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時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

「肝っ玉おっ母とその子供たち」再読

2007年07月21日 | 書棚の片隅から
Jacques Callot. La marche de bohemiens.


  先日のブログでブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子供たち』について言及したが、改めてこの作品についても少し記しておきたいと思った。シラーの『30年戦争史』『ヴァレンシュタイン』などの壮大な史劇は、今読んでみてもそれなりに印象的ではある。しかし、なんとなく空白な部分があることを感じる。自分たちにはまったく関係のない宗教・政治戦争の底辺で、さまざまな苦難に日々直面していた民衆や農民の姿に視点を置いた作品も読んでみたいと思った。グリンメルハウゼンやヘルマン・ロンスを取り上げたのもそのためである。  

  ブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子供たち』*は、30年戦争の年代記というジャンルで作られている。「訳注」によると、ブレヒトは「年代記」をエリザベス朝演劇の「史劇」(history)に近いジャンルと説明している。  

  すでに記したように、ブレヒトはグリンメルスハウゼンの『女ぺてん師クラーシェ』からアイディアを得て、この作品を創作した。とりわけ主人公は、「肝っ玉」(クーラージュ)という名前まで借用している。グリンメルスハウゼンのクラーシェも軍隊の酒保(軍隊の営内にあった日用品・飲食物の売店)付きの女商人だったこともあるが、大体は娼婦として過ごした。  

  ブレヒトのこの作品にとりたてて大きな方向性を持った筋書きがあるわけではない。しかし、主人公を中心に展開する社会の最底辺における庶民の生き様を通してブレヒトが描いたものは、30年戦争という理不尽とさまざまな暴虐に対する反戦劇である。  

  この『肝っ玉おっ母とその子供たち』は、岩淵達治氏の素晴らしい翻訳に加えて、詳細な「訳注」、「解説」、さらに「ブレヒト略年譜」までつけられていて、ブレヒトとこの作品について、読者はこれ以上ないほどのサポートを得ながら読み続けることができる。もちろん、ブレヒトの原著を読みこなすことのできる読者ならば、解説なしに、この素晴らしい作品に接することはできよう。しかし、時代背景も異なり、作品の隅々に秘められた作者の仕掛けや含意を原文から類推、理解できる読者は寂寥たるものである。おそらくドイツ語圏の読者でもそうではないか。  

  翻訳文化が華やかな日本において、翻訳書はプラス・マイナス両面を持っている。最初、翻訳書に接し、後に原著を開いてみて、そこに存在する少なからぬ間隙や違和感に気づかされることもある。さらに、翻訳書に付けられた「解説」や「あとがき」の浅薄さに、あぜんとさせられることも少なくない。  

  しかし、本書で岩淵達治氏の名訳に付された「訳注」「解説」「ブレヒト年譜」に接した読者は、その誠実で正確きわまりない内容に、絶大な感謝の念を抱くのではないか。恐らくドイツ語のよほどの達人であり、しかもブレヒトについての深い学識を持たれる僅少の人々を例外として、読者は本書から単なる翻訳書というイメージをはるかに超える多くの恩恵を享受することができるだろう。
  
  グリンメルスハウゼンの作品が、17世紀の30年戦争という時代を扱いながら、現代への深いつながりを感じさせるのは、ブレヒトのこの作品を貫いている「平和は、戦争という<引き立て役>がコントラストとして存在しないと存在し得ないのだろうか」(本書解説p217)という根源的な問いかけである。


 Bertolt Brecht. Mutter Courage und Ihre Kinder, 1949(岩淵達治訳『肝っ玉おっ母とその子供たち』岩波書店2004年)
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「放浪の女ぺてん師クラーシェ」:30年戦争小説を読む

2007年07月11日 | 書棚の片隅から


 戦争は人類の業病なのだろうか。人類の歴史は戦争の歴史の様相すら呈している。とりわけ宗教がからんだ戦争は紛糾、混迷し、しばしば泥沼状態となり解決が難しい。17世紀、ヨーロッパの歴史を大きく揺り動かした宗教戦争としての30年戦争も、実態は歴史家の間でも意外に分からない部分が多いようだ。

  このブログでも取り上げたシラーの
『30年戦史』にしても、戦史として最高司令官レヴェルの戦争にかかわる戦略や背景、そしてシラーの歴史観は知り得ても、現実に戦争の舞台となり、自国および他国の軍隊が蹂躙する戦場となった地域の人々が経験した苦難の実態については、ほとんど記されていない。情報伝達・収集が体系的には出来ない時代であり、人々の風評などがかなり大きな意味を持ったのだろう。しかし、30年戦争についても、最近新たな史料の調査、分析なども進んで、かなり興味ある事実が分かってきたようだ(この点は別の機会に改めて触れることにしたい)。

  30年戦争は、戦場の主たる地域がライン川から東の現在のドイツ、東欧であったこともあり、戦史ではこのブログでしばしば話題とするロレーヌなどはあまり登場してこない。しかし、ジャック・カロの『戦争の惨禍』(1633年)などが伝えているように、この地が経験した戦争の実態は、陰惨きわまりないものだった。

 ふとしたことから思い出すことになった
グリンメルスハウゼンの『放浪の女ぺてん師クラーシェ』は、30年戦争を舞台とするもうひとつの小説である。主人公(語り手)は、クラーシェという女性である。この作品は 『ジンプリチシムス』 (邦訳『阿呆物語』)と対になる続編といわれ、ジンプリチシムスもクラーシェの愛人として後段で登場してくるが、二つのストーリーの間に特に明瞭な関連性はない。 

  ストーリーは、後年クラーシェと呼ばれるようになるリブシュカという若い女性が主人公である。リブシュカはなにひとつ不足ない幸せな人生のスタートを切ったかに見えたが、30年戦争に巻き込まれ、否応なしに流転する戦争の渦中へ巻き込まれていく。それにもかかわらず、クラーシェは1645年のウエストファーリア条約にいたるまで、当時の荒廃したヨーロッパ社会をありきたりの道徳など放り出して、したたかに、奔放に生き抜いた一人の女性として描かれている。

 数少ない30年戦争小説としてブログに記した
Warwolf も、戦争の知られざる側面を描いた作品として、同じ流れに位置づけられる。傭兵の軍隊や窃盗団などの侵攻で、精魂込めて開拓した自分たちの土地や村を根こそぎ蹂躙をされるにもかかわらず、めげることなく気を取り直し、自らの力で防衛しようと、団結して戦う農民像が描かれているが、そこには「喰われるなら喰う」というすさまじい生き様が描かれている。

  妻や子供あるいは仲間が、ある日突然何の理由もなく襲われ、殺傷され、農作物や家畜その他、なけなしの家財も根こそぎ奪われるという非道きわまりない世界を生きていた人たちにとっては、虫けらのように殺されるよりは力で対抗するという選択をするのは当然のことかもしれない。村に自分たちの力で保塁を作り、自衛を図る。

 しかし、自衛組織を持ち、被害を多少とも阻止できた場合は、きわめて稀であった。多くは暴虐の嵐が吹き荒れる間、ひたすら辛酸を耐え忍んで嵐が遠のくのを待っていた。しかし、ひとつの村や町が無謀な略奪、殺戮の前に全滅する場合が多かった。 

