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時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

危機の時代の不安と光:ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『生誕』

2017年12月24日 | 特別トピックス


Geroges de La Tour(1593-1652)
Le nouveau-ne/The Newborn
Musee des Beau-Arts de Rennes, France
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
『生誕』

このブログでは、一つの柱として、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)という17世紀の画家の作品と生涯を追いかけてきました。今や17世紀フランスを代表する巨匠なのですが、日本ではレンブラント(1605-1669)やフェルメール(1632-1675)などの同時代ヨーロッパの画家と比較して、未だ知名度があまり高くありません。ブログの筆者としては、記してみたいことは未だ山ほどあるのですが、読者の方から要望もあり、この時期にふさわしい作品をテーマに、画家の生きた時代の輪郭を記してみることにしました。数年前にある雑誌の求めに応じて書いたエッセイに手を加えたものです。本ブログの関連記事をお読みいただく方にとって一つの手がかりなれば幸いです。 



一枚の絵から見えてくる世界
仕事場の壁にかかった「生誕」のポスターとは、もうかなり長い間、時間を共にしてきた。聖母マリアの手に抱かれ安らかに眠っている赤子の顔は、鼻の頭が光っていて、指で一寸で触ってみたいような衝動さえ起こさせる。母親の端正な面立ちとは違って丸い鼻のなんとも形容しがたい、可愛い寝顔である。聖アンナとみられる女性が掲げる蝋燭の光だけが映し出している静謐な光景である。

キリスト生誕という宗教テーマを扱いながらも、それを感じさせない静かさに満ちた静粛な空間がそこにある。日本人でもこの作品のイメージを見た人はかなりあるのではないだろうか。しかし、画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの名を知る人は少ない。時代は遠く17世紀前半のヨーロッパへ飛ぶ。

戦火・悪疫・飢饉の時代に生きて
平和な暮らしを楽しんでいた町に、ある日突如として外国の軍隊が侵入してきて、砲撃、略奪、暴行、殺戮の限りを尽くす。牛や羊などの家畜にこれまでにない疫病が蔓延して、村人たちの貴重な財産が失われる。ペストなどの疾病が人々にも及び、多くの犠牲者が出る。異常気象がもたらした飢饉に苦しむ。農民などへの税金は増えるばかりで、苦難の日々が続く。災いの源を求めて、魔女狩り、異端審問が行われる。

こうした話を読んでいると、今日の中東、イスラエル、パレスチナなど、あるいは近未来のアジアのことかと錯覚しかねない。しかし、この話の舞台は17世紀前半、近代初期といわれたころのヨーロッパ、現在のフランスの東北部ロレーヌといわれる地域の現実である。当時、ここにロレーヌ公国という小さな国があった。ラ・トゥールという画家は、1653年この地に生まれ、画家としての活動の大部分をここで行った。

ロレーヌ公国は、フランスと神聖ローマ帝国という大国の間に挟まれ、大変難しい舵取りをしながらも、各国王家と結ぶ巧みな外交政策でその存在を維持していた。しかし、1930年代、策略を好む若い公爵が皇位を継承すると、フランス王ルイ13世へ叛旗を翻し、30年戦争と相まって一転、荒廃した戦乱の舞台となる。あの権謀術数にたけたフランスの宰相リシュリューの指揮する軍隊、そしてこの時とばかり侵入してくる神聖ローマ帝国側の外国軍などが入り乱れ、悲惨な戦場と化した。人々はいつ襲ってくるかもしれない災厄に不安を抱きながら、時には逃げ惑い、平穏な日々が少しでも続くことを神に願いつつ、先が見えない日々を過ごしていた。

作品との出会い
時代は3世紀半ほど下る。1972年、パリ、オランジェリー美術館でジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)の現存する作品を集めた大規模な回顧特別展が開催された。謎の多いこの画家と作品について、初めてその全体像が示された。この画家の作品のいくつかは、これに先立つ1960年代末からニューヨークのメトロポリタン美術館などで見る機会があり、『鏡の前のマグダラのマリア』、『イレーネに介抱される聖セバスティアヌス』、『女占い師』、『クラブのエースを持ついかさま師』など、個n々の作品から強い印象を受けていた。この画家の並々ならぬ力量、とりわけ主題への深い思索が凝結したような画面に引き寄せられた。ラ・トゥールの手になる作品で、今に残るものは40点余りしかない。ほぼ同時代で寡作といわれるフェルメールと同じくらいだ。一枚の作品が見る人に与える精神的な思索の深さは、フェルメールをはるかに凌ぐと思うことがある。

その後、この画家への関心は一段と深まり、関連する特別展にはほとんど足を運んだ。そればかりでなく、在外研究などでヨーロッパ滞在中、画家の生まれ育ったロレーヌを幾度か訪れ、2007年には画家の生地ヴィック=シュル=セイユに完成した小さな美術館に出かけるまでになった。その間、2005年には日本でも国立西洋美術館での特別展が開催され、この画家の名を広めることに大きく貢献した。


美術史家でもないのになぜ、それほどまでに引かれるのか。自分でも必ずしも分からない部分もある。強いて言えば、謎の多い画家であり、その未だ知られざる部分に説明しがたい魅力を感じたからといえようか。さらにこの画家が起点になって、17世紀への関心も一段と深まった。

再発見された画家
今では17世紀フランス美術の巨匠として知られるラ・トゥールだが、1652 年の画家の死後、長い間忘れ去られていた。美術史家によって再発見されたのは20世紀初めになってからであった。ヴィック=シュル=セイユという小さな町のパン屋の次男として生まれ、修業、遍歴を経て、貴族の娘と結婚し、フランス王室付きの画家にまで栄達をとげた。当時は極めて名高い画家であった。しかし、画家の主たる活動の舞台がロレーヌという動乱の地であったこともあって、作品、記録の多くは散逸し、画家の生涯も概略を推定できるにすぎない。

作品への関心が深まると共に、この謎に包まれた画家の生涯や背景も少しずつ明らかになってきた。画家としての天賦の才に加えて、貴族の称号を付与され、領主に比せられるほどの大地主となった画家は、一部の農民などからはその強欲や横暴さを非難されていた。こうした人格と作品の間に横たわる断絶は深く、それがどの程度真実であったかについても、ほとんど深い闇に包まれている。

美術史家でもな者がこうした領域に立ち入ることで、思わぬ発見もある。例えば、ラ・トゥールとほぼ同時代人のフェルメールについての優れた研究者エール大学のジョン・モンティアスは、経済史家の観点から、作品だけを見ていては分からなかったフェルメール家の家計事情などを分析し、謎の多くを解き明かした。さらに、これらの画家を主題とする文学や映画化も試みられている。ラ・トゥールについても、最近では小説や詩集、さらにはマンガ(コミック)化までされている著名な画家になっている。

17世紀の世界を垣間見ることを通して、自分の専門とする経済学の領域でも、これまで知られなかった興味深い事実を発見することもあった。例えば、ラ・トゥールや銅版画で知られるジャック・カロなど、ロレーヌの芸術家たちの画業修業(熟練の獲得)、移動範囲、職業情報や文化情報の流通経路などが浮かび上がってきた。ラ・トゥールという謎の多い画家の生涯を辿ることで、17世紀という霧に包まれていた時代が、かなり見えてきた。「危機の世紀」とも呼ばれていた当時の世界を知ることは、混迷と不安に満ちた現代を理解する道しるべとなってくれるような気がする。実際、『生誕』、『大工ヨセフ』、『マグダラのマリア』などの作品は、静謐な闇の中、背景らしきものはなにも描かれていない。宗教画でありながら、キリスト教信者でない人々にも強く訴えるものがある。400年近い時空を超えて、ラ・トゥールの世界へ立ち戻り、そこから現代を見る時、それぞれの時代を生きた人々が抱えた問題があまりにも近似していることに驚かざるを得ない。


 

初出:『学際』2011年5月、No.2
今回ブログ掲載のために加筆してあります。

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台風の目に入った世界

2017年09月16日 | 特別トピックス

 

ある書店の前を通ったら、「この世の終わりの前に読む本」という恐るべきテーマで、一つのコーナーが設けられていた。きっと書店の店員さんは売れ筋のタイトルの本を扱いながら、今の時代の先には世紀末的破滅が待ち受けているかもしれないと思ったのだろう。確かに最近の書店に置かれた本のタイトルを見ると、様々なペシミズムや終末観を煽り立てるような書籍が目立つ。

一つ例を挙げると、現在の仕事の世界の一面はかなり暗く、この先年金に頼って人生を全うすることはできないのではないかと思う人も多い。苦労や苦痛が多い世界では、長生きしたくないと考える人たちもいる。しかし、人生は働くためにあるのではない。どうして70歳、80歳と働く目標を先延ばしすることを推奨する風潮が高まっているのか。かつては50歳代半ばでハッピー・リタイアメントを祝い、悠々自適の自分の人生を楽しむことが目標で、それを楽しみに働いていた人たちもいた。実際そうした選択をした人たちも多かった。もちろん、働くことに生きがいを感じる人が、高齢まで働こうというのは別の話だ。しかし、世の中では「働け、働け、働かないと・・・・・。」という見えない圧力が人々の背中を押しているようでもある。年金財政の破綻を繕わされるようだと感じる人もいる。しかし、どれだけの人が近未来を正しく予想できるのだろう。

2017年の世界はかつてなく揺れ動き、問題を抱え込んだようだ。天変地裁、戦争、政治、経済、問題を数えだしたらきりがない。大戦前夜と感じている人たちもいるだろう。確かに年号では新世紀に改まってからは、20世紀のような世界大戦は経験していないとはいえ、いつ破滅的、カタストロフィックな出来事が起きてもおかしくない。

世界が見えなくなったどこかの首領様が、”愚かなヤンキー”が繰り出す厳しくなった制裁に切れてしまって、核ミサイルのボタンでも押すようなことがあれば、世界は一瞬にして破滅的な混乱に巻き込まれるだろう。外交交渉という名の妥協の時間が長引くほどに、核の危機は増加する。「日本はアメリカと平壌の網に絡みとらわれている」として、「日本に向けられて炸裂した一発のミサイルは、多くの国民にとって対抗するに10分の時間も与えてくれないだろう」というジャーナリスト(Justin McCurry, the Gurdian)もいる。

他方、今は人類史上最高の時にあるという人たちもいるのだ。例えば、London TimesのコラムニストPhilip Colinsは、昨年2016年を振り返ってそう書いている。世界で一日一ドル以下で暮らしている極貧の人口が初めて10%を切ったとか、死刑を廃止した国が世界の国々の半数を越えたなどが理由に挙げられている。(反論もある。FAOによると、世界の飢餓に苦しむ人たちは2003年までは減少していたが、2015年には横ばい、2016年には反転増加に転じたという)。

