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時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

経験より変化?

2008年01月05日 | 雑記帳の欄外

  アメリカ大統領選挙も熱気を帯びてきた。1月3日、アイオワ州での民主、共和両党の党員集会の結果を見る。民主党はオバマ上院議員、共和党はハッカビー前アーカンソー州知事がトップとなった。序盤ということはあるが、3ヶ月ほど前の下馬評とは大きく異なる結果だ。選挙は水物。キャッチフレーズとしては「経験」Experienceよりも「変化」Changeの方が、’フレッシュ’に響くことも確かだが。「改革」の評価は、ご存知の通り。

  共和党については、これから図抜けた有力候補のいないこともあって、いくつもの波乱がありそう。共和党候補はこちら側から見ていても誰もいまひとつ精彩がない。民主党は、エドワーズ上院議員を含めて、文字通り三つ巴の状態。誰が残っても不思議ではない。ただ、一時はかなり抜けていたヒラリー・クリントンには大きな衝撃だろう。やはりアメリカは若い国ではある。

  年末から年始にかけてのアメリカの友人からのメールやカードからは、ブッシュ大統領のレームダック状態は今が最悪、ブッシュが辞めれば後は良くなるという切羽詰った感じが伝わってくる。その気持ちは分からないわけではない。しかし、ブッシュがホワイトハウスを去ったからといって、アメリカの基盤がそう大きく変わるとも思えない。ブッシュを選んだのも彼ら国民なのだから。

  気になるのは新大統領が決まった後の日本である。オバマ、クリントン両候補の選挙メッセージ*を見ても、この国についての論及はまったくない。完全に忘れられたような存在感のなさである。

  新体制が動き出せば、それなりの対応は生まれるのだろうが。オバマ候補のハワイ州ホノルル生まれ、父はケニア人、母親はカンザス生まれの白人という家族的背景も一寸予想がつかない。クリントン候補のメッセージには、国連などの国際機関の働きに加えて、インド、オーストラリア、日本、アメリカの同盟でテロリズム、地球環境、エネルギー問題などへの対応に触れているが、内容はない。さすがに覇権を争う中国との協力はできないらしく、インドへの強い期待が述べられている。

  忘れられてしまった国といえば、新年、苦しい時の神頼み。福田総理も小沢代表も伊勢神宮詣でだった。 こちらも基盤は変わっていない。

*
References:
Barack Obama. "Renewing American Leadership." Foreign Affairs. July/August 2008.
Hillary rodham Clinton. "Security and Opportunity for the Twenty-first Century." Foreign Affairsl November/December 2007.

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新年のご挨拶

2008年01月01日 | 雑記帳の欄外

 

謹賀新年

 

 

*イメージは、友人E.R氏の力作「礼文島から望む利尻富士」

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新しい年へ力をもらう

2007年12月30日 | 雑記帳の欄外

  かつては送る方もひと仕事であったが、大きな楽しみでもあったクリスマスカードの数が激減してから10年近く経つだろうか。電子メールの普及が大きな理由だが、そればかりではない。世界中がそうしたことに時間を割く余裕を失ってしまったのだ。季節の賀詞からアドレスまですべて印刷されたカードに、せいぜいサインだけあるカードではダイレクト・メールとあまり変わらない。なんとか特別の感情を伝えようとすれば、一枚に要する時間もかなりのものになる。  

  こうした世の中の変化にもかかわらず、友人によっては、家族の動向などを「クリスマス・レター」などの名の下に知らせてくれることもある。これならば、同じ文章を印刷してカードに同封すればよいので、作業としては比較的楽ではある。最近は写真なども含めて、詳細な近況を知らせてくれる友人もある。手書きの温かみはないにしても、電子メールよりは印象も深く、はるかに親しみが伝わってくる。  