  このような時代背景の中で生きる女性は、男性とはおよそ比較しえない悲惨な状況であった。しかし、クラーシェはそうしたイメージと遠く、したたかである。彼女が経験する現実はそのいずれもが、苦難そのものである。そして、荒涼、陰鬱な舞台へ放り出された彼女が選ぶことは、当時の倫理からしても、すべて悪の行為である。しかし、クラーシェは、その名の原義通り「芯が強く」、女性ながら常に明朗、奔放さを失うことなく、強く生きていく(劇作家ブレヒトが発想を得たのは、クラーシェのこのたくましさの部分である)。

  安楽に一生を暮らせる身分であったにもかかわらず、戦争のため生まれ故郷を離れて、ヨーロッパ各地を転戦する軍隊とともに流浪の人生を送る。その途上、何度結婚しても夫や愛人は次々と戦死し、財産はたちまち消えてしまう。次々と襲いかかる不運と非常な運命の中で生きた美貌のクラーシェには、娼婦、泥棒、漂泊者という厳しい生活しか残されていない。次第に性的魅力と狡猾さを身につけ、それらを武器にして、したたかに生きていく。しかし、全編を通して、悲惨、堕落、破滅といった構図ではなく、苦難にめげず強靭に明るさを失わずに生きた女性として描かれている。

  作品の結末でも大方の読者の予想する零落、堕落、破滅という姿ではなく、乱世をそのままに受け取り、活路を見出そうとする。最後はジプシーの集団に身をゆだね、ヨーロッパ全土を流浪・漂泊の旅を続ける。最後の章では、ロレーヌにおいて、村人たちから巧みに食料などを盗み出し、ジプシーたちが知り尽くしている深い森の中へと身を隠し、漂泊の旅を続ける。

  ラ・トゥールの作品に描かれているジプシーの女たちの
占い師やこそ泥
などの行為も、当時のヨーロッパ社会に一般に根付いていた風評や見聞が背後にあるのだろう。これらの絵画作品を正しく理解するには、時代背景についてのかなりの蓄積が必要と思われる。

   17世紀、30年戦争という宗教・政治戦争が一般民衆にとっていかなるものであり、かれらが生き抜いた風土がいかに厳しいものであったか、グリンメルスハウゼンの小説は、時代を超えてその一端を語り伝えている。大変な人気を博したのは、ストーリーが当時の実態を取り込んでいたためだろう。手ごろな長さの小説であり、17世紀前半、ひとつの時代規範の範囲にうまく収められている。 ピカレスク・ロマンの体裁をとり、主人公は改心することもなく、人生の苦難に屈することなく、最後まで強靭に生きて行く女性である。

  主人公の生き方には、いかなる意味でも賞賛されるべき点はない。しかし、クラーシェは自らの選択できる範囲で最大限に生きた。本書も決して悪徳の勧めではない。ひとたびこの世に生を受けた人間が、いかにその人生をまっとうするか。現代にも通じる多くの材料がある。そこには後のドイツ教養小説につながる源流のようなものすら感じられる。『ジンプリチシムス』は、発刊された1668年当時、すでに‘ベスト・セラー’であったという。


ヨハン・グリンメルスハウセン(中田美喜訳)『放浪の女ぺてん師クラーシェ』現代思潮社、1967年 

Johann Grimmelshausen. The Life of Courage: The notorious Thief, Whore and Vagabond, Translated by Mike Mitchell. Cambs:Dedalus, 2001, pp.175.

Grimmelshausen, Hans Jacob Christoffel von, Simplicianische Schriften. Courage, Wissenschaftliche Buchgesellschaft (1965, Darmstadt). 

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ブレヒト、グリンメルスハウゼン、「善き人のためのソナタ」

2007年07月01日 | 書棚の片隅から

   かねて見たいと思っていた映画「善き人のためのソナタ」を見る。変化の激しい時代、公開から1年近く経った作品であり、時期としては旧聞になってしまう。しかし、作品自体は深い余韻の残る素晴らしいものだった。これも見たいと思っていた「ブラックブック」の方はハリウッド作品ということもあって、急に見る意欲が失せていた。両者ともにすでに映画評も多数出ており、いまさら新たな感想を付け加えることもないが、例のごとくいくつか失われていた記憶の糸がつながる思いをした。
  
  そのひとつ、映画「善き人のためのソナタ」では、20世紀を代表する劇作家・詩人のベルトルト・ブレヒトの詩集を、主役である東独のシュタージ(国家保安省:秘密情報組織)のヴィースラー大尉が、盗聴の相手である劇作家ドライマンのアパートからくすねてきて隠れ読むことが、ストーリーを形成するプロットのひとつになっていた。今回の記憶再生の糸の端は、そこにあった。

  映画を見ながら突然現れたブレヒトの詩集のことを考えていると、ふとあることを思い起こした。ブレヒトが日本でも知られている作品のひとつ、MUTTER COURAGE UND IHRE KINDER (邦訳:岩淵達治『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(文庫)岩波書店、2004年)の着想を、グリンメルスハウゼン Hans Jakob Christoffel von Grimmelshausen ie Lebensbeschreibung der Landstörzerin Courage(邦訳『放浪の女ぺてん師クラーシェ』中田美喜/訳、現代思潮社、1967年)から得ていたということである。

  この作品『放浪の女ぺてん師クラーシェ』は、主人公が男性である『冒険家ジンプリチシムス』(Der abenteuerliche Simplicissimusの女性版と考えられてきた。いずれもはるか昔に知ったことであり、完全に忘却の彼方へ消え失せたと思っていただけに突然妙な形でよみがえってきたのには、ただ驚くばかりだった(日常の生活で必要な時に人の名前や書名など、思い出せず切歯扼腕を繰り返しているのに。)

  ブレヒトはグリンメルスハウゼンから女主人公の名前と兵隊相手の食堂、そして背景としての30年戦争の荒廃した舞台装置を借りただけで、両者の脚本の展開はまったく異なっている。しかし、この記憶の断片のつながり方にはさらに不思議な思いをした。グリンメルスハウゼンの訳書は、これもかつてドイツ語を教えていただいた(そして若くして世を去られた)恩師が、青年時代に手がけられたものであったからだ。*

  ブレヒトの人生についてみると、劇作家、詩人として活躍したベルリン時代、ナチスの台頭、アメリカへの亡命、非米活動委員会(マッカシー委員会)喚問、東ベルリンへの移住と、彼の人生はそのまま世界の激動の最先端だった。イシャウッドの人生イメージ
と重なる所も多い。

   個人的経験としては、まだ「壁」の残る時代、西ベルリンでの会議のために出張した時に訪れた東ベルリンのイメージ(当時、日本からのアエロフロート直行便は東ベルリンへ着いた)、そしてこれも仕事で訪れたチャウシェスク政権下のルーマニア、ブカレストの暗い闇と小さな凱旋門、なんとなく背筋が寒くなった壮大な文化宮殿などの断片が頭をよぎった。そして、最近テレビで見る平壌の寒々とした光景が重なってきた。小さな体験ながら、自分も20世紀の片隅を生きてきたのだとの思いがいつか深まってきた。



* グリンメルスハウゼン、ジンプリチシムスに関する評価、そしてバロック小説の的確な展望が、恩師遺文集(1991年)に収められている。この不思議な縁の糸に驚くとともに、改めて学恩に深く感謝申し上げたい。

