思い立ったが吉日

備忘録というか雑感というか・・・

体重減少

2002年02月28日 21時44分19秒 | NICU
産婦向けの栄養指導の後、NICU面会。

たっくんは体重がずいぶん落ちてしまったけど、
生理的体重減少といって問題無いらしい。

わたしは点滴は外れたばかりなので、傷がある手は保育器の中に入れられません。

看護婦さんがおむつを替えたりミルクを飲ませるのを見るだけ。

でも母乳の搾乳を開始したので、
がんばって毎日届ければたっくんに飲んでもらうこともできます。

日齢3日 体重:1,692g

ビデオ撮影

2002年02月27日 21時42分23秒 | NICU
午後NICUへ面会。

NICUは赤ちゃんの両親以外の面会はできません。

じゅんぺーは仕事で来れないので、わたしがビデオを持ち込んで撮影。

お昼から哺乳瓶でのミルクを開始しました。

10ccの挑戦で5ccくらいで疲れて眠ってしまうようで、
残りは口からのチューブを使って注入します。 

日齢2日

面会

2002年02月26日 21時35分30秒 | NICU
夕方、仕事がお休みのじゅんぺーと一緒にNICUへ面会。

たっくんは保育器の中でうつ伏せに寝ていました。

足には点滴。

口にチューブ。

心拍のモニターも胸に貼りついています。

主治医の先生から説明があり、
保育器の中は温度、湿度、酸素濃度が外気より高めに設定されているけれど、
自発呼吸ができているので人口呼吸器は必要無いということでした。

明日からは哺乳瓶でミルクを開始して、おおよそ1ヶ月くらいの入院になるようです。

生きて生まれてくるかどうかもわからないと言われたたっくん。

頑張っておうちに帰ろうね。

日齢1日 体重:1,836g

NICU面会

2002年02月26日 16時21分48秒 | 妊娠・出産
翌日、じゅんぺーは運良く定休日だったので
朝から病院の手続きに走り回っていた。

わたしの入院も早朝の時間外だったから、手続きが何ひとつ終わってなかった。

たっくんのカルテや診察券もできあがった。

出生届はまだだけど、名前が決めてあって良かったかも。

午後には導尿のカテーテルを外してベッドから立ち上がる。

じっとしてるぶんには傷の痛みも感じないけど、
立ったり座ったりという体勢を変えるのは冷や汗が出るくらい辛い。

痛みは限度を越えると吐き気に変わるらしい。

腹筋に力が入らない。

それでも何とか時間をかけて立ちあがる。

トイレも頑張って自力で行くように指示された。

立上がるところまではできたけど、
点滴も繋がっていたし歩くのは無理なので、
じゅんぺーが車椅子を押してたっくんに面会しに行くことになった。

面会着を羽織ってNICUへ先生を訪ねるとたっくんのところへ案内してくれた。

保育器の中でおむつひとつでうつ伏せに寝かされてる。

41センチメートル。
1882グラム。

両手に乗せてしまえるくらい小さくて、
身体の半分がおむつみたいな状態だけど、
自力で呼吸して肩や背中がゆるやかに上下してる。

時折、手足がぴくっと動いたりして、
これが胎動だったんだなってつい昨日までのことなのになんだか懐かしく思えた。

先生からいくつか説明があった。

まだミルクが飲めないので点滴が繋がっているけど、
明日には哺乳瓶で飲めるようにトライすること。

保育器の中は空気中より少し酸素濃度が濃くしてあるけれど、
自発呼吸をしているので、酸素吸入(気管挿管)は必要無いこと。

いまのところ、これといった問題は無いらしい。

4週間くらいの入院予定で2200~2300グラムになれば退院できるという話だった。

点滴の刺さってない(傷の無い)手なら
保育器の窓を開けて触ってもいいといわれ、恐る恐る触れてみた。

小さくて弱々しいけど、ちゃんと呼吸して温かな体温も分かる。

生きられないかもしれないといわれた生命が確かにここにある。

ホッとしてまた泣いた。

生まれてきてくれてありがとう。

よくがんばったねって、
手のひらにすっぽり収まってしまうようなたっくんにずっと触れていた。

術後

2002年02月25日 23時18分37秒 | 妊娠・出産
手術室から病室に戻る通路で実家の両親と義父母、
そしてじゅんぺーも勤務先から到着して待っていてくれた。

「ちゃんと泣いてたよ。産声あげてたから」

とだけ告げたら、また泣けてきた。

立会い出産のつもりが、結局わたししか産声は聞けなかったのだから
それだけは伝えたかった。

病室に戻ると執刀医がたっくんの写真を持ってきてくれた。

「NICUで保育器に入っているけど元気だから。
 明日にはベッドから起きあがれるから会いにいけるよ。
 今日はゆっくり休んで。
 赤ちゃんの心音が下がったのは、
 通常胎盤の真ん中に繋がってる臍の緒が端っこに繋がっていたから、
 破水で羊水が減って酸素や血液が流れにくくなったせいかもしれない。」

