応接室・書斎の洋館から和室への動線部分の廊下のしつらえも見所となっております。
タイトル写真は、大正期独特のゆがんだ窓ガラスで、いま日本では作られていない貴重なものです。
桟も一つ一つ面取りをして、高級な仕上げとなっています。
明治時代に本格的に導入されたガラス戸は近代和風建築の重要な要素です。
ガラス戸越しに見える風景が新時代の風景であったのでしょう。
ガラスの表面の凹凸のせいで歪んで外の風景が見えます。
桟木と共にガラスも面取りされており、建具職人の丁寧な仕事がみられます。
天井も曲線に加工されており手の込んだつくりとなっています。
これからこのブログで御案内する部屋においても、建具・表具・天井のつくり・床の間のしつらえ等、全て違った仕上がりとなっておりますので、注意深くご覧下さい。
お手洗いですが、便器とタイルについては、当時のものでは無いと思われます。
陶器でできたスリッパの形をしたものは、男性が用を足す際の立ち位置を示すもので、これを履いて歩く事は無かったと思われます。
現在貼られているトイレのタイルは修復された一般的なタイルですが、(その8洗面所)で紹介する予定の洗面所等に貼られているタイルはマジョリカタイルという金型で花柄など凹凸のレリーフを施したタイルで、筆で一色ずつ数種類の色釉を載せるなど製造に手間のかかった装飾タイルです。文政年間に淡路島の南端、現在の南あわじ市で賀集珉平翁が始めた珉平焼を継承したというタイルメーカーの淡陶社(現ダントー(株))は日本で最初にマジョリカタイルを製造した会社です。『株式会社DantoTile』HPより
ですので、元々はこのトイレもマジヨリカタイルが貼られていたと思われます。
何かの理由で剥がされて貼り替える事になったのでしょう。
一連のシリーズが終了後、マジョリカタイルと大正時代の網干の建物について報告できればと考えています。
お楽しみに。
この山本家住宅は大正時代のいろいろな物が残されていますが、大正時代のガラスの代表と言っても良い「結霜ガラス」がたくさん残されています。まず、このお手洗いに登場です。山本眞蔵氏がお気に入りだったのでしょうか。これからも紹介していきますのでお楽しみに。
【結霜ガラス (けっそうがらす)】
(グルーチップグラス・Glue Chip Glass、フェザーグラス・Feather Glass)
すり硝子の上に膠(にかわ)の水溶液を塗り低温で加熱すると、収縮した膠がガラスの表面を削り取ることを利用した硝子です。
剥離したように削られた部分が透明に、その他が曇りガラスの状態で、結果、全体にシダのような、また鳥の羽のような模様がまるで「ランダム」にできます。
結霜ガラスは20世紀の初め、大正中期から昭和初期に多く使われました。
現在の型板ガラスの前身で、後には模様の付いた雌型を硝子にプレスして模様を付けるようになります。
明かりを採りつつ、見えそうで見えないガラスはこうしてできあがります。
当時日本のガラスの厚さは2mmと薄いのも特徴です。
協力:網干歴史ロマンの会・あぼしまちボランティアガイド
※山本家住宅は、第1、第3日曜日の10時00分~16時00分に公開中です。