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時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

絆の先を読む

2012年01月04日 | 特別トピックス

 

 

恒例となった、過ぎ去った年を象徴する一文字として、2011年3月11日、この国を大きく揺るがした東日本大震災後、被災地復興を願う象徴的言葉として「絆」が選ばれた。この言葉、受け取る人によって、こめる思いはさまざまかと思う。ちなみに『広辞苑(6)』によると、「(1)馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱、(2)断つにしのびない恩愛、離れがたい情実、ほだし、係累、繋縛」とある。

 

字義通り、大変日本人的な選択であると思った。ひとりの日本人として、この言葉のある部分は、共有できる。しかし、少し離れて、「絆」で今後の被災地復興・再生がはかれるかというと、多分に情緒的で、迫力に欠ける。関係者の強い連帯・支援を基礎とする、かなり大きな枠組みによる強力なテコ入れが欠かせない。

 

まもなく震災発生1年の日を迎えようとする今、求められているのは復興・再生に向けて被災地を積極的に創り直すことを目指す計画性と力強い実行力ではないだろうか。単に被災地をかつてあった状態に戻すことが目的でなく、さらに新しい次元を創り出すことだ。福島第一原発問題を含めて、単に家族愛、日本人、あるいは人間愛などで、被災地、被災者と他の人々を結ぶだけでは復興・再生は到底実現できない。

 

同じ日本国内でも被災地とその他の地域の間には、距離を隔てるほどに緊迫感が薄れ、疎遠な空気が生まれている。3.11の衝撃の光景、原発事故の恐怖も、時間の経過とともに、迫力を失ってゆく。放射能は目に見えない上に、現代人は、映像慣れしてしまっている。被災地を遠ざけ隔てる「見えない壁」が生まれ、被災地や被災者に閉塞感を生み出す。

 

被災地の人々はこれまで実に良く耐えてきた。しかし、国内外から集まったヴォランティアなどの方々の支援活動にも限度がある。さまざまな文化活動の力も素晴らしいが、それだけでは次の段階へは進めない。

 

次の段階とは、一定の産業集積とそれに基づく雇用の創出であり、新たな町や村創りだ。これについては、1980年代から世界のさまざまな所で試行錯誤がなされてきた。成功・失敗例を含み、かなりの方法的・実例の蓄積もある。特別区、研究パーク、研究・製造混合区などでは、かなり大規模、計画的なインフラ整備も必要となる。古い例ではイタリア東北部(「第3イタリア))のような伝統的産業の集積の例もある。町の親方たちが昼食時などに集まり、自分たちの町のあり方について、情報交換、提案するなどの例もあった。


 これまでの町村の行政域を超えて、伝統的な地場産業を集約し、集積するなどの試みが図られるべきではないか。これまで、ダイナミックな中小企業の類型、それらを育成する枠組みなども検討されてきた。単なる経済理論の次元にとどまることなく、より現実に近づいた枠組みと具体的手段の準備と実行が欠かせない。これまで蓄積されてきたさまざまな考えや方法をもっと投入して生かすべきだ。産業政策と雇用政策の間には、まったく有機的関連がない。経産省と厚労省は別の次元でばらばらに動いていて、政策としての連携が薄く、統合度がきわめて低い。

復興・再生に向けて、なににもまして重い意味を持つのは、福島第一原発にかかわる不安感、恐怖感を低減・払拭することだ。ここに最大限の力を結集すべきではないか。人類の安全確保のためにも、この地を国内のみならず世界中の英知や技術が流入し、結集する場に変えねばならない。フクシマを閉ざされた場所にしてはならないと思う。

 

大震災後、まもなく1年が経過しようというのに、復興の確たる枠組みが提示されているとはいいがたい。とりわけ、福島第一原発の影響で、域外へと避難・流出した人たちは、思いもかけなかった天災・人災のために、故郷から離れざるをえなかった。故郷とその他の地域を隔てる見えない壁は、「風評被害」などの予期せぬ差別も加わり、次第に高くなっている。