こうした"新楽観論者”の提示する”バラ色” の世界観については、これまた様々な見方が示されている。彼らは戦争も大災害も、いずれ長い歴史の中に埋もれていまい、人類は長い目で見れば前進しているのだという。“新楽観主義者”とも呼ばれている人たちがいる。例えば、評論家Norbergは人類繁栄の指標として、食料、衛生、寿命、貧困、暴力、環境条件、識字力、自由、平等、そして子供の状態を上げている。ヨーロッパの町々の街路には悪疫で死んだ死体を貪る犬がいたのはそれほど遠いことではないはずだという。こうしたノスタルジックな点については正しいと言えるだろう。このブログの柱の一本である(美術から見た)17世紀の世界は、歴史で初めて「危機の世紀」と言われ、ジャック・カロが描いた戦争の惨禍はヨーロッパのいたるところで見られた。長引く戦争とそれに要する犠牲や負担が過大となり、なんとか和解にこぎつけたような戦争もあった。

しかし、地球上の繁栄が直線的に右上がりに伸びているとは考え難い。このことは、17世紀以来の世界史を顧みれば、納得できる。一歩間違えば、世界が破滅しかねない時期もあった。人類は危うくその時をすり抜けた感もある。おそるべき破壊力を持つ兵器が軍縮どころか軍拡の波で累積している。一発の核弾頭が世界を大混乱、惨憺たる破滅の状況をもたらすことは改めていうまでもない。戦争は武器を使ったゲームではない。

政治を知性が誘導してくれると思い込むと、大きな落とし穴がある。前世紀からの政治の劣化、政治家の質の低下は眼に余るものがある。それを正しく規制・誘導する仕組みは出来上がっていない。ひとたび、台風の目を抜けた時にいかなる状況が待ち受けているか、考えておく時間はもうあまりない。

 

References
“What if we’ve never had it so good?” , The guardian weekly, Vol 19, no.11, 18.08.17.27
Progress: Ten Reasons to Look Forward to the Future, 6 Apr 2017
by Johan Norberg
””Japan caught up in US-Pyongyang web” by Justin McCurry

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人間の心に潜む「差別」という魔物

2017年08月20日 | 特別トピックス

 人間の世界はどうなっているのかな

上海博物館蔵蔵


現代の世界は明らかにどこかおかしくなっていると考える人たちが多くなっている。核兵器廃絶、地球温暖化、大気汚染などの問題は、すでに長らく議論が行われており、人それぞれに考えることがあるだろう。他方、大国アメリカのトランプ大統領、就任以来の大言壮語にもかかわらず、公約していた政策実現の道は開けず、大統領を支える側近たちは次々とその座を追われたり、政権を離れている。今回のバノン大統領首席戦略官の更迭で、トランプ政権の行方は混迷の極みに達した。トランプ大統領は就任以来、アメリカ・メキシコ間の国境障壁の強化など、矢継ぎ早に大統領令発布で実行力を誇示しようとしたのかもしれないが、ことごとく野党や世論の反対の前に実効をあげる間もなく、中途半端なままに他の政策へと転換し、一貫性がない。混迷は続く。

大統領支持率も低下の一途で、政権瓦解、民主党の一部などには大統領弾劾の話もあると言われる。トランプ大統領は時に「白人至上主義」とも言われる差別的思想を背後に、白人貧困層などの支持をかろうじて維持している。お得意の「アメリカ第一」主義の発言に代表される極端な保護主義で、与党である共和党内部にも不協和音を生み出してきた。

 

テロリズムは現代の悪疫
他方、テロリズムは悪疫のように多くの国へ拡大している。スペイン、バルセロナの場合も、犯行が行われたのは1か所ではなかったようだ。隣接した地域で計画的にテロが実行に移されたと報じられている。それに先立ち8月12日にバージニア州シャーロッツヴィルで起きた事件と関連しているかも不明だ (スペインについては
ISが犯行声明を出したと報じられている)。朝鮮半島の核開発をめぐる緊張関係など、1960年代のキューバ危機をに近いものを感じるのだが、現代世界の指導者は危機を弄んでいるような思いがする。北朝鮮の指導者に象徴されるように、指導者として正常な人間としての感覚がどれだけあるのか、不安でもある。

シャーロッツヴィルでの出来事についてのトランプ大統領の発言は、この人物が一国の指導者として、明らかに不適格であることを如実に示した。いまやトランプ大統領の評価はほとんど定まったといってよい。しかし、この大統領は悪い意味でしたたかだ。自分に都合の悪い批判を受けると、ノーコメントと口を閉ざし、別の主題へ話題を変えてしまう。しかし、トランプ流とも言えるものごとを一般化して、焦点をぼかしてしまう手法は急速に通じなくなっている。

解決の策がない朝鮮半島の危機
北朝鮮の金正恩委員長もICBMとも見られるロケットの矢継ぎ早の一方的発射、核兵器開発の促進などを誇示し、限られた武器でアメリカを威圧しようと懸命だ。しかし、トランプ大統領は足元の政権基盤も揺らぎ、中国、ロシアとも連携ができない。トランプ政権内部の自己崩壊で、対外的にも威信と実行力を著しく低下させている。

アメリカなどが敏速に対応できずにいる間に、大陸間弾道ミサイルなどの開発に成果を見せた北朝鮮指導者は、それで世界を脅かせると妙な自信を持ってしまっている。彼らが得る情報には大きなバイアスがあることはいうまでもない。状況判断にも危ういものがある。こうした指導者の内実はしばしば危うい。ヒトラーの最後がそうであったように、追い詰められると自暴自棄的思考が強まってくる。フセインやオサマ・ビンラディンなどの最後を知っているから、極端に走りがちでもある。大きなリスクが世界の前方に横たわっている。

トランプ政権の命脈は限られたものになるだろう。しかし、これほどに深い傷を負い、四分五裂状態の国民の感情を修復、再出発するには長い時間が必要になる。次の世代のことを考えると、背筋が冷えてくる。幸い、筆者はその惨状をあまり見ないで済むのだが。

たまたま筆者は、J.F.ケネディの暗殺事件(1963年)以降、半世紀近く人種差別、性差別など、「差別」discrimination という現象が起きる仕組みを研究課題のひとつとして注目してきた。差別という現象は、その発生原理、過程が想像以上に複雑だ。一つの仮説で現実に存在する「差別」と見られる現象を説明しきることは難しい。現実への深く多面的な洞察が必要になる。

最近のアメリカの現実は、本来あるべき改善、進歩とは逆の「退行現象」を起こしているように見える。公民権運動などを通して世界を牽引してきたアメリカだが、「逆差別」の深刻化(入学試験などで少数者や社会的弱者に一定の優先枠を与えた結果、実際には点数の優れた人が不合格になったりする)と言われる現象などもあって、新たな論争が起こり、歴史の振り子は逆の方向へ動いているように見える。

トランプ大統領の行動をめぐっては、「白人至上主義」など、アメリカ人でなくとも聞きたくない言葉がメディア上に復活している。公的な議論では否定されることが多いが、内心そう考えている白人はかなりいると推定されている。トランプ政権下での論争、貧困白人層 poor white の支持などから、その一端は推測できるが、現代社会ではこのタイプの差別はあったとしても、「明白な差別」overt discriminationとしては現れない。その内容からあくまで「隠れた差別」covert discriminationとしてしてしか存在しない。それゆえに、この種の差別は人々の心底深く潜み、とらえどころがなく、しばしば陰鬱で対応は困難を極める。  

トランプ大統領就任後、アメリカの大統領制のほころび、欠陥をさまざまに感じさせられてきたが、とてつもない幕引きが待ち受けているように思えてならない。




桑原靖夫「差別の経済分析」『日本労働協会雑誌』235-236, 1978年10-11月

 桑原靖夫「性差別経済理論の展望」『季刊現代経済』(日本経済新聞社)1980年

日本では経済学に限るとG.ベッカーの差別の理論、あるいは統計的差別の理論程度が知られているだけだが、現実には極めて多くの仮説、理論化の試みがある。差別の発生原因とその発現の仕組みを、理論化することはきわめて難事である。単一の仮説で世の中の差別の全てを解明し切るしっかりした(solid)「差別の一般理論」は未だ存在しない。人間社会における差別の事象は極めて複雑、多面的である。不合理、不可解、不可視的なものも多い。そうした状況で筆者が目指したのは、差別という現象をできうるかぎり多数の角度から接近し、そこに起きている差別事象を包括的、総合的に理解することだった。


★ PC不具合のため、再掲載となりました。ご不便をお詫びします。

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燃え上がるインフェルノ:ロンドン高層ビル火災

2017年06月17日 | 特別トピックス

 

 Hieronymus Bosch (c.1450-1516), Inferno, details



 ロンドンの高層ビルの大火災(6月14日発生)のニュースを知って、たちまちいくつかの前例が脳裏を走った。1911年、ニューヨーク市のトライアングル・シャツウエイスト・ファイア事件、映画ではあるが、1974年度のアカデミー撮影賞、編集賞、歌曲賞を受賞した、The Towering Inferno 「タワーリング・インフェルノ(地獄の業火)」、バングラデッシュの繊維工場の大惨事など、このブログにも取り上げたものも多い。さらに、9.11のワールドトレード・センターの同時多発テロなど、大きな火災に関連するイメージが次々と浮かんでくる。かつて、ロンドンのホテルでは、筆者自身が宿泊したホテルで火災に遭遇したこともあった。これらの経験は、多少ブログに記したこともある。

今回のノース・ケンシントンのグレンフェル・タワービルは高層の公共住宅ビルで、24階、127のフラット、そのうち20階が住宅に当てられており、下の4階が商業施設と住居施設が混在している。2010年に改修工事が終了したことになっている。死者は当初の予想を上回り今日現在では30人近くに達するのではないかと憂慮されている。さらに確認できない居住者の数はさらに増える模様だ。火災の実態があまりにひどく、発生時にビル内にいた人の確認はかなり困難なようだ。正確な死傷者の確認にはかなりの時間が必要と推定されている。

40台の消防車と200人以上の消防隊員が、消火活動に当たったが、ビルはほとんど壊滅的な惨状を呈してようやく消火にいたった。最初に発見された犠牲者がシリアからの難民Mobmmed Alhajall であったことは、この火災事故の本質を語っている。この難民は兄弟で14階付近で救助にあたっていたが、別れ離れになり、兄は命を落とした。事故発生当時、このビルには400-600人が住んでいたのではないかとの推測もある。現場は低所得者層住宅の多い地域であり、貧困家庭の比率もイングランドでは有数の高さだったようだ。多分、非合法移民の家族なども住んでいたのだろう。

火災の発生原因は未確認だが、発生階は地上4階付近と見られている。エレベーターも機能しなくなり、上層階の住民はビルの外へ逃れることも極めて困難なようだ。ビル内部の構造が発表されているが、Ground floor (1階) から4階までは事務所、商業施設、住居などが混在しておりそれ以上の階は住居になっていた。23階まで中心部に2基のリフト(エレヴェータ)が並んでおり、その裏側に階段が設置されていた。階段やリフトを立ち上ってくる煙や火炎は、脱出者にとって、文字通りインフェルノだったろう。公式には127戸の住居、24階のビルであり、2000箇所を超える改装工事が終わっていたという。同様な設計・工事の低所得者用ビルなどは、落ち着いて寝てもいられないだろう。

今回の大火災事故の包括的報告書の発表は、かなり先になるようだ。現時点で注目されるのは、改装されたばかりの外壁に、可燃性の断熱材が使用されていたらしいというニュースである。過去においては、こうした大災害は、その後の時代に向けて、様々な予防、防止政策導入の契機となったが、今回はいかなる教訓を学ぶことになるだろうか。

人間は過去の大災害から、どうも真摯に学んでいないらしい。支援物資だけは到着していると伝えられるが、善意だけでは災害を防止、癒すことはできない!