写真には口から管が入っていたり、
胸にモニターがついていたり(なぜかキティーちゃん柄)するけど、
顔色は良いし、ふっくらしているたっくんが写っていた。

わたしの弟のアルバムにあった生まれたばかりの時の写真を思い出した。

わたしと弟はよく似ているといわれるから、
たっくんもわたし似なのかもしれない。

間違いなくわたしのこどもなのだ。

両親と義父母はまた明日以降にくるということで早々帰っていった。

じゅんぺーは個室ということもあるし、
術後を気遣ってか看護婦さんも了解のもと、
面会時間終了のしばらく後まで病室に居てくれた。

小児科医からの簡単な説明があったりでNICUへ呼ばれたりもしていたけど。

わたしは麻酔が効きやすいのかもしれない。

下半身麻酔というのに、両手は使えるけど胸から下はほとんど感覚がない。

おかげで切った傷の痛みも感じずに済んだ。

でも、麻酔の効きが深すぎるということで、
念のために一晩酸素マスクと指先に酸素飽和度のモニターを付けて
様子を見ることになった。

その夜、麻酔のせいか身体はだるいのに眠りは浅いみたいで、
夜中に何度も目を覚ました。

でもふと枕元を見ればさっきの写真。

明日会いに行くから頑張れって思いながら、一晩過ごした。

NICUへ

2002年02月25日 21時33分45秒 | NICU
帝王切開の手術後、NICUへ向かうたっくんを保育器越しに見ただけ。

抱くことも触れることもできませんでした。

私の病室へ産科の執刀医の先生がたっくんの写真を届けてくれました。

エコー写真で見た顔と同じ。

かわいい。

日齢0日

 体重:1,882g
 身長:41.0cm
 胸囲:27.0cm
 頭囲:31.0cm

帝王切開手術

2002年02月25日 17時23分39秒 | 妊娠・出産
実家の両親と義母に見送られていよいよ手術室へ移動となった。

じゅんぺーにも病院からの連絡は行って
こちらに向かっているらしいが、まだ到着していない。

話さなきゃいけないことがあるような気もしたけれど、仕方が無い。

ベッドに寝かされた状態で
エレベーターや廊下など、どこをどう通ったのか
辿り着いた手術室は何でこんなに広いのかと思うくらい、だだ広かった。

そんな広い部屋に執刀医や看護婦さん以外にも
大学病院のせいか学生らしき人も横に並んで見学してる。

事前に確認されれば断ったかもしれないけど、
その時は誰が見てようがそんなことどうでもよかった。

たっくんが無事かどうかだけが気がかりだった。

腰椎麻酔は針を刺すときが痛いと聞いていたけど、
痛みを感じる前にしびれたみたいになった。

首のあたりでカーテンのように布がかけられていて
自分の胸から下は見えないし、
麻酔もよく効いていたみたいでさっぱり感覚は無かったけど、
横に付いていてくれる麻酔医が手術の進行状況を説明してくれる。

やがて「これから赤ちゃん出てきますからね」といわれ
口元にマスクを当てられた。

「このマスクは麻酔じゃなくて酸素ですから眠くなったりしませんよ。
 赤ちゃんに新鮮な酸素を送るためにゆっくり大きく呼吸してください」
と言われ、ガンバレーって思いながら深呼吸していると
下腹部のあたりがもぞもぞする感じ。

生まれたんだと思ったけど産声は聞こえない。

あっという間に手術室の隅に連れて行かれたみたいで、
遠くで掃除機みたいな音。

産声をあげさせるために鼻や咽喉から羊水を吸引されていたんだと思う。

泣かないの?

泣けないの?

泣いて。

呼吸して。

と思っていたら、

「ふぎゃー。ふんぎゃー」

と産声が手術室に響いた。

泣いた。

息したんだ。

と思ったらボロボロ涙が出てきた。

医師や看護婦さんからもおめでとうと言われホッとした。

正直、産声をあげないんじゃないかと思っていた。

わたしの聞き違いで肺動脈が細いと聞いていたから、
呼吸に問題があると思っていた。

でもそんな心配をよそに想像以上に立派な産声だった。

後産や縫合などわたしの処置が続いている間に、
ガラガラとわたしの横を何かを押していくような音。

保育器を押して小児科医が「赤ちゃんお預かりしますから」と
赤ちゃんを運んでいった。

ちょっと遠目ではっきり顔までは見れなかったけど、
保育器の中で眠っているみたいだった。

心音低下

2002年02月25日 15時06分26秒 | 妊娠・出産
再び義母がお見舞いに来た頃、入院時に診察してくれた先生が病室にやって来た。

お腹の張りや痛みが無いか確認されたけど、今朝から何も変化は無かった。

でも午後から付けている心音モニターで、
たっくんの心拍数が下がっていることがあるようだった。

しばらくすると戻っているようだけど、
夜までこのまま様子を見て、心拍が戻らなくなって緊急で帝王切開になるより、
日中の産科医も小児科医もたくさん居る(人手がある)いまのうちに
帝王切開で出産したほうがいいという話しだった。