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苛酷な時代を生きた人々:17世紀農民の小説

2007年06月20日 | 書棚の片隅から

 30年戦争という名の戦争は、1618年に始まり1648年まで、地理的には現在のドイツに相当する中欧を主たる戦場として展開した。しかし、そればかりでなくアルザス・ロレーヌなど、ドイツ・フランスの国境地帯などへも拡大し、これらの地域も激しい戦場となった。このブログでもしばしば取り上げているカロやラ・トゥールの生涯も、この戦争で大きく揺り動かされた。 17世紀のヨーロッパの方向を定めた重要な意味を持つ政治的・宗教的戦争である。 

 宗教改革を背景とするカトリックとプロテスタントという新旧両派の軍事的衝突でもあり、ヨーロッパの宗教界は大激震を受けた。この戦争で、ドイツを中心とする地域は外国軍の度重なる侵略によって、荒廃、衰亡し、その後の回復に大きな遅れをとった。戦死者だけでも少なくも1000万人を下らないといわれる。

  さらに、この戦争の大きな特徴として多くの傭兵がスエーデン、スペイン、フランス、オランダ、ドイツの皇帝領などの軍隊に参加した。彼らは軍隊としての訓練をほとんど受けておらず、ならず者の集団のようなもの多く、侵攻した町や村々で略奪、殺傷、暴行など暴虐のかぎりを尽くした。ヨーロッパが広範囲にわたり戦場となったことで、ペストなどの悪疫も軍隊によって運び込まれ、蔓延し、飢饉も広がった。  

  しかし、この戦争の実態がいかなるものであったかという点は、思いのほか解明されていないようだ。シラーの「30年戦争」もブログに記したように、この重要な戦争のほんの一部分しか語っていない。

    実際の戦争の有様、そしてなによりも度重なる戦争の舞台となった地域の人々がいかなる対応と生活をしていたのか。単に皇帝軍と新教軍との狭間で軍隊に蹂躙されるだけだったのだろうか。ラ・トゥールなどの場合は、戦火を避けて安全な地へ逃れる選択もできたようである。しかし、土地に縛られた農民や一般市民などはどうしていたのだろうか。17世紀ロレーヌの歴史書などを見ている間にいくつかの疑問が湧いてきた。  

  疑問に駆られるままに文献を見ていると、いくつかの興味ある作品に出会った。そのひとつを紹介してみよう。

Hermann Löns. The Warwolf: A Peasant Chronicle of the Thirty Year War, Translated by Kvinnesland. Yardley:Westholme, 2006.
  
 
  実は、今回手にしたこの版は、ドイツ語からの翻訳版であり、ドイツ語の原著は Der Wehrwolf, Eine Bauernchronik のタイトルで1910年に刊行されている。この書名、なんとなく記憶に残っていた。若い頃ドイツ語を教えていただいた恩師が、17世紀の大詩人・小説家グリンメルスハウゼンJohann Grimmelshausen)『ジンプリチシムス』Simplicissimusの研究を専門にされており、関連して30年戦争を含むこの時代の話をお聞きしたことがあった。その中で本書に言及されたのが、どこか頭の片隅に残っていた。実際に読む機会があるとは思わず、すっかり忘れていたが、思いがけないことで記憶がよみがえり、手にすることになった。  

  表題からすると、一見30年戦争の間におけるドイツの一農民の日記か記録のような印象である。ところが、実際に手にとってみて、その推測は裏切られた。記録の体裁をとった歴史小説だった。著者のHerman Lons (1866-1914)は自然描写に秀でた小説家、詩人として知られている。英語版の翻訳に当たったRobert Kvinneslandは、1955年ニューヨーク生まれだが、親たちはノルウエー系ドイツ移民らしい。そしてドイツ文学、歴史の研究者である。経歴その他から見て、この著作を翻訳するにきわめて適切な人物と思われる。  

  この歴史小説は、著者の地道な調査、研究の成果の上に、北ドイツの荒野の自営農民ハーム・ウルフ Harm Wulf の人生を描いている。隣人や自分の家族が略奪目的の軍に殺害されたのを目のあたりにして、自己防衛に立ち上がる。いかんともしがたい冷酷・無残な現実と自らの道徳心との間に挟まれ苦悩しながらも、隣人たちと力を併せて外部からの容赦ない侵略者に対抗する姿が描かれている。

  ウルフ自身は平和な生活を望みながらも、戦争という現実の前に、隣人の農民たちと共に砦を築き、妻子を守り、「殺すか、殺されるか」という現実の中で、強靭に生きていこうとする農民群像が展開する。強い独立心と自衛意識を持ったたくましい農民の姿がそこにある。  

  この時代、多くの農民や市民たちは暴虐無比な軍隊を前に為すすべもなかった。しかし、中には数少ないながらも、こうして強い意志をもって過酷な時代を生き抜いた人たちがいたことも事実であろう。淡々とした叙述ではあるが、いつの間にか読み通していた。ドイツでは原著は今でも一定の読者があり、読み続けられているという。現代も30年戦争の時代ほどではないにせよ、厳しい時代であることに違いはない。読後、なんとなく力を与えられたような一冊である。


Hermann Löns. The Warwolf: A Peasant Chronicle of the Thirty Year War, Translated by Kvinnesland. Yardley:Westholme, 2006.
本書の表紙(上掲)は、ドイツ語初版(1910年)と同じものが採用されている。

 

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意外に近い17世紀: シラー「30年戦史」を読む

2007年06月03日 | 書棚の片隅から

  17世紀のヨーロッパは、きわめて興味深い時代である。現代から遠く離れているようだが、きわめて近い感じもする。「危機の時代」としても知られるこの世紀は、「戦争の時代」でもあった。ヨーロッパに限っても小さな戦争まで含めると、戦火が途絶えた年はわずか4年にすぎなかった。ペストなどの悪疫の流行、(今日とは逆の)気候の寒冷化など異常気象の世紀でもあった。世紀後半には、スイスの湖やヴェネツィアの潟ラグーナが凍結した。今日の泥沼のイラク、パレスティナ情勢、地球温暖化、エイズや鳥インフルエンザの蔓延などを見ると、「人間の進歩」とはなにかと改めて考えさせられるほどよく似ている。

  そして、最後の宗教戦争ともいわれる30年戦争。手元に積んであるカロの画集などを見ていると、昔世界史の授業などで教わったことはかなり異なったイメージが浮かんできた。

  ちょうど「岩波文庫創刊80周年記念」として、シラー(シルレル)の名著『30年戦史』(第一部・第二部)*が復刊されたので読んでみた。文豪シラーが始めてイエナの大学で講義した時、たちまち学生の人気の的となった。押し寄せる学生の群に、大学街の人々が驚いて「なにごとですか」とたずねると、シラーの「30年戦史」を聴きに行くのだ。」と口々に答えて先を争って急いだという逸話が残っている(同訳書解説)**。当時は聴講者が教授に直接授業料を支払っていたらしいが、この講義は無料の公開講座だったようだ。

  シラーが執筆したのは1790-93年、訳書は1943年の出版だが、さすがに文体も古めかしく読みにくい。しかし、がまんして読み続け、第2部に入ると、かなりこなれてきて読みやすくなった。