 

移民の世界では、故郷・故国を失った人たちを、しばしば「ディアスポラ」(Diaspora, 発音はダイアスポラに近い)と呼ぶ。元来、バビロン捕囚後、ユダヤ人がパレスチナ以外の地へ離散したことに由来する。そして、現代では(国・地域からの)集団移住、離散を意味している。

 

 被災あるいは放射能の影響を免れようと被災地から域外へ移住した人々、そして被災者の人たちは、現代日本のディアスポラでもある。生まれ育った故郷の地へ戻る可能性を奪われつつある。これ以上、ディアスポラ(故郷なき人々)を増やしてはいけない。

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鎮魂の思いを込めて

2011年12月28日 | 特別トピックス




  フクシマのイメージは、歳末といわれる今日まで、ほとんど常に頭のどこかにあって、消えることがない。手仕事や思考が一段落した折には、かならず浮上してくる。これまでは、「忘却」という便利なステップが大脳の片隅へ追いやってくれたのだが、今回はまったく機能してくれない。例年のように、ブログを訪れてくださる皆様への年末のご挨拶も書けそうにない。

日本という国と日本人のあり方について、これほど考えさせられた年はついぞなかった。ジャーナリズムでは「平成が終わる日」(『文藝春秋』2012年新年特別号)が語られつつあるが、3.11は「平静が終わる日」でもあった。敗戦後、朝鮮戦争、石油危機など、この列島を揺るがす出来事がなかったわけではない。しかし、この小さな国は総じて恵まれていた。戦火を回避し、一定の振動域内に収まった、いわば日だまりのような平静を保ってくることができた。外国が自国の発展を目指すモデルと見た時期もあった。しかし、歴史の逆転の歯車は、20年ほど前から作動していた。3.11はそれを決定づけた。

平静な時代が長くなるほど、社会に制度的桎梏のようなものが蓄積され、さらなる発展を阻害する。第二次大戦後、日本、ドイツ、イタリアという敗戦国が大きな発展をとげたのは、日本の財閥に象徴される戦前の旧制度、軍需産業に代表される旧設備の多くが崩壊し、世界の先進性を体現したものへ生まれ変わったからだという議論が、経済理論の世界で注目を呼んだことがあった。日本は敗戦によって図らずも、国家体制のシステムがほぼ根本から革新された。しかし、半世紀を超える年月が経過すれば、知らず知らずの間に、多くの「旧制度」が生き返り、自らの手では変えがたいほどに積み重なり、深く社会に根を下ろしていた。

「大阪都」、「中京都」がジャーナリズムの話題に上りながら、なぜ「東北都」を創り出そうという発想が政治家たちの間に生まれないのだろうか。東北とその他の地域が断絶し、国民に大きな不安の源を残しながら、この国の再生などありえないことはさらに言を要しない。大地震の可能性がある地域が西へ拡大されたことを考え併せても、東北に発展の重点を移すことは大きなリスク回避にもなる。終戦直後の首都をイメージさせるほどの被災地の光景。これをこの国の復興・創成の場面に変える機会は今しかない。

 今年はことのほか多くの先達、知人、友人たちを失った年でもあった。その中にはこれ以上、この国の崩壊を見たくないと言われてきた方も含まれる。

 
 年末、身辺でひとつの出来事があった。首都の名実ともに中心部で、40年余の歳月、開所当時のままに維持されてきた小さなクリニックが閉じられた。創設者の医師が急逝されたことによる。開設以来、一貫して同じ空間、同じ設備で変わることなく診療を続けると宣言され、信じがたいほどの強い信念の下で、医療の前線で活動されてきた。自ら重大な病を抱えながら、亡くなる数日前まで診療に当たられていた。このブログ管理人も、相談に乗っていただいた。

さまざまな鎮魂の思いを込めて、新しい年を迎えたい。

コメント (4)
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輝きを取り戻すために

2011年12月18日 | 特別トピックス

 

