今日の9時30分から12時まで、網干公民館主催の歴史ウォークがありました。
今年は『浜田地区』をまわりました。
コースは順に本町橋→義徳院→道祖神社→西方寺→行者道→旧渡し場→東芝引き込み線跡→旧三昧場→龍門寺→水準標→火の見櫓跡→龍源寺→稲荷神社→不徹寺→恵美酒神社→林松寺跡でした。
網干公民館古文書学習会の生徒が各場所の説明にあたるという事になっており、私、興ちゃんは『義徳院』と『林松寺跡』の説明担当になりました。
興ちゃん担当の『義徳院』と『林松寺跡』を中心にいくつかを案内しましょう。
義徳院に到着
盤珪国師初湯之井戸があります。
盤珪国師誕生之碑
境内はきれいに掃除されていました。
義徳院
山号仁弘山(にんこうざん)、寺号義徳院(ぎとくいん)は、盤珪禅師の生誕地です。
盤珪は徳川幕府が開かれてから約20年後の1622年に徳島から流れてきた儒医菅原道節の三男として生まれました。
11歳の時に父を失い兄に育てられました。
その後日本各地できびしい修行をし、「不生禅」を説き、龍門寺を開祖したという事です。
参加者は60名以上だったようです。
龍門寺
龍源寺
不徹寺では竹内住職の話と甘茶・菓子の接待がありました。
竹内住職誠にありがとうございました。
不徹寺境内
片隅にある四ツ目結紋が入った瓦。ここは江戸時代興浜と同じ丸亀藩京極家の飛び地であった。
揖保川の風景を3枚
林松寺跡
林松寺跡
11年前の平成10年6月までこの場所には現在八十大橋西側にある林松寺がありました。
林松寺は行基上人の開基です。
約1300年前の奈良の大仏をつくった聖武天皇の時代に、薬師如来・聖観世音菩薩を奉ったのが縁起です。
その後菅原道真公が自ら松苗を植え置かれたとのはなしもあります。
浜田の郷土史には、大きな松が一本あって木の高さは18m余り、幹の太さは8mほどもあり、直径2m50cmほどだったとあります。またその松のそばに瓦屋根の古い祠があり天満天神が祀られていたそうです。その松が道真公の松だったかは今になってはわかりません。
ここはその当時播磨灘に浮かぶ観音島という小島だったので人々の往来が無く寺の荒廃は進み、衰退の一途を辿りました。
その後昭和26年の揖保川河川改修工事を契機に伽藍を再興したのですが、平成3年に再度の河川改修工事において道路拡張計画の範囲に入ったので、平成10年に移転したという事です。