  本書は、シラーの詩人と歴史家としての側面を渾然として融合した作品と評価されている。読んでみてやや意外だったのは、30年戦争のバランスのとれた戦史的叙述とはいいがたいことだ。戦場の硝煙を背景にした英雄を、歴史劇の舞台に雄雄しく描き出すことに重点が置かれている。

  訳者解説では本書の真髄は、「戦争の史実的客観的な記述に優れているよりというよりも、むしろ描写の詩的形成に大きな意義」にあり、「シルレルの雄渾な筆に成るところの史的解釈、次にシルレルの意志対義務の問題における道徳性の発芽にある」と記されている。  

  シラーのイメージする英雄像は、スエーデン王グスタフ・アードルフと皇帝軍の将ヴァレンシュタインの対決という形で描かれている。ヴァレンシュタイン(1583-1634)は、皇帝軍司令官として活躍した傭兵隊長で、新教陣営の軍隊を次々に破ったが、野心を疑われて皇帝に暗殺された。ちょうど30年戦争の半分くらいの時点である。シラーの関心は、二人の英雄が登場、活躍する段階に留まっており、ヴァレンシュタインが戦場から去った時点で興味を失ったようだ。その後は失速したようにあっさり書かれている。この意味でも、30年戦争に関するバランスのとれた戦史とはいいがたい。  

  シラーの意図は、英雄の詩劇化にあったのだろう。グスタフ・アードルフは新教を代表する自由のための闘争に殉ずる純潔、高貴な心情の持ち主として描かれ、ヴァレンシュタインは自己の栄達を図るために皇帝を利用し、新教を抑圧する専横、倣岸な将軍として描かれている。しかし、最終段階で皇帝に悪用された薄倖の臣と評価される。新教徒としてのシラーの心情が反映されている。

  結局、この作品はシラーの著作範疇では、『オランダ独立史』と並んで歴史書の範疇に含まれているが、壮大な歴史劇として読まれるべきもので、30年戦争の展開に忠実な史実的、戦史的記述は期待すべきではないのだろう。  

  それにしても、30年戦争の実態は必ずしも十分に研究されていないようだ。しばしば宗教戦争といわれるが、その性格はかなり複雑だった。外国軍が蹂躙、暴虐のかぎりを尽くしたロレーヌでも、シラーの描いた英雄像とは逆に、新教側のスエーデン軍、フランス軍の残酷さは、住民の恐怖の的だった。

  戦争自体も30年の間に、当初の宗教的性格からさまざまな勢力の権力闘争へと変化した。この時代のフランス王ルイ13世にしても、太陽王ルイ14世の影にすっかり隠れて、宰相リシリューの意のままになっている凡庸な王とされているが、近年の史料の再検討などでかなりの見直しが必要なようだ。歴史像の修正は時間がかかるが、いかなるイメージが生まれてくるか、楽しみではある。


* 
シルレル(渡辺格司訳)『30年戦史』第一部・第二部、岩波書店、2007年
原著は、Friedrich von Schiller. Geschichte des dreißigjährigen Krieges (1790)

** シラーのイエナ大学での『歴史学講義』の初日のことか
Was heißt und zu welchem Ende studiert man Universalgeschichte? (Antrittsvorlesung am 26. Mai 1789, 1790)

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真実と虚構の間

2007年05月08日 | 書棚の片隅から

  先日の旅では、思いがけないことからレンブラントへの連想が生まれた。そして同じ旅のつれづれに、新聞書評につられて読んだ1冊が、『ブラック ブック』*だった。これも偶然の一致ながら、舞台はオランダであった。ナチスとユダヤ人(ホロコースト)問題がテーマである。このジャンルの書籍はこれまでにもかなり読んだが、読後はほとんど例外なく、しばらく強制的な鬱状態へ追い込まれる。それでも読まずにはいられないので読んでしまう。

  この作品、フィクションとはいいながらも、背景の調査・考証に多大な時間を割き、かぎりなく事実に近いことを標榜している。その文句に引っ張られて、読む側も知らず知らず肩に力が入ってしまい、思わずのめりこむ。ストーリー自体が緊迫した展開で読み出したらやめられず、一気に読んでしまう。ハリウッドで映画化されただけに、ドラマティックな構成である。

  1944年、ナチス占領下のオランダ。美貌のユダヤ人歌手のラヘルが南部へ逃亡する途上で、ドイツ軍によって家族を殺されてしまう。レジスタンスに救われ、自らも運動に参加する。その後が敵味方の謀略、裏切り入り乱れてすさまじい展開となる。

  戦争を知らない世代が過半数になっている今日、この作品がひとつのサスペンス・ミステリーとして受け取られないよう祈るばかりである。戦争とは実際に体験することになれば、いかなることになるのか。TVゲームの発達などで、戦争がしばしば仮想の世界の出来事のように語られがちな状況で、映像の役割はきわめて大きい。今日もイラクでの自爆テロが伝えられているが、「殺戮の日常化」には言葉がない。映画では事実がかなり省略されていると記されているので、書籍を手にしたのだが、映画とどれだけの差異があるのかは見ていないので分からない。 

  さらに、ここに描かれたような歴史的状況があったとしても、現実と虚構の差は避けがたい。作者は「想像が介入する余地のない現実からきたものである」ことを強調するが、読者としては術中にはまってしまったかとも思う。「シンドラー・リスト」や「ヒトラー最後の12日間」とはかなり異なった読後感だった。
今回はいつも経験する鬱症状にはあまり悩まされずに済みそうだ。

 

 
*ポール・バーホーベン、ジェラルド・ソエトマン(原案)、ラウレンス・アビンク・スパインク、イーリック・ブルス著 戸谷美保子訳『ブラックブック』(エンターブレイン、2007年) 248pp.

 


  

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カブールの燕たち

2007年03月28日 | 書棚の片隅から
 「ロレーヌ再訪の旅」はまだ続く。ここで一寸一休み(?)。表題に惹かれ、旅の途上で気楽にと思ったが、結果はいかに。


カスミナ・カドラ『カブールの燕たち』(香川由利子訳、早川書房、2007年)原著 Yasmina Khadra. Les Hirondelles de Kaboul (Éditions Julliard, 2002).

    打ちのめされるような衝撃。こうした読後感を得る本は、最近少なくなった。その意味で、この作品は久しぶりに大きな衝撃を伴った感動を与えてくれた。たまたま広告を見ていて、近く読んでみたいと思っていた。

  ギメ美術館で「アフガニスタン:発見された財宝」展を見たことも、この本に注目するひとつのきっかけとなった。タリバン圧政下の状況を描いた「カイト・ランナー」の読後感もどこかでつながっていた。 「カイト・ランナー」は、アメリカでは大きな評判になり映画化もされたが、日本ではあまり話題とならない。どうしてだろうかと思っていた。日本とアフガニスタンの距離は、アメリカとアフガニスタンよりも大きいようだ。「カブールの燕たち」は、こうしたことを考えながら近く読んでみようと思っていた時に、折よく日本語訳も出版され、手にすることになった。

  タリバンが支配するアフガニスタン、カブールの物質的、精神的に荒廃した風土の中に日々を送る人々を、二組の夫婦の厳しい生活を通して鋭く描いている。タリバンの下では、かつて市民の大きな憩いと楽しみであった凧揚げも神への冒涜として禁止されている。人々は公開処刑を鬱積した日々の気持ちのはけ口としている。時代の歯車がはるか昔へと逆転した感もある。