  今年のクリスマス・カードの中に、もう30年以上の付き合いになるカナダの友人からのものがあった。このブログでも記したことがある。この友人夫妻はすでに大学や病院などの職を退いて引退の身なのだが、まったく異なった分野ですばらしい仕事を続けている。夫は腰部に障害があり、すでに3回も大手術を受けて、歩行がほとんど困難だが、自宅そして地域の庭園や街路樹の充実に活躍している。今年は不自由な身体ながら、空路ロンドンへ行き、キューガーデンで1週間を過ごし、その成果を地域の美化のために活用したいと考えたようだ。手始めに町の公園の通りに、20年後に30メートル近くに成長するユリノキ(Liriondendron, tulip tree)の苗木を植樹したという。  

  さらに、驚いたことは、オンタリオの自宅から車で40分くらい離れた草原の中に建てられ、昨年まで祖母が住んでいた1世紀以上経った家屋をなんとか再生し、家族と地域の歴史的遺産として継承しようとの努力をしている。はるか遠くに美しい山並みが見えるだけで、360度、周囲には人家は見えない。どこが隣接地との区切りか分からないとのこと。「大草原の小さな家」である。草原の中の広大な林には、鹿、兎、穴熊、野生の七面鳥などもすんでいるという。この家族は今までこうした難事業をしっかりとこなしてきた。二人の息子と一人の娘は遠く離れた地に住んでいるが、休日などに戻ってきた時に、両親を助けて遠大な仕事を黙々とこなしているようだ。素晴らしいと思うのは、そこにいささかも気負った点がないことだ。さすがに父親は人力の限界を感じ、最近イタリア製のトラクターを購入したという。理想は、林の一部を花々と動物が楽しく共生する場
(フローラとファウナ)にしたいとのこと。

  すっかりひ弱になってしまったわれわれには想像がつかない仕事だ。ちなみにこの父親の祖父は、ロシアからの移民であった。厳しい開拓生活の中に育まれた強靭な精神力が彼らを支えているのだろうか。先が見えなくなったこの国の新年に向けて、少しばかり力を分けてもらった思いがした。 

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「三文オペラ」の世界

2007年10月26日 | 雑記帳の欄外
  たまたまこのブログでブレヒトから波及して話題としたのだが、タイミングよく新訳に基づき上演された「三文オペラ」を観る。冒頭で「三文オペラ」とは、いわば現代に移せば「7500円オペラ」(A席料金)だという掲示が出て笑わせる。

  演出は白井晃氏で手馴れた感じ。酒寄進一氏の新訳による。すでに岩波の岩淵達治訳を読んでいたので、酒寄訳は読んでいなかったが、シアターでは販売されていた。ふれこみでは、ブレヒトそしてクルト・ヴァイルの意図した音楽劇を目指すということで、どんなものに仕上がっているか期待していたが、全体の印象はかなりミュージカルに近い。ブレヒトが意図した音楽劇なるものは、当時の環境ではもっとゆっくりとした進行ではなかったかと思うが、どんな形で上演されたものか、見たことがないので分からない。以前見た文芸座公演もはっきりは覚えていないが、テンポはこれほどではなかったかと思う。今回の演出では、とにかくめまぐるしいほど進行が早い。現代という時代環境に合せているのだろう。

  電光掲示板など映像技術が巧みに駆使され、ストーリーを知らない観客にも分かりやすい配慮がなされていた。舞台もシンプルながら4階まで使った重層的な組み立てで楽しめた。

  原作当時(初演1928年)のベルリン「黄金の20年代」の雰囲気とは当然遠い今日ではある。ブレヒトの原作自体がイギリスを念頭に置いているとはいえ、時代確定はできない設定になっているので、もともと時代を超える汎用性が仕組まれていた作品なのだろう。

  舞台設定を日本を含めたアジア的な都市をイメージするとの演出者の意図は必ずしも伝わってこなかったが、現代日本の問題を風刺するような台詞もあった。 原作での戴冠式の恩赦は、総督の就任パレードになっていて、もうひとつ迫力を欠いた。アジアのある都市という雰囲気も薄く、やや無国籍的な設定になってしまったのは惜しい感じだった。皇太子ご成婚くらいで現代日本にすっかり移し替えた方が一貫性があって良かったような気がする。