実家の両親もお義母さんも病室の外に出され、
胸部X線撮影や剃毛など、バタバタと手術の準備が始まった。

先週の検診でたっくんがどんな状態で生まれてくるかわからないと
言われていることはどちらの両親にも話していなかったので、
出産が終わって全てが分かった後に
わたし達夫婦から話しますということにして、
先生からは黙っていてもらうことにした。

続いて病室に4~5人の先生方が入ってきた。

たっくんが小さく生まれてくることが予想されるので、
保育器の準備など小児科医(新生児専門医)も手術に立ち会うということだった。

この小児科医からも、早産で小さく生まれてくることと、
羊水過多症自体、赤ちゃんに異常がある場合の症状であることもあるので、
生まれてこれない、もしくはどんな状態で生まれてくるかわからない可能性を言われた。

たっくんに緊急手術や人口心肺装置が必要な場合はどうしたいのか聞かれたけど、
もうわけがわからなかった。

何を答えればよいのかもわからずに涙だけがあふれていた。

それでも、生まれたばかりの小さな身体に
メスや器具を入れるのはいやだなと思い、
言葉に詰まりながら
「無理はさせたくないです」
と告げた。

小児科の先生方は「きちんと看取ってあげることもわたし達の仕事ですから、
ご両親(じゅんぺーとわたし)のご意向を確認したかったんです。

出産が終わってからお父さん(じゅんぺー)にももう一度確認しますから」
と言って、病室を出ていった。

どんな手段を使ってても助けたい、生きていて欲しいと思うのが母親なんだろうか?

でも正直に機械に繋がれた赤ちゃんを想像するのはいたたまれなかった。

病室へ

2002年02月25日 05時50分32秒 | 妊娠・出産
このまま入院して陣痛を待つことになった。

またしても濡れてしまったパジャマを院内着に着替え、
点滴の血管を確保して病室へ移動することになった。

診察室の外で待っていたはずのじゅんぺーが居なくて、
看護婦さんも探していたけど、
電話でも掛けているのかどこに行ったのか分からなかった。

朝6時を回って、他の妊婦さん達も起き出している中、
病室のベッドに移ってトイレ以外は寝ているようにいわれたけど、
わたし自身が寝返りする時もたっくんが動いても、
羊水が流れ出るのは続いていた。