★このたびの痛ましい事故で亡くなられた人々に、深い哀悼の意を表したい。

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ロボットから税金をとる日は

2017年03月03日 | 特別トピックス

 


今から10年以上前のことである。このブログに「ロボットから税金をとる時代は来るか:RURへの連想」というテーマの記事を書いたことがあった。その後の年月の経過と世の中の変化のスピードは想像を上回った。人間が進歩したとはとうてい思えないのだが、技術進歩の点に限ると、あながち奇想天外な思いつきであったとはいえない状況になった。最近、同じテーマを取り上げた記事に出会って、再び考えさせられた。

イノヴェーターが抱く恐れ
 今回、きっかけとなったのは、アメリカ、マイクロソフト社の共同創業者ビル・ゲイツ氏が、IT上のメディア・QUARTZのインタビュー
で示した見解だった。要約すると、近年の技術進歩、とりわけ自動化のスピードが速すぎ、適応できない労働者が多数失業するなど、社会的にも看過できない深刻な問題が発生するような状況に対して、各国政府はロボットへの課税を検討したらどうかとの問題提起だ。税収は技能再訓練や高齢者や病人の介護などを含む自動化が難しい分野での労働者の教育や医療の拡充などに使うという提案だ。世界に大変革をもたらしたこの偉大な事業家・イノヴェーターの目から見ても、この頃のロボットなどの技術進歩は省力化効果が大きすぎるのではとの不安がよぎるようだ。。

IT技術が創り出した変化は、計り知れない大きななものだ。その革新的創造に大きな貢献をしてきたビル・ゲイツの言葉だけに格別の重みがある。他方、本人は一代にして世界有数のビリオネアにもなった。ピラミッドの頂上から改めて下界を見下ろして見た時、自らも大きな寄与をした創造的破壊がもたらした凄まじい側面に気付かされたのだろうか。 

ビル・ゲイツとは異なった才能を発揮し、これもビリオネアとなり、タワーの最上階に立ったトランプ氏にも、多少同じ感想を持った。このたびのトランプ大統領の就任演説は、シナリオ・ライターの力も相当働いたとはいえ、大統領演説らしい重みを持っていた。なぜ就任当初から、こうしなかったのだろうと思わせるほどだった。骨子はこれまでのツイッター発言の内容と基本的に変わることはないのだが、見事に整理され、TVに映る大統領の顔を見直したほどだった。

アメリカン・ドリームの底辺
アイロニカルな見方をすれば、彼らは自らビリオネアへの道を駆け上がった今、その過程で無視されたり、踏み潰されてきた社会階層の惨状に多少気がついたのだろうか。この半世紀におけるアメリカの中間層の没落、格差の拡大については、その実態を垣間見てきた者として、信じがたいほどのものがある。

現代においてはラッダイトのように、目の前の新技術であるコンピューターやロボットを、自分たちの仕事を奪う敵として打ち壊す人々はいない。むしろ、その恩恵を享受してきた人たちの方が圧倒的に多いだろう。しかし、他方では新技術の展開の過程で、その省力化効果によって仕事を奪われたり、ついてゆけなくなった人々の数も極めて多い。正確さ、勤勉さなど、ロボットが人間を上回っている分野もある。

創造はコントロールできない
 ビル・ゲイツの提案は、現代の早すぎる技術の展開を社会的にコントロールする手段として、ロボット(あるいはその生産者)に課税することを検討してみたらどうかということである。しかし、これまで出てきた反応を見る限り、それに賛同する見解はあまり多くない。最大の理由は、課税は生産性改善を遅らせる、新技術の誕生、発達に悪影響を及ぼしかねないという憂慮だ。新技術には人間本来の創造性の発揮が深く結びついている。一口に言えば、「角を矯めて牛を殺す」ことを懸念するからだろうか。

新技術が雇用の数、質にとってプラス、マイナスいずれに働くかという議論は、現在のIT技術の先駆とも言える1980年代のマイクロエレクトロニクス(ME)革命と呼ばれた時期にも行われた。当時、その議論の一端に関わった一人として、改めて回顧してみると、この新技術が雇用にとって概してマイナスに働いたとは考えがたい。いうまでもなく、客観的な事後検証が改めて必要なことはいうまでもない。

当時、新技術がもたらす省力化については、技能再実修を含む教育の必要性が強調されていた。これまではロボットに人間の様々を教えこむ過程であった。しかし、舞台は大きく変わり、AIの発達もあって、人間がロボットから学ぶ時が急速に近づいている。ロボット先生と相対して、機械語を習う光景はかなり違和感がある。幸い、その日は経験しないですみそうなのだが。


References
https://qz.com/911968/bill-gates-the-robot-that-takes-your-job-should-pay-taxes/  
"Free exchange; I, taxpayer" The Economist February 25th 2017

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社会学者破産の時代?

2016年07月05日 | 特別トピックス

 

テロリズムの15年間

西ヨーロッパ、2001年9月11日ー2016年3月22日
2人以上のを死者を出した場合:
ひとつの□が、死者一名に相当。

 

 Source: 'The end of insouciance', The Economist March 26th 2016


  地球上の各地で相次ぐ残酷、悲惨なテロ事件、地震、豪雨、気温上昇などの自然災害・・・・・。人災、天災を問わず、いずれもこれまで経験した規模を上回る。なにか根源的な大きな変化が起きているのではないか。実はこう思うことはそれほどおかしいことではない。このブログでも時々紹介したが、自然科学、社会科学などの研究者などの間で、こうした考えを抱く人々が増えてきた。さらに社会学者自らがこれまでの社会学理論では到底説明できない、社会学者はお手上げ、破産(店じまい)!というコメントにまで出会った(幸い?、筆者の専門は「社会学」ではない)。

 他方、社会学に限ったことではないが、現代社会に起きている諸変化を体系的に解明、説明できる理論には、まだ出会ったことがない。いずれも、現代の世界に起きている事象を十分説明できないか、まったく無力に近い。多くは起きたことを別の言葉で述べているだけのことだ。

心配のない時代の終わり

 上に掲げた統計が掲載されている歴史ある著名雑誌記事の表題は「心配のない時代の終わり」✳︎となっていた。記事の内容は昨年のフランス、ベルギーなどヨーロッパ諸国でのテロリズムの続発の回顧になっているが、数字でしめされたテロ事件の推移を見ると、今世紀初頭からテロによる犠牲者の数は確かに急激に増加している。この統計の後の時期には、さらに発生件数が増加した。日本人8人(内7人死亡)が痛ましい犠牲者となったバングラデッシュ、ダッカ・テロ事件、続いてイラク、バクダッド空港での死者約250人、負傷者200人余を出したテロ事件など、テロリズムの発生事象も自爆テロなどが増加し、20世紀とはきわめて異なった状況になっている。


'The end of insouciance', The Economist March 26th 2016
insouciance の語源は、18世紀フランス語のinsouciant (in 'not' + souciant 'worrying' (saucierの現在分詞)。心配のないこと、無関心、のんき

  
Ulrich Beck, the Metamorphosis of the World, Cambridge, UK, Polity, 2016(cover)


 昨年初めに亡くなったドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック Ulrich Beck (1944-2015)の遺稿ともいうべき著書(上掲表紙;英語版)が送られてきたので、手にとってみると、 「世界の変容」The Metamorphosis of the World, 2016 という表題がつけられている。 metamorphosis という概念は、どちらかというと生物学などで使われることが多い言葉で、蛹(さなぎ)から蝶に脱皮するような名実ともに、大きな変化を意味している。このブログでも、何度かベックの考えについては記してきた。

 今回、ベックは遺稿となった本書の冒頭でかなり衝撃的な表現で語っている:

世界はタガが外れている。多くの人が感じているように、このことは言葉の二つの意味で正しい:世界は接ぎ手がなくなりばらばらになって、狂ってしまった。われわれはああでもない、こうでもないと、議論しながら、さまよい、混乱している。しかし、世界中の敵対意識などを超えて、あらゆる地域で多くの人々が同意できることは、「世界はどうなっているかもはや分からない」というこどだ。

 世界でも傑出した社会学者のベックがいわんとすることを、ブログなどの小さなスペースで説明することは不可能に近い。ここではわずかに一部分を紹介するにすぎない。元来、ここに紹介する本書は、ベックの名著「世界リスク社会」 Weltrisikogesellschaft (2008)に続く思想のスタートラインを構成するはずだったが、著者が2015年1月1日に急逝し、課題は未完成のままに残されている。本書はその意味で、ベックが今後に構想していた仕事の新たな出発点での見通しともいえる。ベックは本書で、「社会における変化」change in society と「世界における変容」metamorphosis in the world を区別すべきだという。社会学者の概念としては、この表現で内容が推測できるのかもしれないが、筆者にはあまりしっくりこない。これからの時代は、むしろベックの旧著のように、混沌とし、多くのリスクがいたるところに横たわるかつてなく困難な時代であるように思われる。

 「変容」という概念が適当かどうかはひとまずおいて、ベックが例示するように、世界的な気象異変が起き、海水温度が上昇し、北極、南極の氷が解けて、海面が上昇、かつての海岸線が変化している。気象変動をもたらしている原因は、かなりの程度まで確定されてはいる。他方、原因に対する政策、たとえば自然エネルギーの活用などでに、世界にはこれまでにはない変化も生まれている。そうした動きの上に、世界の「変容」が進行していることが語られている。

 「変容」という概念には、ひとたびあるステージ、たとえばさなぎが蝶になると、しばらく相対的に安定した時期が保証されるというイメージが筆者にはある。しかし、来たるべき世界は、はるかに混沌とし、不安定で、ひとつの定まった路線をイメージし難い時代に見える。破断の危機はいたるところに潜み、突如として人間をしばしの平穏から恐怖や混迷の世界に押し戻す。しかし、わずかな救いは、そうした災厄、破断につながりかねない危機のいくつかは、過去の経験の累積で見えている。あるいは、なんとか対応することが可能である。

 このブログを開設した当時、題材とした17世紀ヨーロッパは、世界史上例を見ない「危機の時代」であった。その後の世界は、度々の大きな危機をくぐり抜けてきた。危機の性格、内容はそれぞれ姿を変え、次第に対応が厳しくなっている。前方に広がる見えにくい世界をあえて見通す力を貯え、危機を乗り越える新たな努力が必要な時だ。そのためには、これまで以上に、広い次元を展望しなければならない。結論は飛ぶが、教育段階におけるリベラルアーツの必要性を今ほど感じることはない。




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英国EU離脱: ご破算の後に来るものは

2016年06月25日 | 特別トピックス

16世紀末のヨーロッパ寓意画

この1592年のヨーロッパは、国境が絶えず変化し見定められない世界とみて、聖母マリアの姿で描かれている。'Wandering Borders' by Norman Davies, TIME Special Issue, Winter 1998-1999, PP29-31. 