  とはいっても、エンターメント性はかなりあったといえよう。客席と俳優が近い感じで、「ブラボー」の声も聞かれた。途中の幕間も短く、進行のテンポが速いので、観客はストーリー展開に没頭できる。細かな点で色々と工夫がなされていたが、なんといっても大団円にいたる最後の場面の組み立てだろう。それまでやや盛り上がりの欠けた展開が引き締まった感じであった。回を重ねるごとに、役者の演技もこなれて熟成してゆくだろう。予想以上に軽い印象ではあったが、久しぶりに時間を忘れ楽しめた空間であった。
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人の温かみを感じる里

2007年10月08日 | 雑記帳の欄外

「紙の里」工房室内    Photo Y.Kuwahara 

  このところ小さな旅が続く。中秋のある日、とある縁で越前市(武生)に出かける。折しも「こしの都1500年大祭」と銘打った大きなイヴェントが開催されていた。今から1500年ほど前、男大迹皇子(後の継体天皇)が、この地におられたとのこと。継体大王潜竜(しばらく帝位に上らず、避けている人の意)の地と称されている。

  さらに、この地は百済の頃から朝鮮半島との交流も大変盛んであったようだ。かの国から移され、受け継がれたさまざまな文化遺産が蓄積されている。残念ながら、その事実はこれまであまり地域の外では知られていない。というのも、こうした継承遺産の多くは、山里深く埋もれてきたからだ。

  そのひとつを訪れる。JR武生の駅から車で30分くらい、2005 年の市町村合併で越前市になった今立町に、越前和紙の製法を今に伝える「和紙の里」と名付けられた一角がある。ここには、1500年くらい前のころ、村人に紙漉きの技術を教えた女神、川上御前を紙祖神として祀る全国唯一の神社岡太神社、大瀧神社がある。神社自体が深く美しい山里の中に抱かれている。

  この大瀧神社で伝統文化交流祭と題して、漆黒の闇があたりを支配する中で、ひとつのイヴェントがあった。都会と違い、この地までくると、夜は闇なのだという実感がする。

 説明によると、大瀧神社は推古天皇の頃にはじまり、養老3年(719)越の大徳として知られた泰澄大師が大滝寺を建立し、国常立尊と伊弉諾尊の2座を祭神とし、十一面観音をその本地仏とする神仏習合の歴史を持っている。現在の社殿は天保14年に建てられたものだが、昭和59年(1984)重要文化財に指定されていいる。

  この社殿を舞台として、主として日韓の舞踊、聖楽、雅楽、越前万歳、韓国芸能などが演じられた。素晴らしかったのは、その背景である美しい木々と社殿をいわばスクリーンとして「デジタル掛け軸」なる絶妙な現代の映像技術(デジタル・アート)*が披露されたことであった。幸い晴天に恵まれ、観客はこの幻想的で、しかもきわめて未来的でもある演出に魅了され尽くした。この素晴らしさは、実際に体験していただく以外にはないだろう。

  さらに感動を付け加えてくれたのは、この里の人々の心の温かさであった。昼間の交流でも、地域に生きている人たちの連帯や人間らしさに触れた。イヴェントの観客や運営に当たる人々は、ほとんどが地域の人たちであった。それぞれの役割を通して、自分が日々暮らす場所を愛する熱い思いが伝わってくる。

  夜も更けて、街灯も少なく、足下が見えないほどの山道の参道には、地元の小学生などがひとつひとつ絵を描いて作り、蝋燭を灯した灯篭が置かれていた。それでも都会の光で弱くなった目にはほとんど闇の中を、おぼつかない足で行事のために迂回路に設置されたバス停まで戻ろうとしたところ、道を教えてくれた町の職員の人が、わざわざ数百メートルを先導して、尋ねた場所まで案内してくれ、最終バスの時間まで調べてくれた。そして、この人はまた急ぎ足で先ほどの神社へと闇の彼方へ戻っていった。

 

* D-K DEGITAL-KAKEJIKU (長谷川 章氏作品)

 

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春に備えて?

