減ることのない汚染された水のタンクや汚染土の山など、誰も見たくないはずなのだから。

 

 

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年末、正念場を迎える国民の選択

2012年12月06日 | 特別トピックス

 


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17世紀初めのロレーヌ地方。緑色の部分がロレーヌ公国。その他はフランス王国などの領地。
3つの司教区も実際にはフランスが支配。
Source: Histoire de la Lorraine et des Lorrains, 2006




 明日は今日よりは良くなるとは言えなくなった。明日はさらに悪くなる、あるいは何が起こるか分からないという世界になっている。日本も例外ではない。というより日本はその典型かもしれない。

 政治は混迷を極めている。衆院選に名乗りを上げた政党は,主要なもので12を数え、中には公示1週間ほど前にあわただしく旗揚げした政党さえある。締め切り間際まで、節操のない離合集散があった。政治の混迷が続くほど、国力は疲弊する。国家としての基本政策が定まらないからだ。進路が定まらない国は、外交姿勢も不安定で、他国からもつけ込まれやすい。

 原発問題、領土問題と緊迫した状況が続く中で、時々重なり合って思い浮かべることがある。このブログで再三記してきたロレーヌ公国という小国のたどった姿だ。現代の日本とはまったく関係がない17世紀ヨーロッパの話である。しかし、しばしば日本の今とイメージを重ねてしまう。

 およそ400年前、ロレーヌは小国ではありながら、ヨーロッパ文化の中で、輝いていた。形の上では神聖ローマ帝国に属してはいたが、皇帝の直轄領ではなく、11世紀中頃からロレーヌ公爵家が治めていた。しかし、問題を複雑にしていたのは、公国内部に公爵の権力が及ばない領地が散在していた。これらはカトリック司教の直轄地、司教区であった。さらに状況を難しくしたのは、これらの司教区は16世紀半ばからフランスの実質的支配の下に置かれていた。この状況は、上掲の地図のようであり、ロレーヌ公国は、さまざまな勢力から浸蝕され、まるでロレーヌ〔地方)という海に浮かぶ島のようになっていた。要するに、国土を外国勢力によってじりじりと蚕食されてきた。この地図の西側はフランス王国、東側は神聖ローマ帝国である。

 単純化してみると、西にフランス、東に神聖ローマという大国にサンドイッチのように挟まれた地域であった。「危機の時代」といわれた17世紀、画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールがこの地で生まれ育ち,活動していた頃、この小国ロレーヌ公国は巧みな外交で、大国に押しつぶされることなく、なんとか生き残り、ヨーロッパ文化のひとつの拠点として栄えていた。公国の人々は、隣接する大国フランスの文化的影響を受けた生活を送りながらも、ロレーヌ公国を愛し、歴代ロレーヌ公に親しみと忠誠心を抱いていた。しかし、1630年代に入ると、この公国に決定的転機が訪れる。若い策略を好む公爵が無理矢理、公位を奪い、自分の力を過信したのか、フランスに叛意を見せる。彼には、当時のヨーロッパの勢力関係を、読み取る能力が欠けていたのだった。結果はほとんど最初から見えていた。

 かねてからロレーヌを併合したいと考えていたフランスの
策謀家リシュリュー枢機卿は、この時とばかりロレーヌ公の領地に進入し、1633年公都ナンシーを占領する。住民はフランス王ルイ13世への忠誠誓約書に署名を要求される。ロレーヌ公シャルル4世は国外に亡命し、公国の名は残ったが、1659年までフランスの総督によって治められることになる。

 400年の時空を飛んで現代に戻る。日本の外交が、アメリカと中国という強大な勢力の間にあって、今後どれだけ国家として自主独立の路線を維持して行くことが可能なのか。あるいはすでにどれだけを失っているか。内政、外政のすべてについて長期を見据えた国家構想の確立と着実な政策の実行が欠かせない。この年末のせわしい中、国民はこの国の来し方、そのあり方、そして自らの行く末を、今度こそしっかりと考えねばならなくなっている。選挙日までわずかだが、今度こそ後悔しないよう、この国の明日を考えたい。

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短くも長き日々

2012年09月30日 | 特別トピックス

 

 この小さなブログの管理人が、日本の現状を憂い、行く末を考え、そのあり方に頭を痛める必要はないとも思う。自分にその成り行きを見届ける時間は、ほとんど確実に残っていないのだから。しかし、それでも考えてしまう。とりわけ、考えることは人間の愚かさについてである。

  一方で、これまでの歴史における人間の英知の素晴らしさに感動しながら、他方で深い絶望に近い思いに沈みこむ。20-21世紀と、ふたつの世紀を生きてきたが、この世界に戦火が絶えた年はあっただろうか。無意味な殺戮は絶えることなく、地球上のいたる所で行われている。