 一度ご破算にしよう。6月24日、国民投票で過半数を獲得したイギリスの「離脱」派の投票行動の裏には、明言しないまでも、どこかにそうした思いがこもっていたのではないか。1970年代、イギリスは、デンマーク、アイルランドと並び、欧州共同体(EC)へ加盟(1973年)した。その後、サッチャー首相の時代(1979-90年)に見られるように、一時はヨーロッパの政治外交を主導する国であった。1990年になって英国は、ERM(欧州為替相場メカニズム、1979年設置)にかなり遅れて加入したが、92年ポンド危機をきっかけに脱退してしまった。その後、1993年にはマーストリヒト条約の発効により、ECを基盤に欧州連合(EU)が12カ国で発足した。そして、加盟国も大きく拡大、発展はしたが、同時にさまざまな、しばしば煩瑣な規制や負担が、あたかもしがらみのように、ブラッセル(EU)からEU域内諸国に浸透していった。2002年には、ユーロ紙幣、硬貨の流通が開始されたが、イギリス、スエーデン、デンマークの3カ国は、導入しなかった(導入は12カ国)。

 EUのその後の拡大(2013年クロアチア加盟で28カ国体制)に伴い、金融、財政、労働、社会生活など、多くの面でイギリスを含む加盟国の主権や自主性が、じわじわと規制されてきたような雰囲気が生まれていた。最終的には政治的統合を目指すEUとしては、いつかは通らねばならない過程ではある。

イギリスでは経済の好調さもあって、域内諸国からの移民労働者の流入も増加した。国内の低熟練労働者の間には、自分たちの仕事が移民に奪われているという思いもあるだろう。しかし、その裏には
一部地域への移民・難民の集中・集積による人種感情の軋轢、増加した移民などに対する「見えない壁」の形成、それらを主導したEU(ブラッセル)や中央政府への反発などもあった。こうした感情の鬱積、不満はイギリスに限らず、大陸諸国にも見られることだが、従来からの経緯もあって、島国のイギリスにとっては、EUからの「離脱」は、大陸支配からの「自立」の試みを思わせるところもあった。とりわけ「古き良き時代」を知るイギリス人には、自国の伝統、主権が侵食されているというやりきれない思いもあったかもしれない。これらの点に関わる議論はかなり以前からあったのだが、政治的に整理しきれていなかった。

 国民投票の結果、「離脱」派が勝利したが、株式市場、金融市場は狼狽し、直ちに反応、ポンドは1985年以来の大幅な下落となった。世界同時株安も瞬時に発生した。英国の「離脱」が現実のものになると、EU諸国はかなり動揺し、最大の危機を迎えている。

キャメロン首相に代表される政治家は「残留」優位と、やや甘く踏んでいた感がある。人間の心情として、進んで乱を求め、冷水に入ることは避けるからだ。EUに残留すれば、さまざまな不満は残るが、離脱に伴う混乱の収拾、制度その他を新しく設計、改編するなどのマイナス面と比べれば、はるかによいというのは、比較的中道(たとえば、The Economist, June 11th 2016)の人たちの考えだった

それが、「想定外」の結果となった背景には、さらに加えて最近の政治のわかりにくさ、エリート主導、理念先行型の地域統合への不満などもあったと思われる。地域から見ると、押し付け型の印象がある英政府や議會、「専門家」たちへの不信も累積していた。かつて滞在したことのあるイングランド東部地域の住民感情などを思い浮かべると、住民の意図や思いが届かない、ブラッセルなど自分たちの住む所から遠く離れたところへ政治の中心が移ってしまっているという感じ方も分かる気もする。

このところ、EU諸国のかなり多くで、反エリート主義、ポピュリズム、極右政党の台頭などが注目されてきた。今回の大打撃で、ブラッセル(EU官僚)も少なからず冷水を浴びた。EU官僚、移民の増加などが共通の敵として、加盟国の国民からみなされていると、EUユンケル委員長は述懐する。しかし、気がつくのが、あまりに遅すぎた。こうしたことはすでにかなり前から指摘されていたからだ。ひとつ指摘しておきたいのは、このたびの政治的混乱に乗じた極右政党、過激派などの台頭を許してはならないことだろう。もっとも、これはヨーロッパに限ったことではない。

他方、ボリス・ジョンソン前ロンドン市長のように、ナショナリズムに訴え、明るい未来を説いて、中下層の士気を鼓舞するという動きは「離脱」派を後押しした。確かに、「離脱」することで、過大な規制、制度の制約から脱し、創造的な活動基盤が期待しうるという考えは、ある面では望ましいことでもある。しかし、そのための基盤創生、再整備のために多大な時間と資金を要することも事実だ。選挙戦の終盤に入るとそうした不透明さや不安を予想した「残留」派がやや優勢という空気が漂いつつあった。

 政治的混迷の中で、「離脱」派勝利が決定した時のキャメロン首相の表情は悲痛に満ちていた。こんな形でダウニング街10番地を去ることになるとは予想していなかったのだろう。しかし、わが東京都知事の無様な退任と比較すれば、毅然として凛とした退場だ。

 これでひとつの時代が終わったが、続く収束の過程は長い。「離脱」のためにはさらに2年間のさまざまな作業が予定されている。その間には、フランス大統領選挙、ドイツ連邦共和国総選挙も行われる。EUは激浪の中での舵取りを迫られる。

 事態は、さらに複雑で混迷した流れへと巻き込まれることは避けがたい。「離脱」、「残留」が僅差で決まったことで、結果に不満を持つ層が多数生まれ、今後あらゆる分野で議論がまとまらず、手間取り、錯綜するだろう。EU離脱後の英国が、実際にいかなることになるか、説得力のある構想・議論が少なかったことも懸念される。
「離脱派」の弱点は、離脱した後に自立して発展してゆけるかという点で、政策的裏付けに迫力を欠き、国民への説得性が弱いことにある。「構想なき離脱」だった。

 「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」 United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland は、かくして激震を体験した。今後に予想される余震もかなりのものとなりそうだ。理論と現実の差異は大きい。衝撃を体験してみて初めて分かることもある。難民問題の焦点だったトルコのEU加盟など、いまやほとんど忘れられている。ひとつの時代の終わりが、いかなる始まりにつながるか、世界はまさにドラマの舞台である。

 

 *第一パラグラフ、説明不足のため加筆(2016/06/26)。

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日出づる時を待つ:不安な時代を生きる力

2016年04月19日 | 特別トピックス

  庭の片隅に植えておいた黄花カタクリの球根が、思いがけなく芽を出し、開花していた。そこに植えたことも忘れていたほどだった。耐寒性があり、日陰や湿地にも強いshade plants といわれる植物でもある。キバナカタクリ(学名: Erythronium ‘Pagoda’、分類: ユリ科カタクリ属)、カリフォルニア原産エリスロニウム・トルムネンセ(E.tuolumnense)の交配種

画面クリックで拡大

 

  ヨーロッパの難民・移民問題をウオッチしていると、今度は日本の九州に大地震が起こり、一夜にして多数の避難を求める人々が続出するという事態が発生、言葉を失う。外国からの難民受け入れには厳しいことで知られるこの国に、住む家や土地を失うなど、ほぼ同様な苦難を背負った人々が一夜にして多数生まれるとは、なんというアイロニーだろう。

  20世紀末から今日まで、被害の甚大さという点から記憶に残る阪神・淡路大震災(1995年)、新潟県中越大震災(2004年)、そして東日本大震災(2011年)を含めて、日本列島を分断するかのごとく、大きな地震が連続して起きていたことを改めて実感する。今回の熊本県に発した大地震(熊本地震)が将来いかなる名称で記憶されることになるかは別として、限られた地域で頻発する地震によって、当初の想像の域を越えた大災害となった。

われわれはどこに立っているのか
 外国に長らく住み、たまたま帰国していた友人との間で、日本はさながら「災害列島」のように見えるという話が出た。実際、日本の震災といわれる大地震・津波などの記録を時系列でみると、ほとんど毎年のようにどこかで大小の地震、噴火などが起きている。列島に2000近いといわれる活断層が走り、休火山、活火山が多数存在する、地球上でもかなり特別な場所に、われわれは住んでいるのだということを改めて思い知らされる。強風と雨に苦しんだ被災地は、翌日の昼には夏日に近い気温になったといわれる。他方、この季節、雪が降っている地域もあるのが日本なのだ。

 天災ばかりでなく、東日本大震災とともに発生し、将来世代への重荷を残すことになった福島第一原発の廃炉、放射能廃棄物の処理問題が重くのしかかる。大きな傷跡と不安を抱えたまま時が過ぎている。時間軸上を移動しつつ、未来の世代にこれ以上の重荷を残さないよう、なにをすべきか考え続ける必要を感じる。

 熊本県だけでも10万人近い人々が避難生活をしている状況をみて、その規模に改めて愕然とする。今年年初から4月4日までにギリシャに到着したシリアなどからの難民・移民の数が、およそ15万2千人(IOM)と発表されていることを考えると、このたびの災害の規模と拡大の速度に改めて驚かされる。人間は自然の持つ恐るべき力を少し軽く見ていたのかもしれない。

   気のせいか、今世紀に入ってから明るい話題が少なくなったような感じがする。20世紀と21世紀の違いといっても「世紀」は長い歴史の時間軸を区切る手段にしかすぎない。しかし、このブログで再三記してきたように、新しい世紀を迎えたころから、世界の時間の経過とともに、歴史の深部を流れるなにかが次第に変化し、それも従来の同種の変化の限界と思われた域を越えている。そのことについては、一部の歴史家、文明評論家などによっても指摘され、このブログでも時折記してきた。

