大倉草紙

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【京都】 仁和寺

2008年06月20日 07時11分04秒 | 旅 - 京都府
6月7日(土)
当日の行程:(JR二条駅) → (自転車) → 【二条城】【晴明神社】【北野天満宮】 → 【北野東向観音寺】【平野神社】【北山鹿苑寺(金閣寺)】 【龍安寺】【仁和寺】【妙心寺】 → 【退蔵院】【広隆寺】



【仁和寺】(世界遺産)


   
              二王門(重要文化財)

京都の三大門は、仁和寺の「二王門」、知恩院の「三門」、南禅寺の「山門」らしい。
仁和寺の「二王門」のかわりに、東本願寺「御影堂門」を京都の三大門に数えることもあるようだ。
いずれにせよ、「二王門」は、大きさの点でいえば、一等賞というわけではないが、貫禄や風格という点では、決して負けてはいない。


          
              中門(重要文化財)

「二王門」をくぐると、遠くに朱塗りの「中門」が小さく見える。


  
                 金剛力士像

  
                   狛犬

「二王門」の表通りに面したほうには金剛力士像が、境内に面したほうには狛犬が安置されている。


   
                  宸殿

          
                 上段の間

「宸殿」は、御所の中で最も重要な建物。
かつては、門跡の御座所だったが、現在では、儀式や式典に使われているそうだ。
「宸殿」は、「上段の間」「中段の間」「下段の間」の三部屋から成る。


   
                 白書院

   
                 黒書院

「白書院」、「黒書院」、「宸殿」、「霊明殿」は、回廊でつながっている。

「白書院」の名は、白木の柱を用いていたことに由来する。
襖絵は、福永晴帆画伯が描いたもの。

「黒書院」の名は、柱などを黒塗り、もしくは、色付けしていたことに由来する。
現在の黒書院は、旧安井門跡寝殿の移築。
襖絵は、堂本印象が描いたもの。


   
                  南庭

「南庭」は、白書院、宸殿、勅使門、皇族門に囲まれている。
白砂が敷き詰められていて、宸殿側(写真とは逆側)には、右近の橘と左近の桜が植えられている。


          
                  北庭

「北庭」は、宸殿の北側にある。
池の向こうには非公開の「飛濤亭」(重要文化財)、更に奥には五重塔(重要文化財)を望むことができる。


          
                 霊明殿

    
                 霊明殿の中

「霊明殿」は、御殿内にある唯一の仏堂である。
本尊木造薬師如来像(国宝)と歴代門跡の尊牌を安置する。
木造薬師如来坐像は秘仏であり、目にすることができるのはレプリカ。


     
               観音堂(重要文化財)

「観音堂」は、密教儀式の伝承や修行道場として使われている。
内部は非公開だが、十一面観世音菩薩や二十八部衆が安置されているという。


          
              鐘楼(重要文化財)

鐘楼は、鐘の周りを板で覆ったもの。
このような鐘楼の形を「袴腰式(はかまこししき)」というらしい。


   
                 金堂(国宝)

「金堂」は、京都御所の紫宸殿を移築したもの。
現存する最古の紫宸殿の遺構だそうだ。
本尊阿弥陀三尊像を祀っている。


   
                経蔵(重要文化財)

「経蔵」の八角輪蔵(回転式の書架)には、一切経が収められているという。


          
                  五重塔

高さは36m、各層の屋根の大きさが殆ど同じであるこのようなスタイルは、江戸時代に建てられた五重塔の特徴だという。


           
               仁和寺の御朱印

   
               仁和寺のてぬぐい

残念ながら、仁和寺で法師に出会うことはなかった。
「仁和寺の法師」というと、どうしても間抜けなイメージがある。
そんな先入観があったせいか、仁和寺の優美な境内に足を踏み入れたときには違和感を覚えた。
ああそうか、御室御所だもの、と納得し、『徒然草』の仁和寺の法師のくだりのおかしみが、やっと分かった気がした。