  一組の夫婦、夫のアティック・シャウカトは、公開処刑される女囚の拘置所の看守。その妻ムサラトは、今不治の病に冒されている。もう一組の夫婦の夫、モフセンはブルジョア出身の司法官、妻ズナイラ・ラマトは名家の出で同じく司法官で女性解放のために努力してきた。今は夫婦二人とも失職している。かつては、絵に描いたようなエリートだった。

  カブールは、人間社会として崩壊寸前の段階として描かれている。すさまじい荒涼たる光景だが、わずかにそれを救っているのは、二組の夫婦の精神を支えている一筋のヒューマニズムと個人的な選択の有りようだろうか。イスラム社会の精神風土は、多くの日本人にとっては、西欧社会よりもはるかに遠い存在であり、ほとんど理解されていない。

  カスミナ・カドラは、余計な粉飾を極限まで省いて現代のカブールを描いている。その試みは見事に成功を収めているといえよう。極限の中に生きる人々と、日々つのってゆく荒廃の姿が圧倒的な迫力をもって描かれている。第二次大戦の記憶は急速に風化しているが、かつてはわれわれも経験したものだ。

  アフガニスタンは、ソ連との長い戦争と内戦を通して物心共に崩壊の道を歩んできた。その後、タリバンの圧政下で市民としての普通の生活までも奪われてしまった。今やわずかな楽しみと思われる散歩や音楽を聴くことすらできない。モフセンとズマイラの夫婦の人生が暗転するきっかけも、そこにあった。荒涼たる瓦礫と砂塵の世界は、市民の心象世界でもある。著者ヤスミナ・カドラもこうした光景の一人物といえるかもしれない。

  著者はヤスミナという女性名で作品を発表していた。ところが、実は男性であり、アルジェリア軍の上級将校であった。その後、彼はフランスに亡命する。 ストーリーを記すことはあえて避ける。「燕たち」の意味も読んでみて始めて分かった。オルハン・パムクの「白い城」のカミュ的世界にもつながるものも感じる。

  イスラム世界の実像、精神的風土、そしてその中に生きる夫婦愛という多くの日本人には想像の域を超えると思われる世界を、著者は理解しうる表現で描き出している。しかし、それは壮絶ともいうべき心象風景である。次第に極限状態に追い込まれて行く人々にとって、残された選択の道はなになのか。われわれが住む日本とは、対極ともいうべき世界に生きる人々にとって、なにを示唆するものだろうか。 終局に近づくにつれて結末が予想されてしまうという作品上の問題はあるものの、これだけの大きなテーマを凝縮した形で描ききった著者の力量は、敬服以外のなにものでもない。
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「天使が堕ちるとき」(T.シュヴァリエ)

2006年12月14日 | 書棚の片隅から

Girton College, Cambridge



  トレイシー・シュヴァリエの作品については、フェルメールの作品を題材とした真珠の耳飾りの少女』、パリ・クリュニュー修道院のタペストリーの作成にかかわる物語貴婦人と一角獣を読んで以来、注目してきた。特にこの二冊は画家や美術品がテーマに取り上げられていることもあって、大変興味深く読んだ。寡作な作家なのだが、手堅い時代や社会の考証に支えられていて、安心して読める。
  
  たまたま、書店で『天使が堕ちるとき』(邦訳)*を目にした。実は、この原著 Falling Angeles (2001)は、『真珠の首飾りの少女』を読んだ後、この作家の他の作品を調べたときに、書店で少し立ち読みしているので知っていた。その時はなんとなく食指が動かず、購入しないでいた。しかし、偶然に書店で邦訳を目にして読んでみたい気持ちになった。先の二冊が期待を裏切らなかったことが強い支えとなった。

  短い旅の徒然に実際に読み始めてみて、この小説の奇妙な舞台装置にいささか驚いた。前二作からはずっと時代が下がって、1901年1月、ヴィクトリア女王の葬儀の朝、ロンドンのある墓地(ハイゲート墓地を想定)で、中流の上の裕福な家庭コールマン家と中流の下のウオーターハウス家の家族が出会うところから始まる。そして、その後の展開の多くがこの墓地を舞台として進行する。墓地というあまり気持ちのいい設定ではないのだが、巧みなストーリー展開で、読者を飽かせることなく引き込んでしまうのはさすがである。

  特に、興味をかき立てられたのは、イギリス社会の「階級」class という得体の知れない、複雑な対象を巧みに描いている点である。作品の時代背景はヴィクトリア女王崩御から1910年という、今から100年ほど前のロンドンである。しかし、さまざまな点で、現代につながっている。小説ではあるが、強く時代の潮流を意識しており、歴史的事実を踏まえている。この点は、小説にもかかわらず「謝辞」という形で、考証作業や資料提供者への感謝が記されていることにも示されている。歴史小説の視点が入り込んでいる。

  ストーリーは、表題が暗示するように一種の悲劇である。古い形式が支配したヴィクトリア朝から、より自由で民主的なエドワード朝へ移行してゆく過渡期に起きたさまざまな軋轢、衝突、戸惑いなどが描かれている。終幕には予想もしない奈落が待ち受けていた。しかし、来るべき新たな時代への期待や細々と光の見える展開を思わせる要素も含まれ、憂鬱な思いでページを閉じることにはなっていない。

  特に興味を引かれたのは、コールマン家の若い主婦キティーが、サフラージ suffrage と呼ばれた過激な婦人参政権運動に関わり、のめりこんで行く過程である。以前にイギリスにおける女性の権利拡大の歴史的経緯を多少調べたことがあったので、興味深く読み通した。外見にはメードや料理人まで雇うことができる恵まれた中流上層の家庭の主婦が、急速にサフラージへとのめりこんで行く原因を、この作家は何に求めているのだろうか。

  キティーの娘モードが、次第に成長して行く過程で、当時はほとんど進路が閉ざされていたケンブリッジ大学への進学を目指す部分で、思い出すことがあった。当時、ケンブリッジはほとんどのコレッジが女性の入学を拒み、わずかに1869年に創設された女性の全寮制コレッジ、ガートン・コレッジ Girton College だけが女性に開かれていた。モードが望むとすれば、ここしかなかった。たまたま、このコレッジの裏手に1年ほど住んだことがあって、毎日ガートン・コレッジの前を通っていた。ディナーに招いてもらう経験もした。
  
  かくして、この女性教育の先駆となったコレッジには、いろいろと興味を惹かれた。ケンブリッジの町の中心からは、遠く隔離されたような場所に置かれたコレッジに、当時の女性に対する大学や社会の考えを思い知らされた。それとともに、強い因習や差別の障壁を破壊してきた先駆者たちの挫折と克服の大きな力を実感した。今では、女子学生のコレッジも増え、ガートンも男子学生を受け入れている。

*
トレイシー・シュヴァリエ(松井光代訳)『天使が堕ちるとき』(文芸社、2006年)。原著:Tracy Chevalier. Falling Angeles. Harper Collins Publishers, 2001.