 時代を画する典型的事象(メルクマール)として挙げられてきた出来事としては、アフガニスタン戦争につながった2011年の9.11アメリカ同時多発テロ事件であったり、
2008年のリーマンショックであったり、自然災害としては、2011年日本の東日本大震災(3.11)であったりして論者によって必ずしも同じ事象ではない。しかし、天災、人災を含めて、それまで想像したこともないような、ある仮想していた限界を超えたような出来事、現象が次々と起きている。あらゆる惨禍がヨーロッパを見舞ったともいわれる17世紀「危機の時代」を、別の形で経験しつつある気がするほどだ。このブログの出発点となった画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの生きた時代である。

「新たな危機の時代」を生きる
 J.K.ガルブレイスが形容したように、「普通の時代」は終わりを告げたのかもしれない。このブログを立ち上げた背景のひとつに、そうした「不安な時代」の輪郭を確かめてみたいという思いがどこかにあった。ラ・トゥールが生涯を過ごした17世紀ヨーロッパはありとあらゆる災害、災厄が人々を襲った惨憺たる時代でもあった。とりわけ、画家の生きたロレーヌという地方(公国)は、
30年戦争などの戦場ともなり、フランス王国と神聖ローマ帝国という巨大勢力の間にあって、現代のシリアやアフガニスタンのような荒廃を極めた状況にあった。ジャック・カロの銅版画に克明に描かれている。


 今、大きく揺れ動いている現代の日本は、世界で唯一の被爆国であり、人道上想像を絶する惨禍を経験し、自ら関わった戦争によって国土の多くが焦土と化した他に類を見ない悲惨な経験を持ってもいる。その後列島を襲った大震災など幾多の災厄からも立ち直り復興の道を歩んできた。今回の苦難も、人々が互いに未来を信じ助け合い、必ず乗り越えて、世界にその強靱な国民性を誇りうる日につながることを信じたい。それこそが、不安な未来を生きるこれからの世界にとって最も必要なことなのだから。






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激動の時代に生きる術:イスラムの世界を学ぶ

2015年01月28日 | 特別トピックス



Michel Houellebecq, Soumission,2015

cover   

 


  アメリカ、ニューイングランドに住む友人からのメールが、このところの猛吹雪が常軌を逸した激しいものであることを伝えてきた。若いころからのスキーヤーで、大雪はいつも歓迎していたが、昨年は自宅周辺の除雪が間に合わないほどの豪雪に、ついに転居を決めたという。今回はそれをはるかに上回る積雪量であったようだ。

 この頃は、毎朝
の新聞、TVを見ることが恐ろしいほど異常な出来事が増えている。この点については、ブログでも記したことがある。とりわけ、21世紀に入ってから「極限事象」ともいうべき、通常ならほとんど起こりえないことが頻発している。あの9.11(米国同時多発テロ)、3.11(東日本大震災)は世界史上に残る象徴的な大惨事、災害だが、世界中で異常な事象は天災、人災を問わず発生しており、最近では統計的にもかなりの程度、確認されている。単に偶発的に起きているだけのことではないようだ。

 しかし、極限事象といっても、地球温暖化、大気汚染、大地震・津波、火山噴火、エボラ出血熱、鳥ウイルス、口蹄疫蔓延のような現象と、テロリズムや無差別銃乱射のような現象では発生の状況や原因もまったく異なる。グローバルな次元で、こうした諸現象が総合的・累積的にいかなる評価がなしうるか、ほとんど明らかではない。さらに、対策については、科学者も個別の事象への対応に追われていて、個別の対応だけで将来も切り抜けられるのか、体系的にはほとんど不明なままになっている。

 問題は、こうした事象が発生する背景も十分確認できないままに、それぞれに異なる事象が重複し、解決することなく拡大していることだ。部分的にはエボラ出血熱などへのワクチン開発、大気汚染への対策など、発生源、原因への手立てが少しづつ進んでいる分野もないわけではない。しかし、ほとんどの問題は発生の根源自体が,十分確認されていない。

「イスラム国」問題
  このたびの「イスラム国」テロリズム集団による日本人拘束、殺害事件も明らかに極限事象というべき範疇に入るだろう。非人道的で、残虐極まりなく許しがたい出来事である。直前にはフランスでの連続テロ事件もあり、まったく予想ができなかった事件ではない。

 人質が焦点となる出来事は日本も経験がないわけではない。中東地域で日本あるいは日本人が巻き込まれる可能性は絶えず存在した。しかし、確率的には小さいと考えられてきたことに加えて、この種の出来事は、それぞれに異なった環境条件の下で発生している。

 国際間の協調的行動などで、非常事態において、ある程度共通した対応の手順が合意され、成立している場合もある。しかし、今回のような「時間」という厳しい制約を盾に、巨額な要求を行い、相手の対応が整わない間に非人間的、極悪な行為でさらに次の譲歩を図るという悪のエスカレーションには、言葉を失う。行為自体が非人道的であり、その衝撃はあまりに大きい。

 卑劣で狂信的なテロリズムから無縁な国はなくなっている。国際的な連携と絶滅への努力は不可欠だが、たやすいことではない。

イスラムへの理解
  「イスラム国」に象徴される過激派によるテロリズムについては、日本人は他の西欧諸国と比較すると、国民一般の認識度が十分でなかったことは指摘すべきだろう。アルカイーダの活動実態についても、多くは映像で見るだけであった。幸いといえば幸いであったかもしれないが、今回のように日本人を直接標的とする現実が起きてみると、到底アクション映画を見ている場合とは次元を異にする衝撃的状況が一挙に生まれる。いうまでもなく、「イスラム国」は国際的に認められた「国家」でもないし、イスラムを名乗っても、イスラム教とは無関係なテロリズム集団だ。

 これまで、中東産油国を中心としてイスラム系諸国と日本のつながりは、どちらかというと原油の供給源としての認識度が強く、経済的次元が偏重されてきた。日本におけるイスラムの宗教、文化面でについての理解度はかなり遅れていたといわざるをえない。大学などの高等教育の次元でも、時にアラビア語の講座が設置されている場合などはあるが、イスラム圏全体をカヴァーする政治、経済、文化など、実質的にイスラムを学ぶ講座が準備されている例はきわめて少ない。本格的に学ぶには、イスラム圏の大学、イスラム研究に歴史のある西欧の大学などに留学するなどの選択が必要になる。
 
 これまでの人生で、比較的広い経験を積むことができた管理人の場合でも、イスラム諸国の知人、友人となると極端に少ない。イギリス滞在時代に家主の友人のつながりなどで、わずかな知己を得ただけであった。その過程で彼らがイギリス社会で置かれている立場や語られることの少ない社会的経験の一端を知ったにすぎない。

 若い頃にはエネルギー調査などの縁もあって、いくつかの中東諸国を訪れる機会はあったが、OPECがウイーンの雑居ビルに存在したような時代でもあり、知り得たことも限られていた。その後1970-80年代に「ゲストワーカー」の調査で、ドイツとトルコの実地調査などを行ったが、今考えてみれば、イスラム文化の一端に触れた程度だった。その後様変わりして大発展した中東産油国のドバイ、バーレンなどでも、当時は基本的に砂漠の国であった。自家用車のバンパーを純金にするよう発注した王家のプリンスなどの話がまかり通っていた。その後サッカーなどを通して、イスラム諸国について一部の知識は増えたとはいえ、日本人全体としても本質的な部分での理解が大きく深まったとは思えない。


  このたびの残酷な出来事は、未だ継続している問題であり、「イスラム国」を主な対象とするテロリズム撲滅の政策方向がある程度の結果を見せるまでにはかなりの時間が必要だろう。これが唯一の対応であるかについても、かなりの疑問が残る。狂信的なイスラム過激派のような集団・組織が残存し、活動するかぎり、世界に不安と恐怖の種は尽きない。さらに、こうしたイスラムとは無関係なテロリズム集団と、他方長い歴史を持つイスラムとの区分が十分に理解され、明確にされないかぎり、自分の信仰対象ではない宗教(あるいは信仰する人々)へのいわれなき誤解も浸透する。

宗教戦争の時代に
 時代は遠く16-17世紀の世界にさかのぼる。このブログで取り上げてきた17世紀のロレーヌ、そして広くヨーロッパは、すさまじい宗教戦争の様相を呈していた。オスマン帝国とヨーロッパの衝突は続いていたが、ヨーロッパ内部ではキリスト教の宗教改革を発端として、大小の宗教戦争が続いた。

 宗教戦争はしばしば激烈な様相を呈し、平静、共存の段階に達するまでに長い時を要する。政治と宗教が重なり合う覇権争いが、なんとか平静化し、共存の過程にいたるまでにはきわめて長い時を要する。イスラム教とは関係のない「イスラム国」の問題は別としても、現在進行中のイスラム宗派、部族間の争いは、宗教と政治が重なり合い、当事者でも状況判定が難しいほどに複雑化している。中東イスラム諸国間の混沌とした状況が落ち着くには、かなり時間がかかるだろう。 

 さらに将来を見通すと、伝統的なキリスト教国である西欧諸国が衰退の色濃い時代が待ち受けている。フランスの連続テロ事件とほぼ合致するように、パリがイスラムで覆われる近未来を描いたともいわれるミッシェル・ウエルベック Michel Houellebecq の小説 Soumission,2015 (英語:submission 服従、屈服の意味)が話題になっている。パリにおけるイスラムの浸透・拡大は個人的な体験を通してみても、驚くほど進んだ。しかし、どれだけ融合したのかは定かではない。それどころか、イスラムに代表される外国人の増加に反対する国民戦線のような右派政党が支持を集めている。

 日本についてみれば、これからの若い世代にとって、新たな視点で宗教、とりわけ日本人からは遠い位置にあるイスラム教とその世界を学び直すことがどうしても必要ではないか。「宗教の衝突」が「文明の衝突」に至らぬ前に、少なくもお互いに相手を正しく理解する場を準備・拡大しなければと思う。次の世代のことを考えると、状況はかなり切迫している。



 追記
 近年の世界の激変ぶりに目を奪われて、ブログの柱のひとつにしてきた17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラトゥールの作品と生涯について記す時間が少なくなってしまった。17世紀フランスを代表する著名な大画家であるにもかかわらず、日本では必ずしも知られていない。同時代の周辺画家を含め、若い世代のためにも記してみたいことはあまりに多い。質問や要望も増加しているので、なるべく早期にタイムマシンに戻ることにしたいのだが。



 


 

 

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画家も動く・絵画も動く:美術史と移動・移転 migration