そういえば、石清水八幡宮をまだ参拝していない。
訪れるときには、ちゃんと「山まで」見てこよう。

【京都】 龍安寺

2008年06月19日 07時22分31秒 | 旅 - 京都府
6月7日(土)
当日の行程:(JR二条駅) → (自転車) → 【二条城】【晴明神社】【北野天満宮】 → 【北野東向観音寺】【平野神社】【北山鹿苑寺(金閣寺)】【龍安寺】【仁和寺】【妙心寺】 → 【退蔵院】【広隆寺】



【龍安寺】(世界遺産)


          
                 山門

   
                   庫裡

山門を入り、順路標示にしたがい進むと、庫裡へと続く階段に出る。
庫裡は、その窓のつくりや、樹木との調和が、どことなくモダンな感じがする。
階段の両脇の垣根は「竜安寺垣」とよばれるもの。


          
              方丈(重要文化財)

   
                  石庭

庫裏と方丈はつながっている。
方丈の縁側から石庭を望むようになっている。

石庭の白砂の上には、15個の石が、方丈から見て左から、5個、2個、3個、2個、3個の組になって置かれている。
この15個の石は、どこから見ても必ず1個は、他の石の陰に隠れてしまい、一度に全部の石を見ることはできないように配置されているそうだ。


   
                 ミニ石庭

方丈の入口には、目のご不自由な方のための「ミニ石庭」がある。
写真ではすべての石を写すことができないが、石庭の石の配置はこんなふうになっている。


   
               方丈の西側の庭

石庭だけではなく、方丈の西側の庭も美しい。


  
      蹲踞(つくばい)              侘助椿

蹲踞は、方丈の北側にあるが、これは、レプリカ。
本物は、茶室「蔵六庵」(非公開)にあるそうだ。
徳川光圀の寄進とされる。

蹲踞の中央の水穴を「口」の字に見立てて、四方の文字と組み合わせれば、「吾唯足知」(ワレタダタルヲシル)となる。
「知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し」という釈迦の教えを図案化したものだという。

「侘助椿」は、桃山時代に、侘助という人物が朝鮮から持ち帰った椿といわれる。
この「侘助椿」は日本最古のもので、秀吉が賛美したものだと伝えられる。


          
                  パゴダ

境内にはパゴダがある。
第二次世界大戦でビルマ派遣野戦自動車廠に参戦していた龍安寺の第58代松倉紹英住職らの発願で、亡き戦友たちの慰霊の為に建てられたものだという。


   
                  鏡容池

「鏡容池」には、蓮の葉がたくさん浮かんでいた。
蓮の季節には、さぞかし美しいことだろう。
かつては、おしどりの名所だったようで、「おしどり池」とも呼ばれていたらしい。


          
               龍安寺の御朱印

   
               龍安寺のてぬぐい    

【京都】 北山鹿苑寺(金閣寺)

2008年06月18日 07時57分04秒 | 旅 - 京都府
6月7日(土)
当日の行程:(JR二条駅) → (自転車) → 【二条城】【晴明神社】【北野天満宮】 → 【北野東向観音寺】【平野神社】【北山鹿苑寺(金閣寺)】【龍安寺】【仁和寺】【妙心寺】 → 【退蔵院】【広隆寺】



【北山鹿苑寺(金閣寺)】(世界遺産)


  
        総門                   拝観券

黒門から総門までの道は、木々の緑が美しく、人出が多いのに、気持ちがよい。

金閣寺というと、なんだかゴージャスなイメージがあるのだが、総門は、思いのほか簡素なものだった。

総門をくぐると、拝観の受付所がある。
拝観券は、銀閣寺の拝観券と同じように、お札になっている。


  
      金閣(舎利殿)               巖下水

池に映る金閣。
鏡湖池とは、よく名付けたものだと思う。
寝殿造の1層は「法水院」、武家造の2層は「潮音洞」、中国風の禅宗仏殿造の3層は「究竟頂」と呼ばれるそうだ。
中には、仏舎利が祀られている。

