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興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

西の馬場 渡神殿(わたりしんでん) 網干公民館主催歴史ウォーク 旭陽南地区を訪ねて 2 

2010年06月01日 | 歴史散歩

 前回から引き続き、今回は網干歴史ウォークにおいて興ちゃんがガイドをした「魚吹八幡神社お旅所(おたびしょ)」別名「西の馬場(ばば)」について簡単に書いてみます。

魚吹八幡神社 お旅所
 毎年10月21・22日には魚吹八幡神社の秋季祭礼があります。
御祭神である神功皇后(じんぐうこうごう)・応神天皇(おうじんてんのう)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)が21日の宵宮の時にここ「お旅所」にある渡神殿(わたりしんでん)に神輿で来られて一泊されます。
 その時に氏子である興浜・新在家・余子浜・垣内・大江島・吉美・平松の七ケ村が道中を御神燈で照らし無事にこのお旅所に渡られるようにしていた事が、現在、魚吹八幡神社の秋祭りが「提灯まつり」の別名で呼ばれている由縁です。
 「お旅所」は別名「西の馬場」と呼ばれていますが、ここ津市場村だけは「宮の馬場」と呼んでいるようです。
 渡神殿には津市場の提灯が掛けられていて、かつてはお旅所の外周を津市場の村人が提灯を持ちお迎えされていたようです。
 22日の本宮祭には御祭神は魚吹八幡神社の本殿にお還りになられます。


というのが当日の虎の巻きであるが、補足説明があるので紹介する。

1.この歴史ウォークをする前に、ガイドを務めるメンバーで会議を行い、それぞれの案内文を披露する時に指摘された事であるが、その時「渡神殿」を”としんでん”と言ったところ”わたりしんでん”と言うだと皆さんから言われました。
こういう指摘をされるので先輩達との交流に感謝です。
舟で人を渡す場所は、渡し場(わたしば)であるし、ふたつの建物をつなぐ渡り廊下の事は渡殿(わたどの)と言うし、季節によって住む場所をかえる鳥は渡り鳥(わたりどり)と呼ぶのだから、神様が年に一夜お渡りになられる神殿は「わたりしんでん」に間違いない。ただ最近”としんでん”と呼ぶ祭り関係者を”わたりしんでん”に訂正する事ができるだろうか。これからの課題である。



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2 コメント

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「としんでん」 (みー@)
2010-06-02 22:06:54
だと、私も思っていました。
ふ~~ん、「わたり」だったのね。
で、この神殿はお祭り以外では何かに使われるのかしら?
一年に一度開けられるだけの建物なのですかねえ。
富島神社の「わたりしんでん」は、住宅地図には「ソーコ」と記してあります。
何だか罰当たりな気がするのは私だけでしょうか・・・
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わたり (興ちゃん)
2010-06-02 22:35:35
 早速読者の方から、「わたりしんでん」なので祭りの時は「渡り蟹」を食べるのですか?と聞かれましたが、100%それは関係ないと答えておきました。

 祭り以外の日の渡神殿の中は、祭り当日に西の馬場で使用する、輪番席と興浜・新在家・余子浜が使用する神輿奉仕者の台を保管しています。敷村である宮内村が管理をしています。

 富島神社のお旅所は、富島神社を合祀する前の神社があった場所なので、その場所を神様が一年に一度確認に行かれると聞いた事がありますが、あくまで想像です。
 魚吹八幡神社のお旅所も敷島神社がもともとあった場所なので、神様が一年に一度確認に行かれると聞いた事がありますが、これもあくまで文書等の確証はなさそうです。

 

 
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