ごまめの歯ぎしりであることは承知の上である。しかし、あえて記してきた。雇用創出の仕組み、そのひとつが東北被災地復興の道筋である。あの世界を震撼させた3.11から早くも9ヶ月を越える年月が経過した。9.11のように、敵、味方といった区分を生み出すこともなく、世界に共鳴する大災害だった。
 

被災地復興の実態を子細に見ているわけではない。しかし、断片的であれ見聞した情報から判断する限り、今進んでいる復興への路線は、これまで数々の災害を乗り越えてきた経験をひたすら踏襲・増幅したものだ。数多くの災害からの復興経験の路線から逸脱していない。それは一見着実な路線であるかに思われる。しかし、今回の大震災は天災・人災を併せて、かつての経験域をはるかに超えている。それにもかかわらず、災害慣れ?した国民の多くは、仕方がない、ひたすら堪え忍び、がんばるしかないと思い込んでしまったようだ。「1000年に1回の災害」ならば、復興もこれまでの手法の踏襲ではとても対応できないのではないのか。

ユーロ危機どころではない大災害・危機

 ヨーロッパの友人から届いたばかりのクリスマス・レターには、「多少アイロニカルだが、日本の大震災に比較すればユーロ危機などピーナッツのようなものだ」と記されている。現に、今年の世界ビッグ・ニュースで、第一位の「オサマ・ビン・ラディンの暗殺」に次ぐのが、「(福島第一原発事故を含む)東北大震災」である。日本人の多くは、これまで数々の災害を克服してきた手法で、今回の大震災も克服しうると考えているように見える。気の遠くなるような年月を前提にすれば、それも可能かもしれない。しかし、そこに到達する前にこの国が廃炉化してしまうかもしれない。(こんなことまで、このブログの管理人は、見ることもないし、およそ考える必要もないことなのだが。)

 

被災地が活性化するためには、産業そして固有の地域文化の集積が不可欠である。その結果としてやっと、「派生需要」としての雇用が生まれる。その筋道はひとつではなく、多数の分かれ道がある。そして、国内のみならず国外からも多くの人々が、競って流入してくるような魅力ある地域復興の姿を目指さねば、被災地が負った深い傷は修復・再生できないだろう。さもなければ、貧困、高齢化を伴う、人口流入のない活気を失った過疎地域へ急速に変化して行くことはほとんど見えている。
 

何世代か後になるかもしれないが、被災地を中核として、東北が世界に輝く地域になるようなヴィジョンと政策は持てないのだろうか。地域の産業が再生、復活し、多くの雇用機会が生まれないかぎり、活性化の基盤は確保されない。ただ以前の雇用機会を取り戻すことを目標にするのではなく、時代の流れに沿う新たな雇用機会を創出しなければ、被災地の活性化は果たせない。少なくなって行く雇用機会を、正規と非正規労働者で分け合うという構図では、とても存続できないだろう。

 

被災後、地域外へ流出した人々を引き戻すばかりではない。世界から高度な技術、能力を備えた人材が流入してくるような魅力ある産業、研究などの拠点を積極的に構築しなければならない。今回の経験を生かし、世界に貢献する最高水準の防災研究センターなど、アイディアは沢山あるはずだ。被災後、政府は復興構想委員会などで比較的短期間に構想作りを行ったが、今の復興路線にそうした提案が取り入れられているという印象は薄い。ヴィジョンなき復興という印象が強まってくる。


インターネットが作り出した壁 

指摘したい点はいくつも思い浮かぶのだが、非力なブログではとても対応できない。ただひとつここに記すのは、被災地とそれ以外の地域、とりわけ中央政府との距離を短縮しなければならないと思う。復興庁の設置場所をとっても長い時間がかかり、結局「遠隔コントロール」になってしまった。

 