「巖下水」は、足利義満が手を清めるために使ったといわれる水。


          
                金閣寺垣

「金閣寺垣」は、写真のような低い垣根。
明治時代、金閣寺境内に最初に作られたことから、その名前がついたらしい。
 


    
                 白蛇の塚
 
「安民沢(あんみんたく)」の中の島には、「白蛇の塚」がある。
白蛇は、かつてこの地に山荘を持っていた西園寺家の守り神といわれる。


           
              龍門の瀧と鯉魚石

「龍門の瀧」には、「鯉魚石(りぎょせき)」が置かれている。
これは、「登竜門」(鯉が瀧を登ると龍になる)という中国の故事に因んでいるそうだ。
瀧の前では、鯉に見えないなあ、と思っていたが、改めて写真を見れば、魚が瀧を登っていくように見えないこともない……ような。


   
               富士形手洗鉢

8代将軍足利義政が使ったとされる「富士形手洗鉢」。
雪化粧をした富士山のよう。


  
        夕佳亭                夕佳亭の中

「夕佳亭(せっかてい)」は、後水尾上皇をのために作られたといわれる。
造営したのは、茶人の金森宗和。
夕日に映える金閣が殊に佳いということから、「夕佳亭」という名が付けられたそうだ。
「南天の床柱」は有名。
現存の「夕佳亭」は明治7年に再建されたもの。


          
             北山鹿苑寺の御朱印

【京都】 北野天満宮・北野東向観音寺

2008年06月17日 17時05分48秒 | 旅 - 京都府
6月7日(土)
当日の行程:(JR二条駅) → (自転車) → 【二条城】【晴明神社】【北野天満宮】 → 【北野東向観音寺】 【平野神社】【北山鹿苑寺(金閣寺)】【龍安寺】【仁和寺】【妙心寺】 → 【退蔵院】【広隆寺】



【北野天満宮】


   
                   鳥居

          
                 影向松

大通りに面して、一の鳥居が建っている。
一の鳥居をくぐると右手に「影向松(ようごうのまつ)」がある。
初冬から節分までの間に初雪が降ると、天神さまが降臨し、歌を詠むという伝説があり、その期間に初雪が降った際には、硯・筆・墨をお供えして初雪祭を行うそうだ。


境内には牛がたくさん。
神牛像というようだ。

   
   
   
   
   
   
                              
北野天満宮の神使は牛。
その由緒を社務所でお尋ねしたところ、菅原道真公の出生年は丑年だからとのこと。


          
                 三光門

     
         日                    星

   
                   月

三光門(重要文化財)は、豊臣秀頼の寄進によるものとされる。
三光門の彫刻の中には、「日」、「星」、「月」があるというので探してみた。
二つの丸い形の彫刻はすぐに見つかったが、もう一つがなかなか見つからない。
このことも社務所で訊いてみた。
見つけた丸型の彫刻は「日」と「月」だと思っていたのだが、黄色く丸い彫刻は「星」で、「月」は拝殿側の兎の彫刻の間にあると親切に教えていただく。
発見!「月」は、二羽の兎の間にある三日月。


   
                   拝殿

  
       文子天満宮           北野天満宮の御朱印
     
拝殿(国宝)に向かい、修学旅行生が次々とお祈りしていた。
拝殿の裏手に、「文子天満宮」がある。
巫女・多治比文子(たじひあやこ)を祀っている神社で、多治比文子が、菅公の神霊から、自分を右近馬場(現在の北野天満宮の境内)に祀るように託宣を受け、北野天満宮が創建されたという。



【北野東向観音寺】


   
                   山門

          
                   本堂

北野天満宮の一の鳥居を入って左手に、北野東向観音寺がある。
本堂が東を向いていることから、東向観音と呼ばれるようになったようだ。


  
      土蜘蛛塚                 伴氏廟

          
            伴氏社(北野天満宮内)

土蜘蛛は、源頼光によって退治されたが、その蜘蛛が巣としていた塚が一条通七本松辺りにあったらしい。
明治時代、この塚が取り壊された時に、灯籠の火袋が見つかった。
これを持ち帰った家には次々と不幸が訪れたといわれる。
大正13年の土地整理で、「土蜘蛛塚」は北野東向観音寺の境内に移され、以後、祟りはないという。
伝説や歌舞伎の「土蜘」のイメージがあるので、この祠がどうも地味に思えてならない。