2007年10月02日 | 雑記帳の欄外

「フローラ」の偉大な力 

  レンブラントの「フローラ」(花と春の女神)で思い出したわけでもないが、このところ毎年の行事になっている小さな作業をする。猫の額ほどの庭に、チューリップの球根を植えるだけのことである。もとはといえば、かつてイギリスで家を借りて住んだ時に、隣家の退役軍人夫妻からガーデニング技術?のひとつとして教えてもらったことから始まった。ガーデニング好きな夫妻の植物についての知識は深く、季節の折々に色々と教えてもらった。ケンブリッジ郊外の小さな村落であったが、家ごとにそれぞれの季節にふさわしい花が咲くよう、工夫を凝らしていた。 

  
教えられて、郊外の巨大スーパー・マーケットTESCOが経営する園芸用のDIY店へ出向いた。日本の狭い敷地に詰め込んだスーパーを見慣れていたので、TESCOの体育館のような巨大さには驚かされた。園芸用品も耕運機、散水機から花壇用の煉瓦、置物、草花の苗、種、球根など、ガーデニングに必要なほとんどすべてのものを扱っていた。 チューリップは、栽培が楽だからお勧めとの隣人のアドヴァイスで、1箱に50個くらい球根が入ったものを2箱購入した。球根も驚くほどの種類があり、ラベルを見ながら好みの色や花の形状を選ぶ。さすがにオランダ産のものが圧倒的に多い。品種改良が進み、花の色や形状も数多く選択に困るほどだった。チューリップ・バブルのことを思い出す。この花は全般に赤とか黄色などの鮮やかな色が人気があるようだ。 

  イギリスの土地は地味があまり良くなく、土も固く掘るのに苦労した。20センチくらいの深さの溝に掘り下げ、適当な間隔で球根を埋め込んで行く。後は水をまいておくだけのことだった。それでも自然の摂理は素晴らしく4月になると一斉に芽を出し、急速に成長して美しく花開いた。 

  チューリップといえば、やはりオランダである。ある年、オランダに招いてくれた友人のJSさんが、休日にクーケンホフKeukenhof公園へドライブに誘ってくれた。ロッテルダムからの風車や運河を眺めながらの快適なドライブだった。この公園は世界一美しい公園とPRしているが、確かに3月末から5月にかけてのチューリップの開花期は素晴らしい。日本のお花見のオランダ版となる。  

  この自然の摂理は、遠く離れた日本でも変わることなく働いていることを知った。イギリスやオランダのような品種選択の余地は少なかったが、前年の秋に埋め込んだ球根は、春になると不思議に思えるほど同じ時期に芽を出し開花して、目を楽しませてくれた。チューリップは開花するとあまり寿命は長くはないが、鮮やかな色でシンボリックに春の到来を告げる。日本の桜はもちろん美しいが、それとは別にこうした草花が芽を出し、春を告げる自然の仕組みの絶妙さに魅せられて、毎年楽しみな仕事となった。小さな球根が、冬の厳しさにじっと耐えて待ちかねていたように開花する生命力の強さに驚かされる。フローラの力はやはり素晴らしい。

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10時間の芝居:「ヴァレンシュタイン」

2007年08月29日 | 雑記帳の欄外

 

 

  今日の劇場で、上演時間が長い演劇というのは、どのくらいなのか、寡聞にして知らない。テレビの連続ドラマなどは別にして、普通の劇場を舞台として上演される演劇は多分長くて数時間が限度ではないかと思っていた。

