中央公論の2月号に諸田玲子さんの「辛夷の花がほころぶように」が読み切り短編小説として掲載されている。
舞台が網干区浜田なので少し紹介したいと思う。
舞台は、四国丸亀京極家の飛び地である網干。
瀬戸内に面した播磨国の網干港で廻船業を営む、豪商灘屋の賄い場で働く“おあん”15歳。
灘屋は主に赤穂から上質の塩を仕入れ、京・大坂へ輸送していた。
手代の東太は、難破した船から助けられて灘屋で働く。
東から航海してきた船に乗っていたので東太、難破したおり記憶と片目をなくしているが陽気でくったくの無い若者。
おあんは訳があって四国丸亀から飛び地である網干に逃げて来ていた。
そんなおり灘屋の座敷に四国丸亀京極家の勘定方がやって来た。
同行した水夫の一人がおあんの事を覚えていた。
おあんは四国丸亀に居た時、権蔵の店の遊女だったのだ。
訳あって権蔵を殺して網干に逃げてきたのであったが、その男は全てを知っていたようだ。
おあんは灘屋から逃げるように抜け出し、隣の禅寺に逃げ込んだ。
灘屋の隣は臨済宗妙心寺派の禅寺。丸亀京極家から土地を拝領、巨資を投じて寺を建立したのは灘屋の主で、廃寺になっていた龍門寺からその名をもらい、幼なじみの盤珪国師を迎えて播州随一の禅道場とした。
おあんは盤珪国師と貞閑尼に全てを打ち明け、貞閑尼の庵である不徹庵にかくまってもらう事になった。
しばらくして事件が起こった。灘屋のお宝である香炉が盗まれたのだ。その香炉を丸亀で売り払い銭にしようとした男が捕らえられた。
その男は、灘屋でおあんの権蔵殺しを知った男であった。
香炉は灘屋の手代である東太から口止めとして手渡されたものであると供述。
権蔵はおあん好きさのあまり何もかも知らぬ存ぜぬで通したが、その後東太がどうなったのかはわからないまま時は過ぎた。
おあんは貞閑尼に盤珪国師に東太を助けてほしいと頼んだ。
おあんが灘屋を出て不徹庵で貞閑尼に世話になって一年が過ぎた時、貞閑尼はおあんに自分の里である丹波国柏原で暮らす事をすすめる。
貞閑尼はおあんが柏原に行く時のお伴を用意していた。用心棒であり柏原に着いたら夫婦となり一緒に暮らすように言った。
その男こそ盤珪国師が守っていてくれた東太であったという話である。
この物語の舞台である、姫路市網干区浜田の龍門寺・龍門寺の墓地にある灘屋の墓、貞閑尼の墓・盤珪国師の墓・盤珪国師生誕の地である義徳院 ・貞閑尼の庵であった不徹庵を写真で紹介しておく。
龍 門 寺
義 徳 院
不 徹 庵
貞閑禅尼木像俗名田捨女(物語では貞閑尼)
近所にあるお寺などにも、いろんな物語、歴史、謂れがあるのですね。バックグランドが分かるとおもしろいですね。
コメントありがとう。
結構まとまりが悪いブログですが、これを機会にお立ち寄りください。