2014年11月23日 | 特別トピックス

 

 このブログで紹介したことのある、ティモシー・ブルック著『フェルメールの帽子』 *1も最近、邦訳が出版された。原著が刊行(2007年)されてからかなり時間は経過しているが、幸い好評なようだ。巧みなタイトルにつられて、フェルメールの作品についての著作と思った人もいるかもしれない。しかし、フェルメールの作品は表紙を除くと、ほとんど登場することはなく、拍子抜けした読者もおられよう。この著作のユニークな点は、時間軸を17世紀のフェルメール(1632-1675)の時代にほぼ固定しながら、同時代の空間、言い換えると、世界の他の地域へ視野を広げて、当時アメリカ新大陸、中国などを含めて展開したグローバル化の諸相を描いてみせたことにある。

 こうした同時代史的試みは、すでにいくつか公刊されてきたが*2、本書はフェルメールという良く知られた画家が描いた一枚の絵が発端になっている。すなわち画家が描いた、当時のオランダの若い女性と対面して話をしている若い兵士が、得意げに被っている帽子の由来から、話が始まる。ストーリー・テリングの巧みさが斬新だ。フェルメールの絵画自体は、当時のいわゆる風俗画ジャンルの作品で、美しく描かれてはいるが、それ以上ではない。しかし、そこに描きこまれた事物から別の物語が紡ぎだされる。

ラ・トゥールの謎解きの論理
 このような同時代における「地域(空間)」の持つ文化的差異は、そこで活動する画家たちの活動にも大きな影響を及ぼす。この時代、ローマはヨーロッパ世界のひとつの中心であった。多くの人たちが行ってみたいと憧憬の念を抱いていた。

 フェルメールとほぼ同時代の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールにとってもイタリアの存在は大きかったことは疑いない。しかし、ヨーロッパのすべての画家がイタリアへ行ったかというと、そういうわけでもなかった。レンブラントもフェルメールもイタリアへは行かなかった。

 ただ、ラ・トゥールの作品理解については、イタリアへ修業の旅をしたか否かという問題は、この画家の理解に格別の意味を持つ。しかし、それを裏付ける史料はいまだに見出されたことがなく、謎のままにとどまっている。(管理人は、いくつかの理由からラ・トゥールはイタリアへは行かなかった、仮に修業時代に訪れたとしても、きわめて短期間の旅行であったと考えている。この問題については、一部、ブログに記したので繰り返さない)。

 ラ・トゥールは美術史上では、しばしばカラヴァジェスキ(カラヴァッジョの画風の継承者)に分類されることが多い画家である。しかし、カラバッジョ(1571-1610}は、ラ・トゥール(1593-1652)より少し前に世を去っていたし、ラ・トゥールの時期にはすでに伝説的存在になっていた。ラ・トゥールがカラヴァッジョの影響を受けたことは事実だが、ラ・トゥールを無条件でカラヴァジェスキと断定することには、かなり留保をつけたい。それでは、ラ・トゥールはいかなる経路で、カラヴァッジョの影響を感じ取ったのだろう。

 ラ・トゥールがカラヴァッジョに会っていないとすれば、次にありそうなことは、どこかでカラヴァジェスキのだれかに会ったり、工房を訪ねたかという点ではないかと考えるのは自然だろう。この点については、すでにブログに概略を記したことがあり、いつもお読みいただいている方はすでにご存じのことだ。

 さらに、その次に考えられるのは、ラ・トゥールがカラヴァッジョあるいはカラヴッァジェスキの作品に接する機会があったかという点だろう。この点については、ナンシーに残るカラヴァッジョの作品を初めとして、画家が作品を見た可能性はいくつか考えられる。しかし、残された作品から画風を学び取るということは、間接的な方法であり、工房などで教えを乞うなどの方が直接的で効果が上がることは教育手段としてもはるかに効率的だ。工房など制作現場に自ら密着して学ぶ方法は、いわゆるOJT(On-the-Job-Training) であり、効率も良い。他方、わずかな数のモデルを見て模写などの形で学ぶことは有効ではあるが、学ぶ側に多大な努力が必要だ。これは絵画制作に限ったことではない。

 
美術の移転・普及
 ここで指摘したいのは、ある美術(当面絵画に限定するが)の作風・思想などが、別の画家あるいは作品に伝達、敬称される「普及・拡散・伝播」(diffuese, disperse) あるいは「移動・移転」(migrate, transfer)するという側面である。これについては、画家あるいは作品の地理的移動、移転という次元がクローズアップされる。賢明な読者諸氏は、「移民」migrantsと「美術」artという一見なんの関係もなさそうなトピックスが、同じブログで扱われている意味に気づかれたと思う。

 この問題について別の例をあげてみよう。管理人がかつて何度か訪れたシカゴ美術館 The Art Institute of Chicago について考えてみた。20世紀前半、この都市は全米で移民が多数押し寄せる地域のひとつとして知られていた。 ヨーロッパ、中南米、アジアなど世界各地からの移民が集まった。シカゴ市民の出身国別分布地図を見ると、驚くほど多様な分布をしていることが分かる。

 移民の中には当然、画家、彫刻家、音楽家など芸術家も含まれていた。移民の時期による違い、同化と離反、統合、分散などによって、多様な変化が生まれた。その混然とした状況の中から、彼らが新天地へ持ち寄った文化が、絵画、彫刻、音楽などの形態で、相互作用を発揮し、複雑多岐でありながら不思議な一体感につながる作品を創造した。シカゴ美術館はそのひとつの象徴的な存在だ。この美術館が所蔵する作品に接すると、この地へもたらされた多様な美術的作品あるいはこの地へ移住した画家によって制作された作品が混然一体となった過程、状況を体験しうる。


 美術の伝播の流れ、仕組みも17世紀と現代では大きく変化した。日本人の好きなフェルメールにしても、現代では、17世紀に画家が生まれ育ったオランダあるいはヨーロッパだけに現存する作品の視野を限定していたのでは、その全容を知ることはできない。作品の多くがアメリカに所蔵地点が移っていることもひとつの理由だ。これは、レンブラントやラ・トゥールにしても、アメリカや他国の美術館や所蔵者の協力がなければ、作品の大多数を見ることはできない状況にあることを意味している。特別企画展などで、世界中から集められた、作品を同一の展示場で見られる場合もあるが、貸出自体を認めない美術館などもある。そのため、作品に直接対面するという機会は、所蔵される現地まで赴かねばならないという状況が生まれている。


新しい枠組みへの期待 
 このような美術家あるいは作品自体の世界的な移動も背景にあって、最近では「芸術地理学」あるいは「美術の経済学」というような新たな分析枠組みの提示も行われるようになった。たとえば、「芸術地理学」 Geography of Art では、時間軸とクロスする「場所」の特異性や地域の性格を重要視する新たな専門領域の提案がある。たとえば、Kaufman *3の提案はその嚆矢かもしれない。現在の段階では、理論的枠組みがいまひとつ未整理な感じはする。しかし、その方向は、このブログで考えてきた「時間軸」と「空間」という次元と重なってくる。蛇足だが、「移民」や「外国人労働者」の移動 migration については、欧米の大学ではしばしば地理学部で教育や研究が行われている。

  17世紀イタリアの画家カラバッジョ(1571ー1610)にしても、日本で最初に本格的な展覧会が行われたのは、2001年東京都庭園美術館で開催されたものであった。しかし、当時はカラヴァッジョの名前を知る人の数は、今と比べてきわめて少なかった。画家の名声と比較して、出展された作品で真作と帰属されたものはきわめて少なかったと記憶している。その後、この画家への関心度は、世界的に高まり、各地で次々と展覧会が企画され、出版物なども対応にとまどうほどの数に上っている。その一因には、「国際カラバジェスク研究」ともいわれる潮流が形成されていることもある。カラバッジョに強い影響を受けたカラヴァジェスキと称される画家と作品についての包括的研究が始まった。そうした画家たちの活動は、カラヴァッジョが生まれ、活動したイタリアという地域の範囲をはるかに越えて、世界的な影響を及ぼしている。これは画家の創造した画風やそこに込められた思想への共鳴が、人や作品を介して、当初の狭い地域を越えて世界に広まったことによる。

 こうしたことを考えながら、作品を見ていると、「美術の移動・移転」 という、これまであまり正面から捉えられなかった新しい次元が見えてくる。作品自体の地理的移動に加えて、芸術家を含むヒトの移動 migration とともに、かれらが携えてくる創造性や芸術観、そして成果物たる作品が、移動によって新しい地にもたらす側面にもう少し光が当てられてもよいと思う。記すべきことはあまりに多いが、いうまでもなく、ブログなどで展開できることは限られており、詳細は別のメディアに委ねたい

Thomas DaCosta Kaufmann, Toward a GEOGRAPHY of Art, Chicago: University of Chicago Press, 2004 (cover) 

*1  たとえば、ジャック・アタリ(斉藤広信訳)『1492 西欧文明の世界支配』ちくま学芸文庫、2009年
*2  ティモシー・ブルック(本野英一訳)『フェルメールの帽子』岩波書店、2014年

References 

*3
Thomas DaCosta Kaufmann. Toward a Geography of Art. Chicago and London: University of Chicago Press, 2004.