「伴氏廟」は、菅原道真の御母堂を祀っていると伝えられる。
ここにある五輪石塔は、かつては、北野天満宮の末社である「伴氏社」にあったそうだ。
北野天満宮の三の鳥居に向かって左手にある。
「伴氏社」の鳥居は、京都三珍鳥居の一つに数えられる珍しいもののようだ。


  
      白衣観音堂          北野東向観音寺の御朱印

北野東向観音寺にある白衣観音堂には、子供を抱いた観音像がある。
観音堂の傍らには、子授や安産を願う絵馬がたくさんかかっていた。

【大阪】 福澤諭吉生誕地・若宮商工稲荷神社

2008年06月16日 22時27分01秒 | 旅 - 大阪府
本日の行程:(自転車) → 【福澤諭吉生誕地】 → 【若宮商工稲荷神社】


   
                  蛸の松

福島へ自転車で行く用事のついで、福澤諭吉の生誕地を探してみようと思った。
急に思いついたことなので、福島1丁目にあるということ以外、詳しいことは分からない。
行けばなんとかなるだろう。
で、うろうろしていたら、「蛸の松」を見つけた。

江戸時代、この辺りには、諸藩の蔵屋敷が建ち並んでいたらしい。
各屋敷の前には松が植えられていて、その中でも、とりわけ美しかったのは、久留米藩屋敷と広島藩屋敷の境にあった松で、その枝振りが蛸に似ていることから、「蛸の松」と呼ばれるようになったそうだ。
この松は、当時、広島藩主だった福島正則によって植えられたとのこと。
現在、田蓑橋北詰に植えられている「蛸の松」は2004年に植樹したもので、かつては、対岸に植えられていたようだ。


   
              福澤諭吉生誕地の碑

玉江橋北詰の辺り、先月オープンした「ほたるまち」の前に、福澤諭吉生誕地の碑があった。


   
       福澤諭吉生誕地の碑(向かって左側の碑)

      天ハ人ノ上ニ
        人ヲ造ラズ
      人ノ下ニ
        人ヲ造ラズ


          
          福澤諭吉生誕地の碑(中央の碑)

   
             中央の碑の下にある石版

石版には次のように書かれている。
『幕末明治の大教育家福澤諭吉先生こゝに生る。時に天保五年十二月十二日(西暦一八三五年一月十日)。こゝは舊豊前中津藩倉屋敷の長屋跡である。先生の父百助は一面に於いて、経學者、詩文家であったが、然も、理財の道に精通した循吏であって金穀會計の俗役に奔命して其生涯を終った人である。彼は妻お順が、大きな、瘠せて骨太な五番目の子を産んだ時「これはよい子だ、大きくなったら寺へ遣って坊主にする」と語ったと傳へられてゐる。封建門閥の世に下級士族が其子をして名を成さしめる道はこれを佛門に入らしめる以外にはなかったのであらう。當時に於いて、この子が後年、西洋文明東道の主人となり、封建的観念形態の打破に努力するに至る将来を誰が豫見し得たであらうか』


           
  
          福澤諭吉生誕地の碑(向かって右側の碑)

向かって右側の碑には、「豊前國中津藩屋舗之跡 大阪堂島玉江橋北詰」とある。
角柱の碑の左側面には「従是江戸迄 海路二百四十八里 陸路百三十三里」、右側面には「従是中津迄 海路百三十里 陸路百三十五里」とある。


   
        福澤諭吉生誕地辺りから見た玉江橋


玉江橋を渡り、土佐堀通を東へ向かう。
松屋町筋を南に折れて、大阪商工会議所へ。


          
           大阪商工会議所にある銅像

   
              ビルの間にある神社

銅像は、左から、五代友厚、土居通夫、稲畑勝太郎の銅像。
銅像の奥の階段を見上げると、ビルとビルの間に神社がある。


          
              若宮商工稲荷神社

   
                  手水舎

  
         狛犬                  本殿

若宮商工稲荷神社という神社らしい。
手水舎もある。
狛犬はかわった顔をしていた。

【京都】 三尾① (神護寺)