その時はまだ34週だったし赤ちゃんも小さいし、
正産期までこのまま病院で過ごすんだろうと思ってた。

わたしのとんだ思い違いだったけど。

実際、少量の破水なら感染予防をしながら正産期まで待つこともあるようだけど、
わたしみたいに大量に破水してしまっている場合は1~2日が限度らしい。

破水が起これば自然に陣痛が誘発されるのが普通だから、
それを待つことになったのだ。

診察中にどこかに行っていたじゅんぺーがやっと戻ってきた。

まだいつ出産になるかわからないけど、
入院したことだけはわたしの実家と勤務先にも連絡をいれてもらうように頼んで
出勤してもらった。

かわいそうだけど、そのまま一睡もせずに出勤することになってしまった。

朝食の時間になってわたしの分も準備されたけど、
眠っていないせいもあってか食欲がない。

少しでも食べておいたほうがいいとは思いながら、
1/3ほどしか食べられなかった。

トイレに行くと少量の出血があったので、
看護婦さんに聞いたら内診の後だからということで心配無いようだった。

体重を量ったら、先週の検診から3キログラムも減っていた。

単純計算で3リットルの羊水が入っていたのかと思ったらゾッとしたけど。

休めるように看護婦さんがカーテンを引いてくれてうとうとし始めた頃、
じゅんぺーの両親がお見舞いに来てくれた。

じゅんぺーが出勤前に実家に寄ったらしい。

まだいつ出産になるかも分からないので、
入院中に足りないものを準備して午後にまた来てもらうことになった。

午後になって個室に移動になり、たっくんの心音を測るモニターが付けられた。

じゅんぺーからの連絡を受けてわたしの実家の両親も病院にやってきた。

母は私と弟妹の3回の出産ともに
正産期入ってすぐに破水から始まって出産している。

わたしのお腹が大きくなって産休までもうすぐだよなんて話したときに、
入院準備は急いで備えた方がいいという話しはしていた。

早産の危険性があるから転院したという連絡をした時も
やっぱりわたし(母)と同じようになるのかなと言っていたのだ。

それでもこんなに早く破水が起こるとは思っていなかったようだけど。

入院診察

2002年02月25日 05時20分11秒 | 妊娠・出産
そのままエレベーターに乗せられて産科病棟へ。

病棟の看護婦さんが出てきて、診察台へ移るように促された。

立上がると羊水が流れ出す。看護婦さんにも驚かれた。

破水したといってくる妊婦さんは、
たいがいたいしたこと無くて帰ってもらう場合も多いらしいけど、
「あなたの場合は間違い無く破水だったわ」
と後日看護婦さんからいわれた。

先生が出てきて内診を受けたけど、まだ子宮口は閉じたまま。

陣痛ももちろん強い張りもまだ。

先週のエコー診断でいくつかの異常が指摘されていること、
破水が起こりやすいといわれていたことも先生に伝えた。

エコーでたっくんの状態も確認。

羊水は減ってしまったけど元気に動いているようだった。

ただ推定体重は34週にしては小さ目の2000グラムあるかないかだった。

先週の検診では標準どおりの2000グラムジャストくらいだったはずなのに、
また心配事が増えてしまった。

2000グラムあるかないかっていうのは重要なチェックポイントのようだけど、
エコーでは推定でしか出ないし、
なるべく大きく生まれてくれるのを祈るしかなかった。

病院へ

2002年02月25日 04時45分12秒 | 妊娠・出産
朝起きたら、買い物に行って
入院用の荷物をまとめるつもりだったから何も準備できてない。

とりあえず、ぐっしょり濡れてしまったパジャマは
出産のために用意した授乳口付きのパジャマに着替え、
下着も産褥ショーツに履き替えて、
その他の着替えやら洗面道具やら思いつくものをバッグに入れて家を出る。

破水はまだ続いていたからバスタオルを腰に巻いて、
靴は諦めてスリッパで外に出た。

車のシートにもタオルケットを敷いて乗りこむ。

じゅんぺーが運転してたけど、病院までの道で何を喋ったのか記憶が無い。

お腹のたっくんには
「頑張れ! 痛くない?」
って励ましたのは覚えてるけど。

空が夜明けが近いなと思わせる色になった頃、病院に着いた。

車を降り、夜間救急出入り口を入ったところで窓口があったので話しをすると、
警備員の詰め所だった。

もっと建物に入ったところが夜間診療の受付らしくそちらを説明された。

何をするでもなく横に立っているだけのじゅんぺーを尻目に、
嫌味なくらい冷静に手続きを済ませた。

歩くたびに破水が続いているのでストレッチャーに乗せられた。

何だかやっと横になった瞬間にホッとしたのか眠気のような、
どっと疲れが出たような感じ。

病院に着いたことで張り詰めていた気持ちがやっと楽になったのかもしれない。

破水

2002年02月25日 03時40分07秒 | 妊娠・出産
パシャンだかプスンだか水音で目が覚めた。

腰のあたりが濡れているような感覚。

それまでにもトイレで夜中に目が覚めることもあったし、
妊娠中から産後は大きなお腹を支えて負担のかかる骨盤底筋群のゆるみから
尿洩れを起こす人も多いって聞いていたし「おもらし?」って思った。

でもふと「違う。破水だ」と思いついた。

お腹のあたりに手をやるとパンパンだったお腹がしぼんでる。

パジャマや敷布団もぐっしょり。

検診でいわれた危険性どおり、
通常よりも大きくなってしまった子宮が耐えられなくなって破水してまったのだ。

時計に目をやると早朝4時前。

そこで気が付いた。

上階でシャワーの音がする。

ネットゲームでもして遊んでいたじゅんぺーが
やっと寝るつもりでシャワーを使ってる。

まずは寝室を出てトイレに座りこんだ。

出血はしてないけど、破水は続いている。

転げ落ちないように階段を使う途中でも羊水の流れ出る感覚。

バスルームのドアを押し開けて、やっとの思いで
「破水してる」
と呟きながらバスマットの上にへたり込んでしまった。

こんな真夜中に突然バスルームのドアをぶち開けられて、
そんなことを言われたじゅんぺーもパニック気味。

「大丈夫か? 落ち着け!落ち着け」
とわたしに向かってなのか、自分に向かってなのか一生懸命繰り返していた。

動揺してるじゅんぺーの顔を見て落ち着いた私は病院に電話した。

転院からの経過と破水していることを告げると、
夜間窓口へ来るようにという指示。

陣痛は起こっていなかったので、
今すぐに出産にはならないから
救急車ではなくて自家用車でもかまわないけど、
感染の恐れがあるから入浴はしないようにという注意だった。