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オルハン・パムク氏とEU加盟問題

2006年12月13日 | 書棚の片隅から


    このブログでも再三取り上げてきたトルコの作家オルハン・パムク氏が、TVの取材に応じて、ノーベル文学賞受賞と重ねて、東西文明の今後について語っていた。

  一時は国外に活動の場を移していたようだが、今はイスタンブールに住んで作家活動を続けている。作家の母国トルコにとって、最大の課題がEU加盟であることはいうまでもない。1年ほど前はEU、トルコ双方に祝賀ムードが満ちていたのだが、その後状況は一変し、加盟はほとんど無期延期の状況となってしまった。暗礁に乗り上げた直接的原因はキプロス問題だが、それ以上に、EUで最初のイスラム国家となるトルコへの警戒感が強まってきたことがあげられる。

  TVのインタビューでパムク氏は、一時は国家侮辱罪にあたるとして告訴された原因となったアルメニア人問題についての質問には直接答えず、作家として丁寧に自分の住む地域の暮らしを描くことが人生の真の意味であるとひどく慎重であった。同氏の発言が微妙な段階にいたったEU加盟問題へ影響することを考えているためと思われる。
   
  パムク氏は、9.11以降論議を呼んでいるイスラム文明対西欧文明という対立関係は信じていないという。文明の衝突は確かに各所で起きているが、全面衝突ではない。歴史を見ると、異なる要素が融合することで文化が生まれてきたと強調する。
 
  ストックホルムでの記念講演では、世界の中心はイスタンブールに移行していると述べ、トルコが文明史上重要な鍵を握る存在となっていることを強調する。パムク氏は、自ら針で井戸を掘るように築き上げた概念上の世界が、いかに重要なものであるかを述べている。しかしその内容は、同氏の作品世界を追っていないと分かりにくいかもしれない。
  
  パムク氏はさらに、現在世界に起きている問題は、世界史上人類が長く抱えてきた問題であり、西欧社会は過剰なプライド、根拠のない傲慢さで、トルコを始めとする非西欧社会に彼らの基準を押し付けてきたと述べる。作家は、他方で現代トルコの持つ強いナショナリズムと強い民族主義への苛立ちも感じているようだ。

  これまでこの作家の主要作品を読んできた者のひとりとして見ると、パムク氏の発言はかなり抑制したといえる内容であった。過激な発言もあるのではないかと思っていたが、ノーベル文学賞受賞という重みがブレーキをかけているのだろうか。すっかり冷めてしまったEUとトルコの関係がいかなるものとなるか、両者の狭間にあって、この作家の今後に注目を続けたい。

* BS1 『きょうの世界』「オルハン・パムク氏が語る東西融合」、2006年12月12日。
"The ever lengthening road." The Economist December 9th 2006.

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世界で最も美しい本

2006年12月12日 | 書棚の片隅から

Tafel 1: JANUAR 

  たまたま目にしたTV番組(再放送)*で、フランス、シャンティ城コンテ美術館が所蔵する『ベリー公のいとも華麗なる時梼書』に心をひかれる。この世界に著名な装飾写本の実物は、まだ見たことがない。シャンティへ行く機会はあったのだが、見ることができなかった。しかし、写本が生まれた経緯や内容は、かなり前から少しばかり知っていた。美術に詳しいドイツ人の友人が、ある年のクリスマスに復刻版**をプレゼントしてくれたので、ずっと長い間仕事場で近くに
置き、折に触れて眺めていたからである。このたびTVの美しい映像に刺激され、できれば実物を見てみたいと思った。

  この本の所有者であったベリー公ジャンは、フランス国王ジャン2世の息子で1340年に生まれ、
宝石と絵画を好み、芸術の保護者であった。14世紀以降、多くの王侯貴族が美術作品の制作や収集に積極的にかかわったが、ベリー公は財政的にも豊かで、とりわけ熱心なコレクターであった。

  当時のフランスは百年戦争で人心が荒廃していたが、ベリー公はパリの金細工師の工房にいた職人ランブール兄弟にこの写本を特注した。ベリー公は審美眼も際立って高かったと思われるが、高率な租税収入に支えられて財政豊かで、金に糸目をつけず注文したものと思われる。

  この写本には多くの美しい青色(ラピスラズリ)や赤色(コチニール)や茶(象牙を焼いたもの)など、当時でも高価な画材が惜しげもなく使われている。復刻版で見ても、目を洗われるような美しさである。北方芸術独特の風景や風俗描写が、美しくかつ繊細に描かれている。おそらく職人としても大変恵まれた条件の下で制作ができたのだろう。

  時祷書とは、世俗のキリスト教信者の個人的な礼拝のために用いる祈祷書のことで、修道士や司祭たちによって正式の儀式に加えられていった祈祷の言葉を起源とし、短縮された聖母への祈祷、詩篇、などを含んでいる。 14世紀から16世紀にかけてフランドルや北フランスを中心に王侯貴族によって豪華な時祷書がつくられた。

  俗塵にまみれた現代人にとって、時々目や心の洗濯も必要だとつくづく思う。時空を超えて、中世の人々の世界にひと時浸ることができるのは大きな安らぎとなる。

  
*
『いとも豪華なる時祷書 Tres Riches Heures du Duc de Berry』  (シャンティイ、コンデ美術館)
『古城に眠る世界一美しい本』世界博物館紀行、2006年12月11日

**
Stundenbuch des Herzogs von Berry. Parkland Verlag. Stuttgart.

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完璧な赤:コチニールの秘密

2006年10月24日 | 書棚の片隅から
  日本は翻訳文化が栄えていて、文学などもかなりの数の作品を外国で原著が出版されてから比較的早く、日本語版で読むことができる。これは、読者にとってはきわめて有難い。もちろん、翻訳される作品には偏りもあるし、翻訳書に頼る功罪があることはいうまでもないが、自分の知らない外国語の場合は大歓迎である。

  ふと立ち寄った書店で『完璧な赤』*というタイトルの書籍が棚にあるのに気づいた。半年ほど前に同じようなタイトルの赤色染料の歴史についての英語版を読み終えたばかりだったので、一瞬目を疑った。手にとってみると、やはりその本の翻訳であった。いわゆるきわものの書籍ではなくどちらかというと読者は限られている分野なのだが、どうしてこんなに早く翻訳が出てきたのだろうと思った。

  著者のエイミー・バトラー・グリーンフィールドは、オックスフォードでスペイン帝国史を講じたこともある。家業は代々、繊維の染料を作っており、現在もニューイングランドの紡糸・染物ギルドのメンバーでもある家系に生まれた。この書籍は2000年にPen/Albrand prize for First Non-Fiction を受賞している。

  
このブログでラ・トゥールの赤色の画材に関連して、コチニールの発見、探索のことを記したことがあるが、グリーンフィールドの本書は、まさにこのコチニールの発見とその貿易をめぐる当時のヨーロッパ諸国での争いにスポットライトに当てた著作である。ヘルナン・コルテスによるアズテック市場での発見以来、この完璧な赤を発色するコチニール染料は、スペイン王室、商人、繊維業者、薬種商、海賊などの争奪の対象となった。

  赤色は中世以来高貴な色としてヨーロッパなど各国の王室、繊維業者などの間で争って求められたが、とりわけコチニールは16世紀以来長い間、その原料や原産地が交易上の最大機密として秘匿されたこともあって、謎は謎を生んできた。実際、この美しい赤色顔料・染料の原料は思いもかけないものであり、当時の分析技術をもってしては分からなかったのも当然と思われる。ラピスラズリのように、古い歴史を持ち、顔料の組成が容易に分かるものではない。

  こうしたこともあって、コチニールについてはかなりの研究が生まれたが、グリーンフィールドはこの稀有な染料の発見、交易、争奪の過程に焦点をしぼって興味深いストーリーに仕立て上げている。ラ・トゥールが「赤の画家」であることも、すでにブログで記した。17世紀前半のラ・トゥールやフェルメールの時代には、コチニール赤は、ヨーロッパではかなり広範に浸透していたはずである。今後、作品に使われた画材の研究などが進むと、コチニールと画家の世界をめぐるさらに新たな発見も期待される。「青の世界」ばかりでなく、「赤の世界」もかなり面白くなってきた。



References
Amy Butler Greenfield. A Perfect Red: Empire Espionage and the Quest for the Colour of Desire. Black Swan ed. London:
Transworld, 2005
.