2008年06月15日 23時28分38秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(JR京都駅)…(JRバス・京都~山城高雄) → 【神護寺】【西明寺】【高山寺】 → (JRバス・栂ノ尾~四条大宮)…(自転車) → 【六波羅蜜寺】【知恩院】【南禅寺】 → 【金地院】【幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」】【京都霊山護國神社】


【神護寺】

三尾とは、「高雄(尾)」「槇尾」「栂尾」という地名の総称らしい。
JR京都駅からバスで約40分。
昨日の大原もそうだが、京都の中心から30~40分で、こんなにも自然に恵まれた場所に来ることができるというのは驚きだ。

まずは、高雄山・神護寺へ。


   
               参道手前の橋

          
               神護寺の参道

バスを降り、神護寺方面へ坂を下って行くと、川が流れる音が聞こえてくる。
赤い橋を渡るとすぐに、神護寺の参道が始まる。
参道は、急な石段。
400段くらいあるだろうか。
石を自然のままに積んであるので、
一段一段、高さがまちまちで、登るのに息が切れる。


   

           <
                   硯石             

参道の途中に、「硯石」がある。
「硯石」の石段を折り返したら、楼門まではあとわずか。


  
     楼門までの石段               楼門

楼門をくぐると、目に入ってくる境内は、広々としている。
山の中に、お寺が溶け込んでいるような感じだ。


   
                和気公霊廟

          
               和気清麻呂公墓

神護寺は、和気清麻呂が建てた愛宕五坊の一つで、はじめ、「高雄山寺」と呼ばれていたという。
その後、河内国神願寺(和気清麻呂創立)と合併し、「神護国祚真言寺」と称するようになる。
神護寺には、最澄や空海も招聘されたそうだ。
神護寺の境内には、和気公霊廟があり、霊廟の脇の道から山道を登って行くと、和気清麻呂の墓が建っている。


          
                  多宝塔

   
                   金堂

多宝塔を拝観するには、事前申請が必要なため、見ることができなかった。
金堂には、本尊の薬師如来立像(国宝)、日光菩薩像・月光菩薩像(重要文化財)、十二神将像、四天王像が安置されている。


   
              かわらけ投げの名所

          
                 かわらけ

「地蔵院」のそばには、「かわらけ投げの名所」がある。
掌にすっぽり入るくらいの大きさの「かわらけ」が、2枚1組(100円)で売られている。
「かわらけ」には、「厄除」の文字がうっすらと見える。


   
              五大堂と毘沙門堂

写真の手前にある建物が「五大堂」、奥の建物が「毘沙門堂」。
更にその奥に、弘法大師住堂跡の「太子堂」があるのだけれど、
写真が……ない。


          
               神護寺の御朱印


続きは後日。

今日の歩数:28,038歩

【京都】 大原① (三千院)

2008年06月14日 23時52分59秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(京阪・出町柳駅) → (京都バス・出町柳駅前~大原) → 【三千院】【来迎院】 → 【音無の滝】【実光院】【勝林院】【宝泉院】【寂光院】 → (京都バス・大原~御陰橋) → 【下鴨神社】 → (京都市バス・一本松~上賀茂神社前) → 【上賀茂神社】


    
                  大原の紫蘇畑

大原は紫蘇の生産がさかん。
あちらこちらに紫蘇畑を見かける。
一日のうちでも寒暖の差が激しい大原では、縮れた葉の紫蘇ができるそうだ。


           
                    呂川

    
              大原女のてぬぐい   

大原の「魚山」には、呂川と律川が流れている。
この地域は、仏教音楽である天台声明の発祥地。
「呂律が回らない」の語源でもあるとか。



【三千院】

           
                   御殿門

    
                   聚碧園

     
                三千院の御朱印(客殿)

御殿門を入り、受付を経由して客殿へ。
廊下でつながっている宸殿から外へ出るため、靴は袋に入れて持ち歩く。
聚碧園はお花の少ない季節だったが、緑が清清しかった。
こちらでいただける御朱印は2種類。