小谷訓子 書評 越境する美術史:芸術地理学に向けたトーマス・ダコスタ・カウフマンの一石『西洋美術研究』No.14、2008年

 

 

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自然への畏怖を新たに:御岳山噴火

2014年09月28日 | 特別トピックス

 





  このところ、ブログのやや脇道で取り上げたテーマがほどなく現実化したり、メディアの対象になったりして、いささか驚いている。(たとえば、数年前に書いた短い記事が、朝の連続TV番組テーマと関連するなど思いもしなかった)。最近では旅の途上のつれづれに、偶然目にした雑誌記事を紹介かたがた解説したばかりだが、その内容をいわば裏打ちするような出来事が日本で起きた。

 紹介した雑誌記事自体は短いもので、要旨は、これまでアメリカで起きた自然災害の発生頻度を基礎にして、ハワイ、アラスカを除く全土の州・郡別の色分けを行い、いわば地域別安全度を推定したものだ。判定の基準とされた災害は、「竜巻」、「土砂洪水」、「森林火災」、「ハリケーン」、「地震」がとりあげられていた。


 そのことを記して日が浅い昨日9月27日、ふと見たTVが思いもかけなかった御嶽山噴火の様子を放映していた。浅間山、桜島など比較的近くで火山噴火を目にすることがある国だが、列島のほぼ中央部で突如こうした予期せぬ光景が展開することは稀であり、きわめて衝撃的である。アイスランドなどを除けば、あまりみられない。火山国の特徴ともいえる。

 アメリカの場合は、火山噴火は西海岸ワシントン州のセントへレンズ山、レーニア山などが大規模な噴火を起こした例と知られている。アメリカ地質調査所によると全米では、およそ169の火山が確認されている。昨日来、この調査所の情報提供サイトは、アクセス数が多かったのか、一時的に閉鎖状態であった。

 大西洋でも今年8月3日、アイスランドのバルダルブンガ火山が噴火し、有毒ガスの発生、航空機の飛行障害の可能性などが注目を集めている。1970年代初め、エネルギー問題の調査旅行の途上で短時日訪れたことがあったが、氷河と火山の島であった。

 御嶽山は古くから山岳信仰の山として知られ、かつては山伏装束の人たちで山道が埋まるほどだったらしい。時が経過し、いまは登山ブームで軽装で出かける人も多いようだ。別の山だが、山道を救急車が苦労して負傷者を搬出している光景に出会ったことがある。自然に対する畏怖の念、常にどこかに抱いていなければと思う。そのためには、各地域で起こりうる災害の性質と可能性をできうるかぎり国民が共有できるよう、これまで以上に努力が必要だろう。

 しばしば例示されるように、日本の国土面積はアメリカのカリフォルニア州に相当する。国土は海に囲まれ、そこにひしめくように火山が活動している。台風、都市火災など、その他の災害を考慮すると、危険性はいたるところに潜在している。自然への畏怖を持ち続けること、これはこの国に住む者が常に心にとめていなければならないことなのだ。

 
今回の噴火で犠牲になられた方々はすでに数多く、胸が詰まる。不幸にしてお亡くなりになった方々にはひたすらご冥福をお祈りしたい。

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濃霧の中に射す一筋の光:トマ・ピケティ教授の新著

2014年07月30日 | 特別トピックス

 



 TVやインターネットの普及のおかげで思いがけないことを経験することがある。7月26日に放映されたNHKBS1番組『グローバル・ウイズドム:問われる資本主義~激論「21世紀の資本」~』を観ていると、海外から意見を述べる「賢者」(men of wisdom)の中に、ひとりだけ帽子を被って出演している人がいる。あれ、どこかで見た姿と思い、よく見るとやはりそうであった。ハーヴァード大学経済学部教授リチャード・フリーマン氏である。
 
 かつて同教授とJ.メドフ教授が若かりしころに著した”Two Faces of Unionism.” The Public Interest, vol.57, Fall 1979 (「労働組合の二つの顔」)なる論文を邦訳したことがあった。その縁で、同教授が来日した講演会の際に司会役を仰せつかったことがあった。その時も講演会を通して、帽子を被っておられた。以後、帽子は同教授のトレード・マークのようになり、学会などでもすぐに見つけることができた。同教授はいまやアメリカの労働経済学会の大御所ともいうべき存在である。今回のTV番組でも、きわめて適切なコメントをされていた。
 
 話題の経済学者トマ・ピケティの新著を中心にしての番組とのことだったが、全体の印象は番組制作のあり方が中途半端で拍子抜けした。ピケティ教授の新著のタイトルを番組表題に掲げるならば、少なくとも著者のピケティ氏にインタビューし、著作の目指した目標、今後の政策の実現可能性、出版後の反響への氏の考えなど、重要な諸点をしっかりと確かめておくのが著者に対しての礼儀であったと思う。それだけでも30分くらいは必要だろう。しかし、番組ではピケティ氏の新著が紹介されただけで、さまざまなコメントに対して、ピケ教授が応答される場は準備されていなかった。
 
 いくらアメリカでピケティ教授の著作が大変な人気とはいえ、日本でこの著作を読んだ人は未だ数少ないはずだ。海外から参加された知者と目される人たちは、当然ピケティ教授の著作を読まれている。しかし、番組編集者を含め、他の参加者があの仏文900ページ、英文700ページ近くの大著を消化されて、番組に臨んでいるとはにわかに信じがたい。管理人の場合でもフランス語版で読み始め、途中から英語版に切り替えて3ヶ月近くを要した。読後感はきわめて爽快である。
 
 ピケ教授の力量をもってすれば、本書のエッセンスは間違いなく100ページ以内に集約することができるだろう。しかし、同教授がこの大著を世に問われたのは、著者の骨太の主張と斬新な分析成果をできるかぎり多くの人に説得力をもって伝達するためであることは間違いない。この著作の素晴らしさはやはりこの大冊を読んでみないと正しく伝わってこない。バルザックの小説などを例に挙げながら、200年近くに及ぶ主要国の統計分析を初めとして、10年余を費やしたとされる研究成果を、平易に、そして見事な説得力をもって読者に伝えようとしている。そして、その目的は見事に達せられた。

 ピケ教授は資本主義の根底に流れる格差という大問題を真正面から取り上げ、その分析結果を大変分かりやすく提示して見せた。近来の経済学書としては珍しく明解に、歴史書のような感覚で読み通すことができる。10年に一度くらいしか見られない大輪の花のような力作である。経済学の初学者泣かせの難解な数式の羅列もなく、提示されるグラフもきわめて整理され、論旨もきわめて明解である。難解なことをもって良書?と考えかねないような近年の経済学専門書とは、大きく一線を画している。
 
 読後の爽快感・充足感は大変大きい。比較的こうした書籍を読み慣れている管理人も近来にない大きな感銘を受けた。同じような問題に多少関わってきた者として、諸手を挙げて推薦できる作品である。この点は番組以前にのブログでもお勧めしてきた。


 もちろん、この分野に多少なりと関わる人々なら疑問も生まれよう。むしろ疑問が生まれないことが不思議である。課題の設定、論理の展開と結論が明解だけに、切り落とされた部分をめぐって異論・反論は生まれるのは当然と思われる。所得や資産の格差を生みだす根源についても、詰めるべき議論は多い。しかし、それらは今後に残された課題だろう。今は濃霧で前方がほとんど見えなかった状況に、一筋の光が見えた思いがする。
 

 最大の論点はピケ氏の提示した格差の縮小、改善にかかわる政策の実行可能性にある。この点、海外からの参加者は誰もがその困難さを指摘していた。ピケティ氏の提示したグローバルな富裕税にとどまらず、複数の政策が総合的に立案、実施されることが必要だろう。世界が混迷しているだけに、前途は多難である。フリーマン教授がコメントした資本の所有者を資本家以外に広く開放することも、重要な政策となる*2。管理人もこの点はかなり早期から指摘してきたが、多少力をもらった思いがした。
 




J.メドフ/R.フリーマン(桑原靖夫訳)「労働組合の二つの顔」 『日本労働協会雑誌』 23(9), p25-37, 1981-09. 
*2
桑原靖夫「日本的経営論再考」他、一連の従業員管理に関する論考

 

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日本:信じがたいほど小さくなる国?

2014年07月06日 | 特別トピックス


人口構造の推移(拡大クリック)
厚生労働省・人口問題研究所

  


  英誌 The Economist の最近記事の見出しだが、一瞬私の目をとらえた。「信じがたいほど小さくなる国」 "The incredible shrinnking country"というタイトルだ。日本の急激な人口減少がもたらす国力の驚くほどの減衰を論じている。この雑誌、しばしばアイロニカルな論調で、鋭く世界を分析することで知られる。もっとも時々これはやり過ぎと思う風刺に出会うこともあるが*2、総じて目配りが確かで、的を射て外すことが少ない。

 日本の人口が危機的な減少過程に入っていることは、この小さなブログに限らず、いたるところで取り上げられてきた。管理人は政府が人口減少の持つ重要さを正当に評価することが遅れ、もっと早期に有効な政策を導入してこなかったことが今日の危機をもたらしたと思っている。遅まきながら提示されている政策には、女性の社会進出支援、育児・介護支援や家事支援、高齢者の雇用延長といった政策が含まれている。そのひとつひとつは、評価しても、全体として迫力に欠け、今後の日本が活力を取り戻し、人口も一億人の水準を維持するという政策上の実効性という点ではかなり疑問を感じてきた。

母親を待つ不安な子供たち
 いつも通る道に公的な託児所がある。朝は働きに出るお母さんたちがせわしげに子供を預け、それぞれの職場へ出かけていく。父親らしき男性も時々見かけるが数は少ない。前面がガラス張りで道路に面している。20人くらいの子供たちを3-4人の女性が面倒を見ているようだ。

 子供たちは朝は活発で、母親としばし離れるのをあまり気にしていないようだ。友達と遊べるのが楽しみなのだろう。しかし、時々、夕暮れに通ると、しばしば可哀想な光景に出会う。母親たちが次々と迎えに来てそれぞれ嬉々として
帰って行く。しかし、2,3人の子供が取り残され、立ち上がって、両手と顔をべったりとガラス戸に押しつけて、母親が来るのを待っている。皆とても不安げでほとんど泣き出しそうな顔をしている。

 きっと母親だって、仕事が遅くなったり、夕食の買い物をしたりで、子供たちが待っているのを知っているに違いない。恐らく全国いたるところで、こういう光景が見られるのだろう。働きながら子供を産み育てるということの重みは、計り知れない。

 こうした重圧を覚悟の上で、出産、育児を続けるには、家庭のことばかりではない。産まれてくる子供が健康に育ち、教育の機会を得て、ひとりの立派な社会人になるまでの見通しが多少なりともついていないと、踏み切れないだろう。女性が仕事と結婚のいずれを選ぶかという選択に苦しむのも、その両立を図ることがかなり困難な社会環境にあるためだ。

 人口は「ひのえうま」のような迷信でもなければ、短期には増減ができない。しかし、将来に明るさが感じられる長期的展望の下で、相互に連携のとれた有効な政策を導入することができれば、増加を期待することができる。最も重要なことは、子供を産んで育てたいという夫婦を支える家庭・社会の環境基盤を、どれだけ確保できるかにある。子供を育てたい、生まれてくる子供には平和で健康的な希望や未来があるはずだという人間的な要望が社会的に担保されないかぎり、安心して子供を産み育てるという環境は形成されない。

きわめて困難な1億人水準維持
 英誌が指摘する政府の人口予測では現在約1億2700万人の人口は、これから50年後には7割くらいに減少するとみられている。さらに、仮にそのままの状況が続くならば、2110年には4300万人の日本人しかいないという予測値もある。政府が試算している2060年において人口1億人の水準を維持するには、現在の出生率1.43を2030年までに、2.07にまで引き上げる必要がある。政府は出産・子育てを支援する予算を倍増するとしているが、これまでの人口推移を見るかぎり、きわめて困難と言わざるを得ない。