 ところが、2000年にドイツのハノーヴァー・エクスポで上演されたゲーテの『ファウスト』は2部作で、なんと21時間をかけたという*。その結果については、これこそ『ファウスト』の決定版という評と、細部にこだわりすぎ平凡で想像力に欠け、退屈だったとの評に二分したらしい。 実際に見たわけではないが、なんとなく分かる気がする。

 驚いたことは、ドイツには、こうした長大な劇作を好んで演じている劇作家、役者がいることだ。一時はドイツ演劇界の長老ともいわれたピーター・スタインPeter Stein という70歳近い役者がその象徴だ。ふだんはイタリア、トスカナの農家に、妻であり、女優でもあるマッダレーナ・クリッパと暮らしていて、ここをプロダクションの本拠としてさまざまな演劇上の発信をしている。

  このスタインが今夏からベルリンの南東にある醸造工場を改造した劇場で**、あのフリードリッヒ・シラーの「ヴァレンシュタイン」を三部作として公演し始めた。なんと1回の上演に10時間を要するとのこと。

 もうひとつ驚いたのは、現代ドイツでいまだヴァレンシュタインが一大演劇として企画され、それを期待する観客がかなりいることであった。やはりシラーの偉大さなのだろうか。

 少なくも日本では17世紀の30年戦争のことなど、西洋史の研究者(そしてこの「変なブログ」の筆者)でもなければ、ほとんど関心がないのではと思ってしまうが。どの国にも国民的史劇が継承される素地が残っているのだろう。

 他方、30年戦争は少し踏み込んでみると、大変奥深い。そして今日のイラン、イラクなどに起きている現実とほとんど重なるような迫真力を持っている。これらの地域の実態は、17世紀の30年戦争当時とほとんど変わらないほど悲惨で深刻だ***。

  今回ピーター・スタインがとりあげたヴァレンスタインは、ボヘミアの傭兵隊長から身を起こして、カソリックの皇帝フェルディナンドII世ともに30年戦争を戦う。一度は解任されるが、皇帝の懇請により、再び司令官の座につき、強大な力を発揮する。これが第一部である。そして第二部と三部は、オクタヴィオ・ピッコロミーニ元帥の皇帝への傾倒、彼の息子マックスのヴァレンスタインの娘テクラへの愛、そして最後にヴァレンスタインがプロテスタントの希求するものを受け入れた後、暗殺されるまでを描くという。

 「ヴァレンスタイン」は1960年代には国民的に人気があった。しかし、60年代末頃には関心も大きく薄れたという。プロシャのミリタリズムとの連想も生まれ、人気がなくなったらしい。その後上演されることはあってもきわめて簡約化されたもので、スタイン氏によると「中身の空虚な歴史劇」にすぎないという。やはりシラーの描いた史劇の世界を伝えるには、それなりの時間と空間が必要なのだろうか。今回の舞台装置や小道具も考証に時間をかけた、かなり大がかりなものらしい。

 今回のシナリオでは、ヴァレンスタインは自らの運命について決定する知力に満ちた指導者として描かれるようだ。政治を正しい方向に向けるために想いを巡らせ、試行し、破れ、自らのあり方にも疑いの念を抱く思索の深い将軍のイメージが提示されるという。主役のひとりには「メフィスト」や「アフリカを遠く離れて」などに出演し、カリスマ的光彩を放つオーストリアの男優クラウス・ブランダウアーの起用が決まった。

 スタイン自身はドイツ演劇界におけるアウトサイダーであることを強調するが、今回の試みは彼が依然この世界の魔術師であることを示しているとの評価もある。いずれにせよ、こうしてシラー、そして30年戦争が語り続けられていることに感銘を受けるとともに、こうした試みを受け入れるベルリンという都市の奥深さが伝わってきた。

 

*German theater: “Wallenstein” ‘If you like very long plays.’ The Economist August 25th 2007.