           
                   宸殿

宸殿を出て、振り返ってみる。
美しさに息をのむ。


    
              往生極楽院(重要文化財)

       
       弥陀三尊(国宝)           往生極楽院の御朱印 

往生極楽院には、弥陀三尊が安置されている。
天井は、船底天井。
天井や壁面には来迎図が描かれているが、はっきりとは見えない。
「円融蔵」(展示室)では、「往生極楽院船底型天井画」の復元模写が展示されていて、かつては鮮やかな色彩で描かれたことが分かる。


     
         わらべ地蔵              福寿延命金色水

往生極楽院から出るとすぐに、わらべ地蔵が顔を出す。
その脇にある弁天池には、福寿延命金色水が注がれている。


     
        金色不動堂                  写経

           
              金色不動堂の御朱印

金色不動堂では、16文字の写経を奉納してきた。
少しの間だけれど、心を落ち着けることができた。


           
                 売炭翁石仏

鎌倉時代の石仏。
この辺りには、かつて炭を焼く炭竈があり、売炭翁旧跡と伝えられているそうだ。
石の表面が風化して柔らかな感じになっていた。


     
         観音堂                二十五菩薩石庭

           
                観音堂の御朱印

二十五菩薩石庭の横には、観音堂が建っている。
観音堂の脇には、数え切れないほどの小観音像が安置されていた。

続きは後日。

本日の歩数:21,406歩

【京都】 晴明神社・平野神社

2008年06月13日 08時56分59秒 | 旅 - 京都府
6月7日(土)
当日の行程:(JR二条駅) → (自転車) → 【二条城】【晴明神社】【北野天満宮】 → 【北野東向観音寺】【平野神社】【北山鹿苑寺(金閣寺)】【龍安寺】【仁和寺】【妙心寺】 → 【退蔵院】【広隆寺】



【晴明神社】


大阪にある「晴明神社」は、安倍晴明の生誕地に建っている。
もっとも、生誕地といわれているのは大阪だけでなく、ほかに、讃岐説や茨城説もあるようだが。
こちらの「晴明神社」は、安倍明晴の邸跡だという。


           
               晴明神社の鳥居

    
                 旧一條戻橋

境内には、平成7年まで実際に使われていた親柱で造った「旧一條戻橋」があった。
実際の「一條戻橋」は、晴明神社の南にある。
あの世とこの世をつなぐ橋とされ、安倍晴明は式神(しきがみ)を石棺に封じてこの橋の下に隠したといわれる。


     
          晴明井               人事相談の案内

「晴明井」の水は、諸病平癒にご利益があるとされる。
取水口が回転する仕組みになっていて、その年々の恵方に向けられている。
ここは、千利休の終焉の地であり、この水を利休が茶の湯に使ったという言い伝えもある。

神社では、人事相談を行っていた。
訪れたのは10時半頃、すでに4時間待ちという案内板が。
大人気だなあ。


    
                    本殿

           
                  厄除桃

本殿に向かって右側には、御神木の楠がある。
樹齢推定300年。
左側には、「厄除桃」がある。
古来、陰陽道では、桃は、魔除厄除の果物とされていたそうだ。
参拝者は、この桃に自分の厄を撫でつけるとよいらしい。

若い人たちが多く参拝していた。
こんなに明るい雰囲気の神社は初めて。


           
               晴明神社の御朱印

    
               晴明神社のてぬぐい



【平野神社】


     
       平野神社の鳥居         猿田彦社と出世導引稲荷社

平野神社の鳥居をくぐると、右手に猿田彦社と出世導引稲荷社とがある。


     
         参道と楼門                 拝殿

  
拝殿は、釘を使わずに木を組み合わせて作った「接木の拝殿」。
拝殿の中には、近衛基煕書・海北友雪画とされる三十六歌仙の絵が飾られている。


    
                本殿(重要文化財)