エイミー・B・グリーンフィールド(佐藤桂訳)『完璧な赤』早川書房、2006年
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ベルリンの陰翳:イシャウッド再読(2)

2006年10月20日 | 書棚の片隅から
  クリストファー・イシャウッド(1904–1986) は、1929-33年の間、英語教師としてベルリンに住んだ。この滞在時代を背景に生まれたひとつの作品が『ノリス氏の最後』Mr. Norris changes trains* (1935)である。これも読み始めて、すぐに惹き込まれてしまった。以前に読んだはずなのに、まったく違う印象である。読み手である自分の側に大きな変化があったことを感じる。それがなにかは分からない。

  作品は淡々と1930年代初め、ベルリンに生きる登場人物の日常を描いている。ノリス氏とはイギリスの若い作家であるウイリアム・ブラッドショウがベルリンへ行く途上で出会ったやや滑稽な、それでいて神経質そうなイギリス人アーサー・ノリスのことである。彼はその後、ブラッドショウにそれぞれに奇妙な性癖を持った人物を紹介する。その後、ノリスも大きな一身上の変化でブラッドショウが住んでいる下宿屋に移り住んでくる。この下宿屋を営むのは50歳代のフロイライン・シュレーダー である。

  物語の背景では後から回顧すれば恐ろしい出来事が次々と起きているのだが、それらは所々に背景として顔を出すだけで前面には出てこない。しかし、結果としてノリス氏を初めとする人物の生活は日ごとに大きく変わってゆく。

  彼らが生きていたベルリンは、まばゆい光彩を放ちながらもきわめてグロテスクな都市であった。芸術分野では多くの先端的試みが展開しながらも、頽廃、悪徳も栄えていた。それらが作品の各所にうかがわれる。闇と光芒を併せ持ったワイマールの落日の時であった。

  以前読んだ時には、この小説とほぼ対になる『さらばベルリン』Goodbye to Berlin (1939)の関係も良く分からなかった。というのは、前者の主人公ウイリアム・ブラッドショウ William Bradshow と後者の主人公クリストファー・イシャウッド Christopher Isherwood は作者と同名だからである(Christopher William Bradshaw-Isherwood)。 しかし、作者イシャウッドは意図的にこうした名前を作中人物に付けたのだ。そのために、十分に注意して読まないと、作者イシャウッドと作中の人物を同一視してしまうことになる。だが、作中人物はあくまで仮想の世界の産物なのだ。このことは、作品を読み込んでやっと分かってくる。これまでの読みの浅かったことを痛感させられた。

  イシャウッドがアメリカへ移住した後に、上記二つの作品を『ベルリン物語』 The Berlin storiesという表題で、一冊に収めた著作が出版されるようになった。その新装版に、イシャウッドが短い解説を付していることで、これらの作品が生まれた背景がやっと分かってきた*。 

  1951年の夏、イシャウッドの作品から劇作家ドゥルーテンの力で ミュージカル『キャバレー』のいわば前身である『私はカメラ』 I Am a Camera が作られ、ブロードウエイで上演が始まった。それを契機に、イシャウッドは1952年2月、思い切ってベルリンを再訪することにし、あのテンペルホフ空港へ下り立った。

  ブランデンブルグ門にはソ連統治の赤い旗が掲げられていた時代である。そして、かつての下宿屋を訪ねる。建物は見る影もなく朽ち果てていたが、下宿屋は存在し、あのフロイライン・シュレーダーは70歳代になっていたが、矍鑠としていた。30年代と50年代のベルリンの間には、言葉には言い尽くせない多くのことがあった。しかし、「なにがあっても人生だけは進んでいるのだ」とイシャウッドは記している**

  

* イシャウッドはベルリンに滞在している時、いつの日かそれについて書こうと思って詳細な日記をつけていた。最初のアイディアはバルザック風のメロドラマ的小説で『失われた人たち』The Lostという表題にしようと思ったらしい。このタイトルは、ドイツ語のDie Verlorenen に相当するし、適当だと思っていた。ところがその間で、「ノリス氏」の構想が生まれ、1935年にイギリスで刊行された。その時はMr. Norris Changes Trainsであった。しかし、アメリカの版元William Morrow があいまいで分かりにくいと指摘したので、『ノリス氏の最後』The Last of Mr. Norrisと改題された。ちなみに、この作品は生涯の友人で、一緒に中国へも旅した詩人のオーデンに捧げられている。
  他方、サリー・バウエルズ、ノヴァック家、ベルリン日記など個別に書かれていた作品を、最終的にはすべてを含んだ Goodbye to Berlin(1939) として刊行されたということらしい。そして、1945年の大戦終結とともに、Mr. Norris and Goodbye Berlin を一緒にしたThe Berlin Storiesとして刊行されるようになった。

** Christopher Isherwood. The Berlin Stories. 1954.

http://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Isherwood
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ワイマールの顔:ベルリンの光芒

2006年10月19日 | 書棚の片隅から
    このところ一寸不思議に思うことが続いている。昨年以来、折に触れて感想を記してきたオルハン・パムクのノーベル文学賞受賞を喜んだことはすでに書いた通りだが、C.イシャウッドの『さらばベルリン』 Goodbye to Berlinを読んだ後、まったく偶然目にした雑誌に、イアン・ブルマ Ian Buruma が「ワイマールの顔」*と 題した一文を寄稿していた。

  今では数少なくなった第二次大戦前のベルリンを多少なりと知っている人が、ノスタルジックな思いをこめて回想する1930年頃の「古き良き」ベルリンである。二つの大戦で挟まれたいわゆる戦間期である。  

  イアン・ブルマが取り上げたのは、このブログで取り上げたばかりのイシャウッドに関連する人物、ジョエル・グレイ Joel Grey である。ミュージカル「キャバレー」で退廃的雰囲気の漂う、それでいて妖しい魅力を持つキャバレー Kit Kat ClubのMC役を見事につとめ、アカデミー助演男優賞を手にした。キャバレーといっても、日本でイメージされるものとはかなり異なっていたようだが。それはともかく、グレイは実に巧みに舞台回しの役を演じていた。グレイは1932年生まれであり、忍び寄る大戦前ベルリンのデカダンス、頽廃の空気を多少なりとも継承しているのだろう。  

  折しも、北朝鮮の核実験発表を契機として、にわかに高まった世界的な危機感と、同時に存在するアパシーのような無力感。ゲームのように戦争を考えている人々。幸いにも日本は平和な時を享受し、戦争未体験者が過半数を越えたこの時代、「先の大戦」という言葉が行き交っても、どれだけ実感があるのだろうか。今日のニュースは、北朝鮮金政権のチャウシェスク型の崩壊の可能性を伝えているが、このルーマニアの独裁者の最後を知る人も少ない。  