インターネットの発達は距離の壁を取り払った。しかし、壁が無くなったと思い込む「新たな壁」もつくり出したことは気づかれていない。ケータイの生み出した利便性はきわめて大きいが、失ったものも大きい。電車に乗り込んだとたんにケータイを取り出し、あたりかまわず食い入るように見入る人々の光景には、ある違和感をずっと感じてきた。なにかが確実に失われた。

 

復興には被災地の人々の考えが重視され、反映することがなによりも大切なことは改めていうまでもない。しかし、被災地は疲労の色濃く、本来期待すべき「内生的」再生の発芽力が著しく弱まっている。東北が先端地域に生まれ変わるためには、日本人の英知、そして世界のアイディアや支援も積極的に取り入れることが必要だろう。新年の到来を機に、事態が少しでも良い方向に変わることを祈りたい。









東北被災地に真の光が射す日を祈って


Warm wishes this season and throughout the coming year





 

 

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東北都は創れないのか

2011年11月29日 | 特別トピックス




危機の時代には大きな構想・変革を

 タイトルに惹かれて、「若者に仕事がない:先進国の雇用危機」NHKBS20111126日放映)を見る。インターネットの力を活用して日本、アメリカ、ヨーロッパ(イギリス)を結んでのディスカッションとなっている。当事者間のやりとりがあり、臨場感がある。

 取り上げられたいずれの国も雇用状況はかなり深刻化しており、実態は複雑だ。番組に登場した関係者の問題の把握の仕方、提示される政策の方向も一様でなく混迷を極めている。発言している識者といえる人たちでも、将来に確信を持った発言はできていない。世界がかつてなく不透明・不安定な状況では、多くの留保をつけざるをえない。

 短い表現ながらさまざまな意見が、世界中から寄せられた。しかし、自由貿易主義の支持者と反対者も入り交じり、いずれも十分説得的な提案となりえていない。問題の複雑さだけが伝わるばかりだ。実際に著しい効果が期待できる政策は提示されていないと感じた。

 深刻な経済格差を生み出す震源地となっていると考えられるニューヨークのウォール街を占拠しようという若者のデモが映し出される。1%の超富裕層を守るのではなく、99%を救済せよというスローガンが見える。

 
 だが、デモ隊がウオール街に溢れても、問題が解決するわけではない。デモの先になにが必要かのヴィジョンが見えないからだ。しかし、こうした象徴的なプロテストの活動は、人々に問題の深刻さを訴え、政治家や銀行家などの関係者に、なんとかしなければとの動きを促す。いわば起爆剤の意味を持っている。

存在感の希薄な日本
 議論を聞きながら、危惧を感じたのは、番組からは当の日本が直面している深刻さがあまり伝わってこないことだ。たとえば、
国際比較でみると、日本の失業率は比較された先進国の中では、一見最も低い(4.5%、2011年10月)。この国は東北大震災によって歴史的にも例のない大きな危機の時代を迎えているのだが、現実の深刻さとの間に埋められていない深い溝があると感じる。

 これまで求職者の支援活動などを通して、仕事を求める人たちの現場に接してきた一人としての実感は、日本の労働市場は一般の人々が想像する域を超えて悪化しており、失業率の比較だけでは到底理解できない深刻さがある。

 現実には、良質な雇用基盤が次第に浸食され、崩落の危機を迎えているといってもよい。とりわけ、質的劣化が目立つ。しかし、日本
の若者は他国のように抗議活動などで、問題を先鋭に社会に提示するほどのエネルギーを失っている。全体として無力感・脱力感がかなり浸透している。

 問題の根源にはアメリカ、イギリスなどの実態が示しているように、彼らが求める良質な雇用機会が十分にないという共通点がある。一部のジャーナリストなどが、仕事がないと訴える若者に、より賢明にそして勤勉であれば、仕事の機会は多数あるはずだと強調しても、その域に到達するのは至難なことだ。高度な専門性とそれを支える広い視野が、今まで以上に必要になっていることは確かなのだが。

