時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ブレヒト、グリンメルスハウゼン、「善き人のためのソナタ」

2007年07月01日 | 書棚の片隅から

   かねて見たいと思っていた映画「善き人のためのソナタ」を見る。変化の激しい時代、公開から1年近く経った作品であり、時期としては旧聞になってしまう。しかし、作品自体は深い余韻の残る素晴らしいものだった。これも見たいと思っていた「ブラックブック」の方はハリウッド作品ということもあって、急に見る意欲が失せていた。両者ともにすでに映画評も多数出ており、いまさら新たな感想を付け加えることもないが、例のごとくいくつか失われていた記憶の糸がつながる思いをした。
  
  そのひとつ、映画「善き人のためのソナタ」では、20世紀を代表する劇作家・詩人のベルトルト・ブレヒトの詩集を、主役である東独のシュタージ(国家保安省:秘密情報組織)のヴィースラー大尉が、盗聴の相手である劇作家ドライマンのアパートからくすねてきて隠れ読むことが、ストーリーを形成するプロットのひとつになっていた。今回の記憶再生の糸の端は、そこにあった。

  映画を見ながら突然現れたブレヒトの詩集のことを考えていると、ふとあることを思い起こした。ブレヒトが日本でも知られている作品のひとつ、MUTTER COURAGE UND IHRE KINDER (邦訳:岩淵達治『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(文庫)岩波書店、2004年)の着想を、グリンメルスハウゼン Hans Jakob Christoffel von Grimmelshausen ie Lebensbeschreibung der Landstörzerin Courage(邦訳『放浪の女ぺてん師クラーシェ』中田美喜/訳、現代思潮社、1967年)から得ていたということである。

  この作品『放浪の女ぺてん師クラーシェ』は、主人公が男性である『冒険家ジンプリチシムス』(Der abenteuerliche Simplicissimusの女性版と考えられてきた。いずれもはるか昔に知ったことであり、完全に忘却の彼方へ消え失せたと思っていただけに突然妙な形でよみがえってきたのには、ただ驚くばかりだった(日常の生活で必要な時に人の名前や書名など、思い出せず切歯扼腕を繰り返しているのに。)

  ブレヒトはグリンメルスハウゼンから女主人公の名前と兵隊相手の食堂、そして背景としての30年戦争の荒廃した舞台装置を借りただけで、両者の脚本の展開はまったく異なっている。しかし、この記憶の断片のつながり方にはさらに不思議な思いをした。グリンメルスハウゼンの訳書は、これもかつてドイツ語を教えていただいた(そして若くして世を去られた)恩師が、青年時代に手がけられたものであったからだ。*

  ブレヒトの人生についてみると、劇作家、詩人として活躍したベルリン時代、ナチスの台頭、アメリカへの亡命、非米活動委員会(マッカシー委員会)喚問、東ベルリンへの移住と、彼の人生はそのまま世界の激動の最先端だった。イシャウッドの人生イメージ
と重なる所も多い。

   個人的経験としては、まだ「壁」の残る時代、西ベルリンでの会議のために出張した時に訪れた東ベルリンのイメージ(当時、日本からのアエロフロート直行便は東ベルリンへ着いた)、そしてこれも仕事で訪れたチャウシェスク政権下のルーマニア、ブカレストの暗い闇と小さな凱旋門、なんとなく背筋が寒くなった壮大な文化宮殿などの断片が頭をよぎった。そして、最近テレビで見る平壌の寒々とした光景が重なってきた。小さな体験ながら、自分も20世紀の片隅を生きてきたのだとの思いがいつか深まってきた。



* グリンメルスハウゼン、ジンプリチシムスに関する評価、そしてバロック小説の的確な展望が、恩師遺文集(1991年)に収められている。この不思議な縁の糸に驚くとともに、改めて学恩に深く感謝申し上げたい。

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