 このたびの領土問題の推移を見ながら、これまで30-40年近い年月、折あるごとに語り合ってきた中国、台湾、韓国あるいはアメリカの友人の顔が浮かぶ。年を追って、知人・友人の数も少なくなってきた。幸か不幸か、北方領土に関連するロシア人の友人はできなかった。これはただ機会がなかっただけのことだ。

 とりわけ、専門領域の関連で、韓国の友人はかなり多かった。机を並べていた友人もあった。しかし、その多くは今はもう会えない人たちだ。中国の友人たちのことを思い浮かべる。かなり長いつき合いで、不思議と日本人以上になんでも話し合うことができる人たちがいる。体制、国情が違いすぎるので、かえって話しやすいのかもしれない。

体制の違い
  日本の社会の事情は、比較的オープンにされているので、彼らも世情にうとい私以上に知っていることがある
。しかし、韓国、中国については、時々仰天するようなことを見聞きすることがある。とりわけ中国共産党体制が内在する歪みや弱みには、その一端に接して驚愕したこともあった。たとえば、拠点大学の学長や管理職は、筋金入りの共産党員でなければ、なれないと聞かされた。多くの人たちは、そうした地位に就くだけの立派な識見、学問的業績、人格の持ち主だと思う。しかし、時には驚くほどの傲慢さに、辟易した経験もあった。

 彼ら友人たちも、今の状況を苦渋の思いで見ているだろう。皆等しく、1966年に始まった文化大革命で、苛酷な下放の時代も経験している。1989年天安門事件の現実も知り尽くしている。そして、その後の改革・開放路線がもたらした光と影を厳しく噛みしめている。彼らがこれらの体験を自ら語ることはほとんどない。とりわけ公的な場ではまず耳にすることはない。私もあえて聞くことはしない。しかし、彼らがいかなる思いでそれぞれの日々を過ごしたかは、これまで共に語り合った日々の断片的な話からでも、お互いに分かりすぎるほど分かっている。

刷り込まれたイメージ
 今日、TVなどの映像から見る限り、反日を掲げて衝動的に暴動に参加する若者たちは、すべて戦争を知らない世代だ。文化大革命すら自ら体験することはなく、それらを切実な感覚を持って感じてはいないだろう。他方、それを複雑な思いで見つめる日本人も、ほとんどは戦争を知らない世代が増えた。言い換えれば、教育などでイメージとして形成された戦争観、対相手国観に基づく行動が主流を占めるようになっている。とりわけ、中国には日中戦争における日本軍の残虐行為を後世に伝える記念館などが各地に作られている。これを目のあたりにして、日本が好きになる中国人はまずいないだろう。反日を醸成する素地はいたるところに残されている。

 他方で、改革・開放制作の結果、大きな経済発展をとげ、かつての『経済大国』日本を追い抜いた中国、そして追い抜こうとしている韓国の社会には、さまざまな優越感も生まれている。友人たちの国が豊かになることに羨望感は生まれない。日本が大方は経験済みのことだからかもしれない。しかし、物質的な豊かさは、時にバブル期の日本の社会に見られた一種の傲慢さに通じるものも生み出してしまう。

 こうした明暗にもかかわらず、これまで半世紀以上にわたり、東アジアが戦火を回避し、悲惨な体験をせずに今日まで到達できたということは、積極的に評価すべきことだろう。

ゲーム化し、危うい紛争の前線
 インターネットの発展もあって、さまざまな情報が世界を乱れ飛ぶ。ITゲームの盛況もあってか、なんとなく危うい戦争ゲームを弄んでいるような側面もある。国境(領海というべきか)を挟んでの挑発的な言葉の応酬や水のかけ合いは、事情を知らない遠くはなれた国の人々からは、馬鹿げていると思えるかもしれない。実際、そうした外国報道もある。しかし、それが突然、戦火の場面に変わりうる危険があることは改めていうまでもない。

 今日の外交は情報経路の発達もあって、お互いに手の内をかなり知りえた上での交渉でもあり、これまで国家間のほとんど唯一の交渉の経路であった外交という次元を超えて、国民のさまざまなレヴェルで接触面が増えている。しかし、インターネットの発達で、誤った情報操作や為政者の政治的意図から、数億単位の人々がマインド・コントロールされて動くという恐ろしい側面もある。誤った情報でも、繰り返し注入されていると、いつの間にか真実が分からなくなってしまうことが多いことは、歴史に多数の例がある。

 図らずもこのブログの主題でもある17世紀のフランス王国と神聖ローマ帝国に挟まれた小国、ロレーヌ公国がたどった歴史を考えていた。荒唐無稽なことだが、もし日本が中国とアメリカに地続きで挟まれていたら、どんなことになったろう。

 政治家の責任はきわめて大きい。日本の国力の衰退は避けがたいとしても、精神的に成熟した文化国家として、世界の国々が一目置いてくれるような大人の国であってほしいと願っている。それこそが、来たるべき時代の「先進国」であるはずだ。

 

 

 

 

 

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