時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

逆[L字」の世界に生きる若い人たちへ

2013年10月17日 | 特別トピックス

 


世界の人口推移
UN Population Bureau



  これから記すことは、この秋の真夏日、猛暑で思考力が低下しての妄想の結果ではない。すでに1980年代、石油危機の後くらいから、折にふれて脳裏に浮かんでいたトピックスである。当時は誰も関心を寄せないような話だったが、いまや人類が直面する最大の問題となった。最近、ヨーロッパのジャーナリズムにも頻繁に登場しているテーマである

 1980年頃のある光景が目に浮かぶ。当時北京を訪れた筆者の視野は、驚くべき数の自転車(自動車ではない)で埋め尽くされていた。天安門広場付近も同じであった。そのほとんどは、今はほとんど見ることがなくなった人民服姿であった。朝の通勤時の交差点など、先を急ぐ人たちの怒号も混じって、恐ろしいほどの雑踏ぶりであった。歩道側に近い部分は自転車で埋まり、うっかり渡り損ねたら大変な騒ぎとなった。他方、通過予定時刻前から、厳重に交通規制をした大通りを党幹部の黒塗りの公用車が信号にかかわりなく傍若無人に疾走していた。自動車は特権階級、富裕層の持ち物であり、彼らの地位と権威を象徴していた。今日では、北京に限らず、自動車主体の光景に一変している。13億人の人口が生み出す力に、良い意味でも悪い意味でも、強い印象を受けてきた。


地球上に何人住めるか 

 さて、話は一口でいえば、地球上に住む人口の爆発的増加の問題であり、それがもたらす深刻な問題である。それ自体はこれまでさまざまな形で取り上げられてきた。最近目にしたある記事によると、1950年の世界の人口は25億人だった。ジョン・ブランナーというイギリスの小説家が1968年に書いた記事では、当時の世界の人口は35億人。生活可能か否かなどの点を度外視して、ただ肩をすり合わせるような面積、たとえば一人当たり50センチメートル四方の空間に全人口を押し込めば?、文字通り立錐の余地がないような状況だが、アイルランドのマン島(572平方キロメートル)になんとか、詰め込めたという計算だった。

 ブランナーはさらに、2010年には世界の人口は70億人になるからもっと大きな島が必要になると考えた。東アフリカ沖のザンジバル(1,554平方キロメートル)くらいの島が必要になると予測した。この人口予測は実に正確で、その後の国連人口局の集計では2011年10月31日に地球の人口は70億人に達した(この転換時点、アメリカ人口局は2012年3月としているが大差はない)。

 地球上に住む人口は多すぎるのではないかという議論はすでにあり、たとえば2009年には、ヒラリー・クリントンの科学アドヴァイザーが、「多分、地球にはすでに支えきれないほどの多すぎる人口がいる」と述べている。しかし、人口ほど増加、減少などの変化をさせがたいものはない(日本のように政策が機能せず反転増加しない国もあれば、中国のように一人っ子政策の転換を迫られ、さらに増加しそうな国もある)。このままでは2050年には、国連は93億人以上になると推定している。100億人に近くなるとの説もある。2100年にはほぼ確実に100億人の線に達するだろう。今度はハワイのマウイ島の規模が必要になるといわれるが、世界の全人口をこの島に押し込めても、問題はなにも解決しない。

問題の根源は
 今日、地球上に起きている多くの問題、地球温暖化、大気汚染、水不足、エネルギー・食料不足、農地不足、都市過密、移民・難民、内戦、領土紛争、戦争など・・・。いずれの問題をとっても、人口に関連している。多くの科学者たちが主張するように、その因果関係をひとつひとつ実証することはきわめて難しい。しかし、人口増加と関連する負の側面のいくつかは、比較的容易に確認することもできる。たとえば、北京の近年の大気汚染は、明らかにこの国のモータリゼーションと工業化(特に石炭火力と家庭の石炭依存)に関連している。

 
さらに中国のように人口政策の一環に一人っ子政策を採用したりすると、そのゆがみを正すには、想像を絶する努力が必要になる。ある中国人の友人が、自分はいったい何人の両親、祖父母、親戚の看護・介護をしているのか! 疲労困憊、今後を考えると気が遠くなると述懐していた。さらに、中国ではひそかに進行している胎児の性別判定による出生児の淘汰で、2025年には20代男性は結婚しようにも配偶者になりうる女性が見つからないという事態が深刻化するといわれている。