**
“Wallenstein” at the Kindlo-Brauerei, Berlin, 13 times between August 25th and October 7th.

***
'Iran: Islamic Republic of Fear.' The Economist August 25th-31st 2007.

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追悼ウルリッヒ・ミューエ

2007年07月26日 | 雑記帳の欄外
  

    このブログでとりあげたばかりだが、映画
「善き人のためのソナタ」(ドイツ語タイトルはDas Leben der anderen) で主役の東独国家情報機関シュタージのヴィスラー大尉役を演じたウルリッヒ・ミューエさんが7月22日亡くなった。ブログに書いたばかりのこともあって、言葉がない。哀悼の意を表するのみ。
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春の名残り:桜前線を追って

2007年04月28日 | 雑記帳の欄外


  今年は桜の開花の時期に国外にいたことなどもあって、あまり桜を見る機会がなかった。目の前に迫ったゴールデン・ウイーク、大混雑が始まる前に春の名残りを楽しみたいという思いが衝動的に高まった。ふと思いついたことは、すでにこの時期、日本列島のはるか北に行ってしまった桜前線を追いかけることだった。このブログ、追いかけることが多すぎる?

  幸い、天候に恵まれ、桜は七分咲き、さしたる交通混雑もなく見事な光景を楽しむことができた。M市の石割桜は地元TVが翌日の放映に備えて撮影中だった。予報を裏切る晴天で、花見時としてもベスト・タイミングだった。日頃、便利だが忙しくなるばかりで、新幹線なるものの恩恵を感じることはあまりないのだが、今回ばかりはその効用を感じることができた。


角館武家屋敷跡の桜

Photos: Y. Kuwahara
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漂流する座標軸

2007年04月17日 | 雑記帳の欄外

    ブログの世界も多少は見えてきたし、そろそろ閉店の時かなという思いもある。ブログの持つ限界を感じるとともに、他の手段では得られない効用もあることも分かってきた。スタートした時は五里夢中。脳細胞の劣化防止にもなるかと、若い友人のお勧めに軽率に乗って、見よう見まねで始めてみた。しかし、中身は最初から自己流だったし、どんなことになるのかは皆目見当がつかなかった。

  他方、このブログを訪れてくださる人々の中に、方向がだんだん見えてきましたよと、好意的に評価してくださる方も出てきた。大変有り難いことではあるが、書いている本人には依然として行方定まらぬ旅をしているように思われる。

  当初はあまり意識してはいなかったが、どうも白紙の上に色のついた「まち針」(カラー・ポイント)を刺しているような作業に似ていると思うようになった。茫漠とした人生の記憶の中から、浮かび上がったものをそのかぎりで掬い取り、針で留めておくようなことをしているらしい。

  浮かび上がったテーマは、他よりは多少記憶が濃密なことが多く、関連して書き始めるとかなりの量にはなる。自分でもとりとめのないことを記していると思うのだが、針が集中して打たれている領域が少しずつ増えている。まったく白紙だったところに、濃淡のある領域が生まれている。脳神経細胞の活動の反映でもあるようにみえる。

  寄り道が多かったり、よけいなことがくどくどと書かれているのは、メモ代わりの意味もある。ペンでメモを作るという作業が、次第に面倒になってくるのを埋め合わせるように書いてしまうからでもある。

  今一番困惑する質問は、座標軸はなにかと聞かれることである。

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完成しないジグソーパズル

2007年02月11日 | 雑記帳の欄外

 
    この「変なブログ」も、いつの間にか2年になる。ブログ世界の主流とは遠く離れた片隅で、きわめて個人的なメモ作りのようなことをしてきた。いわば「デジタル雑記帳」である。忘却という闇に深く埋もれてしまった記憶の切れ端をつなぎあわせるような試みである。とはいっても、なにか明確な意図や見通しらしいものを持って始めたことではない。一寸したはずみで軽率に始めたにすぎない。2,3ヶ月でやめることになるかもしれないと思っていたので、これまで続くとは思ってもいなかった。一日の暮らしの中で、ふと思い浮かんだことを、暇な時間が生まれた折に書き込んでいるだけである。他の仕事に時間をとられている時には、ブログの存在などすっかり忘れてしまっている。
 
