大倉草紙

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【奈良】 法華寺・平城宮跡・唐招提寺・薬師寺・西大寺

2008年04月19日 23時42分51秒 | 旅 - 奈良県
本日の行程:(近鉄奈良駅) → 【法華寺】 → 【平城宮跡】 → (自転車) → 【長屋王邸跡】 → 【平城宮跡】 → 【唐招提寺】 → 【薬師寺】 → 【西大寺】


近鉄奈良駅で電車を降りて平城宮跡へ向かう途中に、「法華寺」の看板があった。
車は走っているものの、のどかな風景を残した道を歩いて法華寺へ。
法華寺は、尼寺。藤原不比等の住居を、光明皇后が総国分尼寺として建立したのがその始まりらしい。
本堂(重要文化財)には、国宝の「木造十一面観音立像」がある。
開扉期間でなかったため、見ることができたのは模刻像だった。
本堂に向かって左手にある奥書院の前には、緑あふれる庭園がある。
かきつばたが美しい。
本堂に向かって右手にある「浴室(からふろ)」は、薬草を使った蒸し風呂のようなものであり、多くの難病者を救ったといわれる。
「浴室」よりさらに奥へ行くと、「華樂園」がある。
ここにある花木・草花は、約750種に及ぶという。
整えすぎず、自然なかんじの庭である。

法華寺を出て、人家の間の細い道を縫うように行くと、
平城宮跡(世界遺産)の「東院庭園」の入口に出た。
平城宮跡に辿り着いたのはよいが、
ここが平城宮全体のどのあたりにあたるのか、まったく分からない。
よく喋る警備のおじさんから「平城宮跡散策マップ」を受け取り、ようやく全体像をつかむことができた。
「東院庭園」は、天平時代の庭園を再現したもの。
「東院庭園」では、天皇や貴族が儀式や宴を行っていたという。
朱塗りの建物の周りを池が囲み、じつに雅やかである。

平城宮跡は広い。甘くみていた。
唐招提寺も薬師寺も参拝したいけれど、これでは無理だ。
ということで、いったん西大寺駅まで行って、自転車を借りることにした。

レンタサイクル屋さんでもらった地図をたよりに、
長屋王邸跡を探す。
なかなか見つからない。
どうやら行き過ぎたようで、道を戻ってみる。
見つからないはずだ。長屋王邸宅跡はイトーヨーカドーになっていた。
イトーヨーカドー裏手の自転車置場の片隅に、長屋王を祀った祠があった。
ここにいたんだねえ。

そして再び平城宮跡へ。
「朱雀門」から入り、自転車で回る。
ジョギングをする人、犬の散歩をする人、さまざまだ。
「ちょっと平城宮を走ってくるよ」と言って家を出てきたのだろうか。
日常生活に平城宮があるとは、なんて素敵なのだろう!
資料館や展示館は興味深いものでいっぱいだったが、受付の係員が館内に響き渡るほどの声で、後期高齢者医療制度への不満を語り合っていたのを苦々しく思う。
大変な気持ちが分からないでもないが、館内に入った時から出る時まで、ずっと聞こえてきたので、うんざりしてしまった。
太古へ思いを馳せているのに、現実に引き戻されてしまう。

川沿いの自転車専用道路を通り、次に向かった先は唐招提寺(世界遺産)。
金堂(金堂)は、来年秋まで解体修理中で見ることはできない。
鑑真和上坐像(国宝)も、6月の開扉期間でなければ拝むことはできない。
こういった、教科書のいわば定番に出会えなかったのは残念だけれど、限られた期間内で、できるだけ多くのものを見たいと詰め込んでいるのだから仕方がない。


     
          薬師寺東塔(国宝)

そして、薬師寺(世界遺産)へ。
日光菩薩・月光菩薩は、「国宝 薬師寺展」のため、東京国立博物館へご出張中。
戻ってきたら、拝観しよう。
「国宝 薬師寺展」では、仏像の後姿も拝むことができるらしい。
これはちょっと羨ましい。
「凍れる音楽」と称えられる東塔は、凛としていて美しい。
ところで、「凍れる音楽」ってどんなの?
わかったようで、わからない。
そもそもこの言葉は東塔のために生まれたものではないらしい。
フェノロサ以前にも、「音楽は流れる建築であり、建築は凍れる音楽である」というフレーズが使われていたとか。
ゴシックの大聖堂を見て「凍れる音楽」なんて評していたわけだ。
言われてみると、西洋建築のほうがぴったりくる表現である。
「音楽」って言葉が、どうも明治以降の匂いがして、違和感があるのかなあ。

西大寺へ戻ったときは、すでに拝観時間を過ぎていたので、さっと境内を見て回った。
西大寺は大きなお寺だ。
けれどそれは、町の中にあるお寺にしては大きいという意味である。
駅から程近く、夕食の食材を買いに来る人で混雑するスーパーや
良い香りの漂うパン屋さんなどが軒を並べる商業地の一角に、西大寺はある。
ほかの奈良のお寺と立地が違う。
東大寺とどちらが大きいか、そういった比較ではない。
けれど、その名前からも容易に推察できるように、創建時における西大寺は、東大寺に匹敵する、いまより遥かに壮大な寺院だったらしい。
貴重な仏像も多く安置されているようなので、拝観できる時間にもう一度訪れたい。