 授業料など高等教育を受けるための支出も増加している。大学を卒業しても、彼らが望むような仕事の機会が直ちにあるわけではない。多くの人々に厳しい試行錯誤の次元が待っている。

後手に回る政策
 日本の雇用政策を観察してきた一人の目から見ると、本来の「雇用」政策としてあるべき流れから逸脱し、ネガティブな流れへ傾斜しすぎていると感じる。失業者への失業給付、再訓練という受け皿の次元に力点が置かれ過ぎて、本来あるべき積極的な雇用創出という政策視点が感じられない。「産業」と「雇用」の次元を結びつける政策視点と連携がきわめて乏しい(関連記事)。

 「求職者支援制度」などの実態を見る限り、時代のニーズに対応できる職業再訓練の仕組みは、はなはだ脆弱だ。プログラムを作っても、実際に訓練に当たる人材も不足している。かくして、6ヶ月の給付期間は瞬く間に経過し、生活保護申請などの最後のネットへと脱落して行かざるをえない人々が増加している。本来、そこにいるべきでない、あるいは社会の基軸としてはるかに力強く生きているはずの若い人たちまでが、生産的な次元に戻る意欲を失っていることに、政府や政策立案者はもっと目を向けるべきだと思う。

 失業問題の先には「幸福とはなにか」という、このブログで以前から取り上げてきた哲学的課題までつながっている。来日されたブータン国王夫妻のお話に感銘を受けた人々も多いだろう(関連記事)。

 


真に創造的なプランを
  番組で有力な政策として提案されている「ワークシェアリング」にしても、その効果は限定的だ。失業率の高い国では、すでに雇用されている人々の間での「賃金シェアリング」に近い状況を生み、失業者の救済には効果が薄い。導入するには時宜を失した状態の国もある。

 良質な仕事の機会を増やす必要がある。そのためには経済成長が欠かせないし、新たな仕事の次元の構想が必要だ。より現実的な雇用創出の必要性が緊急の課題といえる。日本に限ったことではないが、「アウトソーシング」、「頭脳流出」などが進み、雇用機会が国内に生まれにくくなっている。昨今の日本のように円高が進行した環境では、経営者にとって国内での雇用創出はかなり困難かもしれない。

 しかし、資本のように簡単に海外へ移動できない労働者のことを考えるならば、国内の雇用基盤をしっかりと維持する努力が欠かせない。自分が生まれ育ちあるいは最も愛着を感じる地の近くに仕事の場が存在することが最も幸せではないだろうか(移民が生まれる動機のひとつは、それが欠けていることにある)。

 企業にその余裕がないとすれば、やはり政府の積極的な活動が欠かせない。雇用の創出者として東北に中央政府の3分の1くらいを移転するぐらいの覚悟で大転換が必要ではないか。被災地では住民のみならず、NPO、ヴォランティアなどを含めて多くの人々が日夜懸命な努力を続けている。だが、地域間の統一性に欠け、次第に息切れしてきた感がある。精神的な励ましも必要だが、実質的な雇用基盤の創出が最重要課題だ。雇用の創出の面からも、政府がもっと現場に近づく必要がある。

 「大阪都」の構想が話題になっている。なぜ、その前に「東北都」の構想がないのかと思わざるをえない。東北に「都」が生まれるとなれば、復興への大きな革新的支えになるだろう。いうまでもなく、そこでは被災者を中心とする民意の反映が必須であり、NPO、ヴォランティアや被災者自らが働き、仕事への対価を得る「キャッシュ・フォー・ワーク(CFW)」のような従来からの活動も正当な場所を与えられやすい。地域外へ避難・流出した被災者のみならず、多くの人々の新しい流れが生まれ、再生・復興の基盤がより確固なものとなるはずだ。「災い転じて福となす」機会は今しかない。「首都」がどこになるかは、そのはるか先の課題ではないかと思う。

 

コメント (2)
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