  それでも、始めた時にはまったく予想しなかったようなことも起きている。もつれた糸が少しずつ解けてくるように、ひとつのことからいろいろなことが浮かび上がってくる。記憶の不思議に改めて驚く。すっかり忘れてしまっていた小さな事柄が、なにかのきっかけで浮かび上がってくる。死んでしまったと思っていた記憶細胞が、どこかで生き残っていたことを素直に喜ぶ。

     ここまで書いて、他の仕事があって中断していたところ、ブログを読んでくださった友人K氏から、ある医師から聞かれた話として、大略次のようなことを記したメールをいただいた。:
「どんなコンピューターでも容量は有限だが、脳というコンピューターだけはその容量は無限。学習を積み重ねることで、神経回路のネットワークを拡大強化し、連想性を高め、個性のあるコンピューターに育て上げることが出来る。記憶は、そのものが時間と共に失われることはない。ただ記憶を取り出しにくくなるに過ぎないのである。年をとっても脳の神経細胞には常に余裕があるが、その活性化は本人次第。」
  
  あまりにタイミングがよくて、私の思考経路が即時にK氏に伝わっていたような思いがした。これも不思議な気がしている。最後の一行には「耳も、頭も痛い」のだが。

  17世紀という400年近くも経過した世界が、一枚の絵画作品を介在してきわめて近い存在に感じられるようになってくる。自分がその時代に身を置いていたら、なにをしていたのだろうかと考える。人々はなにを支えに、どんなことを考えて日々を過ごしていたのだろうか。ロレーヌの人々はどんな顔をしていたのだろか。今も自然のままに残る深い森のつながり、その闇の中になにを見ていたのだろうか。

  このブログを訪れてくださった方は、現代と17世紀をどうしてごちゃまぜに取り上げるのかと思われるかもしれない。しかし、私にはあまり違和感がない。外国軍の侵入で暴行、殺戮が繰り返され、一時は焦土と化したロレーヌの状況は、今のイラクとどこが違うのだろうか。人々を恐怖と狂信に追い込んだペストなどの悪疫の流行は、鳥インフルエンザと重なってくる。人類は進歩しているなどとは到底思えない。

  フランスや神聖ローマ帝国など、大国の覇権の狭間で生きてきたロレーヌ公国の人々の生き様が迫ってくる。17世紀、ほとんど先が見えない不安な世の中で、人々は唯一確かなものに見えた利得を追い求め、争い、そして神にすがっていた。先を見通すについて、人々が頼りにしていたのは、町中その他で交わされる噂話や風の便りに伝わってくる他の世界の出来事であった。神は日常の中に見えていた。ラ・トゥールの世界である。そして、現代は「神が見えない時代」となった。

  紙の上ではなかなか実現できない時間や空間を超えての試行錯誤や疑似体験をインターネットの世界は、少しばかり可能にしてくれる。とはいっても、失われた記憶が、元のままに戻ってくるわけではない。「完成することがないジグソーパズル」をしているような感じもする。もしかすると、これが今日までなんとか続いている原因なのかもしれない。

  
  


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A Happy New Year

2007年01月03日 | 雑記帳の欄外



謹賀新年

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Season's Grettings

2006年12月24日 | 雑記帳の欄外

   SEASON'S
GREETINGS
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変なブログ(4)

2006年12月17日 | 雑記帳の欄外

  ブログを手探りで始めてから間もなく2年近くとなるが、当初想像していなかった現象に出会うことになった。

  日常生活の一寸した合間などに思い浮かべたことを、メモのように書いているだけのことなのだが、いくつか例外もある。いつの間にか、かなり書き込んでしまっていた17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのことである。多少マニアックなことは自覚しながらも、自分のどこかに沈殿している記憶があることに気づいた。書き始めてみると、あまりに多くのことが記憶されていたことに自分でも驚く。これまでの人生の過程で、ただランダムに取り込んだだけの断片的記憶が次々と浮かんでくる。思いつくままに書き出しているのだが、まだほんの入り口しか書いていないようで、かなり残っているような感じはする。しかし、自分の脳の「在庫管理」はまったくできていない。どんな材料が在庫の棚に置かれているのかさっぱり分からない。脳の仕組みには改めて驚く。

