本日の行程:(JR長浜駅) → 【長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)】 → (JR長浜駅~彦根駅) …(車) → 【彦根城】 → 【安土城跡と見寺】 → 【園城寺(三井寺)】 → 【近江大津宮錦織遺跡】 → 【露国皇太子遭難之地】
【長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)】
朝から雨。
小降りになるのを期待して、長浜へ向かった。
長浜城(長浜市長浜城歴史博物館) 長浜城本丸跡の碑
かつて、秀吉が築いた長浜城は、1615年に廃城となった。
現在、その地に建っているのは、1983年に復元されたもので、「長浜市長浜城歴史博物館」となっている。
太閤井戸 豊臣秀吉公像
長浜城天守閣跡の碑
おかねさんの碑
琵琶湖のほとりに出ると、太閤井戸があった。
この井戸は、かつては長浜城内にあったそうだ。
秀吉築城時の長浜城は、現在復元されているものと比べ、湖面に張り出す形で建っていたらしい。
長浜城天守閣跡の近くには、豊臣秀吉公像が、そして、少し離れて、おかねさんの碑がある。
おかねさんの碑には、次のようにある。
『長浜城の天守閣跡といわれるこの地に、築城に際して人柱となった「おかね」さんの話が伝えられています。天正2年(1574)ごろ、長浜城が築かれることになりました。強固な城を築くための人柱として、長浜一の美女と評判の「おかね」さんが選ばれました。若くして聡明であった彼女は、けなげにも湖北地域一円の繁栄を願い、自らの命を捧げたというものです。「おかね」さんが眠るのは、この辺りといわれ、かつてこの北側にあった堀は、その縁もあり「おかね堀」と呼ばれていました。 平成16年3月吉日』
北西側(竹生島)
歴史博物館は5階建。
1階は受付、2階と3階は展示室、4階は機械室と呈茶室、5階はパノラマ展望台になっている。
天候が悪かったが、北西には、竹生島が見えた。
長浜城築城の際には、竹生島から材木が運ばれたという。
北側(賤ヶ岳合戦場)
北側には、賤ヶ岳合戦場をかすかに望むことができた。
北側を写した写真の左側に映っている三角形の山が「山本山」、その右側にあるなだらかな山が「賤ヶ岳」である。
東側
東側は、残念ながら、よく見えなかった。
東側を写した写真の、中央より右側にあるマンションの向こうあたりが「伊吹山」である。
その少し右手が、石田光成の出生地、さらに右にいくと、「関ヶ原の古戦場」がある。
マンションのすぐ左手は、小堀遠州の出生地にあたる。
「姉川合戦場」や「鉄砲の里」の国友町は、もっと左側だ。
先日は二条城で、そして昨日は清涼寺で、小堀遠州が造ったとされる庭を見たが、長浜が遠州のゆかりの地であることは知らなかった。
展示室には「小堀遠州像」(複製)もあり、その飄々とした風貌が意外だった。
石垣根石
石垣根石は、長浜城歴史博物館の敷地内、長浜城(模擬)の東側にある。
長浜城御馬屋跡の碑
歴史博物館から長浜駅に向かう途中、 長浜城御馬屋跡の碑を見つけた。
今では、そこに、マンションが建っている。
続きは後日。
今日の歩数:21,293歩
【長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)】
朝から雨。
小降りになるのを期待して、長浜へ向かった。
長浜城(長浜市長浜城歴史博物館) 長浜城本丸跡の碑
かつて、秀吉が築いた長浜城は、1615年に廃城となった。
現在、その地に建っているのは、1983年に復元されたもので、「長浜市長浜城歴史博物館」となっている。
太閤井戸 豊臣秀吉公像
長浜城天守閣跡の碑
おかねさんの碑
琵琶湖のほとりに出ると、太閤井戸があった。
この井戸は、かつては長浜城内にあったそうだ。
秀吉築城時の長浜城は、現在復元されているものと比べ、湖面に張り出す形で建っていたらしい。
長浜城天守閣跡の近くには、豊臣秀吉公像が、そして、少し離れて、おかねさんの碑がある。
おかねさんの碑には、次のようにある。
『長浜城の天守閣跡といわれるこの地に、築城に際して人柱となった「おかね」さんの話が伝えられています。天正2年(1574)ごろ、長浜城が築かれることになりました。強固な城を築くための人柱として、長浜一の美女と評判の「おかね」さんが選ばれました。若くして聡明であった彼女は、けなげにも湖北地域一円の繁栄を願い、自らの命を捧げたというものです。「おかね」さんが眠るのは、この辺りといわれ、かつてこの北側にあった堀は、その縁もあり「おかね堀」と呼ばれていました。 平成16年3月吉日』
北西側(竹生島)
歴史博物館は5階建。
1階は受付、2階と3階は展示室、4階は機械室と呈茶室、5階はパノラマ展望台になっている。
天候が悪かったが、北西には、竹生島が見えた。
長浜城築城の際には、竹生島から材木が運ばれたという。
北側(賤ヶ岳合戦場)
北側には、賤ヶ岳合戦場をかすかに望むことができた。
北側を写した写真の左側に映っている三角形の山が「山本山」、その右側にあるなだらかな山が「賤ヶ岳」である。
東側
東側は、残念ながら、よく見えなかった。
東側を写した写真の、中央より右側にあるマンションの向こうあたりが「伊吹山」である。
その少し右手が、石田光成の出生地、さらに右にいくと、「関ヶ原の古戦場」がある。
マンションのすぐ左手は、小堀遠州の出生地にあたる。
「姉川合戦場」や「鉄砲の里」の国友町は、もっと左側だ。
先日は二条城で、そして昨日は清涼寺で、小堀遠州が造ったとされる庭を見たが、長浜が遠州のゆかりの地であることは知らなかった。
展示室には「小堀遠州像」(複製)もあり、その飄々とした風貌が意外だった。
石垣根石
石垣根石は、長浜城歴史博物館の敷地内、長浜城(模擬)の東側にある。
長浜城御馬屋跡の碑
歴史博物館から長浜駅に向かう途中、 長浜城御馬屋跡の碑を見つけた。
今では、そこに、マンションが建っている。
続きは後日。
今日の歩数:21,293歩