  あの2度にわたる世界大戦を経験しながらも、人間は本当になにかを学んだのだろうかという思いが強まるばかり。そうした中で、たまたま手にしたイシャウッドの描いたベルリンの生活は、80年近い時空を超えて目前に迫ってきた。

  イシャウッドのもうひとつのベルリン生活を描いた小説Mr Norris changes trains (1935) も惹きつけられるように読んでしまった。その感想は次回に。

*
Ian Buruma. "Weimar Faces". The New York Review of Books, November 2, 2006.
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パムク氏のノーベル文学賞

2006年10月13日 | 書棚の片隅から

  今年のノーベル文学賞は現代トルコの作家オルハン・パムク氏に授与されることになった。この小さなブログでも再三とりあげていただけに、大変うれしい思いがする。パムク氏の作品は西欧世界では広く知られているが、邦訳としては『わたしの名は紅』、『雪』が刊行されている。日本の文学愛好者の間では必ずしも知名度が高くなかっただけに、この作家の紹介に小さな役割を果たしえたことを喜んでいる*

    パムク氏は、このブログでも記したが、昨年トルコ国内でタブー視されている第一次大戦直後のオスマン帝国崩壊時にアルメニア人大量殺害を認める発言などで、イスタンブール市検察から「国家侮辱罪」に問われた。しかし、裁判はトルコのEU加盟への影響を懸念したとみられる政治的判断で取り下げられた。

  トルコでイスラム系として初の単独政権を2002年に樹立したエルドアン首相が率いる公正発展党は、穏健な対外政策を掲げ、EU加盟を最優先課題としてきた。しかし、トルコの「負の歴史」の清算を求めるEU側の要求に刺激された民族主義の高まりなどもあり、トルコ国内でも加盟熱は急速に冷却している。

  キプロス問題も暗礁に乗り上げている課題である。最近トルコを訪れたドイツのメルケル首相はキプロス問題に関し、「加盟交渉を続けるためには解決すべきだ」と強調した。これに対しエルドアン首相は「要求は不公平なものだ」と反発した。メルケル首相は、トルコは全面加盟でなく「特権的パートナーシップ」がふさわしいとしている。

  パムク氏の作品には東西文化の出会いと葛藤、そしてその行方を暗示するものが多い。今回の受賞とあいまってトルコへの関心は、一段と高まるだろう。その行方を見守りたい。

  
  *このブログでは日本で未だ翻訳されていない同氏の作品『白い城』と『イスタンブール』を取り上げている。

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ベルリンの陰翳:イシャウッド再読(1)

2006年10月08日 | 書棚の片隅から

  以前に見たり読んだりした作品(絵画、書籍、音楽など)が、このごろはかなり異なって見えることがある。この『さらばベルリン』Christopher Isherwood. Goodbye to Berlin (1939) *も、そのひとつである。衰亡の色が日々強まるワイマール共和国の黄昏とナチスの台頭する1930年代初期のベルリンを描いた作品である。イシャウッド (イギリス人だが1946年アメリカに帰化) が自ら過ごしたベルリンでの生活(1929-33)に基づいている。最近、ソフトカバー版が書棚に残っていることに気づき、なつかしくなり読み直してみた。

  実はこの作品を最初に読んだのは、ミュージカル『キャバレー』Cabaret(1972)を見た後だった。ニューヨークへ出張した折(74年か)、友人が連れて行ってくれた。イシャウッドの小説に基づいているということを知り、原作を読んでみようと思い立った。ミュージカルの印象が大変強かったことが残っている。順番は良く覚えていないが、『ウエストサイド・ストリー』、『マイフェア・レディ』、『キャッツ』、『チェス』、『グランド・ホテル』、『オペラ座の怪人』、『ミス・サイゴン』、『レ・ミゼラブル』など立て続けにミュージカルを見た時期があった。

  原作は、1930年代初めベルリンで英語の個人教師として暮らしているひとりのイギリス人の目を通して巧みに描いていた。急速に陰鬱さを増し、刹那的で退廃の色が濃くなってゆくベルリンの様子を生き生きと伝えていると思った。日常の光景を政治的事件を含みながら、淡々とした筆致で描いている。娼婦にとって金払いの良い顧客である日本人まで登場する。いつの間にか読み終わっているという感じである。しかし
、テンポの速いミュージカルの迫力におされていたのだろう。

  その後、このブログでも時々取り上げてきた画家エルンスト・キルヒナー(1880-1938)を含む表現主義の作品などと重ね合わせている間に、かなり焦点が合ってきたように思う。時代が果てしない奈落の底へと向かう中で、生きた人々の心象風景が見えるようになった。

  最初読むと、どこに結論が向かうのか、ほとんど分からない小説である。退廃、堕落し、享楽的で異常な日々を送る人々の群像。ユダヤ人迫害の浸透。ナチスを嫌いながらも、次第にその呪縛にかかってゆく人々。忍び寄る恐怖の影、強力なアジテーターが現れれば、誰にでもついていってしまうような政治的堕落、そして刻々と運命の日へと向かって行く・・・・・・。だが、深く心に残る作品である。一度読み出すと、自分も時の流れに取り込まれたようになる。日々起きる出来事をただ記したような展開だが、実は周到に構成されていることに気づく。

  あの有名な一節もそこにあった:
「私はカメラ。シャッターは開きっぱなし、ひたすら受身で、考えることなく記録する。反対側の家の窓辺でひげをそる男、きもの姿で髪を洗っている女。いつか、これらは現像され、注意深く印刷され、定着されねばならない。」
    I am a camera with its shuter open, quite passive, recording, not thinking. Recording the man shaving at the window opposite and the woman in the kimono washing her hair. Some day, all this will have to be developed, carefully printed, fixed.(Goodbye to Berlin, 1939)

  ミュージカルを見た後で、原作を読んだ当時は、すっかり作家の自伝的小説と思いこんでいた。しかし、それは誤りだった。作家は撮影者としてカメラの後ろにいたのだ。そのことにうかつにも気づかなかった。

  改めて読んでみると歴然とした政治小説であり、破滅へと急速に進んでいる20世紀の都市に生きる人々の姿を写していた。最後の残光のようなものを放ちながらもグロテスクで堕落した都市と人々、カフェ、キャバレー、夜の世界・・・・・。設定は異なるが、
なんとなく、あのオルハン・パムクの「イスタンブール」につながるものを感じさせた。

  今は輝いているベルリンだが、かつては一度破滅を経験した都市である。ヒトラーの時代と終末をリアルに描いた作品は数多いが、奈落の淵に向かうほんのわずかな残光ともいえる時間を描いた小説はそれほど多くないように思う。ベルリンは生をとりもどしたが、この都市の空はなんとなく陰翳を感じさせると書いたことがある。その一部分がかすかに見えた思いがした。

*
Christopher Isherwood. Goodbye to Berlin.London: Vintage Classics.Original 1939.(邦訳も出版されているようだが、未見。)
この小説はMr. Norris Changes Train (1935) という対になるような作品と一緒に、The Berlin Stories と題された緩やかに結ばれたような形で出版されている版が多いが、Mr.Norrisについては、また別の時に触れてみたい。

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