  不思議なことに、時々思いもかけないことで、ある記憶の断片と別の断片がつながることがある。まるで、新たな回線が記憶細胞の間に張られたような印象である。あの9.11の衝撃は、ウイリアム・スタイロンの『ソフィーの選択』に結びついていた。そして、そのつながりは、最近のスタイロンへの哀悼とともに、若い頃に読んだ作家の別の作品の記憶を呼び起こした。

  昨年、イギリスの書店でなんとなく取り上げて読んでみた『白い城』や『イスタンブール』の著者オルハン・パムクが、ノーベル文学賞受賞者となった。その後、かなりの人々から作品についての問い合わせがあったりした。単なる読者の一人であり、トルコ文学の専門家でもないので、これには面食らった。意外に日本では読まれていなかったらしい。

  こうした経験を通しておぼろげに見えてきたのは、書籍という媒体の果たす役割である。「書籍離れ」がいわれるようになって久しいが、読書を通して得た記憶は脳細胞への残存率が高いような気がする。読んだことはかなり覚えているのだ。他方、映像やネット上で得た知識は、その時の衝撃はかなりあるのだが、比較的残っていない。ほとんどその場かぎりで忘れてしまっているようだが、脳内構造がどうなっているのか、その仕組みは自分には分からない。

 

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変なブログ(3)

2006年09月23日 | 雑記帳の欄外

  ブログという得体の知れないものを始めてから、自分はなにをしているのだろうかと思うことがある。今ごろ、どうして妄言を書いているのかと。 

  このところ何人かの友人、知人が突然、世を去られてしまった。特に一緒に仕事をしたり、懇親の時を共有した人々の場合は衝撃が大きい。(「世間」は狭く、担任の教師まで同じであることが分かった)西洋中世史のA先生も、少し前にお会いした時、そろそろ店じまいを考えているとのお話をうかがい、まさかと思ったが、本当になってしまった。ただご冥福を祈るばかりである。

  愚鈍に生き残っている自分に改めて気づく。ブログなど書いている暇があったら身辺整理でもしたらと思わないわけではない。ただ、始めるまでは気づかなかったが、ブログというメディアには、これまで過ごした人生の記憶の断片収集や接着作業のような役割を果たしてくれる面もある。

  大体、1-2行のメモから書き始めると、とめどなく広がってしまいそうな場合が多い。記憶の仕組みの不思議さに改めて気づく。友人からは「長いなあ」といわれることもある。テーマもばらばらで「ひとりで書いているの」と疑われることもある。世のブログと比べると、冗漫で現代のスピードにも合っていない。
  
  ブログの長所、短所も分かってきた。この記事に書いているようなことは、ブログのようなメディアには向いていないと思うことが多い。パッチワークのようになって、収まりが悪い。時の経過と蓄積の効果に助けられて、多少熟するのを待つしかない。

  しかし、以前の堅苦しいホームページに戻る気もない。思いついた時に書き込めるという自由度はあるが、短かすぎればなんのことか理解できないし、長くなれば読む人に負担になってしまう。結果として、多くの記事は中途半端である。わざわざ読んでくださる方には不要な細事まで書き込んでいることもある。

  多少の効用があるとすれば、書いている間に新たな知識を得たり発想が生まれ、連鎖の糸のように拡大し、自分でも驚くことがある。この柔軟さと拡張の可能性は、インターネットの大きな恩恵であることは間違いない。

   こんなことを考えながら、この「変なブログ」はなんとか続いているが、いつまで続くのか、自分でもまったく分からない。 

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