6月21日(土)
当日の行程:(阪急電鉄・嵐山駅)…(自転車) → 【清涼寺】 → 【大覚寺】 → 【直指庵】 → 【仏野念仏寺】 → 【祗王寺】 → 【滝口寺】 → 【二尊院】 → 【落柿舎】 → 【常寂光寺】 → 【野宮神社】 → 【天龍寺】
山門 仁王門
常寂光寺は、藤原定家の山荘「時雨亭」があった場所だといわれている。
仁王門は、南北朝時代に建立されたもの。
本圀寺(京都市山科区)の客殿南門を、元和2年(1616)に移築したのだという。
仁王像は、運慶の作と伝えられる。
仁王門の草鞋
仁王門の両脇には、大小さまざまな草鞋が下がっている。
祈願成就の際に、奉納するのだという。
仁王門の先の石段
仁王門の先には、石段が続く。
この石段を登ると本堂である。
本堂
慶長年間に、小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿を移築したもの。
本尊は十界大曼荼羅。
妙見堂
慶長年間の保津川の洪水の際に、一舟夫が拾い上げた妙見菩薩神像を、御神体として祀っている。
多宝塔(重要文化財) 謌僊祠
元和6年(1620)の建立。
霊元天皇から下賜された「並尊閣(へいそんかく)」の勅額が掲げられている。
謌僊祠は、もともと仁王門北にあったものを、お寺の創立時に、現在のように山上に移転したのだそうだ。
明治23年の定家卿650年祭に祠堂を改築した際に、富岡鉄斎が「謌僊祠(かせんし)」と命名したという。
祠内には、藤原定家の木像を祀っている。
藤原定家公山荘跡の碑
藤原定家は、山荘「時雨亭」で百人一首の選定をしたといわれる。
時雨亭跡だと伝わっている場所が、嵯峨には3ヶ所ある。
ここ常寂光寺のほかには、二尊院と厭離庵(えんりあん)だ。
常寂光寺のパンフレットによれば、時雨亭の場所は、常寂光寺仁王門の北、二尊院の南で、厭離庵近辺は定家の子・為家の住居跡だという。
常寂光寺の御朱印
当日の行程:(阪急電鉄・嵐山駅)…(自転車) → 【清涼寺】 → 【大覚寺】 → 【直指庵】 → 【仏野念仏寺】 → 【祗王寺】 → 【滝口寺】 → 【二尊院】 → 【落柿舎】 → 【常寂光寺】 → 【野宮神社】 → 【天龍寺】
山門 仁王門
常寂光寺は、藤原定家の山荘「時雨亭」があった場所だといわれている。
仁王門は、南北朝時代に建立されたもの。
本圀寺(京都市山科区)の客殿南門を、元和2年(1616)に移築したのだという。
仁王像は、運慶の作と伝えられる。
仁王門の草鞋
仁王門の両脇には、大小さまざまな草鞋が下がっている。
祈願成就の際に、奉納するのだという。
仁王門の先の石段
仁王門の先には、石段が続く。
この石段を登ると本堂である。
本堂
慶長年間に、小早川秀秋の助力を得て、桃山城客殿を移築したもの。
本尊は十界大曼荼羅。
妙見堂
慶長年間の保津川の洪水の際に、一舟夫が拾い上げた妙見菩薩神像を、御神体として祀っている。
多宝塔(重要文化財) 謌僊祠
元和6年(1620)の建立。
霊元天皇から下賜された「並尊閣(へいそんかく)」の勅額が掲げられている。
謌僊祠は、もともと仁王門北にあったものを、お寺の創立時に、現在のように山上に移転したのだそうだ。
明治23年の定家卿650年祭に祠堂を改築した際に、富岡鉄斎が「謌僊祠(かせんし)」と命名したという。
祠内には、藤原定家の木像を祀っている。
藤原定家公山荘跡の碑
藤原定家は、山荘「時雨亭」で百人一首の選定をしたといわれる。
時雨亭跡だと伝わっている場所が、嵯峨には3ヶ所ある。
ここ常寂光寺のほかには、二尊院と厭離庵(えんりあん)だ。
常寂光寺のパンフレットによれば、時雨亭の場所は、常寂光寺仁王門の北、二尊院の南で、厭離庵近辺は定家の子・為家の住居跡だという。
常寂光寺の御朱印