本日の行程:(阪急電鉄・嵐山駅)…(自転車) → 【清涼寺】 → 【大覚寺】 → 【直指庵】 → 【仏野念仏寺】 → 【祇王寺】 → 【滝口寺】 → 【二尊院】 → 【落柿舎】 → 【常寂光寺】 → 【野宮神社】 → 【天龍寺】
阪急電鉄・嵐山駅
保津川
天候が心配だったが、嵐山・嵯峨野方面に出かけた。
嵐山駅の照明器具は、お寺の吊燈籠のよう。
渡月橋から見る保津川は、昨夜の雨のせいか、水の勢いが激しい。
水面や山にかかる朝靄で、幻想的な雰囲気だ。
【清涼寺】
仁王門 法然房源空二十四歳 求道青年像
然上人の墓
清涼寺は、浄土宗の古刹で、「嵯峨の釈迦堂」とも呼ばれる。
ここは、源融の山荘「棲霞観」があった場所で、それを「棲霞寺」としたのがこの寺のはじまりだと伝えられる。
その後、釈迦如来像を安置するために然上人が「大清涼寺」の建立を計画し、その弟子が「清涼寺」を建立したという。
仁王門は、工事中。
昨年12月、酔っ払った男性が四駆で衝突し、壊されたのだ。
気になったので、昔の新聞で調べてみた。
男性がそのときの状況を覚えていないため、故意であるとは言えず、器物損壊容疑での立件は見送られたらしい。
最近、文化財が壊されたというニュースをよく聞く。
嘆かわしいことだ。
仁王門を入るとすぐ左手に、浄土宗を開いた法然上人の銅像がある。
本堂のほうへ進み、左手には、開山した然上人の墓も見える。
鐘楼 秀頼公の首塚
鐘楼は、江戸時代のもの。
梵鐘には、文明16年11月吉日という日付けと、寄進者の足利義政、日野富子、足利義尚らの銘がある。
「秀頼公の首塚」には、大坂城の三の丸跡地の発掘現場から出土したものを、
清涼寺再興に縁があるこのお寺に納められたとされる。
首に介錯の跡があったそうだ。
本堂
枯山水庭園
本尊釈迦如来(国宝)は見ることができない。
本堂の裏手から、枯山水庭園へ。
この庭園は、小堀遠州作といわれる。
阿弥陀堂
源融公の墓
阿弥陀堂は、旧棲霞寺であり、本尊は阿弥陀三尊。
源融の供養のために、その子息が建立したものだという。
源融は、『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルであったとか。
源融のお墓も、境内にある。
一切経蔵
輪蔵
一切経蔵の正面には、傅大士(ふだいし)父子像が安置されている。
輪蔵に、明坂一切経が収めてあり、この輪蔵を一回転すれば一切経を読んだと同じ功徳が得られるそうだ。
回してみたけれど……どうだろう。
清涼寺の御朱印
続きは後日。
今日の歩数:20,136歩
阪急電鉄・嵐山駅
保津川
天候が心配だったが、嵐山・嵯峨野方面に出かけた。
嵐山駅の照明器具は、お寺の吊燈籠のよう。
渡月橋から見る保津川は、昨夜の雨のせいか、水の勢いが激しい。
水面や山にかかる朝靄で、幻想的な雰囲気だ。
【清涼寺】
仁王門 法然房源空二十四歳 求道青年像
然上人の墓
清涼寺は、浄土宗の古刹で、「嵯峨の釈迦堂」とも呼ばれる。
ここは、源融の山荘「棲霞観」があった場所で、それを「棲霞寺」としたのがこの寺のはじまりだと伝えられる。
その後、釈迦如来像を安置するために然上人が「大清涼寺」の建立を計画し、その弟子が「清涼寺」を建立したという。
仁王門は、工事中。
昨年12月、酔っ払った男性が四駆で衝突し、壊されたのだ。
気になったので、昔の新聞で調べてみた。
男性がそのときの状況を覚えていないため、故意であるとは言えず、器物損壊容疑での立件は見送られたらしい。
最近、文化財が壊されたというニュースをよく聞く。
嘆かわしいことだ。
仁王門を入るとすぐ左手に、浄土宗を開いた法然上人の銅像がある。
本堂のほうへ進み、左手には、開山した然上人の墓も見える。
鐘楼 秀頼公の首塚
鐘楼は、江戸時代のもの。
梵鐘には、文明16年11月吉日という日付けと、寄進者の足利義政、日野富子、足利義尚らの銘がある。
「秀頼公の首塚」には、大坂城の三の丸跡地の発掘現場から出土したものを、
清涼寺再興に縁があるこのお寺に納められたとされる。
首に介錯の跡があったそうだ。
本堂
枯山水庭園
本尊釈迦如来(国宝)は見ることができない。
本堂の裏手から、枯山水庭園へ。
この庭園は、小堀遠州作といわれる。
阿弥陀堂
源融公の墓
阿弥陀堂は、旧棲霞寺であり、本尊は阿弥陀三尊。
源融の供養のために、その子息が建立したものだという。
源融は、『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルであったとか。
源融のお墓も、境内にある。
一切経蔵
輪蔵
一切経蔵の正面には、傅大士(ふだいし)父子像が安置されている。
輪蔵に、明坂一切経が収めてあり、この輪蔵を一回転すれば一切経を読んだと同じ功徳が得られるそうだ。
回してみたけれど……どうだろう。
清涼寺の御朱印
続きは後日。
今日の歩数:20,136歩