 人口減少がもたらす負担は想像を超えて大きい。高齢者の比率は増加し、数が少なくなる若い人たちが支える負担は増えるばかりだ。働き手は少なくなり、社会基盤の維持も難しくなる。高齢化した母親の介護のために60歳代で早期退職した知人の男性もいる。時々話しを聞くが、夕刻、年老いた母親のために、食事の材料を買い求め、調理をして、おそらくさしたる会話もなく、食事をしている風景を想像することはつらい。 

 次の時代を見る必要はない管理人だが、この国の来し方、行く末を多少は考えてしまう。個人的には、これからの時代、大国であることを競う必要はないと思う。小さな国になっても、国民が誇りを持ち、輝きを失わない国であってほしい。ワールド・カップのドラマを見ながら、さまざまなことを思った。大国であっても出場できずにいる国、小国であっても誇りを持ってプレーし、観る人を感動させる国もある。

 実際に半世紀あるいは一世紀後にどれだけの人口になるかは、誰にも正確には分からない。日本の人口は減少しても、世界全体としては(伸び率は減少しても)人口増加が進み、世界経済自体が破綻状態となるとの予測もある(可能性は高い)。その中で、日本の人口が大幅に減少することだけは、ほぼ間違いない。日本がこれからの時代をどう生きるかは、単に出産・育児支援、就労支援、高齢者活用などの個別の政策を超えた次元で考えねばならない。最重要の課題に対してどう対応するか。その試案はまだ出されていない。




 "The incredible shirinking country" The Economist May 31stk, 2014

*2 ”How to deal with a shrinking population” The Economist July 28th 2007 (減少する人口にどう対処するか」)なる特別記事で、表紙に泣きそうな顔の日本人の赤ちゃんが掲載されていた。その説明には「限定生産」 Limited Edition と記されていた。

How to deal with a shrinking population

 


7月9日追記:

7月3日S.K.先生の訃報を知る。先生のテニス仲間が管理人の恩師であったこともあり、17世紀ヨーロッパについて折に触れて、興味深いことを多数ご教示いただいた。世に知られたドイツ文学の大家であったが、同僚として接していただき、大変楽しい人生の一時を過ごした。謹んでご冥福をお祈り申し上げる。

 

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富岡→横浜→フランス→世界

2014年06月04日 | 特別トピックス



横浜浮世絵
横浜名所之内 

渡せん場
一港斉永林 明治5年(1872年)
神奈川県立歴史博物館蔵
(博物館ショップ絵はがき) 



 酷暑の1日、かねて気にかけていた展覧会を見に横浜まで出かけた。神奈川県立博物館で開催中の『繭と鋼:神奈川とフランスの交流史』と題した特別展(6月22日まで開催)である。今月はブログにも記した富岡製糸場の世界文化遺産指定が、決まるといわれている。今から150年ほど前、日本とフランスの間に国交を開かれて以来、生糸貿易を初めとして、多くの交易や文化交流が両国の間に展開した。


 とりわけ生糸、絹製品の貿易は明治初期、両国の交流において、きわめて重要な意味を持った。この流れの中で、多くの人がそれと気づかぬうちに、富岡製糸場と横浜は、富岡に技術を伝授したフランスを介在して、世界につながる太い糸となっていた。その実態の一端を今日に残る史料などを通して、実感してみたいと思ったことが、横浜へ出向いた理由であった。結果は期待をはるかに上回る素晴らしいものであった。その展示内容は感動的であり、日本人ならば富岡製糸場と併せて、是非見るべきものと思った。富岡の人気の急速な拡大にもかかわらず、こちらの展示は訪れる人が少なく、落ち着いた静かな環境で、十分時間をかけて見ることができた。

 大変多くのことを学ぶことができた展示であった。富岡製糸場の場合もそうであったが、「百聞は一見にしかず」である。このブログで紹介したことのあるティモシー・ブルックの『フェルメールの帽子』の日本版といってもよいかもしれない。富岡製糸場に代表される日本の養蚕、製糸の道は、横浜、そしてフランスを経由して世界につながっていた。

 そのひとつ、富岡製糸場の生糸の束に付された商標に、大きな感動を覚えた。そこには、立派な製糸場の写真に「大日本上墅國富岡製絲所」FILATURE DE TOMIOKA, PROVINCE DE KOTSUKE, JAPONと誇らしげに記されている。印刷は大蔵省印刷局である。この事業に全力そして青春を投じた人々の意気込みが伝わってくる。

 富岡製糸場の商標ばかりでなく、当時の日本の生糸貿易に関わった企業のさまざまな商標や記念物を見られるのが、この特別展の見どころのひとつでもある。そこにはいたるところに「大日本」、「愛國」の文字が記され、まさに発展をとげようとする在りし日のこの国の姿を偲ぶことができる。貧しくとも真摯に働く日本人がそこにあった。この国では自分の能力を生かす場がなく、台湾やヴェトナムなどにその場を求める今日の技術者とはまったく違った世界であった。

 この特別展は単に絹産業の貿易にとどまらず、横須賀製鉄所、造船所、さらに当時の日本や日本人のさまざまな姿を今に残す多くの写真や史料が展示されていて、きわめて興味深い。1872(明治5)年1月1日、横須賀造船所の開所式に行幸した明治天皇をオーストリアの写真家が密かに撮影した写真(直ちに発禁処分になり、外交問題になりかけた)まで含まれている。
 
 よく知られているジョルジュ・ピゴーの風刺画もある。朝鮮半島をめぐるロシア、清国、日本の緊迫した関係を風刺した絵もあり、最近の状況を改めて考えさせられる。

 見かけは小さな展覧会でありながら、内容はきわめて充実している。日本の在りし日、そして未来を考えさせる多くの材料がそこにある。酷暑を忘れ、この国の帰趨を考えるにお勧めの展覧会である。

  

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未来からの移民(2):ロボットが人間を超える日

2014年05月19日 | 特別トピックス

 

ロボットのイメージ:「鉄腕アトム」

 

 

  このところ、海外著名メディアでロボットがかなり話題になっている。「ロボット」という言葉を聞いて思い浮かべるイメージは、人様々だが、日本人は一般に、人間に類似した形状のヒューマノイド・タイプが好みらしい。1950年代初めに登場し、TV放映もされ、世界的に知られた手塚治虫の「鉄腕アトム」(アメリカではアストロ・ボーイの名で放映されてきた)などから、ロボットとはこういうものだとのイメージが生まれたようだ。その後、1970年代の「マジンガーZ」などが登場、実際のロボットとしては、アシモ(Asimo)やあざらしの子供のようなパロ(Paro)などに結実してきた。

 他方、この二足歩行型の人型ロボットあるいは動物型には、西欧諸国ではイメージが人間に近すぎると好まない人もいる。「フランケンシュタイン」や「ターミネーター」のように、いつか人間に反逆するようなイメージも影響しているともいわれる。日本人はロボットと人間との距離、境界の認識が不分明で、どこまでをロボットとみなすか、曖昧になっているといわれる。ロボットにかなり親近感のようなものも感じるようだ。日本ではほとんど抵抗なく受け入れられ、増殖?している「ゆるキャラ」なる奇妙な存在も、違和感があるということを聞いたことがある。そういわれてみると、ボールパーク(野球場)やサッカースタディアムにも、ディズニータイプの動物型ぬいぐるみやチアーガールズは登場しているが、一見すると由来のよく分からない「ゆるキャラ」型は、あまり見た記憶がない。

 しかし、西欧においても、総じて近未来のロボットは人間に似た、二足歩行型タイプが主流になると考えられている。多機能型には、ヒューマノイド型の方が向いているのだろうか。
 

 最近、ヒット商品として話題になっているルンバ Roomba もこれから展開するロボット革命のほんの初期段階とされている。ルンバも性能が急速に改善されて、日本でも競争製品が市場にでているほどだが、形状はシンプルな円盤型だ。そのため、これをロボットと思わない人たちも多い。しかし、製品開発にこめられた思想は、明らかにロボットによる家事労働の代替だ。室内の清掃という家事労働の中心的部分に向けられている。あらかじめ設定しておけば、住人が仕事などで外出している間に、一生懸命に働いてくれる。人間のように、一息入れたり、さぼったり?することなく、エネルギーがあるかぎり、きまじめすぎるほど働いてくれるようだ。家事でも、洗濯や料理などについては、すでに機械による代替がかなり進んでいるから、残った領域でかなり手間のかかる掃除という仕事を、機械で代替しようと開発者たちが考えたのは、きわめて自然だった。

 近未来には、洗濯、清掃、料理、自宅にいる高齢者や病人や来客への対応(宅配便受け取り、番犬?など)など、家事全般をまとめてやってくれる一体型のロボットが出現する可能性は十分あるようだ。怪しい者が近づくと、吠えたり、記録をとるロボット・ドッグはすでに実用化されている。こちらは抵抗がないのか、最初から犬のイメージが採用されている。

 ロボットの可能性は、かぎりなく多様だが、これまでの開発目的のひとつは省力化にあった。とりわけ、バブル期に日本で使われ、世界に広まった「3K労働」(汚い、きつい、危険な仕事、英語では3D)といわれる領域に多い、単調、反復労働などを代替するロボットが開発され、実用化した。比較的、低い熟練度の仕事が対象となるが、福島原発の廃炉作業のように、ロボットなしには実施できない。文字通り危険な仕事を、ロボットに託することになる。

 近未来に最も数が増加するのは、中程度のスキルを持って、かなりの難度の仕事をこなすロボットが主流になりそうだ。この領域のロボットは、恐らく人間を上回る安定したスキルと正確な実務能力を持ち、人間の仕事を脅かすだろう。大量生産が進むと、ロボットのコストダウンも進み、競争力を持つと思われる。人間のブルーカラー。ホワイトカラーの仕事はかなり省力化される。当然ロボットによる工程などの操業管理、プログラミングなども行われるようになり、技術者の仕事に近接する。ロボットがもたらす仕事の質の変化は大きい。

 遺伝子工学の発達で、クローンの誕生も起こりうる。他方、人工頭脳の急速な進歩で、人間とロボットの関係はきわめて微妙なものになる。今日すでにロボット工学としては試みられている、制作者にかぎりなく外見を近づけたロボットを見ると、肌寒くなる。恐らく家族や友人でも外見からは区別がしがたいほど似ている。皆さんは、自分と外面は寸分違わないロボットが、町を歩いていたら、どんな反応をしますか。近未来に生きる若い世代は、真に人間しかできない、人間らしい仕事のスキル修得を目指す必要がある。教育のあり方にも関わる重大事だ。それはいったいどんな仕事? それこそ、人間が考えねばならない。



* 東京丸善本店に、「手塚治虫書店」の名で、この世界的に大きな影響を与えた作家の全作品を集めたコーナーが4月に開店した。


Referencs
「ロボットと人間の未来」Newsweek, April 29-May 6, 2014
"Rise of the Robots" The Economist March 29th-April 4th, 2014


 

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