地球人口100億人の時代に
 こうしたことを考えている時、ステファン・エモットという著者の『100億人』10 
BILLION という小著に出会った。200ページ足らずの本だが、その内容は書籍の体裁とはまったく異なり、内容はあまりに衝撃的で、とても重く、誰も支えきれないだろう。



 この本には何枚かの印象的なグラフが挿入されているが、いずれもある特徴を備えている。まず、すべては人口の爆発的増加から始まる。有史以前から2100年近くまでの世界の人口を、横軸に年次、縦軸に人口数を刻んでプロットすると、2000年近くまでは人口はほとんど横軸(X軸)にぴたり平行に沿って推移している。しかし、2000年頃からほとんど縦軸(Y軸)に沿って反転、垂直状になる。たとえてみると、英語の「L」字を左右に(水平に)裏返したような形状のグラフがプロットされる。このブログ管理人は「逆L字」形と名づけた。

 続いて出てくるグラフは、ほとんどが、時系列軸に沿って、この「逆L字」形か、急激な右上がりの形状になる。世界のエネルギーや水、石炭の消費量、大気温度の上昇、海水温の上昇、一酸化炭素の排出量、自動車累積生産台数、アジアの洪水量、生物個体の消滅数など・・・。ほとんどあらゆる問題が、人口増加とリンクして、爆発的に変化する。著者は複雑な現実をあえてきわめて単純化して簡明に指摘する。しばしばページのほとんどを白紙に残し、意図的に直截に問題を提起する。

 当然、科学者たちからはその論理の正当さに批判、疑問が提示される。確かにこのようなパンフレットほどの小著で、世界の帰趨を断定することは早計であり、危険だろう。しかし、彼らといえども、人口増とこれらのいくつかの変化、たとえば自動車普及台数の世界レベルでの急増、それらが生む排気ガスの驚くべき量などの間の因果関係を認めざるをえない。

 論旨の構成を複雑にし、命題のひとつひとつを立証しようとすれば、膨大で難解な科学論文になってしまう。著者エモットは、非科学的、粗雑な論旨展開との批判を覚悟の上で、あえて散文のような体裁で、問題を我々の前に突きつけたのだ。科学者たちが検討に値しないと一蹴するのはたやすい。しかし、根本的問題は解決されることなく先送りされ、事態は年ごとに深刻化する。

 人間はこれからどう対応すれば良いのか。食料生産を人口増に見合うように世界規模で短期に急増したり、人間の物欲を顕著に減少させる方法は見出されていない。この予測の著者エモットはイギリス、ケンブリッジにあるマイクロソフト・リサーチのコンピューター・サイエンス部門の統括者でオックスフォードの教授も兼ねているが、科学技術では地球は救えないと明言している。これは、ある意味できわめて恐ろしい断定だ。政治にも、宗教にも期待はできないとなると。もう時間はない。破局、カタストロフィは遠い日の話ではなくなった!

 そして言う、「この本はわれわれについて書いた。そして、あなたやあなたの子供たち、両親や友人などすべてについての本だ。われわれの失敗、個人としての失敗、企業の失敗、そして政治家たちの失敗について書いた。かつて人類が経験したことのない、地球の危機であり、それはわれわれ人間が作り出した。いうまでもなく、本書はわれわれの未来を語るものだ。」(このエモットの論説に同意できないならば、説得力のある反論が必要だ)。

 幸い、破局が来る前に消えることができる管理人は救われた感がある。しかし、これからの若い世代はどうするのか。もはや今までのような成り行き任せに過ごすわけには行かない。無為に過ごすほどに、苦難は増してくる。

 人類は破局から逃れる術を持っているのか。著者エモットは自分の信頼するひとりの理性的で、聡明な若い科学者に、直面する問題に唯一なさねばならないことがあるとすれば、なにかと問う。短く驚くべき答えが戻ってきた。

 


  その答えはあえてここには記さない。

 

 

 

 その回答を見た瞬間、誰もが言葉を失う。

 

 


 

 

 "A tale of three islands", The Economist October 22nd, 2011.

 Stephen Emmott, 10 Billion, Penguin Books, 2013.

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