四棟から成る本殿は、二棟が一体となったものが並んでいる。
「平野造」もしくは「比翼春日造」というらしい。

本殿に向かって右側には、大きな枝垂桜の木があった。
平野神社は桜の名所として知られていて、境内を見わたすと、桜の木でいっぱいだ。
春は賑やかなことだろう。


           
               平野神社の御朱印

【京都】 京都タワー

2008年06月12日 17時58分35秒 | 旅 - 京都府
6月1日(日)
当日の行程:(JR京都駅) → (自転車) → 【教王護国寺(東寺)】 → 【西本願寺】 → 【東本願寺】【清水寺】 → 【地主神社】【六條天皇清閑寺陵・高倉天皇後清閑寺陵】 → 【清閑寺】【法観寺(八坂の塔)】 【東山慈照寺(銀閣寺)】 【京都府京都文化博物館】【京都タワー】



     
        京都タワー                たわわちゃん

京都駅近くのレンタサイクル屋さんに自転車を返したあと、京都タワーに寄ってみた。

エレベーターのアナウンスが京都弁なのには驚いた。
なのに、マスコットキャラクターの「たわわちゃん」がちっとも京都風ではないのは、なぜだろう。
けしからん!と見た目だけで早合点してスミマセン。
特技は琴で、好きな唄は「丸竹夷」、あこがれは舞妓さんなのだそうだ。


    
               タワー展望室

    
            展望室から西方を望む

展望室の望遠鏡は無料。
窓に、名所とそこまでの距離が記されている。
それをたよりにあれこれ探してみるが、欲張って遠くのものばかり狙うせいか、なかなかうまくいかない。
知っている建造物を見つけると、なぜだかとても嬉しい。

【兵庫】 西宮神社

2008年06月11日 19時15分12秒 | 旅 - 兵庫県
(阪神電車・西宮駅) → 【西宮神社】


西宮神社は、日本に約3,500ある戎社の総本社。
「十日えびす」の参拝者は、100万人を超えるとか。


           
               表大門(重要文化財)

「表大門」は、豊臣秀頼が寄進したものといわれる。
「十日戎開門神事福男選び」(通称「福男選び」)では、大勢の人がこの「表大門」の開門と同時に本殿を目指して疾走し、1着~3着までの人が、その年の「福男」となる。
新年にテレビで見た映像では、あちこちで転倒する人が映っていたせいか、門から本殿まで、かなりの距離があるように思えた。
実際にはそれほどでもない。230mだそうだ。
 

    
               大練塀(重要文化財)

「大練塀」は、境内の東面から南面に巡る、全長247mの練塀。
規模の大きさ、構造の堅牢さにおいて他に類例をみないもので、蓮華王院(三十三間堂)の太閤塀、熱田神宮の信長塀とともに、三練塀の一つに数えられているとのこと。


           
                   神馬舎

「表大門」を入って2つ目の鳥居の手前に、「神馬舎」がある。
「十日えびす」の前夜に、えびす様が市中を乗馬で巡回するという伝説があるとのこと。


    
                    拝殿

朱塗りの拝殿はとても美しい。
「十日えびす」の期間中は、この拝殿に「招福マグロ」が置かれる。
商売繁盛や金運上昇を願う参拝客が、このマグロに硬貨を貼り付けるらしい。


     
     拝殿前の狛犬・前から        拝殿前の狛犬・後ろから

拝殿前の狛犬は、尾に特徴がある。


    
                    本殿

本殿は、徳川家綱によって造営される。
現在残っているのは、戦災で消失した後、昭和36年に復元したもの。
春日造りの屋根を三棟連結した三連春日造。
非常に珍しい造りらしい。
吉野水分神社の本殿の造りに似ている。


     
          境内の池               池の鶴と亀

境内には、大きな池がある。
鶴もいる……と思ったら、作り物、
と思ったら、鶴の足元の亀は本物。
気味が悪いくらい、うじゃうじゃいる亀。


     
       伊勢神宮遥拝所            西宮神社の御朱印

池の中央には、「伊勢神宮遥拝所」がある。
毎年10月17日の神宮祭には、ここから伊勢神宮を遥拝するらしい。